63話
櫓の上で前方を眺めると、俺の視界の先にカニバル軍と、さらに敵軍と思わしき集団が見受けられた。そして、その中に横合いの森から伸びた黒い染みのようなものが広がっている。あれってもしかして魔物か!?おいおいおいおい。主力部隊も襲われてんのかよ。
あの染みの広がり・・・魔物は一体何匹居るんだ。ゾっとした。
目を凝らしてみると、どうやら両軍勢は大混乱に陥っているようだ。
そして、俺はソレを目撃してしまった。
「うおお・・なんじゃありゃあ。」
其処にはありえないようなデカさの黒蜘蛛が居た。軍勢の中に分け入り、凄い速さで手を動かしている。足元の人間と比較すると、下手すりゃ全長20mくらいはあるんじゃないか!?もう魔物と言うより怪獣だろ。
そして良く見てみると・・・うげええ。あの長い腕の先っぽに付いている手で高速で人間を掴んでは口と思われる部位に放り込んでやがる。口と思われる部位は常に高速でもしゃもしゃ動いてるので、あの中で人間がどうなってるかは想像に難くない。
アレの側に近付いちゃあ絶対にダメだ。絶対に死ぬ。
あんなのを討伐するのに必要なのは狩人じゃねえ。自衛隊か米軍だろ。
先ほど感じたあの強烈な悪寒の出所はあの化け物か?・・・いや。違うな。此処からあの場所まではまだかなり距離がある。いくらあの化け物が凄くても、ここまであんな気配が届くとは思えん。
あの悪寒は、恐らくは補給部隊の後方に集まった大量の魔物どもの攻撃の意思か何かだろう。先ほど突っ込んできた奴が俺達を混乱させて、機先を制したところで雪崩れ込む腹積もりだったんだろうか。ところが騒ぎは起こせたものの、速攻で返り討ちにあったので逆に攻め入るタイミングを失ったってところか。
だが、何れにせよ遅かれ早かれだ。仕切り直した森の中の魔物どもは、直ぐに此方に雪崩れ込んでくるだろう。どうする?
俺は櫓から素早く降りた。
丸腰ではマズイ。あと、この近くに川はないのか。クソッ地理が分からん。
俺は天幕の中を走り出した。此処は補給部隊だ。荷下ろしをした時の事を思い出す。確かあの辺にあったハズ。・・よしっ。
俺は並べて立てかけてあった補給品の予備の槍と金属の胸当てを引っ掴んだ。着てるヒマは無い。盾代わりだ。
「おいっ 貴様其処で何をしてる!」
当たり前だが近くに居た兵士達が誰何してきた。
「貰っていく 緊急事態だ!」
俺は掴みかかってきた兵士を躱して頭を押さえて膝蹴りをぶち込んだ。我ながらヒデエ。俺もゾルゲの事あまり悪く言えねえな。背後の怒号を無視して全力で走る。
おっ。バルガさんが遠目に見えた。だが、大勢の人に囲まれている。川の場所とか、話を聞くのはとても無理だな。
俺は一瞬立ち止まる。森の方を警戒しながらどうするか考える。すると、次の瞬間。
天幕の背後の森から闇が溢れた。
うおおおおっきやがった。ヤバイっ なんつう数だ。くそおおお死んでたまるかよ。
雪崩れ込んだ無数の黒い影が天幕の中の兵士達に襲い掛かる。そこかしこで悲鳴や怒号があがった。後方部隊だけにこういった突発事態に対する対応力が弱い。
もう俺にドワーフや赤ロン毛の事を気に掛ける余裕は全く無い。赤ロン毛には渾身のビンタで渇を入れてやったし、どうにか上手く逃げ延びることを祈るしか無い。それに、一度も一緒に戦ったことすらないあいつ等と連携しようとしたところで、下手するとお互い足を引っ張り合うことにもなりかねん。
