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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
雷様と秋の夜長
88/97

1話

 あんなにうるさかったセミの鳴き声が、今はほとんど聞かれない。

 季節は確実に、夏から秋へと移り変わっていた。

 天気予報ではしばらく残暑が続くと言っていたが、一晩中クーラーをかけっぱなしにすることもなくなった。

 これから、日ごとに涼しくなっていくのだろう。

 しかし、だからと言って、カーディガンを羽織るにはまだ早い。早過ぎる。

 いつもの赤いワンピースの上、秋物の白いカーディガンを羽織った、わらしの姿は見ているだけで暑苦しかった。

 ――あ~あ、秋物なんて、もう少し涼しくなってから買ってくりゃ良かったなあ。

 イチゴのボタンが可愛らしくて、一昨日衝動買いしてしまったことを真理はちょっぴり後悔していた。

 ――わらしは暑さも寒さもわからないからなあ。

 放っておけば、一年中、わらしは半袖のワンピース一枚で過ごしてしまう。

 衣替えのタイミングを教えてやるのは、真理の役割だった。

 当然、今日もそれを着るにはまだ早いと注意したのだが、この日のわらしはどうしても着ると言ってきかなかったのだ。

 ――でも、まあ、仕方ないか……。

 買ってもらったばかりのカーディガンを、わらしが今日おろしたのにはわけがある。

 これから、大ガラス様に会いに行く。

 そのための、おめかしなのだ。



 あの夏の日、大ガラス様に助けてもらわなければ、わらしも河原も今頃どうなっていたかわからない。

 大ガラス様には感謝してもしきれないくらいだというのに、この気持ちをまだ直接伝えられていないのが、ずっと真理の気がかりだった。

 あれから何度も烏ノ森神社(からすのもりじんじゃ)を訪ねたが、大ガラス様は姿を現してはくれないのだ。

 賽銭箱に入れる小銭を、ピカピカに磨いてみたりもしたのだが、それでもダメだった。

 もしかしたら、気安く人前に出てきてしまったことが、神様の世界――そんな世界が本当にあるのか定かでないが――で問題になったのかもしれないなどと、この頃では考えるようになっていた。

