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はじめてのクリスマス・中

「久し振りに帰って来たと思ったら、『台所を貸せ』だなんて……。家にいたときは、料理なんて一切しなかったじゃない」

 キッチンとリビングを仕切る、天然板のカウンター。そこに頬杖をつきながら、母がこれ見よがしに、ため息をつく。

「やっぱり彼女ができると変わるのねえ。あ~あ、最近の子が羨ましいわ。恋人のために男の子が料理作ってくれる、なんてねえ。うちのお父さんなんて、台所に立ったこともないわよ」

「だーかーらー、恋人じゃないって!」

 真理がうんざり顔で訂正するも、母は「はいはい、友達、友達」と受け流し、「友達でも何でもいいから、仲良くしてる女の子がいるなら、一度、家に連れてらっしゃい」と、真理の言い分など、これっぽっちも信じてない様子だ。

 ローストチキン――いわゆる鶏の丸焼きというやつを作ろうと思い立ったのだが、真理の一人暮らしの部屋にはオーブンがない。

 そこで、実家のビルトインタイプの大きなオーブンを借りに、朝早くから丸鶏を背負ってやって来たのだが、そんな一人息子を見て、どうやら彼女ができたらしいと、母は勘違いしてしまったようなのだ。

 しかし、それも無理からぬ話。

 なぜなら、今日はクリスマス・イブ。

 こんな日に、誰がただの友人のために手料理を振る舞おうと張り切るだろうか。

 だが、母は思いも寄らないだろう。

 それがまさか、身長が真理の腰の高さにも満たない、小さな女の子のためだとは。

 ましてや、その女の子がヒトでないなどとは。


 そう、真理がこんなにも張り切っているのは、全て座敷わらしのためなのだ。

 本格的なクリスマスを体験させてやると約束してしまったから、というのも理由の一つだが、それだけではない。

 どうもこのところ、座敷わらしに元気がないのだ。

 大好きなご飯を前にしても「わーいわーい」と喜ばないし、カラスに「バカァ」と言われても、言い返しもしない。

 あまりの手応えの無さに、カラスも「カア?」と首をかしげるほどだ。

 真理が心配して「どうしたんだ?」と聞いても、「なんでもないよ」と言うばかり。

 それでいて、ベランダの手摺りに腰掛けて、どこか遠くを眺めていたりする。

 その方角に何があるのか、後でこっそり眺めてみたのだが、座敷わらしが何を見つめていたのかは、結局わからずじまいだった。

 一体全体、座敷わらしはどうしてしまったのか。

 思い当たることといえば、柳田の家が焼けたことくらいだ。

 ――でも、あの火事から大分経つからなあ。

 東京に帰って来てからも、特に塞ぎ込むようなことはなかったのに、最近になって、突然、元気を失くしたというのが腑に落ちない。

 それでも、やっぱり他に理由が思い当たらなくて、喪失感というものは時が経てば経つほど大きくなるのかもしれない、と真理は結論づけたのだった。 

 そうなのだとしたら……。

 真理にしてやれることといったら、ご馳走とプレゼントを用意して、ひと時、笑顔にしてやることくらいではないか。



「よ~し、じゃあ、始めるか!」

「そうね」

 腕まくりした真理の隣で、何故か母までエプロンをつけ始める。

「……え、まさか一緒に料理する気じゃないよね?」

 真理が聞くと、「あんた一人じゃ、無理でしょう」と、母はさも当たり前、といった顔だ。

「勘弁してくれよ」

 何が悲しくて、クリスマス・イブに母親と仲良く料理をしなけりゃならないのか。

「いいから、あっちに行っててくれよ」

 エプロンの紐が結ばれる前に、真理は母をどうにか台所から押し出した。

 締め出されたことが余程不服だったらしく、廊下で母の声がする。

 どうやら「後片づけまでが料理ですからね~」と言っているようだ。

 まるで「家に帰るまでが遠足です」と、生徒に説教する教師のような言い草に、真理は苦笑するしかなかった。

 母親にとって、二十歳になっても子供は子供なのだろう。

 叔母の過保護っぷりに真理は呆れたりもしたが、どこの母親も同じなのだ。

 


