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リリスの驚くべき提案――願いに、その場は一瞬静まり返った。
だがすぐにフレドリックが噴き出し、笑い声が響く。
緊張していたとはいえ、さすがに今の言い方は酷かったと思ったリリスは顔を赤くして謝罪した。
「あ、あの、申し訳ございません。言い方が率直すぎました」
「いや、本当にアマリリスが全て懐に入れてもかまわないとは思うが、続きを聞かせてくれるだろうか?」
「は、はい」
どうやらジェスアルドも笑いを堪えているらしく、かすかに俯き口元を拳で押さえている。
そのため皇帝が続きを促したが、アレッジオとともに楽しげな表情だ。
それでもリリスはどうにか気を取り直し、正確な説明を始めた。
「私がこれから申し上げることは、お金があればどうにかなる問題ではありません。ですが、まずは潤沢な資金が必要だと思っております。それでもなお上手くいくかどうかもわかりませんので、国庫からの出資ではなく、マリスの売上の余剰金を充てるという形にしていただきたいのです」
「ふむ。なかなか面白そうだな。して、内容は?」
「一言で表すなら貧民救済です」
「ほう? それはとても有意義なことではあるが、確かに難しい問題だ。帝都だけでなく各領地でも孤児院や救貧院はあるが、それでも街には浮浪者が少なくない。これは施設の数が足りないだけでないのは理解しているのだろう?」
「もちろんです。とはいえ、全てを理解しているとも言えません。ですから、私は困窮した人たち全員を助けられるとも思っておりません。ただ、せめてできることをしたいと思っているのです」
「では、その策は?」
「トイセンとコーナツの街に奉仕院を建てます」
「奉仕院?」
「はい。簡単に説明するなら、孤児院と救貧院を合わせたようなものです。子供たちには安心して暮らせる場所を、また食事に困る人たちには夕方の食事を無料配布します。これに関しては何も制限はありません。仕事がなく貧困に喘いでいる人たちに温かい食事を、もし寝る場所がないのならその場所を提供するのです」
「子供に限らず、大人にもということだね?」
「はい。ただし食事は無料配布いたしますが、寝所を利用したい場合は湯を浴びて身ぎれいにする必要があります。また翌朝には支払いをしてもらいます」
「支払い? しかし、彼らは寝床にも困っているのだから、支払うものなど持ち合わせていないだろう」
「それは当然ですね。ですから体で払っていただきます。院には畑を作るつもりですので、畑仕事や収穫したものの加工……麦を挽いたりなど。また院内の仕事――掃除や調理など、各々できることをしていただきます。ひと仕事終えたら朝食をとっていただき、もうしばらくの労働。その後は昼からの労働も条件に、希望者には昼食を提供します」
「確かに、その策を行うには莫大な資金が必要になるだろうな。ただ人間は怠惰な生き物だ。そのような居心地の良い場所があって、厳しい外の世界に再び出たいと果たして思うだろうか。すぐに院は救いを求める者たちで溢れ、収容は難しくなるのではないかな?」
リリスの説明を皇帝は興味深げに聞きながらも、鋭い質問を投げかけてきた。
しかし、リリスは怯むことなく淡々と続ける。
「奉仕院では人々をただ救うのではありません。お互いが奉仕する――与え合うのです」
「……与え合う?」
今まで黙って聞いていたジェスアルドが、ここで口を開いた。
リリスはようやく核心に触れることができ、笑みを浮かべて頷く。
「院では食事や寝る場所などを与え、人々からは労働を与えてもらいます。また夕食後には希望者へ――これは街の人たちも参加自由ですが、学びの会を開きたいと思っております」
「学びの会?」
「はい。簡単な読み書きと計算ができるように学ぶための時間です。もし店番ができる程度の知識を身につければ、仕事を得やすくなるのではないでしょうか? さらには、院に滞在する人たちの知識や技術を披露してもらいたいと思っております。大人でしたら、きっと今までに何かしらの経験があるはずですから。――もちろん理想通りにいかないことは重々承知しておりますし、安全性など課題も山積みです。ですが、難しい、無理だと諦めてしまっては何もできません」
「ふむ。アマリリスの申す通りだとは思う。まずは挑戦しなければ何も成し遂げはできないからな。では、基本的な質問をするが、なぜ浮浪者の多い帝都ではなくトイセンとコーナツの街で開院しようと思ったのかね?」
皇帝は一度リリスの意見を肯定した上で、疑問点を上げた。
忌憚のない意見を部下から得るための上手いやり方だなと感じながら、リリスは素直に答えた。
「初めての試みですから、帝都では混乱を招きかねません。トイセンの街を選んだのは、これから間違いなく繁栄するからです。街が栄えれば、それだけ人は流れてきます。その中には頼る当てもなく、どうにかなるだろうと――なってくれと希望を抱く人たちも含まれます。そんな彼らと街のために、奉仕院は必要なんです」
