間章 旅の途上9
人気の無い原野の只中で、二人の戦士が対峙していた。
一人は勇壮な体躯が際立つ、稀に見る程に眉目秀麗な若き勇士。そしてもう一人は、何処にでも居そうな凡庸な青二才・・いや、小麦色の雪焼けがすっかり癒えた今、パッと見た感じ良い体格な土方の兄ちゃんより二ランクくらい弱そうな男。いわずもがな、ストイケと俺である。
俺は刀身部の長さ凡そ三尺(約91cm)の木剣を正眼に構えて、相手を粛々と見据える。相対するストイケは、特段構える様子は無い。得物の切っ先を俺に向ける訳でも無く、かと言って怠惰に弛緩するでも無い、微妙な体勢を維持している。其の姿はまるで自宅の洋式便座で用を済ませた後の如く、非常にリラックスして見える。
異常な集中により、脳内で電気信号が激しく駆け巡る。俺は高速で思考を紡ぎながら、摺り足でジリジリと距離を詰める。此の間合いなら・・行けるか?行けそう・・行ったれ!
俺は一瞬足を止めて、スタンスを僅かに拡げる。後の先。受けに回る・・と見せかけて、一気に踏み込
互いの剣先が、音も無く触れ合った。
はぁ!?何時の間
触れ合った剣先が瞬時に圧され、構えが崩される。
刹那、乱れた思考が脳内で激しく飛び交う。
またしても 機先を制され
糞
行ったれ
必殺の 二段突き
思考が先か反射が先か、肉体は瞬時に反応する。動く。全力の踏み込み、が
圧された剣先が、溶接されたかの如く微動もしない
体が、崩れる
絶妙な呼吸で木剣が目の前に、迫る
思考を置き去りにして、身体が反応した
パパゴッ
「がっ」
頭部を貫く衝撃と同時に、視界一杯に光が激しく明滅する。
やられた。頭頂部への痺れを感じながら、俺は流れに身を任せて大地に突っ伏した。一太刀は盾、二太刀は木剣で辛うじて受けたが、完全に崩された体勢ではそれ以上為す術も無く。ああ、糞っまたしても惨敗だ。
俺は異界の大国エリスタルの王都を目指す旅を続けながら、旅の供であるストロングイケメンことストイケに師事して剣の鍛錬に取り組み始めた。
が、しかし。ストイケからの実戦形式で行うとの宣言に則り敢行された剣の鍛錬は、模擬戦で俺が再三に渡り一方的にぶちのめされまくるという超ハードなDVか、或いはエグ味増し増しな拷問の如き実に憤懣遣る方無い内容であった。
つうかストイケの野郎、幾ら何でも強過ぎんぞ。此処まで歯が立たないとは流石に想定外だったわ。此れ程隔絶した手応えは、あのゾルゲとの初めての模擬戦でボッコボコにぶちのめされた時の感触に近い。つうか今の俺はあの時のゾルゲよりも間違い無く強く成ってるハズなのに(俺評価に拠る)、マジでとんでもねぇぞ此の野郎。
散々容赦無くボコされて思い知らされたが、兎に角此奴には隙が無さ過ぎる。と言っても嘗て故郷の漫画や小説で良く見た、相手の手足が唐突に増えたり、謎のオーラが出たりして「す、隙が無い」とかなるフワっとした感じでは無く。間合いがべらぼうに遠く感じると言うか、懐が深過ぎて俺の間合い迄全然踏み込めないのだ。
俺のリーチ(両腕を開いた時の左右の指の先端までの長さ)は凡そ175cm。そして木剣の刀身部が三尺程度なので、相手の身体に斬り込む為の間合いは思いの外近い。勿論、実際には足も使えば身体も頭も駆使するので、単純な直線距離だけでは測れないのは百も承知である。だがしかし、所謂一足一刀の間合いの内に踏み込んだ瞬間に毎度一方的にフルボッコにされてしまうので、俺には其の間合いが果てし無く遠く感じられてしまうのだろう。
