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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
244/267

(閑話8-7)

私達は、謎の迷宮の内部・・いや、此の場を迷宮と呼ぶのは果たして相応しいのだろうか。果てし無く広がる、見知らぬ大地を歩いて居る。嘗て異なる迷宮で似た経験の有る私は素直に受け入れる事が出来るものの、余人にとっては余りに非現実な光景であろう。


私達は結局、神々の迷宮と思しき正体不明な迷宮の内部へと再び足を踏み入れた。当初カトゥーと樽嬢は、此の迷宮の探索に乗り気では無かった。かく言う私も明らかな準備不足の懸念と今目指すべきは生きて大山脈を越える事であるとの思いから、探索は時期尚早と判断した。


しかし、私達が悪天候から避難した迷宮の入口とも言うべき洞窟の外は、変わらぬ猛吹雪で当分収まる気配が無かった為、三人での話し合いの結果、食料探しを兼ねて幾らか迷宮を探索する事に決めたのだ。


迷宮の出入口である古ぼけた遺跡を離れると、行く手には奇妙な白い草原が何処までも拡がっていた。起伏の無い平らな地面は墜落死の恐怖に心身を苛まれる事は無く、歩行を阻む深い雪や恐ろしい雪崩や落石、そして身体を叩く強風とも無縁だ。


しかし大山脈と同様、或いはそれ以上に此処は妙に息が苦しく、歩くだけで呼吸が乱れる。そして不気味な日が落ちると異常な寒さに見舞われる。更には出入口の遺跡の他に目印が何も無い為、道迷いの危険が有る。先へ進むにれて見た目とは裏腹に、容易な環境では無いと直ぐに思い知らされた。


只幸い、生い茂る白い草がモ・ジャの食料に成りそうなので非常に有り難い。私達は時折道筋の目印代わりに草を刈り、束ねてモ・ジャの背に積み上げた。


その後も私達は目標も定まらぬまま真っ直ぐに歩き続けるも、周りの景色は白い草原のまま、他に何も見付ける事は叶わなかった。カトゥーは落胆した様子だったが、神々の迷宮であれば何ら不思議な事では無いだろう。逆に言えば未だ危険な罠の痕跡すら見えず、魔物や獣の襲撃も無いので、探索が容易な迷宮とも言える。とは言え、準備不足な私達が余り深入りするのは憚られるので、頃合いを見て引き返そうと話していた矢先。


私達は、奇妙な場所に辿り着いた。


只、場所と言っても特に何かが有る訳で無い。一見、今迄と変わらぬ景色が拡がって居るだけである。しかし其処には目視する事も、触れる事も出来ないにも拘らず、どうあっても通り抜ける事が出来ない人知を超えた境界が確かに存在した。


此の特異な境界は、神々の迷宮で見られる稀有な現象の一つである。今迄何度も耳にした事が有る上、私自身も嘗て迷宮『果て無き聖堂』で体験した事も有る。結局此処に至るまで草原以外に何も見出す事は叶わなかったが、特異な()を確認した事で、此処が未発見の神々の迷宮である事を確信する事が出来たのは一つの大きな収穫だろう。


そして結局、私達は其の場で暫くの間休息を取った後、迷宮の出入口へ引き返す事にしたのだが。


休息の間、暇を持て余したのか不可視の壁に向けて石を投げて遊んで居たカトゥーに対して、私はそろそろ出発しようと声を掛けた。彼は一つ頷くと、最後に手に取った石を壁に向けて放り投げた。すると、その時。


決して通り抜けない筈の石礫が、境界の更に奥へと飛び去って行った。


「・・・・」


「・・・・」


我が目を疑ったまま、私はカトゥーに石礫を差し出した。


カトゥーは無言で受け取った石礫を、矢継ぎ早に投擲した。力強く放たれた石礫は迷宮の境界に触れると次々と地面に落ちたのだが。唯一か所だけ、石礫が境界を抜けて飛んでゆく空間が確かに存在した。