 そうして、半ば諦めかけていたところに、大ガラス様から呼び出しがかかったのだ。

 使者として遣わされたのは、カラスのカア吉だった。

『大ガラス様がっ、お、お、お、お呼びですっ! 早く神社にっ!』

 大ガラス様の使者という大役を任されて、カア吉はかなり舞い上がっていた。

 浮かれ具合でいえば、わらしも同じ。

 本来おうち大好きな座敷わらしは、外に出ることを好まない。

 散歩に誘い出すにも一苦労だ。

 それが、新品のカーディガンをおろして自ら出かける準備したのだから、その喜びようの程がわかるだろう。

 何しろ、わらしの記憶は川の水をしこたま飲んだところまでしかない。

 記憶が始まるのは、公園で目が覚めたところから。

 だが、そのときには既に大ガラス様の姿はなかった。

 ことの顛末を知ったのは、後になってからだ。

 聞けば、わらしと川原を救出するために、真理が大ガラス様と空を飛んだというではないか。

 自分の知らない間にそんな楽しそうなことがあったなんてと、わらしはハムスターのようにほっぺを膨らませた。

『ズルい、真理ばっかり! わたちも大ガラス様の背中に乗って空を飛びたい―!』

 まるで真理が空中遊泳を楽しんだかのような言い草だった。

 助けることに必死で、空からの景色を眺める余裕なんて、一切なかったというのに。

 そもそも、足にしがみついていたのであって、背中に乗せてもらったわけでもない。

 しかし、その日以来、『わたちも会いたかったー! 空飛びたかったー!』と、わらしはことあるごとに言い続けてきた。

 どうやら、今日、その願いが叶いそうなのだ。

 わらしはまるでスキップをするかのように、ウキウキと部屋を出たのだった。



 しかし、キャッキャとはしゃいでいられたのも、鳥居をくぐるまでだった。

 いざ大ガラス様に会えるとなったら緊張したのか、わらしはすっかり大人しくなってしまった。

「んー? さっきまでの元気はどこ行った?」

 小さなおかっぱ頭の小さなつむじを、からかうように突ついても、何の反応も返ってこない。

 普段なら、やり返そうと真理の背中をよじ登って来るのに。

 ――確かになあ、ここの神社って、なんか神聖な場所って感じするもんなあ。

 真理も境内に一歩足を踏み入れただけで、不思議と自然に背筋がしゃんと伸びる。

 わらしもわらしなりに、ここの空気を感じ取っているのだろう。

 前回来たときも、前々回も、わらしはとても行儀が良かった。

 ただし、今日ほど借りてきた猫状態なのは初めてだった。

 こんな様子で、大ガラス様の背中に乗せてほしいだなんて、お願いできるのだろうか。

 ――仕方ないなあ。俺が代わりに頼んでやるか。

 真理はやれやれと心の中でため息を吐いた。

 この心の中の呟きは、誰に聞こえるものでもない。

 これが、もし、真理の口から漏れていたら、先導するように前を飛ぶ、カア吉を卒倒させたに違いない。

 カラスたちにとって、大ガラス様とは直接目を合わせるのも畏れ多いお方。

 だから、普段はやかましいカラスたちも、ここでは一切の無駄口をたたかない。

 ケンカなんて、もっての外だ。

 その辺りのことを真理はわかっているようでわかっていなくて、カア吉をプリプリ怒らせてしまうこととなる。

 


「なあ、カア吉……。あのさあ、大ガラス様は? どこにもいないんだけど」

 カア吉の口ぶりから、てっきり大ガラス様は境内で待ち構えているものと思っていた。

 しかし、拝殿の奥、ご神木のこんもりと茂った葉の影と、いくら目を凝らしても、肝心の大ガラス様の姿はない。

 真理がきょろきょろ辺りを見回していると、カア吉は手近にあった立札を止まり木にして、ものすごい形相で振り返った。

「大ガラス様がそう易々と我らの前に姿をお見せになったりするとでも?」

 声のトーンが普段より低い。

 境内でなかったら、怒鳴り散らしたいところだったのだろう。

「カーッ。私だってね、直接お姿を拝見したことなんて、ただの一度もないんですよっ!」

 神社でひと休みしていたところ、突然、どこからから『カア吉よ』と、厳かな声が聞こえてきたのだという。

 要するに、大ガラス様から『あの人間を連れてまいれ』と命令されたものの、直接、姿を見たわけではないということだ。

 それだけでも、カラスにとっては羽の先までしびれるような出来事なのだが、真理からしたら肩透かしだ。

「え~っ……、ってことはさ、ここで待ってても、姿を見せてくれないかもしれないってことか?」

 真理はちらりとわらしの方をうかがった。

 案の定、大層不満気にわらしは唇を尖らせている。

 期待と緊張で膨らんだ風船が、パンと弾けた後の顔だ。

「えー、えー、えー! 大ガラス様、いないのー?」

 さっきまでのしおらしさはどこへやら。

「せっかく来たのにー! あーあ、つまんないのー!」

 わらしは、ブーブー文句を言い出した。

「なんと、まあ、罰当たりなっ!」

 カア吉のくちばしは、わなわなと細かく震えていた。

 それに呼応するかのように、にわかに空が曇り始めた。

「ほら、見なさい。天も怒っておられる!」

 カア吉はドヤ顔だが、これは秋の空の変わりやすさによるものだろう。

 このところ、秋晴れの空に突然、雷鳴が轟くというようなことがよくある。

 今日もまた、ゴロゴロと雷が鳴り始めていた。

 真理は『そういや、つぐみちゃんとここで雨宿りしたときも雷がひどかったなあ』などと悠長に構えていたのだが、カア吉は野生動物の勘で、この空模様の不穏さを瞬時に察知したようだった。