あいつら俺より上級の狩人なんだし、自分らで高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応してくれ。俺自身の命も最早首の皮一枚の状況だ。
もう誰かに川の事を聞く余裕なんか無い。こうなったら、どうにかして黒蜘蛛の包囲網をぶち抜いて逃げ切るしかねえ。補給部隊の後方は駄目だ。恐らく大量の黒蜘蛛が押し寄せてきてる。
俺は再び走り出して必死で考える。
前方の主力を頼るのはどうだ?・・駄目だ。俺が遠目に見た時にはすでに主力の軍勢は壊走を始めていた。連中は多分此方の方に逃げてくる。此方の背後から追い立てられた後方部隊と、前方から逃げてきた連中がぶつかった時に恐らく黒蜘蛛の包囲網は完成する。そこが最悪の地獄だろう。敵国の軍勢も似たような状況になってるハズだ。それに、あの化け物の進行方向にだけは断じて居ちゃいけねえ。絶対に死ぬ。
今しかない。連中の包囲はまだ完成してねえ。この平原はデカい。背後と正面以外なら今ならまだ抜けるかもしれん。
決断した俺は、補給部隊の天幕の内側を森と並行して全力で走り始めた。
横から悪寒。黒い影が俺に向かってカッ飛んでくる。俺は踏み込んであえて影の方に飛び込む。影と交差した瞬間。差し出された黒い気色悪い腕を槍で受け流す。そのまま近くの天幕へ飛び込んだ。
天幕の中に飛び込んだ俺は、中で大騒ぎをしている兵士達の陰に隠れる。そこへ先ほどの黒蜘蛛達が殺到してきた。俺は素早く移動して兵士達の立ち位置を俺と黒蜘蛛との間に捻じ込む。そして、そのまま物陰に隠れつつ天幕を離脱。済まねえが兵隊さん、後は宜しく。
俺はそのまま走り続けると、程なく補給部隊の天幕群が途切れた。森の中に視線を走らせる。一瞬、目の端に多数の気配を捕らえた。駄目だ。一体何匹居やがるんだ。更に森の境界線と平行に全力で走る。だが次の瞬間、進行方向の森の中から黒蜘蛛が溢れ出した。
くそおお駄目かっ。此処から突っ切るしかねえ。
俺は溢れ出した黒蜘蛛達の壁の一番薄そうな部分に向かって突っ込んだ。
何本もの黒い腕が高速で俺に迫る。俺は走る速度を緩めて、左手に持った胸当てに角度を付けて纏めて弾いた。うおおお怖え。そのまま速度を上げて一気に走り抜ける。
「ぐあっ」
その瞬間、体に痛みが走る。何発か食らっちまったか?いや、今はそんな事気にかけてる場合じゃねえ。
俺はそのまま森へ突っ込んだ。
ザザザザザザザ
森の中を全力で走る走る走る走る。
「ぜっぜっぜっぜっぜっ。」
周りから黒蜘蛛が滅茶苦茶迫って来てるのが分かる。超怖い。苦しい。くそおお息が持たねえ。
胸に手を当てる。
頼む。頼む。頼む。いけえええええ。
乱れた集中。弱々しい光。だが、俺にとっては希望の命綱。
身体の熱が引く。呼吸が楽になる。その時、速度を上げた俺の後ろ髪に何かが掠る。危ねえっ。
くんっ。
山で鍛えた俺の五感がソレを捕らえた。水の臭いだ。近いぞ。いけるっ。
方向転換した俺は残った力を振り絞る。くうううううううゾルゲのシゴキでもここまで絞り出したことはねえぞ。
そして、ギリギリの回復をしながら全てを振り絞って疾走すること約3分。
前方に崖!?いや、恐らくあの下が渓流だっ。よっしゃあああああ。
一瞬背後を確認っ・・・・あ!?。
その瞬間。
横を向いた俺の顔面から約10cmの距離に迫った黒蜘蛛のつぶらな瞳達と目が合った。
時間が引き伸ばされ、景色がスローになる。一瞬で認識した。コイツとさらに左右。3匹に囲まれた。
こいつらも死力振り絞ってきやがった。




