23話
昨夜は「健ちゃんさえ無事なら、他に何もいらないわ」などと、殊勝なことを言っていた叔母も、朝になったらすっかり元通り。
「あ~あ、母さんの形見の着物、全部燃えちゃったのねえ。あれ、全部お高いものだったのよ」
朝ご飯をバクバク食べながら、叔母はずっとこの調子だ。
本人に嫌味を言っている自覚は無いのだろう。
思ったことを、そのまま口に出してしまっているだけなのだ。
共に食卓を囲んでいる、自分の息子がしゅんとしているのにも気づいていないだけなのだ。
故意ではなかったにしろ、火事の原因は健の焚き火だ。健は責任を感じている。傍から見ても、それがわかるくらいなのだが……。
「父さんの掛け軸なんかも、良いものが揃ってたのよ。あ~あ、あれも全部灰になっちゃったのね」
――ああ、ほら、そんなこと言ったら、健が気にするだろうがっ!
健の顔が今にも泣きそうで……。真理は一人、ハラハラとしてしまう。
だから、ついつい話を変えようと必死になってしまうのだ。
「で、でもさ、床下に隠してあった金庫が無事だったんだから良かったよ。ね? ね?」
「そうねえ……。大事な書類なんかは全部金庫に入ってたからねえ……」
真理は、うんうんと、これまた必死に頷き返す。
しかし、真理の努力を無にするように「でもねぇ」と話を蒸し返すのが、叔母という人なのだった。
「でもねぇ、中の書類を全部チェックしないといけないのよね……。色々と手続きもしなくちゃいけないし……。ああ、面倒だわ……」
「いや、でも、それもさ、うちの親父が来てからでいいんじゃない? 手伝ってもらえばいいんだし」
「そうねえ……。ねえ、真理くん、兄さんはこっちに何時頃着くって?」
実家には、昨夜のうちに真理が電話しておいた。
火事のことを伝えると、母も、途中で代わった父も、電話越しにもわかるほどショックを受けていた。
仕事人間の父も、さすがに会社を休んで、朝一番にかけつけると約束してくれたのだ。
「車で来るって言ってたから、午前中には着くんじゃないかな」
真理がそう答えると、叔母は大袈裟に目を丸くした。
「えっ、兄さんが運転してくるの? じゃあ、お昼過ぎちゃうわね。兄さんは運転下手くそだから」
それからずっと、いかに真理の父親の運転が下手かという話へと移行していった。
火事から話題が逸れたのは良かったが、高速道路で絶対に追い越し車線にいかないだとか、果ては何十年も前の脱輪事故にまで話が及ぶと、真理もさすがにげんなりしてしまう。
自然と目が合った健も、同じ気持ちでいたらしく、二人は思わず苦笑いした。
しかし、健はすぐにハッとした顔になり、笑顔を引っ込めてしまう。
俯いてしまった健は、まるで笑うこと自体が罪であるかのように思っているようだった。
そんな健の背中を、真理はポンポンと優しく叩いた。
「ほら、背中、丸まってるぞ」
起きてしまったことを、いつまでもくよくよしても仕方がない。顔を伏せたりせずに、前を向いていてほしい。
そんな思いを込めた言ったセリフが、自分が子供の頃、祖父に言われていたお小言とまるっきり同じなことに、言った直後に気がついて、真理は思わずぎょっとした。
嫌で嫌で仕方がなかった。
いつも怒られるのではないかとビクビクしていた。
でも、祖父の躾は真理の体にしっかりと染みついていたらしい。
考えてみれば、そのおかげで今、食事のマナーで恥をかくこともないし、長身のわりに猫背にもならずに済んだ。
それらは恵美たち女の子に、褒められた点でもある。
厳し過ぎると思ったこともあったが、全て真理のために言ってくれていたのだと、大人になった今ならわかる。
誰も注意してくれる人のいない、健が少し可哀想になった。
そう思ったら、もう少しお節介を焼きたくなった。
「それとさ、健、おまえ、前髪が長過ぎやしないか?」
真理は健の前髪を、ちょんとつついた。
「そんなんんじゃ、前が見えないだろう。俺がハサミで切ってやろうか? 一直線に、パッツーンとさ」