 しきりに空と拝殿とを見比べているのは、この二つを天秤にかけているからだ。

 雨に濡れることと、大ガラス様。

 グラグラ揺れた天秤は、結局『やっぱり濡れたくない!』に傾いた。

 こんなところは、やはりちゃっかり者だ。 

「四の五の言わずにここでちゃんと待つこと。わかりましたね。では、私はこれにて失礼しますよ」

「あ、おい、カア吉!」

 結論を出すと、カラスは早い。

 カアとひと鳴きすると、あっという間に飛んで行ってしまった。

「おいおい、もしかして、これからひと雨来るのか?」

 カア吉の慌てぶりを見て、さすがの真理も心配になった。

「俺たちもこうしちゃいられないな。わらし、雨宿りするぞ」

 屋根の下に走ろうと、わらしの手を引いた……のだが、一足遅かった。

 頭上で閃光が走ったと思ったら、一、二と数える間もなくドッカーンと地響きがとどろいた。

「う、うわぁっ!」

 落ちたのだ。

 雨の一粒も落とさぬうちに。

 境内にはいくらでも背の高い木が植わっているのに。

 それなのに、落ちたのだ。

 よりによって、真理たちのすぐ目の前に。

 落雷の衝撃は地面を揺らし、真理の足をもつれさせた。

 土煙がもうもうと立ちこめて、視界が真っ白になる中で、わらしを必死に抱きしめる。

 しかし、いつまでもうずくまったままではいられない。

 これからポツポツと雨粒が落ちてきて、すぐに豪雨となるだろう。

 早いところ、身を隠さねば。

 もう一発、落雷がないとも限らない。

 しかし、不思議なことに、それは起こらなかった。

 空は再び青く澄み始め、舞い上がった土煙も元の大地へと収まっていく。

 視界がすっきり晴れてくると、土煙の中から小山のような影が二つ、浮かび上がってきた。

 驚いたことに、影は大きな大きな人だった。

 小山の一つは筋骨隆々の大男。

 その隣には同じくらい大きな女が、胡坐をかく大男にしなだれかかっている。

 男が虎柄の腰巻一枚なのと同様に、女の方も虎の皮を左の肩から斜めに一枚、まとわせただけという格好だ。

 丈が短い上に、豊満な胸と腰のくびれが強調されたデザインは、目のやり場に困るほど。

 とはいえ、相手は膝頭が真理の頭一つ分もある大女。

 真理には恐怖でしかなくて、知らず、わらしを抱く手に力がこもる。

 しかも、よくよく見れば、男の黒いチリチリ頭からは二本、女の緩くウェーブの掛かった赤茶のロングヘアーからは一本、角がにょっきり生えているではないか。

「お、お、お、鬼っ⁉」

 肌は赤でも青でもなかった。

 ごくごく普通の肌色だ。

 しかし、男の巨人の方は正に絵本でよく見る『鬼』だった。

 ぎょろりとした目に睥睨されて、真理は、ひっと息を飲んだ。

「んんんん?」

 真理たちに気づいた大男が、よく見ようとするかのように顔を近づけてくる。

 小さなわらしなど、鼻息一つで吹き飛ばされてしまいそうだ。

 とっさに背中に隠そうとしたのだが、わらしは無邪気な顔で真理の腕からするりと抜け出してしまった。

「あっ、バカ、わらし!」

 引き戻そうとした真理の腕をかわし、わらしはなんと、恐ろしい鬼に向かて飛びついていた。

「わあ、雷様だ―! わたち、雷様、初めて見たー!」

 わらしのあげた歓声に、真理はあんぐり口を開けた。

「え……、雷様? ……鬼じゃなくて? えええぇ~っ!?」

 境内に響き渡った真理の叫び声は、下手すると落雷よりも大きかったかもしれない。

 そもそも雷様だろうが、鬼だろうが、どちらも同じくらいびっくりな筈なのだが……。

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