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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
245/267

(閑話8-8)

大山脈に踏み込んでから始めて体験する、名も知らぬ猛獣との血みどろの殺し合い。あの様な経験を経ても尚、私は心の何処かでカトゥーを信じていた。いや、甘く見ていた。雇い主で護衛対象でもある私に対して、幾らかは配慮してくれるだろうと。


結論を述べると、私の甘い見通しはとんでもない誤りであった。


少人数で道無き山岳地を這い進む私達の姿は、山中に棲息する飢えた獣や魔物共にとって格好の餌に映ったのだろう。私が初めて獲物を屠ったあの日を境に、私達は昼夜を問わず、立て続けに血に飢えた獣や魔物に襲われる事態に陥った。


カトゥーは一体何が嬉しいのか、時には満面の笑みで「ウヒョオタンパクシーだ!」「ベントゥーが来た!」などと意味不明な雄叫びを発すると、何の躊躇いも無く私を生死を懸けた闘争の矢面に叩き込んだ。猛然と襲い来る恐ろしい捕食者を前に、悠長に抗議の声を上げる猶予など与えられる筈も無く。私は今を生き延びる為に、文字通り死に物狂いで凄惨な殺し合いに身を投じた。


カトゥーは私に説く。魔物や獣と戦う際は、闇雲に攻めるのではなく常に頭を回せと。相手の力量を測る目付に始まり、彼我の立ち位置、互いの武器、周囲の地形、身に付けた経験と知識。知恵を絞り、手札を活用し、僅かでも相手より己が優位となる立ち回りを模索する。カトゥーの言に拠れば、そうでもしなければ人族の脆弱な膂力と身体能力では、野生の魔物や獣には到底敵わないのだそうだ。


いや、だけど君。さっき魔物を正面から殴り殺してたよね。殴られた魔物は頭が陥没して目が飛び出して、とても酷い有様だったけど。


私がカトゥーに対して素直に疑問を訊ねてみると、俺は鍛えてるからなとあっさりと返された。あの遣り方はおっちゃんには未だ早い、とも。えぇ・・私も何れあんな真似が出来てしまうのだろうか。何れにせよ未熟な今の私には、戦いの最中に思考を巡らせる事すら出来る気がしないが。


そんな未熟者の私は、戦いの後には何時だって血塗れで青息吐息の有様だ。いや、寧ろカトゥーがそう仕向けてると疑ってしまう程に、生きて居るのが不思議な位の際どい死闘ばかりだ。カトゥーには口外して無いが、私とて年の功と言うべきか、多少なりとも剣の心得は有る。よもや其の事も彼に見透かされて居るのだろうか。


カトゥーは身体の激しい痛みと疲労に喘ぐ私の防寒着を手早く剥ぎ取ると、身体に刻まれた外傷を湧水の魔法で綺麗に洗い流し、凍えない様にボロ布で水滴を丁寧に拭き取った。そして、傷口に故郷の秘伝と称する薬を塗りたくる。そういえば、何時からかカトゥーの湧水の魔法は水では無く温い湯に変わって居たが、一体どうやっているのだろうか。湧水は広く名の知れた魔法だが、湯が湧き出るなど聞いた事が無いのだが。


其の事はさておき。一通り傷の手当を終えたら、今度は仕留めた獲物の解体だ。カトゥーは私と樽嬢にもやらせる腹積りなのか、血抜き、切開、内臓の除去、皮剥ぎの一連の流れを丁寧に教えてくれた。


カトゥーが執り行う恐ろしく手際の良い解体が終われば、お次は夕食を兼ねた反省会だ。私の戦いの後には毎回必ず行われる。私達は竈を囲んで対話形式で狩りの際に露呈した問題点や反省点を列挙し、解決策が明示されるまで論じ合った。


唯でさえ険しい山岳行は激しく疲弊する上に、更に苛酷な戦闘迄こなした日の私は、文字通り精魂尽き果ててしまう。反省会と夕食の後始末を終えた後。天幕の中に滑り込んだ私は、即座に泥沼に沈む様な深い眠りに落ちた。最早夢を見る余裕など砂粒程も有りはしない。気付けば天幕の隙間から、明るい光が差し込んでいた。


朝、身を起こすと、私の身体は極めて快調だった。あれ程深く身体を蝕んでいた疲労と痛みは、僅か一晩で綺麗に無くなっていた。カトゥーに塗布して貰った謎の薬は、不気味な位の効き目である。正直に言えば、何らかの重い副作用が有るのではと疑ってしまいそうだ。尤も、現状では幾ら疑った所でどうしようも無いのだが。



____あれから私達は、何度魔物や獣の襲撃を受けたのだろう。


何度も何度も何度もカトゥーに嗾けられ、時には昼夜を問わず野生の獣共と血みどろの殺し合いを続ける内に、何時しか私は・・。我が事ながら空恐ろしく感じてしまうが、私は今の過酷で凄惨な状況に順応し始めた。其の事は大山脈の中で幾つもの峻厳な断崖や極寒の氷原を踏破した結果、生死の際で叩かれ続け、鍛え上げられた心身と決して無関係では無いだろう。


