間章 旅の途上7
「よ~し、カトゥ。もう手を休めて良いぞ」
舟頭からの合図を耳にした俺は、櫂を漕ぐ手を止めた。そして、櫂の持ち手を差し出された舟頭の手に預ける。此処から先は繊細な操舟の技術が要求されるらしいので、俺は漸くお役御免である。
俺達はキルキーと呼ばれる巨大な川の渡し舟に乗舟している。此処まで何かとトラブルは有ったものの、目指す対岸は目と鼻の先である。
何故俺が今迄舟の櫂を握っていたかと言うと、元々櫂を操っていたムキムキ舟員が二人共お亡くなりになってしまった為だ。当初は生き残った舟頭と舟員が代役を勤めたのだが、漕ぎ役の舟員が早々に疲労困憊してしまい、まるで使い物にならない。お前本当にプロの渡し人かよ。体力無さ過ぎィと実に腹が立ったが、舟頭の話に拠れば、此のままでは下流に流されて予定の渡河地点に辿り着けるか怪しいとの事。そこで仕方無しに、俺とストイケが漕ぎの代役を買って出たのだ。
ところが、舟頭達は先程見せ付けられたストイケの圧倒的な強さに完全にビビッてしまっており、貴方様に漕ぎ役をやらせるなんてとんでもねぇ・・と丁重に断っていた。ストイケに対してだけは。てな訳で、やたら高圧的な舟頭からの指導の下、俺が終始櫂を握る事に成った。もう一本の櫂を握るのは辛うじて復活した虚弱舟員で操船役、そして俺はパワーと持久力に物を言わせて漕ぎまくる役だ。
そんな経緯で、俺は舟賃を支払った乗客のハズなのに、結局アホ程コキ使われる羽目になった。とは言え、体を動かせば惨殺死体が転がる舟上の陰鬱な雰囲気も多少は紛れるので、正直余り文句は無い。
櫂を舟頭に譲り渡してから間も無く。俺達が乗る舟は、船着き場が在る小さな集落に辿り着いた。周辺は桟橋を除けば幾らかの家屋が在るだけの物寂しい場所だ。舟頭の話では、人族で賑わう町がもっと上流に在るらしい。渡し終えた舟は此処から陸揚げして荷車に乗せたり、サイズと種類に拠っては解体したり、川に浮かべたまま牽引して渡し場が在る上流の町まで運ぶのだそうだ。
俺は舟上に横たわる商人風おっさんの亡骸に向かって手を合わせた。おっさんの遺体の事は、結局舟頭達に託す事にした。俺はおっさんの身元引受人でも何でもないからな。但し、舟頭達には遺体の身包みを剥ぐ等の不埒な真似をしないようキツく釘を刺しておいた。もしおっさんの事をぞんざいに扱ったら、このスト・・じゃなくてリオディーン君がお前等の首を刎ね飛ばすからなと。
俺からの真摯なお願いを聞いた舟頭達は、先刻迄の尊大な態度は何処へやら。それはそれはもう震え上がって舟乗りの誓約とやらをキメていた。いや~実に素晴らし気ン持ち良いね虎の威って奴は。折角滅茶糞強くてしかもイケメンイケボな虎さんが傍に居てくれる訳だし、今の内に骨の髄まで威を借り倒してやらねぇとな。返済?んなモン知るかよ。
ところで、首を刎ね飛ばすと言えば。先だっての戦闘で、俺は鼻無し鼠風男を川に投げ込んでぶっ殺した。如何に凶悪な賊とは言え、異界に飛ばされて以来、俺が直接的に人を殺ったのは恐らくアレが初めてである。・・・いや、もしかすると今迄ぶちのめした連中の中に後でくたばった奴が居たかも知れんが、其処はまあノーカンだ。
俺は文字通りの意味な童貞と気持ち良くオサラバする前に、晴れて別な童貞を失っちまった訳だ。勿論、其の事に対して思う所が全く無い訳では無い。しかしまあ、しゃーなしだ。
故郷に居た頃の俺なら「う、うわああっ。ひ、人を殺してしまったあああっ・・」てな感じで怖気付いたり罪悪感に苛まれたかも知れんが、俺のマインドは最早相当異界にローカライズされてしまった上、とうに殺人者になる覚悟も決まってたしな。其れに今更故郷のぬるま湯のような倫理観に浸れ無いというか、そんな悠長な事を考える余裕が全く無い。何せ此の世界の野蛮人共は殺る気満々ヒャッハーしながら、迷いゼロで襲って来やがるからな。ブルったり思い悩んでたりしてたら、アッという間に頭カチ割られてあの世行きだし。