此れは、一体何なのだろう。もしや迷宮の罠なのか、実は此処は境界では無いとか・・・いやしかし、気位の高い神々の罠にしては余りに杜撰過ぎるし、こんな何も無い場所に偽の壁を創る意味が有るとも思えない。


「アソコだけ境界の壁が 綻んでないか」


するとカトゥーは石礫が取り抜けた箇所を指差し、動揺する私の耳元で囁いた。


えぇ・・神々が創造した迷宮の壁が?いやいやまさか。出来損ないな吟遊詩人の創作じゃあるまいし。一度たりとも聞いた事無いぞそんな話・・・・いや、でも遺跡の状態を見る限り修復の手が入った様子が無いし、神話の時代からどれ程永い時が流れたかを考えれば・・有り得なくも、無いのか?


私は何処までも拡がる現実離れした景色へと、改めて目を向けた。


「もし、もしもですよ。もし我々があの向こう側に行ったのなら、一体何処まで辿り着けるのでしょうか」


その刹那。脳裏に浮かんだのは、かの伝説。世界の果てで、我が敬愛するデュモクレトスが最後に身を投じたと謳われる、異界への扉。もしも此の先が、伝説と同じく誰も見た事の無い世界だとしたら。あの境界を踏み越えれば、私も。


全身に甘美な怖気が走り、胸が痛い程、高鳴る。


私は思わず隣に立つカトゥーへと顔を向けた。すると、丁度此方に向き直った彼と目が合った。そんなカトゥーの表情には、何とも言えぬ複雑な感情が浮かんで居た。彼もまた、私と同じ想いなのだろうか。


が、しかし。私を真っ直ぐに見据える彼の瞳は、昂る私とは対照的に酷く醒めて見えた。そして同時に、私の感情も急速に冷えてゆくのが分かった。


「・・・帰りましょうか」


「・・・そうだな」


改めて考えてみれば、もしあの境界を越えてしまったら、再び此の場所に戻って来られる保障など何処にも無い。カトゥーが懸念する通りだ。・・・危なかった。もし私独りなら先程胸に込み上げた異様な高揚感に突き動かされて、あの危うい境界を躊躇い無く踏み越えてしまったかも知れない。


私は心の片隅にこびり付いた未練を頭を振って追い払うと、目に映らない迷宮の境界に背を向けた。それにしてもカトゥーよ。君は炊事場でチーチクの糞を見付ける様な気安さで、とんでもない代物を次々発見するのを止めてくれないか。驚き過ぎて年嵩のくたびれた心臓が持たないよ。



____迷宮から大山脈の元の洞窟へと帰還した私達は、改めて東に向けて旅を続ける事に成った。遺跡の階段を降りて洞窟へと戻った時には、私は安堵のせいか思わず其の場に座り込んでしまった。あの異常過ぎる状況の中で、自分で思った以上に心労が蓄積していたのかも知れない。


そして其の日から私は、迷宮の所在地を明らかにする為、暇を見ては星と太陽の位置、そして周囲の地形を詳細に記録する事にした。


其れからの私達は、恐るべき山岳行で幾度と無く生死の際に立たされた。其れは強靭な精神力と身体能力を誇るカトゥーですら例外では無く。特に彼が落雷の直撃を受けた際は、全身の血が凍り付きそうな恐怖と共に、正直もう助かる見込みは無いとさえ思ったものだ。


気が狂いそうな轟音と閃光に晒された直後。顔面の穴と言う穴から鮮血を垂れ流しながら、まるで死者の様な拙い動きで断崖絶壁を這い戻るカトゥー目の当たりにした私と樽嬢は、吹き荒れる暴風と氷塊や、周囲を奔る雷撃に構う事無く岩壁に飛び付いて二人掛かりで彼の身体を抱き抱えると、渾身の力で岩陰へと引っ張り込んだ。激痛に苦しみ悶える彼の身体は、凄まじい火傷で見るも無残に焼け爛れていた。


ところが岩陰で二日も安静にすると、カトゥーは何事も無かったかのように起き上がり、天候が回復したので出発すると宣言した。彼の回復力は正直とても人族とは思えなかったが、カトゥーの話に拠れば、彼の故郷に伝わる秘薬のお陰らしい。


