12話
――どうすんだよ、この気まずい空気。
真理の目の前では、ひたきが可哀想なくらいにおろおろしている。
その隣には、ひたきの友人・柴山の困惑顔。
つぐみに『さあ、乗り込むよ』と腕を引っ張られたときに、真理はやはり抵抗するべきだったのだ。
彼女に引きずられつつも、とっさに反対の手で朱鷺也を掴んでしまったために、結局三人で乗り込むような形になってしまったことを、真理は今、猛烈に後悔していた。
双子の部屋は兄たちの部屋と違い、二段ベッドを使用している。
その分、広く感じられる筈なのだが、五人も押し込められていては、その圧迫感は半端ない。
物理的な窮屈さに加え、巻き込まれて仏頂面の朱鷺也に、そもそも柴山を良く思ってない、つぐみのとても友好的とは言えない態度が、この部屋の空気を重苦しいものにさせていた。
友達の家に遊びに来たつもりが、気づいたら、圧迫面接を受けていた。
柴山からしたら、そんな感じだろう。
これでは、ひたきの友達作りを邪魔しているようなものではないか。
真理としては、そんなつもりは毛頭なかった。
ひたきの新しい友達がどんな少年か、見たかっただけなのだ。
とにかく、この場を和ませようと必死に話題を探すが、焦るばかりで何も思いつかない。
思いつくのは、せいぜい『今日はいい天気だね』程度のことくらい。
そんな間抜けな話を振らずに済んだのは、柴山が口火を切ってくれたからだった。
「ひたき、紹介してくれよ」
「あっ、そ、そうだね」
言われて初めて、ひたきは自分が両陣営の接点なのだということを自覚したようだった。
「えっと、端にいるのが朱鷺にぃです。うちの二番目の兄です」
正式に紹介されるのは照れ臭いのか、朱鷺也は軽く会釈をしただけだったが、柴山の自己紹介は実にハキハキとしていた。
「はじめまして。ひたきくんのクラスメートの柴山です」
ひたきに対しては、明るく朗らかな顔。
だけど、年長者に対するときは、その顔をキリリと引き締めて、自然と礼儀正しい振舞いをする。
こういう体育会系のノリは、年長者受けが格別良い。
第一印象からして、真理の想像は覆されてしまった。
いたずらっ子のような笑みを浮かべて、「ひたきはお兄さんに似てるなあ」などと言ったりするところも、礼儀正し過ぎず、堅苦しくなり過ぎずで、印象がいい。
――これは確かにクラスの人気者だな。
真理は密かに舌を巻いていたのだが、ひたきの反応は少し違った。
「に、似てないよっ! 全然だよっ!」
兄と似ているなんて言われたのは、初めてだったのだ。
首をぶんぶんと振って、ひたきは必死に否定している。
自分なんかに似ていると言われて、兄が機嫌を損ねるのではないかと心配してのことだった。
しかし、意外なことに、兄は少しも不機嫌そうではなかった。
それどころか、「なかなか観察力あるじゃん」と愉快そうに肩を揺らしている。
「そうなんだよ、俺とひたきってよく似てるんだよ。ガタイが全然違うからかな、親戚も誰もわかってないんだよなあ。双子って言うだけで、ひたきとつぐみがそっくりだとか言うんだぜ。でも、こいつら、二卵性だから。俺とひたきの方が似てるから」
兄がこんな風に考えていたなんて。
ひたきは驚きに目をパチクリさせていた。
親戚の集まりがあると、ひたきは毎度ネタにされる。
賑やかな兄弟の中で一人だけ大人しくて、控えめで、一体誰に似たのかと大人たちは口々に言う。
『でも、顔だけは、つぐみとそっくりね』
『どうせなら、お兄ちゃんたちに似れば良かったのにね』
言われるたびに、ひたきが密かに傷ついていることを誰も知らない。
つぐみのことは大好きだが、似ていると言われても嬉しいわけがない。
まるで女の子みたいだと、言われているようなものではないか。
しかし、今、目の前では、朱鷺也が、柴山に「目の辺りなんか、そっくりですよね」なんて言われて、「そうだろう、そうだろう」と相好を崩している。
高校に上がった頃くらいから、いつもムスッとするようになり、ひたきにとって少し近寄りづらい存在となってしまった兄の朱鷺也が、だ。