しかもストイケの野郎、鍛錬だってのに全然容赦が無い。此奴に木剣を打ち込まれた箇所、普通に折れてたりするんだけど。お前ぶっ叩いた感触で絶対分かってるだろ。
俺は再三に渡り洒落にならない痛手を受けた結果、頭に来てストイケを厳しく問い詰めたのだが。あの野郎、其の程度大した怪我じゃ無いだろうとか笑ってやがったからな。イヤイヤんな訳ないだろ。大した怪我だよ骨折は。幾ら完全骨折や粉砕骨折では無かったにせよ、だ。しかしどうやら話を聞くに、ストイケが所属する騎士団だか兵団では、訓練の際には高価なポーション的な治療薬を惜し気も無く使いまくってたらしい。なので軽い骨折程度ならば、其の場で応急処置を施してそのまま鍛錬を続行してたそうだ。
お前はアホか。今はそんなヤバい効能なポーションなんぞ何処にも無いだろうがっ・・と激しく抗議したいのは山々なのだが、まあ折れちまったモンは仕方無い。キレ散らかした所で折れた骨がくっつくハズも無し。なので結局、俺は持ってるだけでお巡りがキレ散らかす非合法なお薬の如く、またしても自称故郷の秘薬(実態は回復魔法)に激しく依存する事にしたのだった。
____俺は仰向けになって大地に寝転がりながら、異界の青空を眺めていた。
すると、遥か上空で赤い何かが飛んでる様子が視界の片隅に飛び込んで来た。目の錯覚、じゃねえよな。俺は思わず身を起こして目を凝らす。
アレは何だ。
鳥、にしては些かデカ過ぎる。航空機、にしては余りに生々し過ぎる。そもそも此の異界に航空機なんて無いし。
「おおい、ストイケ。空を見てみろよ。何か凄いのが飛んでるのが 見えるんだが。アレは一体何だろう」
俺は上空を舞うナニカから目を離さぬまま、傍に居るストイケに訊ねてみた。
「ほう、あの姿は恐らく赤燐の王ルバ・スクィムだろう。エリスタルで其の名を知らぬ者の無い程に、名高く力あるドラフニールの一体だ」
「ドラフニール?その呼び名は 確か魔物の一種だった筈だが」
「ああ。世に聞こえた逸話に拠れば、彼の者は遥か古の盟約に従って、恐るべき魔物にも拘わらず当世に至ってもエリスタルの旧王都を己の版図の一端として守護して居るのだそうだ。それに近頃はああやって空を舞う際には、其の背に最も高貴な方々を乗せているとの噂にもなっている。カトゥーは幸運に恵まれているな。彼の姿は滅多に拝める代物では無いぞ」
「ふ~ん」
仮にアレが飛んでる高度が上空三千mくらいと仮定すると、一体どんだけデカいんだよ。下手すりゃ中型の旅客機に近いサイズあるんじゃねえか。最早動物だの魔物と言うより怪獣だな。
「そういえば、俺は以前大山脈でドラ「さあカトゥーよ、続きだ。何時までも休んでないで、早く立ち上がって木剣を取れ」
ストイケはそんな事はどうでも良いとばかりに、俺の話を遮って鍛錬の続きを急き立てた。いや、マジで頼むからもう少し休ませて・・・。
「いや、もう少し休ませろ。お前に散々打たれたせいで、体中が痛いのだ」
「何を言っているんだ。お前はもう十分休んだだろう。さあ、今直ぐ鍛錬の続きを始めるぞ」
俺は心の底から懇願してみたものの、返って来たのは無慈悲な催促である。
「手前ぇストイケいい加減にしろこの野郎っ!お前は毎日毎日毎日俺を気持ち良く殴るだけだから満足だろうが、やられる方の身にもなってみろっ」
俺はキレた。無論、今突然キレた訳では無い。此処数日間一方的に殴られ続けて積りに積もった怒りとストレスに拠り、パンパンに膨れ上がた堪忍袋のケツ穴が遂に崩壊したのだ。