とは言っても、俺は「僕は絶対に人を殺めたりなんかしないぞっ・・」などと不殺を貫いて、頭カチ割られる人を馬鹿にする気は無い。最後までそんな固い信念と高水準な倫理観に殉じる事が出来るのは本当に立派な人であり、充分尊敬に値するからだ。そして、俺はそんな高尚な人間じゃないというだけの話である。尤も、平時なら兎も角、殺し合いの最中にそんな人を味方にするのはマジで勘弁願いたいが。
舟から降りた俺達は、舟員や他の乗客に別れを告げて、一先ず上流の町を目指す事にした。キルキーの大河から西へ向かう人族の街道は基本其の町から伸びて居るらしいからだ。尤も、他の乗客も目的地は俺達と同じ町らしいのだが、常に走って移動する俺達とはペースが違い過ぎる。そんな俺達も別に急ぐ旅という訳では無いので、今日は其処の町に滞在して、改めて明日からの旅の方針を練るつもりだ。
幸いにも、大河に沿って町へと続く道は良く踏み慣らされており、迷う事は無さそうだ。それに、町の連中の長年の尽力のお陰も有り、人族の手が入った此の近辺は、一部の川岸や川の中を除けば、危険な魔物や猛獣が出没する事は余り無いらしい。但し、更に西へ足を延ばすと対岸と同様広大な湿地帯が拡がっており、此方には無数の危険極まりない魔物や野生動物が跋扈しているそうだ。
俺達が移動するペースが異常に速いせいか、上流に在る町には体感で僅か1時間程度で辿り着いた。街中の様子は昨日俺達が滞在した対岸の町と殆ど変わらない。やたら活気は有るが建築物が漏れなく粗末で、しかも新しい物ばかりだ。一応町の入り口には武装した守衛らしき男が居たが、知らん顔して堂々と町に入ったところ、特に誰何される事は無かった。あの推定守衛は気怠そうな様子で明らかにやる気無い感じだったし、此れじゃセキュリティも何も有ったモンじゃねえな。町の名は・・聞いてないので知らん。所詮1日しか滞在しないので、興味も無い。
其の日の宿の事はストイケが道行く女をナンパ・・じゃなかった女に訊ねたところ、大層ウッキウキで聞いてもいない町中の宿の評判迄懇切丁寧に教えてくれ、更には露店で謎水産物の串焼きまで奢ってくれた。勿論奢ってくれたのは全方位ストロングなイケメンことストイケに対してだけで、俺には馳走どころか一瞥もくれずにだ。もし相手が妙齢の美人なお姉さんだったら、俺は嫉妬で気が狂ってたやも知れぬ。しかし幸いにも、女はゴリラとマンボウを足して等分したようなツラだったので、余裕で耐えられたけど。
そしてその日の夜。宿の食堂で不味い魚料理を腹に詰め込んだ俺達は、一室のみ確保した部屋でウホッ・・な訳は無く、真面目に今後の事を話し合った。
「なあカトゥー。お前に改めて頼む。王都に辿り着くまで俺と同行してくれないか。勿論、相応の報酬は約束しよう」
お互い自分の寝台に腰掛けて俺と向かい合ったストイケは改めて、俺に王都迄の旅への同行を依頼して来た。
「ふむ、先ず一つ確認したいのは、其の依頼は お前個人の依頼なのか?俺は狩人ギルドに所属しているからな。お前の依頼を勝手に受けるに際して組織から非難を受ける事が無いか 一応確認しておきたい」
俺からの質問を聞いたストイケは、驚いた風に目を見張った。此奴もしかして俺をアホだと思ってるだろ。まあ否定はせんが。それに俺は今迄の旅の間に、襲って来た不埒者共から迷惑料と称して一度ならず金銭を徴収したりと色々やりたい放題して来たので今更な気もするが、まあソレはソレ、である。
「個人的な依頼だ。報酬も俺の私財から拠出しよう。ならばお前さえ大っぴらに口外しなければ狩人ギルドの構成員としても、あと俺の立場上あまり大きな声では言えぬが、税に関しても問題はあるまい」
う~ん本来ならば口頭だけでなく何らかの担保が欲しいトコロだが、此奴の身形や今迄見て来た人柄から判断して、其の言葉を信じよう。
「分かった。で、報酬の金額は?」