背が高くて、バスケが上手くて。
あんな風になれたらと、秘かに憧れていた。
だけど、口に出したら笑われそうで、誰にも言ったことはなかった。
それに、みそっかすな自分がそんなことを言ったら、兄は気分を害するだろうと思っていた。
そんなことないとわかっただけで、ひたきは俄然、元気が出てきた。
それまでたどたどしかった喋り方も滑らかになり、真理を紹介するときには、随分と大きな声が出るようになっていた。
「えっとね、朱鷺にぃの隣が家庭教師の柳田先生。本当は朱鷺にぃの先生なんだけど、僕たちの勉強も見てくれるんだよ」
真理が軽く会釈をすると、柴山は少し驚いた顔をした。
「一番上のお兄さんかと思った」
どうやら真理は、友人と間違えられていたようだ。
それも無理もない。
真理はすっかりこの家に馴染んでいた。
「一番上の鷹にぃは、今日はいないんだ。柳田先生は、その鷹にぃの大学の友達なんだよ」
「へえ、大学生の家庭教師かあ。おまえの家、カッコいいなあ」
何がどうカッコいいのか、真理にはよくわからなかったが、褒められて、ひたきは単純に嬉しそうだった。
「えー、カッコいいかなあ。でも、そうだね、先生の教え方はすごくわかりやすくて、柳田先生が家庭教師にきてくれて、本当に良かったなあとは僕も思ってるけどね」
「へえ、うちのガッコの先生だったらよかったな。そしたら、すごく人気出そうだよな」
「柴山くんもそう思う? 僕もそれ、いつも思ってた!」
男子中学生二人の会話は、真理には、こそばゆくて仕方がない。
――それはちょっと褒め過ぎだろ。
そう思うものの、人に物を教えることの難しさと楽しさがわかり始めていたところで、教師を目指すのもいいかもなあ、などと真理は夢想してしまう。
教師なんて楽じゃない、とはよく聞くが、こんな子たちがいるのなら、まだ教師という職業にも夢が持てるというものだ。
そんなことを考えてしまうほど、真理の中で柴山に対する好感度は上がっていた。
――こんな子がひたきくんの友達になってくれたのなら、安心じゃないか?
口に出しはしなかったが、思ったことは完全に顔に出ていたようで、つぐみに脇腹をつねられてしまう。
イテテテ、とつぐみを見れば、『なに簡単に絆されてんの! 先生チョロ過ぎ!』と、その顔にぎっしりと文句が書き連ねてある。
――うわあ、つぐみちゃん、怒ってるよ……。
引きつり笑いを浮かべる真理とは裏腹に、浮かれ気味のひたきは、そんなことには気づかない。
「えーと、それから、その隣が……」
並び順通り、次につぐみを紹介しようとしたところで……、柴山がそれをやんわりと止めた。
「武田のことは知ってるからいいよ。だって、有名じゃん。うちの学校の女子のボス。武田を敵に回したら、女子全員が敵になる。これ、うちの学校の常識だろ?」
「えっ、つぐみちゃん、学校でそんな感じなの?」
真理の質問に否定も肯定もせず、つぐみはフンと鼻を鳴らした。
「武田って、誰のことですかー? ここにいるの全員、武田なんですけどー?」
正確には一人、武田でない者が交じっているのだが、それは別にしても、つぐみの受け答えには可愛げがない。
しかし、柴山は別段、気を悪くした様子はなかった。
「あー、そういやそうだ!」
ただカラカラと大口を開けて笑うだけ。
そうして、ひとしきり笑った後、「じゃあ、これからはつぐみって呼ばなきゃな」などと言いだした。
「はぁ? なんで私があんたなんかに名前で呼ばれなきゃなんないのよ!」
「だって、『武田』っていったら、ひたきだってそうだし、紛らわしいだろ?」
「そ、そりゃ、そうだけど……」
「じゃあ、いいじゃん。俺のことも大我って呼んでいいからさ」
「はぁぁ? なんで私があんたごときを名前で呼ばなきゃなんないのよ!」
つぐみは柴山に対して、終始押され気味だった。
それを誤魔化すように、声ばかりが大きくなる。
だから、階下で電話が鳴っていても、誰もすぐには気づかなかった。




