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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
わらしとカッパと夏の空
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3話

「わ、わたし、見てきます!」

 こんな時、羽を持つ動物は身軽でいい。

 仕切り板をひらりと越え、カア吉は隣のベランダへ飛び移った。

「どうだ? どうなってる?」

 翼を持たない真理はこちら側で、ハラハラと気を揉むより他になす術がない。

「はいっ、確かに人が倒れてます。うつ伏せですっ。……あ、今、ピクンと動きました! 生きてます!」

 カア吉の実況中継に、真理は思わず身を乗り出した。

「寝てるだけじゃないのか?」

「苦しそうな顔をしているような……。でも、よく見えないのですよ。鍵がかかってないのはこちらから確認できるので、窓を開けることができたらいいのですが……。私のくちばしではどうにも……」

 カア吉の報告に、真理は眉根を寄せた。

 隣人は本当に危険な状況なのか?

 ならば、今すぐ目の前の仕切り板を蹴破ってでも突入しなければ。

 でも、乗り込んだ後になって、寝ていただけと判明したら……。

 ――いや、でも、本当に具合が悪くて倒れてるのかもしれないし……。

 ぐるぐると考えるばかりで、真理は次の行動に移すことができない。

 しかし、わらしは違った。

「わたちも見てくる!」

 興味を持ったら、すぐ行動だ。

「あ? 見てくるって、おまえ……」

 てっきり仕切り板をよじ登るものだとばかり思っていた。

 そんな危ないことはやめろと、注意しようとした真理の目の前で、わらしの取った行動は思いがけないものだった。

「カラス、あっち側に連れてって!」

 そう叫ぶや否や、わらしは一羽のカラスの足に掴まった。

 カラスが「カア」とひと鳴きしたのは、承知した、とでも言ったのだろうか。

 黒い翼が大きく羽ばたいた、次の瞬間、わらしはカラスの両足にぶら下がるような格好で宙に浮いていた。

「わっ、バカ、おまえっ、何やってんだ!」

 真理は慌てて手を伸ばしたが、ぶらぶら揺れる、わらしの足を捕まえることはできなかった。

「だいじょぶだよ。ベランダに行くだけだからー! 家の中には入らないからー!」

「お、おう、そうだったな。庭やベランダまでなら引っ越したことにはならないんだったな」

 座敷わらしは、自分が住まう家に幸運をもたらすと言われている。

 その代わり、座敷わらしに引っ越されてしまった家は没落の一途を辿るという。

 そのため、座敷わらしは本来、気安く家から家へと移ったりはしない。

 しかし、庭やベランダまでなら引っ越したことにはならないらしいのだ。

 と言っても、そもそもこの小さなわらしは、座敷わらしとしてはみそっかすの部類で、大きな幸運を引き寄せるような力はない。

 その分、引っ越した後の反動でやって来る不幸も大したものではないので、本来、このような心配は無用の筈だ。

 でも、真理が言いたいのはそんなことではない。

「……いや、だから、そんなことを心配してるんじゃないって! 危ないから、やめなさいって言ってるんだって!」

 わーわーと、ひとり大騒ぎをしている真理をよそに、わらしはカラスの足にぶら下がったまま、ひらりと隣のベランダへと飛び移ってしまった。

「お、おい、着地したのか? 無事か?」

 仕切り板のせいで、隣のベランダの様子がわからないのがもどかしい。

 そんな真理の気持ちも知らないで、わらしはのんきなもので、楽しげに隣の様子を報告してくる。

「わー、ホントだ。倒れてるよー」

 隣家を探検でもしている気分なのだろう。

「窓、開いたよー。あー、今、ピクンってしたー」

「寝てるだけだろう? そうなんだろう? いいから、早く帰って来い」

 普通の人間には、座敷わらしの姿は見えないものだ。

 そうとわかっていても、よその家に勝手に入り込んだわらしのことが、真理は気が気ではなかった。

「でも、なんか苦しそうだよー。あっ、今、うううって言った!」

「はい、確かに。今、呻いてます」

 わらしの隣にいるのだろう。カア吉も口を揃えて言う。

 ――まさか本当に具合が悪いのか?

 救急車を呼ぶべきだろうか。

 しかし、もしも何でもなかったら、という気持ちが、この期に及んでまだ真理を躊躇させた。

 真理は一旦、玄関に回り、隣のチャイムを鳴らしてみることにした。

 が、数回鳴らしても、返事がない。

 それで、ようやく決心をした。

 隣に渡ってみよう、と。、 

 しかし、恐る恐る足をかけてみた手すりは、見れば見るほど細く、頼りない。

 この手すりの上に立ち、仕切り板を越えるには、その身を大きく乗り出さなければならない。

 ――下さえ見なけりゃ、いいんだよ。うん、大丈夫だ。多分な……。

 自分に言い聞かせ、勇気を奮い起こしていると、後ろからシャツをクイクイと引っ張られた。

「……ん、なんだ?」

 カア。

 振り向けば、なにやら物言いたげな顔のカラスと目が合った。

 でも、カア吉ではないので、残念ながら何が言いたいのかわからない。

 カア、カア。

 盛んにくちばしをしゃくるカラスにつられて、視線を動かすと、物干しロープの結び目にかじりつくカラスたちの姿が目に入った。

 固く結んだ筈なのに、彼らは器用に爪とくちばしを使い、あっという間に結び目をほどいてしまう。

「え? まさかとは思うけど、ロープにぶら下がれってことか? それで、おまえたちが俺を隣に運ぶって言いたいのか?」

 カア、カア、カア。

 そうだ、そうだ、とでも言うように、カラスたちが一斉に鳴いた。

「いやいやいや」

 真理は慌てて首を振った。

「確かに、これは登山用のロープだけどさ」

 普通の物干しロープなら、人間一人を吊るすほどの耐久力はないだろう。

 しかし、これは登山用のロープだった。

 一人暮らしを始めたときに、母親が何かあったときのためにと、持たせてくれたものだ。

 確か、その頃ちょうどマンション火災のニュースを見てしまい、一人息子の初めての一人暮らしが急に心配になったのだろう。

「確かに、おふくろが何かあったときのためにって持たせてくれたものだけど、その何かあったときっていうのは、火事を想定してたんであってだな……」

 ぐずぐず言い募っている途中で、目の前にロープを差し出され、真理はとっさにそれを掴んでしまった。

 それからのカラスたちの行動は素早かった。

 十羽のカラスは真理を真ん中にして左右に五羽ずつ分かれると、一斉に羽ばたいた。

「待て待て! ちょっと待ってくれ!」

 すぐにロープを放せばよかったのだが、逆にぎゅっと握ってしまう。

「う、うわぁ!」

 真理は生まれて初めて空を飛んでいた。

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