20話
人間、心底驚いたときには声なんか出ないものだということを、真理はこの日、河原の部屋の玄関先で証明した。
ポカンと口を開けたまま、真理は何も言えず、ただただそこに立ち尽くしていていた。
目の前で、わらしと恵美が仲良く並んで立っているのだ。
誰が驚かずにいられるだろう。
「見て見て。真理くんのびっくり顔」
真理の間抜け顔を指差して、恵美がいたずらっ子のような笑みを浮かべている。
「びっくり顔だー」
答える、わらしもニシシと歯を見せ、すっかりいたずら小僧のそれだ。
「私たちが仲良くなってるなんて、思ってもみなかったんじゃない?」
「みなかったんじゃなーい?」
「残念でした。私たち、もうすっかり仲良しよ。ねえ、わらしちゃん?」
「ねえー」
顔を見合わせるタイミングも、首を傾げる角度もピッタリ、息が合っている。
二人はまるで仲の良い姉妹のようだった。
真理の知らない、ほんの一、二時間の間に一体何が起こったのか。
折鶴でも、わらしのことが見えなかったというのに。
それを、折鶴よりもずっと大人の恵美がどうして……。
真理は油の切れたロボットのように、カクカクとぎこちなく部屋の奥を振り返った。
――か、河原さーん!
こんなことってあるのか、と河原に助言を乞おうと思ったのだが、肝心なとき、彼は何の役にも立たない。
というのも、この日、部屋のインターホンが鳴ったのは、これが三度目。
人間との接触を極力拒んできた河原の部屋のインターホンが、日にこれほど鳴った試しがない。
最初の訪問者は真理だったのでどうということもなかったのだが、問題は次にやって来た、つぐみだった。
彼女は、人間の女子中学生だ。
小学生のような可愛げもなく、大人の分別も持たない、この年頃の子供が、河原はただでさえ苦手だった。
彼女の第一声が『あー、こんにちはー。ここに柳田先生、いますかー? いますよねー?』と、まあ、こんな感じだったのも、河原の苦手意識を増大させた要因だろう。
その上、つぐみの視線がどうも河原の頭の辺りをチラチラチラチラ掠めるのだ。
ただ単に、カツラが微妙に浮いていたからだったのだが、河原は頭のてっぺんの皿を見透かされたか、と気が気ではなかった。
そんなこんなで、精神的にすっかり疲弊してしまい、三度目のインターホンが鳴ったときには、本人曰く『もう無理』な状態に陥っていたのだった。
「ちょっとちょっと、リアクション、薄くない?」
真理がそっぽを向いたと思ったのか、恵美は不満げに頬を膨らませた。
「わらしちゃんの浴衣姿を見て、何も言うことないの? 可愛いなあ、とか。すごく可愛いなあ、とか。すごくすごくすごく可愛いなあ、とか」
どれも同じじゃないか、とは言えず、真理は苦笑交じりに恵美の言葉に従った。
「え、ああ、可愛いよ」
「ホント? わたち、可愛い?」
わらしは嬉しそうに、くるりと一回転してみせた。
蝶結びの赤い兵児帯がひらひら揺れて、本当に水槽の中を泳ぐ金魚のようで、真理は思わず目を細めた。
さっきは少しおざなりだったが、今度は心の底から言葉が零れた。
「ああ、ホントにすごくすごく可愛いよ」
しかし、褒められると調子に乗るのが、わらしの常だ。
「えへへー、可愛い? あのね、これね、恵美が着せてくれたの!」
「コラ。着付けしてもらったってのに、呼び捨てか」
真理が叱ろうとするのを、恵美は「いいよ、いいよ」と笑って止めた。
「だって、私たち、友達だもの。ねえ?」
「ねえー?」
またもや、二人の仲の良さを見せつけられて、真理は目をしばたたかせた。
「えっと……あのさあ、恵美ちゃん……、驚かないの?」
「え? ああ、確かにロフトに潜んでるのを見つけたときはちょっとびっくりしたけどね。でも、真理くんが言ってたじゃない。すごく人見知りをする子だって。このくらいの年頃の子は、割とそうなのよね。でも、私、小さい子と仲良くなるの、得意なのよ。親戚の集まりがあると、従兄弟の子とか、みんな、私のところに寄って来ちゃうの」
恵美の話を聞きながら、あれ、もしかして……と、真理は思った。
――もしかして、わらしを人間の子だと思ってる……のか?