最早見慣れた魔物の襲撃程度では浮足立つ事すら無くなり、剥き身の私の身体には余す所無く無数の傷跡が刻み込まれ、さながら歴戦の戦士の様相を呈し始めた。


只し、野生の敵から何度も攻撃を受け、しかも血液を含めあらゆる体液を浴び続けた私の防寒着は、凄まじい勢いで朽ち果てつつある。本来ならばカトゥーの湧水の魔法で洗浄して貰いたい所なのだが、以前より幾分寒さが弱まったとは言え、夜間ともなれば凍結してしまうので本格的に洗浄する事も叶わず。程無く私の身体は、鼻孔が腐り落ちそうな凄まじい異臭を漂わせ始めた。尤も、私の嗅覚は早々に麻痺したので殆ど支障を感じ無かったが。


その後も危険に満ちた大山脈越えの旅を続けた私達は、遂に此の地に生息する蛮族の姿を視界に捉えた。隊商と逸れたあの日から、随分と遠くまで来たものだ。


蛮族と言えば、私は少なからず思う所が有る。殺されてしまった大切な付き人の仇を討ちたいという強い思いも有る。そこでカトゥーに対して、速やかに背後から奴等の首を刎ねる事を申し出た。だが意外な事に、カトゥーは奴等の方を見たまま私の具申を退けた。理由を聞けば下手に殺して恨みを買えば、後で厄介な事態に陥りかねないと言う。彼にしては随分と腑抜けた見解だな。ひと思いに叩き斬って魔素溜まりにでも捨ててしまえば、余計な後腐れなど無かろうに。


とは言え、此の場では私などより遥かに腕利きのカトゥーの意見を優先すべきだろう。そして結局、カトゥーは蛮族を襲撃して身包みを剥ぎ取る意向を示した。勿論、其の判断は私としても望む所だ。


カトゥーは私と樽嬢に予め示し合わせてあった襲撃の手順の一つを小声で告げると、音も無く私達の前から姿を消した。ほんの今の瞬間迄、確かに彼の背中が目の前に有った筈なのに。気付けば存在自体が幻であったかの様に、其の姿は最早何処にも見受けられない。思わず背筋が寒くなる程に、姿と気配を消す手並みが余りに巧妙過ぎる。


私と樽嬢が囮となり、二人の蛮族はカトゥーの手であっさりと仕留められた。鮮やかな瞬殺劇である。とは言え、息の根を止めてはいない模様だ。早速倒れ伏す蛮族の傍に近付いて眺めて見れば、目に飛び込んで来たのは奴等が身に纏う何とも素晴らしい毛皮と着衣だ。此れを剥ぎ取らない選択肢は有り得ない。私の着衣は最早服とは呼べぬ程に汚物に塗れ、しかも補修の為に継ぎ接ぎを重ねに重ねて尚、ボロボロに朽ち果て掛けているのだ。


私は蛮族から手早く衣服と毛皮を剥ぎ取ると、早速自らの身に纏ってみた。実に温かく、着心地も良好だ。何より猛烈な異臭が鼻や目を刺す事が無い。素晴らし過ぎる。また、全裸で横たわる蛮族の姿に僅かばかりの憐れみを感じた私は、脱ぎ捨てたボロ布を男に着せてやった。此れで少なくとも、直ぐに寒さで死ぬ事はあるまい。


そして奪い取った衣類の他に一つ。私達にとって、想定外に嬉しい収穫が有った。どうやら私達に倒された蛮族共は、此の場所で岩塩を採取していた模様だ。人族は塩を口にせねば、長くは生きられない。その為、長旅に塩の携行は必須である。それに万が一身銭を失った場合でも、手持ちの塩を売却すれば間に合わせの金子を得る事も可能だ。私は小躍りしながら、貴重な岩塩を詰められるだけ荷袋に詰め込んだ。


東へ、更に東へ。


歩みを進める私達は、殺風景な岩石地帯を乗り越えて、遂に森林地帯へと足を踏み入れた。此処迄来れば猛吹雪や雪崩に飲み込まれたり、暗い氷の裂け目に落ちる心配は無いのかも知れない。しかし相変わらず足元の地形は劣悪で、しかも行く手の到る所に水流が現れ、何度も迂回を余儀無くされた。更には視界が悪い為、道迷いの危険が跳ね上がる。加えて危険な魔物や獣共が、常に物陰から私達を付け狙う。


大山脈を抜けない限り落命の危機は常に身の回りに付き纏い、決して私達を解放してくれる事は無さそうだ。


森林地帯に深く踏み込むに従って、私達が遭遇する魔物や獣共は目に見えて強さと凶悪さを増して来た。にも拘らず、カトゥーはいよいよ私を戦いの先頭に押し立て、化け物共との殺し合いは私にとって益々危機的な状況と化した。連日余りの苦痛と恐怖に精神を苛まれ、その上何度か恐ろしい魔物に危うく喰われ掛けた私は、遂には恥も外聞も投げ捨てて泣き喚き、カトゥーに取り縋って助けを請うた。


