3話
――ああ、そういえば……。あの日の雷はすごかったな。
神社で雨宿りをした、あの日、すぐ近くに雷が落ちた。
つぐみと一緒に震え上がった、あれがベイビーちゃんが地上に落下した音だったのだ。
――はた迷惑な夫婦だなあ。
夫婦喧嘩のたびに、ドッカンドッカン雷を落とされては堪ったものではない。
呆れる真理とは裏腹に、雷様は謎の論理を展開していた。
「ということは、だ。ベイビーちゃんが地上に落ちた原因はこの坊主のせいでもあるということか。めでたい祭りの日に、娘っこに憂い顔をさせるとは、ひどい奴だ」
「え? 僕がつぐみちゃんを泣かせたわけじゃないですよ?」
濡れ衣を着せられまいと、真理は必死に抗弁するが、基本的に、この夫婦は人の話を聞かないようだ。
「どうして、そんなに悲しい顔をしておるのか、ついつい気になって身を乗り出してしまったばっかりに、奥さんにあらぬ疑いをかけられてしまった。全くとんだ災難だった」
よく飽きもしないものだと感心されるほど、雷様は雲の切れ間から下界を覗くのが好きだった。
日々、変わり映えのしない天界の生活と違い、人間の世界は激流のようにめまぐるしい。
特に、人の暮らしの変わりようと言ったら、目を見張るものがある。
それを嘆かわしいと、眉を寄せる神様方も多い。
しかし、雷様はそうは思わない。
祭りの準備に勤しむ人間の姿は、今も昔も変わらないように見えるからだ。
人間たちが祭りを楽しみにしているのと同様に、雷様もこの時期をいつも楽しみにしていた。
笛や太鼓が鳴り始めると、自然とソワソワしだすくらいに。
それ程楽しみにしていたからこそ、つぐみのことが目についたのだ。
祭りだというのに、少しも楽しそうではなかったから。
おかげで、夫人が焼きもちを焼いて、散々な目に遭ってしまった。
「……あのときは、ごめんなさい……」
しおらしく謝っているところを見ると、夫人も一応は反省しているらしい。
カッとなったら見境ないが、年がら年中怒っているわけではないのだ。
ただ少し……。
「でも、そうね。私も悪かったけど、この坊やも悪いわね。女の子を泣かすなんて、よくないわ」
ほんの少し……、自己中心的なところがあるだけなのだ。
「だから、俺が泣かしたんじゃないんですって! そもそも赤ん坊を投げる方がよくないと、俺は思いますけどね!」
真理の反撃に、夫人は「あら、何言っているの」と片眉を跳ね上げた。
「ベイビーちゃんは赤ん坊じゃないわよ。背格好は……そうねえ、このわらしちゃんと同じくらいかしら」
「……へえ、じゃあ、結構大きいじゃないですか。よくもまあ、投げたりできましたね……って、そうじゃなくて! 俺の言いたいことは――」
ああっ、もうっ、と真理は頭を抱えてしまった。
夫人がまたしても、「私たち……、すぐに探しに行こうとしたのよ」と、しおれた素振りを見せるものだから、おちおち文句も言えやしない。
ただ彼らの話をよくよく聞いているうちに、事の顛末が次第に理解できてきた。
「わしら、すぐに地上に降りて行こうとしたんだがなあ、他の神様方につかまってしまってな。『うるさい、いい加減にしろ』と大目玉を食らってしまったのだ」
「そりゃあ、そうですよ。他の神様たちだって、祭りを楽しみにしていた筈ですし」
それを、痴話げんかで中止に追い込んでしまったのだ。
夫妻は数日間にわたり、神様たちから説教を食らった。
ようやく解放されて、すぐにベイビーちゃんを探しに行ったのだが、時すでに遅し。
ベイビーちゃんの姿は、もうどこにもなかった。
やっとのことで見つけた手掛かりは、神社の裏手の公園にあった落雷の跡だけ。
そこからどこへ行ったのやら。
夫妻には皆目見当がつかなかった。
それからは、闇雲に地上に降りては捜索をする日々が続いた。
「あっ、それで最近、やたらと雷が鳴ってたんですね」
昼間、どんなに良い天気でも夕方になるとパラパラと雨が降り始める。
やがて、ゴロゴロゴロと不穏な音が轟き始め、どこかに雷がドッカーンと落ちるのだ。
気がつけば、雨もやんでいて……というような不思議な天気がここ最近、ずっと続いていたのだった。
それもこれも全部、雷夫妻が我が子を探していたからなのだ。
「うむ。わしらはベイビーちゃんを探すのにただ必死だっただけなんだがのう」