真理が手をハサミにしてチョキチョキとしてみせると、健は茶碗と箸を慌てて置いて、両手で前髪をブロックした。
「俺に切られたくないんなら、美容室に行って来な。な?」
真理の言葉に、健は頷いてみせた。
根は素直ないい子なのだ。
悩みを抱えていたのなら、年の近い先輩として、もっと早く聞いてやればよかったなと、真理は少し後悔したのだった。
ところで、叔母はというと……。
まだ一人で喋り続けていた。
「――免許だって、私は一発で合格したけど、兄さんは何度も落ちたのよ。……あら、この漬物、美味しいわね。塩加減がちょうどいいわ。これ、どこの家の漬物かしら」
火事の話から始まって、脱線に脱線を繰り返し、いつの間にか漬物の話なっていた。
それがなんだか可笑しくて、真理と健は顔を見合わせて、今度は声をあげて笑い合った。
「あら、二人とも、何を笑ってるの?」
叔母が不思議そうな顔をするから、二人は余計に可笑しくなって、しばらく笑いが止まらなくなったのだった。
今朝の美味しい漬物もご飯も、昨夜同様、近所の人たちが用意してくれたものだ。
ちなみに、真理が着ているグレーのスウェットの上下もまた、ご近所さんからの借りものだったりする。
丈が足りず、手首と足首が剥き出しだが、泥だらけの服のままでいるよりは断然いい。
そのスウェットの腹の中に、真理はラップにくるんだ白米を忍ばせて、こっそりと集会所の庭に出た。
三人では到底食べきれないほどのご飯を持って来てもらっているからこそ、座敷わらしの食糧の確保もこうして容易にできるのだ。
この点でも、真理は近所の人たちに感謝していた。
――さて、そろそろ腹を空かしてる頃だよな。まさか、木から落っこちてないだろうな。
朝の空気はキンと冷たく乾燥していて、それを肺いっぱいに吸い込むと、体の内側からピキピキと凍っていくような感じがした。
暑さ寒さを感じないという座敷わらしには、凍え死ぬ恐れはないだろう。
しかし、寝返りを打って、地面に落ちているのではないかという心配はあった。
急いで木に駆け寄った真理は、樹上に座敷わらしの姿を見つけてひとまず安心した。
こんなに心配をかけている張本人は、枝の上で未だ夢の中だった。
胸にクマゴロウを抱いてすやすやと眠る、その顔は平和そのものだ。
「……ん?」
いや、クマゴロウだけではなかった。
他にもう一つ、座敷わらしの腹の上に何やら黒い物体がある。
腹の上で丸くなっていたそれが、真理の気配に気づいたのか、もぞもぞと動き始めた。
ただの黒い、丸い塊が、真理の目の前で段々と馴染みの形になっていく。
まずは、上手い具合に収納されていた、黒い大きなくちばしがポンと飛び出し、次に、黒いつぶらな瞳がパチリと開く。
これはもうどこからどう見ても……。
「カラス!? おまえがなんでこんなところにいるんだ!?」
言ったそばから、ああそうか、と真理は納得した。
「ここって、もしかして、おまえの寝床だった?」
返事はなかったが、肯定されたも同然だった。
「そっか……。焼け出された、わらしのために、寝床を提供してくれたのか。おまえ、なかなかいいとこあるじゃないか」
真っ黒な羽の下、カラスを頬を染めたかどうかは知らない。ただ、プイとそっぽを向いた、その顔は妙に照れ臭そうだった。
「ありがとな。泊めてくれて。それと、一晩、わらしについていてくれて。外で夜を明かすのは、一人じゃさすがに心細かっただろうよ。おまえがいてくれて助かったよ」
真理は持って来たご飯を、半分差し出した。
カラスは大きなくちばしでそれをひと飲みすると、トットットッと枝の先端まで歩いていき、そこからどこかへと羽ばたいて行った。
座敷わらしを起こさないようにという、配慮なのだろう。「カア」の一言も鳴かずに、飛んで行った。
真理は青い空を舞う、黒い影にもう一度、小さく「ありがとう」と呟いたのだった。