「ではあと5匹だ。5匹だけ頑張ろう。おっちゃんが独りで獲物をあと5匹仕留められたら、その時は俺と 交代しよう。それで良いか?」


カトゥーは真摯な表情で私の肩に手を置くと、普段は余り発しない優しい声色で私に交代の条件を告げた。私は彼の申し出に承諾し、首を縦に振った。其れが恐るべき罠とも知らずに。


其れからのカトゥーは、私が魔物を仕留めようとする度に、必ず横槍を入れて来る様に成った。どれ程距離を開けようが、どれ程周到に隠れようが、カトゥーは気付けば私の背後や傍に立ち、私が単身で敵に止めを刺すのを阻止した。しかもカトゥーは連日の戦闘で満身創痍な私に対して、彼が毎日欠かさず遂行する奇妙な肉体の鍛錬を、私も一緒に行うよう半ば強引に勧めて来た。


此処に至り、重い眩暈と絶望感を経て、私は遂に腹を括った。恐らくカトゥーはどんな手段を用いようが、どれ程私が泣き言を上げようが、委細構わず何が何でも私を鍛え上げるつもりの様だ。そして此処は、死と隣り合わせな大山脈の真っ只中である。最早私には、安穏とした逃げ場など何処にも無いのだ。


私とて苛酷な経験を積み重ねた熟練の行商人であり、それに一端の男だ。何時までも癇癪を起した幼子の様に泣き喚くのを止め、覚悟を決めよう。そしてあの常軌を逸した若者に、我が身を委ねて見せよう。とにかく足掻いて足掻いて喰らい付いて、鍛錬と称したあのナニカを乗り越えねば、此の先私に生き延びる道は無い。


其れからの私は、旅を続けながらもまるで神話の悪神に取り憑かれたかの如く、目の前の魔物や獣を殺して殺して殺し尽くした。そしてカトゥーの指導の下、来る日も来る日も気が狂った様に己の肉体を虐め抜いた。


鍛錬の最中、私はカトゥーに何度も何度も殴られた。彼は私がどれ程失敗をしても、例え其れが原因で己が命の危機に陥っても、「偶にはそんなことも有るだろう」と苦笑いをして気にも留めなかった。しかし私が鍛錬でほんの僅かでも手を抜こうものなら、「手ぇ抜いてんじゃねえ!」と怒声と共に即座に拳や蹴りが飛んで来た。一体どうして見抜かれるのか。疲労困憊な私がどれ程隠れて手を抜いても、カトゥーには何時だって必ず見破られた。尻を蹴り飛ばされた私が堪らずカトゥーに抗議すると、


「実戦じゃ、敵は砂粒程の容赦もしてはくれない。常日頃から鍛錬で手を抜く事は 本番で意図せず緩む事に繋がる。其れはまた、おっちゃんの死へと繋がるのだ。だから俺は おっちゃんが手を抜く事を許さない」


厳しい表情のカトゥーの言葉に、私は何も言い返せなかった。血みどろの鍛錬を経て、私は少しばかり強くなったと思い上がって居た。しかし、未だ私の心の底には不甲斐無い甘えが残って居たのだろう。私は其の日を境に、気持ちを引き締め直して全力で苛烈な鍛錬に取り組んだ。


そんなある時。カトゥーは立ち木から削り出した、野太い木剣を新たな得物として私に手渡してくれた。私は木製品に関しては建材位しか知識は無いものの、生木の木剣では強度に不安が有る事と、何れ歪んだり割れたりしないか心配になってカトゥーに大丈夫かどうか訊ねてみた。カトゥーは数瞬虚を突かれた様子を見せたが、何度か試し打ちをしてみてもし割れたり折れりしたら、再度削り出す事を請け負ってくれた。



____私達が大山脈の森林地帯に足を踏み入れてから、何日もの時が流れた。そして私達は遂に、深く危険な森を抜けて目新しい拓けた場所へと辿り着いた。私達は遂に、遂にあの凄まじい大山脈を踏み越える事を成し遂げたのだ。


とは言え、今私達が居る場所が果たして何処なのか。当初の隊商団の目的地であったアプリリスの町は一体何処なのか。まるで定かでは無い。しかも、此処まで来てモ・ジャが目に見えて衰弱して見えるのが非常に気掛かりだ。


そんな折、私達は我が同輩である、商人ユニオ・アーデムに所属する行商人の一団と行き合う幸運に恵まれた。互いに顔を合わせた当初は多少の諍いが起きたものの、私の認識票を提示してどうにか彼等と打ち解ける事に成功した。その結果、私達は漸く今居る場所に加え、アプリリスの町へと至る街道の場所を教えて貰う事が出来た。


其れから更に、昼夜を十数える程に旅を続けた私達は、遂に本来の目的地であるアプリリスの町へと辿り着いた。

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