「真理くんも子供から好かれそうだよね。そうでなかったら、親戚の人も真理くんに子供を預けようなんて思わないわよね」
「……え、あ、ああ、そうなんだよ!」
あはは、と取り繕うように笑ってから、真理はホッと胸を撫で下ろした。
親戚の子を預かってると言った真理の言葉を、恵美が信じてくれたのなら、それに越したことはない。
全力で、恵美に話を合わせるだけだ。
「いや~、ホント、俺って、人間の子供に好かれるんだよなあ。でも、俺も人間の子供が好きだからさ、人間の子供が」
しかし、自然に、と頭で思えば思うほど、物言いが不自然になってしまう。
これでは、わらしは本当は人間ではないのだと、言っているようなものだ。
しかし、幸い、恵美は少しばかり首を傾げただけだったので、真理は強引に話を続けた。
「でも、本当に助かったよ。いくら教わっても、俺じゃあ、こんな風にはできなかったよ。恵美ちゃん、ありがとう」
真理が礼を言うと、恵美はくすぐったそうに肩を竦めた。
「私も楽しかったから、気にしないで。こんな小さなお友達ができたしね」
『友達』と言われて、今度はわらしがくすぐったそうに、えへへと笑う。
わらしのそんな顔を見たら、真理だって嬉しくなる。
まるで笑顔のドミノ倒しだ。
「あのさ、もし、よかったら、恵美ちゃんも一緒に祭りに行かない?」
嬉しさついでに、誘ってみたが、「ごめん」と申し訳なさそうな顔で断られてしまった。
「これからバイトだから」
「あっ、そうだったね」
そもそも今日はバイトが入っているというのに、恵美はわざわざつぐみのために早めに家を出てきてくれたのだった。
しかも、予定外のわらしの着付けまでしたおかげで、バイトの時間が差し迫っていた。
「うわ、ヤバい。そろそろ行かないと」
恵美は時間を確認すると、焦った様子で「じゃあね」と片手をあげた。
もちろん「またね、わらしちゃん」と、わらしへの別れの挨拶も忘れない。
「えーみー、またねー!」
ぶんぶんと手を振る、わらしの横で真理も「今度、奢るからー」と手を振った。
恵美が慌ただしく帰ってしまうと、ようやく部屋の奥からのそのそと河原が顔を出してきた。
「おや、随分おめかししましたね」
浴衣姿のわらしに、河原も目を細めている。
「あのねー、これねー、恵美に着せてもらったの!」
新たに自慢する相手を見つけて、わらしは目を輝かせた。
その様子を真理が微笑ましく見つめていたところ、ポケットでスマホが鳴り響いた。
誰からだろうと見てみれば、表示されていたのは一番新しく登録した名前。
「え……、ひたきくん……?」
家庭教師のバイトを始めて何日目かにメールや番号を交換はしたが、実際、お互いにまだ使ったことはなかった。
初めてのひたきからの連絡。
それが、メールやメッセージならまだわかるが、大人しいひたきが直接電話をかけてくるなんて少し意外だった。
真理の背後では、わらしの自慢が止まらない。
「あのねー、恵美はねー、わたちの友達なの!」
「ほう、それはそれは」
河原が、いちいちまともに相手をしてくれるからだろう。
「それでねー、恵美がねー、わたちのこと、可愛いって」
「ほ~う、それは嬉しいですねえ」
「カッパは可愛いって言われたことある?」
「残念ながら一度も」
「そうなんだー、わたちはあるよー」
二人のやり取りにほのぼのしながら電話に出たせいで、真理の頬は緩んだまま。
だから、声も自然と明るく弾む。
「よお、ひたきくん、どうした?」
しかし――
『先生っ、どうしようっ!』
聞こえてきた、ひたきの切迫した声に、真理の笑みは消し飛んでしまった。