「ハハハッ打たれたく無くば、この俺より強く成ればよかろう。もっと精進しろ」
この野郎っ・・・。俺は安易にストイケを師と仰いだ事を激しく後悔していた。此奴がまさかこんなヤバ過ぎるドS野郎だったとは。
しかもコイツ、ぶん殴られてもそう簡単には死なない木剣である事を幸いに、先日剣がヘシ折れる迄ボッコボコにぶちのめされながらも相打ち覚悟でグッダグダの泥仕合に引き摺り込んで、最終的に絞め落としてやった事を絶対根に持ってるやがるだろ。野郎が意識を取り戻した時、今迄の腹いせに全身全霊を以て煽り倒してやったとは言え、アレから毛ほどの隙すら見せねえし、俺をボコす手に躊躇とか加減といった、優しさ成分を全く感じられ無く成ったんだが。
糞が。もう美形と二人旅でウホッどころじゃねえ。此奴のムカ付く顔面に魂の鉄拳を5・6発はぶち込まないと収まらんぞ。
俺は傍に転がしておいた木剣をひっ掴んで立ち上がった。そして、
「ふざけやがって。ボコボコにして泣かしてやんよ。糞がああぁぁっ!」
「良いぞ。来いっ、カトゥー!」
果たしてもう幾度目になるだろうか。手にした木剣で再びストイケに打ち掛かった。
____季節は巡る。草木は芽吹き、頬を撫でる大気は春の陽気に包まれている。
俺とストイケは、エリスタルの王都を目指す旅を続けていた。旅路は順風、などとは最早到底言えなくなっている。其の原因は、ほぼ100パー俺達なのだが。
そもそも俺とストイケの脚ならば、キルキーの畔の町から王都迄凡そ半月足らずで辿り着ける算段だったハズなのだ。しかし地球換算で既に二カ月以上経過しているにも拘らず、王都は未だ遥か遠方である。
何故このような事態に陥ったかと言えば、ひとえに剣の鍛錬のせいである。俺達・・というか妙にヤル気満々なストイケは、次第に旅路を急ぐよりも俺との鍛錬に入れ込み始め、其の事に相反するかの如く旅の行程は遅々として進まなくなった。俺達は旅そっちのけでひたすら鍛錬に没頭し、時には野営地から一歩も動かずに、一日中木剣で殴り合う事もあった。
また、立ち寄った名も知らぬ村で請われて魔物退治なんかもした。人助け?んな訳ねえだろ。見知らぬ赤の他人の事なんぞ果てし無くどうでも良いし。俺の目的は腕試し兼食料調達兼村からの報酬の一石三鳥である。まあ俺の了承無しに二つ返事で村長の嘆願を引き受けたストイケの思惑は知らんが。
そして丸二日を掛けてどうにか厄介な魔物共を根絶やしにした後。ストイケは村人達から喜びと感謝の歓待を受け、俺は狩人ギルドや国の役人に余計な事チクるんじゃねぇぞと相棒をチラ付かせて村長を恫喝する糞みたいな役回りとなった。なにせ村長の野郎、俺達が立ち寄る前に既に役人を介してギルドに魔物退治を要請してやがったらしいからな。勿論俺達には内密でだ。なのでキッチリ釘を刺しとかないと、下手すりゃ空要請の責任まで俺に押し付けられかねん。
まあそれはともかく。俺は余りに理不尽な待遇の格差を受け、お前も恫喝を手伝えとストイケに迫ってみたのだが。俺はチクられても全く困らんのに、何でお前に協力せにゃならんのだと仰せ御尤もな正論ハイキックで一蹴されてしまった。
____こうして剣の鍛錬に傾倒したり、あれやこれやと寄り道を重ねまくった俺達は、キルキーの畔の町を出立してから実に都合三カ月以上もの時を経て。漸くエリスタルの王都に程近い町へ辿り着いた。