 しかし、あんまりのんびりともしていられない。

 今日は朝から曇り空で、やがて雨か雪になるという予報が出ているのだ。

 ホワイトクリスマスなんて言えば聞こえはいいが、雪に脆弱なこの街では、数センチの雪でも電車が止まる恐れがある。

 真理は急いで調理に取り掛かることにした。

 まずは、スマホでレシピを表示することからだ。

「え~と、なになに? 『鶏は水洗いして、中と外にしっかり塩コショウを擦り込みます』……え、中に……?」

 中に擦り込むということは、お尻の方から手を突っ込むということだ。

 調理台の上に鎮座する丸鶏を、暫し見つめること五分。

「マジか……」

 母が出て行ったドアに、視線を移すこと五分。

 ――いやいや、ここでお袋を呼び戻したら、『ほら見なさい』って一生言われることになるんだぞ。

 強く自分に言い聞かせ、真理はぶるぶるっと頭を振った。

 しかし、それでも覚悟が決まるまで、ここから優に五分かかった真理だった。



「わぁ……」

 玄関を開けて、真理は思わず歓声を上げた。

 心配していた通り、ハラハラと雪が降っていた。

「道理で寒いわけだ」

 呟きは白い息となり、すぐに冷たい空気にかき消された。

 人や車に踏みつけられて、今は道路もシャーベット状だが、やがて植え込みの中のように雪が積もってしまいそうだ。

 電車が止まってしまう前に、早く帰らねばならない。

「おふくろー、傘借りるよー」

 台所に向かって声をかけたが、返事はない。

 後片づけで、母はそれどころではないのだろう。

 偉そうなことを言っておいて、真理は結局、片づけを母任せにしてしまったのだ。

 二十歳を過ぎた子供の方も、母にはついつい甘えてしまうものなのだ。



 黒い傘を拝借し、家路を急いだ真理だったが、傘を差しての帰り道は、思いの外しんどいものだった。

 何しろ、もう片方の肩にかけた、保温バッグがずしりと重い。

 持ち帰ることを想定していなかったため、実家の圧縮鍋を容器とせざるを得なかったのだ。

 中にぎっしり詰め物をして、丸々太った鶏だけでも重いのに、鍋の重量までもが真理の肩にかかっている。

 おまけに、足もとは非常に悪い。

 実家から真理の部屋までは、電車でたった三駅なのだが、それがとても長く感じられた。

 帰りにどこかケーキ屋に寄って、クリスマスケーキを調達しようという予定は、急きょ変更せざるを得なかった。

 ケーキボックスの中で、ケーキを倒さない自信がない。

 それで、真理は武田がバイトするドーナツ屋に寄ることにした。

 クリスマス限定ドーナツがあると聞いていたからだ。

 


「いらっしゃいませ」

 モスグリーンのエプロンと、お揃いのキャスケットという、なんとも愛らしい格好で、武田はショーケースの奥に立っていた。

 武田が働く姿を見るのは初めてで、ちょっと冷やかしついでに寄ったのだが、武田の隣に立つ、見知った顔にびっくりして、真理は「よおっ」という口の形のまま固まってしまった。

「わあ、真理くん、久し振り」

 武田の隣で微笑んでいたのは、恵美だった。

「えっ、恵美ちゃんもバイトだったんだ?」

 イブの日はバイトで恵美に会えないと、武田は泣いていたのではなかったか。

「うん。今日のシフトに入ってた娘がね、先週になって、彼氏ができたって言うからさ、代わってあげたんだ。恋人と過ごす初めてのクリスマスに、バイトなんて可哀想でしょ。どうせ、私は独り者だしね」

