(閑話8-10)
私の古い知己であり、アプリリスの町の商人ユニオ・アーデムを統括する支部長でもあるアシモから隊商団本隊の凄惨な末路を聞かされた私は、今度は隊商団と逸れてからアプリリスの町へ辿り着くまでに私達が辿った軌跡を、順を追って語り始めた。
とは言え、正直な所どれ程時間を掛けても語り尽くせる気がしない。私達が僅かな人数で大山脈の深層を彷徨ったのは、時の経過だけを鑑みれば夏から冬に掛けての、殊更に長いとは言えぬ期間であったろう。しかし、其処で私達が遭遇した出来事の数々は余りにも苛酷で、濃密に過ぎた。並の行商人であれば、誇張抜きで一生分に匹敵する体験をしたとすら思える。その為、アシモへ語った私達の大山脈越えに関する報告は、かなりの部分を省略して要所だけを掻い摘んだ話となった。
また、偶然発見したあの迷宮については、細心の注意を払って秘匿しておいた。アシモが如何に古い知己と言えど、面と向かってあの情報を軽々しく口に出す程には信が置けないからだ。それに、私が辺境へ旅立ってから彼とは久しく会って居ない。人族にとって地位や財を得るだけで無く、人品が変わるにも充分な時間が経過したと言える。或いは更に互いの関係が深まれば何れ語る機会に恵まれるやも知れないが、どの道今は時期尚早であろう。
私の話に耳を傾けていたアシモは何時しか身を乗り出し、大山脈の奥地で私達が体験した現実離れ、と断ずるには生々し過ぎる出来事の数々を、固唾を飲んで聞き入っていた。そして私がアプリリスの町に至る迄の話を一通り語り終えると、まるで熱に浮かされる様に深く息を吐いた。そして、
「モックさん。貴方さえ宜しければ、日を改めて更に詳しく今の冒険譚をお聞かせ願えないでしょうか」
アシモは私に対して、より子細な体験談を求めて来た。そんな彼の顔は一見すると愛想の良い微笑みを浮かべていたものの、鋭く此方を見据える其の目の光に柔和さは欠片も見受けられ無かった。私の話から何らかの商機を見出したのか、隊商団の末路を鑑みて良からぬ猜疑心を募らせたのか、或いは胸に秘めた冒険心を擽られでもしたのだろうか。
何れにせよ、流石に経験豊富な商人ユニオ・アーデム支部の長ともなれば其の感情は易々と読み取らせては貰えず、神ならぬ人の身では彼の心中は伺い知る由も無い。
私はそんなアシモの要請に対して表向き快く応じつつも、彼に口外しても差し障りの無い情報とそうで無いものを今一度頭の中で丁寧に選り分けてゆく。
また折角の機会なので、私は彼に冒険談と情報提供の見返りとして、当面此処に逗留させて貰う許しと幾らかの物資の譲渡を請うてみた。
当初、生還を殆ど諦めていた大山脈の奥地から、生きてアプリリスの町迄辿り着けた事は並外れた僥倖であったものの、其の代償として長年連れ添った付き人は命を落とし、高価な天幕は朽ちてボロ布同然となり、道中不測の事態で旅の備品や商材の多くを失い、手持ちの保存食や香辛料は殆ど底を付いた結果。私に残された路銀と食い扶持は、見るも無残に痩せ細ってしまったからだ。
私の要請に対して流石に即答は得られなかったものの、恐らくは私が商人ユニオ・アーデムの身内である事も大いに寄与したであろう結果、アシモからの援助の了承はその後すんなりと得られた。但し、町に留まる間、私は臨時の職員として彼等の業務を手助けする条件が付け加えられたが。
そして其の日の晩。私とカトゥー、そして樽嬢は大山脈からの生還とアプリリスの町へ辿り着いた事を祝い、盛大に飲み明かす事にした。
私はユニオ・アーデムの倉庫番を言葉巧みに誑か・・いや誠意を尽くして説き伏せて手に入れた大量の干物や乾酪、そして酒壺を食卓へ陳列した。また、一体どのような手管で手に入れたのか、樽嬢が酒樽と思しき巨大な木樽を抱えて何処からともなく現れると、私達が宛がわれた部屋の真ん中へ無造作に据え置いた。すると、部屋の隅で背負い籠から干し肉を取り出していたカトゥーがまるで示し合わせた様に木樽に近付くと、目にも止まらぬ動きで樽の蓋に拳大の穴を開けた。
そうこうして饗宴の仕込みを迅速に済ませた私達は、歓喜の雄叫びと共に互いの拳を痺れる程に打ち合わせた。そして悪酔いが約束された安物の泥酒を溢れんばかりに注いだ超特大の酒壺を天に向かって掲げると、背を目一杯仰け反らせて身体ごと豪快に杯を傾けた。口の端から大量に零れ落ちる事なんぞ意に介さず、私達は大量の狂い水を一気呵成に喉奥に流し込んだ。
あぁ、美味いなあ。近頃はとんと口にしなくなった渋くて薄い安酒のハズなのに。其の味わいは他のどんな高級酒よりも深く心に染みた。
ユニオ・アーデムから供与された泥酒を盛大に喉を鳴らして流し込み、また食料を手当たり次第かっ喰らう樽嬢とカトゥーの姿は、あらゆる慎ましさだとか遠慮だとかを纏めて大山脈の魔素溜まりにでも投げ捨てたかのようだ。そして勿論、今の私はそんな二人と同類だ!