そう言って、雷様は大きな大きなため息を吐いた。
「そうなのよ。私たちはただ探してただけなのよ。なのに、今度は大ガラス様から『うるさーい!』と怒鳴られてしまって……」
「うむ。あんなに怒ることはないのになあ。大ガラス様も謹慎中の身で、イライラしてたんじゃなかろうか」
「ええ、そうね、完全に八つ当たりね」
というのは、夫妻の勝手な言い分だ。
大ガラス様からしたら、毎日毎日ゴロゴロドッカーンとやられては堪ったものではなかったろう。
ましてや、自身は謹慎中の身。
拝殿の奥の奥のそのまた奥に引きこもっていなければならない。
――そっか。大ガラス様はこの状況を俺になんとかしろ、と言いたいんだな。
ようやく合点がいった真理をよそに、雷夫妻の勝手な理屈は止まらない。
「ねえ、あんた。大ガラス様が謹慎する羽目になったのも、そもそもこの坊やのせいなのよね?」
「おお、そうだった。となると、今回の件は全部この坊主のせいということになるな」
雷夫妻は、またもや図々しい論理を展開し始めていた。
「えぇっ!? なんで俺が悪いってことになってるんですか。だいたい俺なんかに頼るより、雲の上から探した方が早くないですか?」
その方がいっぺんに遠くまで見渡せていいと思ったのだが……。
「もちろん、上からも探しておる! だが、人間がうじゃうじゃと多過ぎてのう……」
「それに、地上のことは地上の者の方が勝手もわかってるし、良いと思うのよ」
この夫婦に丸め込まれるのは癪だったが、会ったこともない、顔も知らない、ベイビーちゃんとやらのことが真理も少々心配になり始めていた。
その子はわらしと同じくらいの、まだほんの子供だというではないか。
親から離れて、さぞかし心細い思いをしているに違いない。
顔を知らないせいだろうか、想像の中でその子供がわらしの姿を借りて泣くのだ。
「確かに……、心配ですね。あの日から、結構日にちが経ってますよね。ご飯はどうしてるんでしょうね」
いつか聞いた、わらしの「おにゃか、すいた……」の声が蘇り、確認せずにはいられなかった。
「わしらはメシを食べなきゃ食べないでもいられるから、その心配はないだろう」
「えっ、そうなんですか?」
それなら少しは安心だ。
「でも、きっと心細くて泣いてるわ」
雷夫人はまたしくしくと泣き始めていた。
自分たちで探したいのはやまやまだろう。
でも、それができないから、こうして真理に頼んでいるのだ。
わかりました。俺が探します。
もうそんな気持ちになっていたのだが……。
「わたちが探してあげる!」
先に声をあげたのは、わらしだった。
それまで真理たちの会話に「ふんふん」と頷いて、聞いているそぶりを見せていたものの、どこまでわかっているのやら。
難しい、込み入った部分は端折ってしまったに違いない。
しかし、小さな耳が拾った、断片的な単語だけでも、雷夫妻が困っているのはわかったし、ベイビーちゃんを探せばいいということもわかったようだ。
「だいじょーぶ。ベイビーちゃんはわたちが見つけてあげる!」
「まあ、ありがとう。わらしちゃんは優しいのね」
夫人に褒められて、わらしはほんのり頬を染めた。
褒められたついでに、お願いごとを言ってみようという気になった。
「うん! わたち、優しいの! あのね、だからね、見つけたら、一緒に遊んでもいい?」
自分と同じくらいの子と聞いたときから、ずっとその子と一緒に遊びたいと思っていた。
もしも、自分が見つけたら、でいいのだ。
ほんのちょっと、でもいいのだ。
お伺いを立てるように見上げると、夫人はとても優しい顔をしていた。
「ええ、ええ、ええ。もちろんよ。きっといいお友達になれるわ」
「おともだち?」
夫人がお友達なんて言うから、わらしはびっくりしてしまった。
そこまで望んでいたわけではなかったのだ。
でも、でも、でも。
「おともだち……」
口の中でその言葉を飴玉のように転がすと、背中を何かが駆け抜けた。
その響きのこそばゆさに、自然と両手がグーになる。
どうしたらいいかわからなくて、わらしは真理を振り返った。
「真理、真理、おともだちだって!」
その目はキラキラ光っていて……。
真理は盛大にため息を吐いた。
――なんだよ……。何としてもベイビーちゃんを見つけなきゃいけなくなっちゃったじゃないか。