「無事王都まで辿り着けたなら、金貨二十枚出そう」
「ふむ・・」
俺は物憂げな感じで考える雰囲気を出してみるも、内心はバンザイお手上げである。だって相場全然分っかんねぇし。コレって破格の報酬なのか、安く買い叩かれてるのか、或いは適正価格なのかどうなんだよ。・・・まあ考えたトコロで答えが出る訳も無いし、取り敢えず報酬の金額の事は置いておいて決断した通りに行くか。
「良いだろう。報酬の金貨は旧貨幣で頼む」
「おおっ!引き受けてくれるか」
「ああ。しかし依頼を受けるにあたり、俺からもお前に一つ頼みがある」
「頼み?詳細を聞かせて貰おうか」
「ああ。そう言えば舟の上では お前に随分と助けられたな。少しばかり遅くなってしまったが、改めて礼を言わせて貰おう」
俺はストイケに向けて軽く頭を下げた。
「いや、礼には及ばぬ。それに、奴等の狙いは俺だったからな。寧ろ頭を下げねばならぬのは俺の方よ」
「戦いの様子を見させて貰ったが、スト・・リオディーンは随分と腕が立つのだな。あの時は剣を使っていたが、お前が扱うのに最も長けた得物は 矢張り剣なのか?」
「そうだな。主だった武具は一通り使うが、強いて挙げるなら剣、だろうな」
「成る程。其処でだ。王都までの旅の間、俺に剣を教えては貰えないだろうか。もし引き受けてくれるなら、其れを同行の 報酬代わりにしても良い」
そう、あの戦闘を見て俺は決断した。ストイケの旅に同行する事を。そして恐るべき使い手の彼から稽古を付けて貰う事を。理想を言えば槍が望ましかったが、生憎とストイケは槍を持って無いし、それに剣を教わるのも存外悪くは無い。
一般的に槍等の間合いの広い長物が実戦で有利なのは間違いないが、狭い屋内や洞窟、密集した木立など、長物よりも剣の方が有利な場面は思いの外多い。それに武芸百般等と持て囃され、故郷の古の武芸者達があらゆる得物に通じた様に。枝葉の技術はともかく、間合いの駆け引き、体や足の捌き、歩の置き所など、根っこの技術は間違い無く全ての得物に通じるモノがある。なので嘗て俺に剣を叩き込んだあのゾルゲよりも明確に格上なストイケならば、是が非でも剣の稽古を付けて頂きたい。
ところが、ストイケは俺の提案に対して難色を示した。俺に限らず素性の知れぬ者に剣の技を授けるのは気が進まないし、報酬としても見合ってないのだそうだ。
「カトゥー。お前は何故力を欲する」
ストイケは鋭い視線で俺を真っ直ぐに射抜き、真剣な表情で問うた。ひゃだっ改めて見ると凄っごいイケメンっ。
「勿論、自衛の為だ」
まあ気に入らねぇ奴をぶちのめしたり、強者俺アピールで綺麗なお姉様方からチヤホヤされたいという浅ましい欲望も滅茶糞有るが、当然口には出さない。
「だが俺から見て、お前は今のままでも充分に強い。己の身を守るだけならば、此れ以上の力が必要とは思えんが」
はぁ?コイツは一体何を言ってるんだ。
「いや、お前みたいな男や、舟で襲って来た奴等が その辺をウロウロして居るんだぞ。必要に決まってるだろ」
「ムゥ、そんな手練れがそう易々と・・いや、しかし。ウウ~ム、言われてみれば確かにそうかも知れぬな・・・」
どうやらストイケ君は随分と逡巡しているご様子。そこで、俺は意図せず温存してあったカードを切る事にした。
「ならば、剣を教わる代価をもう一つ提供しよう」
俺はストイケに向けて掌を差し出して上に向けると、湧水の魔法を発動した。すると間も無く、掌からボタボタと派手に水が溢れ出し、部屋の床を濡らした。
「旅の道中、食料に加えて飲み水や身体を拭く水も俺が全て提供しよう。それならどうだ?」
フフンッどうだ。お前も実戦経験のある軍人なら、飲料水の重要性と運搬の困難さは身に染みてるだろう。それに、此処までの旅でも飲料水の確保には散々苦労させられたしな。まあしょーもない理由で今迄魔法の事を黙ってたのは悪かったが。
そして俺は王都を目指す旅の道中で、新たな剣の師を得た。