「なるほど。大人も受け入れるというのは、そういうことだね?」
「はい。トイセンの街でこれから必要とされる人材は、工場で働く人、街を警備する人など様々でしょうから、即戦力が必要です。奉仕院にしばらく滞在してもらったのちに、その人物の適正を見極め――訓練は必要ですが、仕事を斡旋できればと思っております。また子供たちは将来を担う存在として育成する予定です。もう一点、ストーンウェアとマリスでは工場の売上は変わってくるでしょうから、マリス工場への希望者が殺到しないためにも、工賃は一律にしたいと考えております。これは先ほど申しましたマリス製造にあたっての経費から人件費のみを、ストーンウェアの人件費と合算して配分することになります。もちろん技術力による賃金差は発生いたしますので、そこは本人の努力次第です」
「トイセンについてはそれだけかね?」
「いいえ。まだあります」
「ほう?」
皇帝はリリスの用意した資料を見ることはなかったが、リリスの案を聞いて大方の予測をつけたようだ。
おそらく、今の質問もわかった上でのことだろう。
「一番の目的はブンミニの町です」
「ああ、今の状況では人材が足りないですからな。しかし、鉱山が再開されたと知れば戻ってくる者も多いでしょう」
今度はアレッジオが納得の言葉を発する。
そこでリリスは皇帝と同じように一度同意してみせた。
「そうですね。家族を置いて働きに出ている人たちは戻ってくるでしょう。ただ、全員が全員ではないと思います。家族全員で新天地を求めて旅立った人たちは、また難しい選択を迫られることになりますから。技術知識があっても人手が足りず、原料不足のためにマリス生産に遅れを生じることだけは避けたいのです。マリスの製法はいずれこの大陸中に伝わります。ですが、その先駆けだと――元祖であると大陸中に知らしめてこそ、その価値は守られるのです。ですから、トイセンからブンミニへ人材を派遣できればと考えております」
「ほほーう。……いやはや、参りましたな。どうやら我が国はとんでもない宝を得たようですぞ」
「まったく、その通りだな」
アレッジオが参ったとばかりに上げた感嘆の言葉に、ジェスアルドは重々しく頷いた。
ジェスアルドは今になって、リリスの兄であるエアム王子の〝得難き宝〟の意味を正確に理解したのだ。
ここまで国を想い、民を想い、国の取るべき施策を考える女性は他にいないだろう。
たとえフレドリックの助言を得たのだとしても、十分賞賛に値する。
もちろん詰めるべき箇所はまだまだあるが、それは官僚たちの仕事だ。
ただ、ジェスアルドが一抹の寂しさを覚えてしまうのは、自分にとっての唯一であるリリスが、皆にとっての皇太子妃になってしまうからだった。
「あ、あの、でも……コーナツの街を選んだのは私情なんです。私はコーナツの街で浮浪児と呼ばれる子供たちに助けられました。ですから今度は私が彼らを助けたいと。受け入れられるかはわかりませんが、彼らに少しでも選択の機会をあげたいのです」
「いや、リリスの考えは間違っていない。私も彼らには少しでも恩を返したいと思っている。彼らが飢えることなく安心して眠れる場所ができ、仕事を得ることができるのなら素晴らしいことだ。しかもコーナツの街はトイセンとも近い。街道整備にしろ何にしろ、これからトイセン周辺は人手がいるだろう。よって私はリリスの提案に全面的に賛成する」
「うむ。私も賛成だな」
「当然、私にも異論はありません」
あまりにも褒められて居たたまれなくなったリリスは、コーナツの街を選んだ理由を申し訳なさそうに告げた。
しかし、ジェスアルドがしっかりと後押しする。
そして皇帝とアレッジオも同意したことで、リリスの提案は受け入れられた。
「では、ここからは私たちの仕事だ。リリス、この資料は預かるがよいか?」
「はい。もちろんです」
「この施策に関しては、妃殿下の発案としても大丈夫でしょう。細かなことは官僚たちの仕事としても、世間は裏方までは気にしませんからな。間諜が掴む情報にだけ、妃殿下はお飾りだと思わせることができればよいのですから」
「ああ」
「……それでは、皆様のご負担を増やしてしまいますが、よろしくお願いいたします」
「アマリリスが頭を下げる必要などない。むしろ、礼を言わねばならぬのは我々だ。ありがとう、アマリリス。ここからはどうか任せてほしい」
「ありがとうございます」
ジェスアルドの力強い言葉とアレッジオの小さな策略を聞いたリリスは立ち上がると、深く頭を下げた。
すると、皇帝から温かな言葉が返ってくる。
リリスは笑ってお礼を言いながらも、安堵のあまり泣いてしまいそうだった。
三人は自分の特殊な力だけでなく、生意気にも思える意見を受け入れてくれたのだ。
どれほどに自分が恵まれた立場にいるのか、この国に――ジェスアルドに嫁ぐことができて本当によかったと、リリスは自分の幸運を噛みしめたのだった。