私達が人族の文明が齎した甘美な雫を大いに堪能していると。扉が開け放たれたままの部屋の前に時折ユニオ・アーデム職員が現れて、宴への参加を願い出た。当初は樽嬢がそんな彼等を
「コイツはアタイの酒だぞ。タダでお前等なんぞに飲ませてやる訳無えだろ。とっとと帰えんな!」
などと些か図々しい物言いで追い払って居たのだが。流石は商人ユニオ・アーデムの職員と言うべきか。程無く彼等はまるで示し合わせたかのように、今度は誰も彼もが手土産を持参して次々と私達の前に姿を現した。
そうなると我々には特に追い払う理由は無い。いや、本当は有るのかもしれないが、既に酒に狂い始めた私達は、差し出された魅力的な酒と酒肴に容易く目が眩んだ。
その結果。私達の宴には何時の間にやら数え切れない程のユニオ・アーデムの職員達が加わり、際限無く盛り上がっていった。もしや僻地である此の町の職員達は娯楽に飢えたり、或いは余程鬱憤が溜まって居たのだろうか。そしてカトゥーは陽気に笑いながら悪絡みして来た彼等を豪快に投げ飛ばし、何時の間にか下帯姿と化した樽嬢はカトゥーの背後から熱い抱擁を交わした。糞おぉ此の私を差し置いて仲良く乳繰り合いやがって。許せん!
御し難い怒りに我を忘れた私は邪魔な衣服を乱雑に脱ぎ捨てると、そのまま突進して樽嬢に飛び掛かった、ハズなのだが。 私の腕の中には、何故か樽嬢では無くカトゥーの姿が在った。・・・まあ良いか。私は心地良い酩酊感と得体の知れない衝動のままに、腕の中で藻掻く獲物の唇を奪おうと顔を寄せて。
・・・・私が断片的に覚えている記憶は其処までだ。
翌朝。まるで枯れ池の魚の様に死屍累々と転がる人々とその吐瀉物を含め、あらゆる物が散乱する混沌の極みと化した室内で、私は目が覚めた。目が覚めたのだが、同時に頭に重い鈍痛が襲い掛かり、まるで棍棒で際限無く殴られてるみたいだ。それに胸に込み上げる耐え難い不快感。もし起き上がれば、盛大に嘔吐するのは確実だ。更には妙に痛む右頬に手を当てると、何故かはち切れそうな位に酷く腫れ上がって居た。
私は全身の気怠さに身悶え、寝転がったまま僅かでも楽な体勢を模索しながら、今にも噴出しそうな吐瀉物を必死で押し戻す。そして頭だけを辛うじて動かして、惨状を呈する室内を見回してみた。しかし、視界に入るのは多種多様な体勢で呻き声を上げるユニオ・アーデムの職員ばかりで、カトゥーと樽嬢の姿は何処にも見当たらなかった。
その日の夜。結局何度も胃の内容物をぶちまけた末に辛うじて動けるまでに復調した私は、外出先から戻ったカトゥーに声を掛けられた。聞けば何やら相談事があるらしい。そんな彼の様子は普段とまるで変らない。改めて思うが、此の男の体は一体どういう構造をしているのだろうか。
私はユニオ・アーデムの客間の一室を借り受け、二人きりで向かい合った。
「あと何日か情報を集めたら、此の町を離れようと思ってる」
聞けばカトゥーは僅か数日の後、此の町から独りで旅立つつもりらしい。勿論、私達とは其処でお別れだ。
そうか。遂に、此の時が来たか。行商の旅には何時だって出会いと、そして別れは付き物だ。そう、其の事は充分に分かってはいたハズなのに。にも拘らず、酷い寂寥感が私の胸を苛んだ。
常識的に考えれば寂しさ云々以前に、街道を独りで旅するなどという無謀を全力で引き止めるべきなのだろうが、其の事に関しては口程に心配はして居ない。目の前の男には色々な意味で常識が通用しない上、只の街道があの大山脈より危険とはとても思えないからだ。
出立の旨を聞いた私はカトゥーに対して。此の先の出来る限りの助力を申し出た。直接耳にした訳では無いが、彼の胸の内に何らかの大望が有る事はとうに察して居る。例え微力であっても、そんな彼の一助に成りたい。それにあの迷宮の一件のみならず、僅かでもカトゥーと繋がって居たいという身勝手な想いも有った。
すると、カトゥーは酷く躊躇いながらも訥々と語り始めた。
聞けば何と彼は、情を交す女性を追い求めて遥々此処まで旅をして来たらしい。
想像を絶する彼の話を聞いて、私は笑った。腹を抱えて、笑った。込み上げる嬉しさと涙を誤魔化す為に、大笑いした。
面白い。そして素晴らしい。矢張りこの男は、とんでもない奴だ!
それに、嬉しいなぁ。私には行商人として相応の知見と伝手がある。其れならば僅かでも、大恩有る此の男に報いる事が出来るかも知れない。
しかし安易に人に頼る事を良しとしないカトゥーの性格を思えば、下手に女性を宛がうなどすれば却って気を悪くする見込みが高い。そこで私は、王都を目指すと語るカトゥーに対して、華と芸術の都としてエリスタルに名高いリュネサスの町を訪ねる事を勧めた。あの町ならば行き先は王都に近いし、何より美しい女性には事欠かない。カトゥーの努力と運次第で幾らでも望みが叶うだろう。かく言う私も、あの町では素晴らしい思い出が色々と・・。
私の提案を聞いたカトゥーは先程の恥じらう様子とは打って変わって、まるで大山脈の肉食獣の様に瞳を獰猛に輝かせ始めた。そして顔を私の至近距離まで寄せて来ると、更に詳しい説明を求めて来た。




