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 真っ赤になったまま一人寝室に残されたリリスは、遠慮がちなテーナの声で我に返った。

 ジェスアルドが出ていってからしばらく待ったテーナだったが、何の物音もしないことにリリスの様子を見にきたのだ。

 そして、寝室の真ん中で立ち尽くしているリリスを発見した。


 最近はとみに仲の良い主人夫妻に、テーナもレセも安堵とともに呆れも混じっている。

 しかし、二人とも義務はしっかりこなしているので、そこは問題ない。

 ただリリスの惚気に付き合うのが大変なだけだ。


「――ちょっとぼうっとしてたわ。やっぱりフロイトからアルノーを代表に、使節団がくるそうよ。それに、殿下はわざわざ私に手紙を届けに来てくれたの。間違って殿下のほうに、お父様たちからの手紙が紛れていたみたいで」

「さようでございましたか。それでは、お手紙をお読みになってから、夕食になさいますか?」

「ええ、そうね。お願いするわ」

「かしこまりました」


 テーナは気を利かせて、そのままリリスを寝室に残して出ていく。

 リリスは分厚い大きな封書をペーパーナイフで開き、中からまたいくつも出てきた封書をテーブルの上に並べた。

 差出人はフロイト国王である父、王妃である母、兄スピリスとエアム、そしてダリア。

 加えて、ボット宰相からもある。


 結局、リリスは宰相からの手紙を一番に手に取った。

 リリスは好物を後に残して食べるタイプなのだ。

 ボット宰相からの手紙は初めてであり、ちょっとだけ緊張する。

 何が書かれているのだろうかと思えば、内容は先ほど聞いたこと――近々、使節団が帝国に訪れるだろうということだった。


 まだ正式決定前だったせいか日程などの詳細は後日とあるが、使節団が訪れる一番の目的はフロイト王国国境を脅かしていたフォンタエ王国の現状報告であるらしい。

 またエアーラス帝国からの援軍との合同演習の成果や、フロイト王国から見たフォンタエ王国に対する今後の動向予測なども挙げられていた。

 もちろんリリスへの挨拶という名目での待遇調査と内情報告も期待しているようだ。


 ただそれは予想の範囲内で驚くことではなかったのだが、使節団に加わる予定の名簿を見たリリスは、思わず顔をしかめた。

 オラス・ボーヌとセザール・ベルジュの名前を見つけてしまったのだ。

 さらには帝国に訪れた後の行程に目を止めて、今度はため息を吐いた。


(これは、アルノーにとって大変な試練ね……)


 この人員と行程を考えたのはいったい誰なのか。

 父か兄か宰相か、それともオラスかと頭の中で思い浮かべ、リリスはその全員だなと結論を出した。


 オラス・ボーヌとは、リリスの祖父――先代フロイト国王の時代に宰相を務めてくれていた人物で、今は国王の相談役として王城に留まってくれている。

 かなりの曲者であり、フォンタエ王国からの無理な要求をのらりくらりとかわすことができたのも、彼の助言があってこそと言っていいだろう。


 また、リリスの無謀な案にいつも力を貸してくれていた。

 最近ではフレドリックの茶飲み友達と化していたので、そのフレドリックがリリスの輿入れに同行したことによって暇を持て余しているはずだ。


 そして、セザール・ベルジュは長年フロイト王国軍で将軍を務めてくれていた人物である。

 温厚で争いを好まないフロイトの民の中で、セザールは何度かあったフォンタ王国軍のからかうような国境侵犯に際して、兵たちを鼓舞し、勇猛果敢にフォンタエ軍を退けてくれた英雄だった。


 今は現役を退き、後進の育成にあたってくれているのだが、彼の影響力はまだまだ大きい。

 その彼が王国を離れることができるというのは、やはりそれだけフォンタエ王国の脅威が薄れたとみていいだろう。


 要するに、小国であるフロイト王国が今の今まで独立を保っていられたのは、彼ら二人の存在があったからだ。

 フロイト王国では、この二人の英傑の人気はかなり高く、王族とともに愛されている。

 だがリリスは、フレドリックも入れて偏屈爺三人組と呼んでいた。


(アルノーは三人のこと、苦手にしていたものね……)


 三人は頼りがいはあるが、容赦がない。

 フレドリックは客員ということもあってか、それほどではなかったが、オラスとセザールはリリスの婚約者候補にはとにかく厳しかった。

 しかも、アルノーは候補者の中で、リリスの秘密を唯一知っていたので、特に厳しくされていたように思う。

 そもそもアルノーが秘密を知っていたのは、リリスが教えたからだった。


 幼い頃はアルノー以外に友達がいなかったリリスは、当時からアルノーを特別視していた。

 そして、友達には秘密を作らないものと何かで読んだリリスは、素直に現実夢のことを打ち明けたのだ。

 アルノーは驚いたようだったが、すぐに笑顔に変えて、それはとても大切なことだからもう誰にも言ってはいけないと、リリスを諭した。


(あれは確か……十歳くらいの時だったわね……)


 たった一歳しか違わなかったが、アルノーはリリスよりずっと大人びていた。

 あの時のドキドキはまだ覚えている。

 好きだと自覚したのはまだ先だったが、あの頃からもうリリスはアルノーを意識していたのだろう。


 今、冷静に考えれば、兄以外に同年代の異性はアルノーしかおらず、常に優しくリリスを気遣ってくれていたのだから、恋をするのも当然だった。

 アルノーにとっては、自国の王女――しかも国益をもたらす王女なのだから、大切にするのは当たり前だ。


(でも、ダリアは違ったのよね……)


 リリスとダリアは、容姿はもちろんのこと、性格も大きく違う。

 何でもはきはき意見を言うリリスと、控えめながらいつも優しい笑みを浮かべているダリア。

 儚げなダリアを見ていると、リリスでさえ守らなければと思ってしまうのだ。

 アルノーはそんな庇護欲のようなものが恋へと発展したのかもしれない。


(って、そんなことはもう関係ないし!)


 今はもうどうでもいいことを考えていた自分に突っ込んで、リリスは改めて使節団のことに思考を戻した。

 エアーラス帝国に訪問した後は、商業都市マチヌカンに訪れる予定だと宰相の手紙には書いてあったのだ。

 今のマチヌカンはかなり危うい状況になっている。

 本来、経験不足のアルノーを代表にするなどあり得ないが、オラスとセザールがついているのなら大丈夫だろう。


(まあ、今さら隠居した二人に肩書きをつけて代表にするのも人材不足を露呈するようなものだし、政務次官補のアルノーが適任と言えるのかな……。何より、王女の婚約者だしね)


 リリスは今回の人選にひとまず納得し、宰相からの手紙を仕舞った。

 そして、次に父王からの手紙を開いたのだった。




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