 事情を説明する恵美の横で、「恵美ちゃんは優しいからねえ」と、武田が鼻の下を伸ばしている。

 さぞかし、しょぼくれた顔をしているだろうと思っていたのに、武田はいつもの武田だった。

 クリスマスにバイトだなんてご苦労さん、とからかって、それで、武田を元気づけようと思っていたのだが……。

 ――なんだ、心配して損したな。

 そう思いながらも、武田の締まりのないデレデレ顔に、真理は内心ホッとしていた。

 ――まあ、いっか。武田はやっぱりこうじゃないとな。萎れた武田なんて気持ち悪いだけだしな。

 それにしても、イブの日にバイトを代わってやるとは恵美らしい。

「真理くんは? 武田くんを誘いに来たの?」

 仲がいいねえと、からかったりするところもまた恵美らしい。

 しかし、恵美の冗談を冗談として聞くことは武田にはできないようだった。

「恵美ちゃん、勘弁してよ。男二人でクリスマスなんて、冗談じゃない」

 真剣に否定する武田は、バイト終わりに食事にでも誘おうと思っているのだろう。

 必死過ぎる姿が、ちょっと痛々しい。

 だが、そんな武田を、邪魔するつもりは真理だって毛頭ない。

「俺だって、武田と二人でクリスマスなんて絶対嫌だよ。クリスマス限定ドーナツがあるって聞いたから、それで寄ってみたんだよ」

 真理がそう言うと、恵美はパッと目を輝かせた。

「本当? 雪が降り出してから、客足がぱったり途絶えちゃって、全然売れなくて困ってたの!」

 恵美の言葉通り、ショーケースの中に商品はまだたっぷりと残っていた。

 わざわざ「限定」と銘打ってあるクリスマスドーナツも同様に、全く売れてないようだった。

「何にしますか、お客様? 限定ドーナツなど、いかがでしょう?」

 恵美がすっかり店員モードになったので、それに合わせて、真理もお客さんらしく振舞ってみせる。

「う~ん、じゃあ、そのクリスマス限定ドーナツにしようかな」

 クリスマスドーナツは、穴の開いてない、丸いドーナツだった。

 そのドーナツ部分に白いアイシングがたっぷりかかり、隅っこにマジパンでできたサンタクロースがくっついている。

 それで、サンタクロースがプレゼントの詰まった白い袋を担いでいるように見せているのだ。

 男の真理でさえ、思わず微笑みたくなるような愛らしさだ。

「じゃあ、それを二つください」 

 真理が注文すると、恵美は「毎度ありー」と冗談めかして、トングをカチカチ鳴らした。

 しかし、その横でまったく仕事をしてない男が一人……。

「は? 二つってどういうことだよ~」

 完全に目が据わった状態で、武田が真理に絡んできた。

「まさか彼女ができたんじゃないだろうな~」

「え……、いや……、そんなんじゃないって」

「……だよな~? これから帰って、TVでも見ながら一人で二個食べるんだろう? なあ、そうだろう? そうだよな、な、な?」

 ショーケース越しに、グイグイ顔を近づけられて、真理は思わず仰け反ってしまう。

 その迫力に気圧されて、「そ、そ、そうなんだよ!」と、気づいたときには頷いていた。

「一人で二個食べようと思ってさ。俺、食いしん坊だから」

 ハハハという真理の乾いた笑いに、武田は再びまなじりを上げる。

「はあ? なんだよ、それ。素直に認めるなんて、逆に怪し過ぎるだろ」

 きっと否定しても肯定しても、武田は納得しないのだ。

 全く、面倒くさいにも程がある。

 恵美に会計をしてもらい、真理はとっとと退散することにした。

「じゃあね、恵美ちゃん、メリークリスマス!」

「あっ、おい、待てよ! ちゃんと説明しろー!」

 喚く武田を恵美が羽交い絞めしている間に、真理は店を飛び出した。



 店を出ると、雪はもう止んでいた。

 あのまま降り続けていたら、朝、目が覚めたら一面、銀世界、なんてことになっていただろう。

 なのに、中途半端に止んでしまったせいで、道路は、ねずみ色のシャーベット状に汚れたまま。

 朝にはキンキンに固まって、アイスバーンの出来上がりだ。

 ――東京じゃ、ホワイトクリスマスなんて、やっぱり無理か。ロマンチックじゃないなあ。

 真理はシャクシャクと雪を踏みしめながら、ため息をついたが、

 ――いやいや、座敷わらしと過ごすクリスマスがロマンチックじゃなくたって、別にいいだろ。

 と、首をぷるぷると横に振った。

 そう、楽しければいいのだ。二人で楽しく過ごせれば、それで。

 二人にとって、初めてのクリスマスなのだから。


 

 そうして、家路を急いだ真理の「ただいまー」の声に出迎えはなかった。

「わらしー?」

 どこに行ったのかと思ったら、座敷わらしは電気を煌々と点けたまま、こたつで居眠りしているではないか。

 天板の上が、何故かびしょびしょに濡れている。

 木の実がコロンと転がっているから、ひとりで遊んでいたのかもしれない。

「うわー、もう! 一体何やってたんだ」

 真理はぶつぶつ文句を言いながら、台所に布巾を取りに行った。

「こらー、わらし、起きろよ。こたつで寝ちゃダメだって言っただろ」

 真理が揺すると、座敷わらしは、むにゃむにゃと目を擦った。

「あれー、真理? おかえりなの?」

「ああ、ただいま。そんなことより、おまえ、ここで何やってたんだ? こたつ掛けが濡れてないからいいものの……」

 真理がぐちぐちと小言を言い始めると、座敷わらしは「え……?」と言ったまま黙り込んでしまった。

「……あのなあ、こたつは寝床じゃないし、水遊びする場でもないんだ。わかっ……」

 わかったか? と続けたかったが、できなかった。

 座敷わらしの大きな瞳に、みるみる涙が溜まってきたからだ。

「……え? え? わらし?」

 田舎の家に帰ることになった、あの日でさえ、真理の前では泣かなかったのに。

 表面張力で瞳に張りついていた涙の粒が、堪えきれずにポロリと落ちた。

 それをきっかけに、座敷わらしは赤ん坊のように泣きだした。

「うえっ、うえっ、うえっ、うえ~~~ん」

「わ、わらし? どうした? 俺はそんなに怒ってないぞ? 天板なんか拭けばいいんだから。ほらな?」

 真理が慌てて宥めるが、座敷わらしは一向に泣き止まない。

 それどころか、余計にひどく泣き始める始末。

 びえ~~~~ん、びえ~~~~ん。



 今日はクリスマス・イブ。

 楽しく過ごせれば、それでよかったのだ。

 そのために、朝から頑張ったのだから。

 それがどうして、こうなったのか。

 真理は一人、途方に暮れるのだった。

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