秘薬、か。成る程。例えば薬師ユニオ・アーデムが製造、販売を独占する一握りの万能薬ならば、摂取するか或いは患部に塗布すれば深い外傷はおろか、一晩で骨折すら治癒する事が可能だ。しかしカトゥーが所持する秘薬に匹敵する程効能が高い薬の場合、希少な上に恐ろしく高額な筈だ。率直に言えばその製法、カトゥーが難色を示さないのであれば、是非とも知りたい。なので試しにカトゥーに訊ねてみたところ、それじゃ秘薬と言えないだろうと笑って断られてしまった。


窮地に立たされたのは、勿論カトゥーだけでは無い。私と樽嬢もカトゥー以上に何度も落命の危機に直面した。そして更には余りに苛酷な環境故か、頻繁に体調が悪化して真面に動けなくなった。しかし身体が環境に慣れたのか、そんな時でも一晩ゆっくり休めば、不思議と身体に活力が戻って来た。


迷宮の洞窟を出立してから果たして何日が経っただろうか。余りに苛酷過ぎる環境故か、蛮族どころか野生の魔物や獣の影すら見えぬ極寒と白銀が織り成す世界を踏破した私達は、遂に野生の魔物に襲われる領域に足を踏み入れた。こう言ってしまうのは随分と可笑しな事なのかも知れないが、久方振りに襲い来る魔物の姿を目撃した私は心底安堵し、先行きへの期待で胸が高鳴った。其れ迄は目に映る動く代物と言えば雪と氷だけの、文字通り生ける者の無い世界だったからだ。


そんな折、カトゥーから私達に対して一つの提案が有った。


彼は今後の事を踏まえ、私に少しでも自衛の力を身に付けて欲しいと述べた。そこで私に、今後は積極的に魔物や獣を狩る事を勧めて来た。まるで虫一匹殺さぬような、陽気な澄まし顔で。勿論、私に狩りを任せる魔物は取捨選択する上、危険と判断すればカトゥーが充分な力添えをするという条件でだ。


私は今に致るまで、只カトゥーに助けられてばかりであった己の不甲斐無さに色々と思う所が有った。その為、彼の申し出を二つ返事で受け入れた。受け入れてしまった。しかし其の瞬間こそが、カトゥーによる余りにも常軌を逸した、凄惨で血生臭い鍛錬の始まりであった。



ガガッウウッガガッ


「ハッ ハヒッ ハッヒイッ!」


血生臭い吐息が顔に襲い掛かる。


視界は赤く染まり、もう何処をどう怪我したのかも分からない。


ハッ ハッ ハアッ


仰向けの、私。目の前に、獣の顔。後ろに、空。


「アアアアッ!」


牙が、来るっ。手を振る。滅茶苦茶に、振る。来るな。来るな!アアッ!


「おっちゃん、落ち着け。昨日までの訓練を 思い出すんだ」


場違いな、平坦な声。頭が灼熱する。何で、誰も、助けてくれない!


「オイッカトゥー!早く止めろっ幾ら何でもやり過ぎだ!」


そうだ、止めてくれ!早くっ!アアッ痛い痛いっ放せ、糞ぉ!


「実戦訓練だ。今止めたら 意味が無い」


ふさけるな!ふさけるな!殺す気か!


「今だ、教えた通り 抱き付け」


「ガァアアッ!」


死にたくない!考えるより、カラダが動いた。思い切りしがみ付く。暴れる。暴れる。暴れる。絶対に、放すものか。


「良し。そのまま頭を抱え込め。好きなだけ暴れさせて、体力を消耗させろ」


グルルルルッグウウッ


「フーッ!フーッ!フーッ!フー!」


腕の中で、少しづつ、藻掻く力が失われてゆく。でも腕に力が、入らない。あと少し。あと少し。あと、


グウウウウッオッ!


がっ!あっ!?手が外れっ喰われ


目の前に、開かれた口。嫌だっ。咄嗟に、ボロ布が巻かれた手を捻じ込む。


ゴモ゛モ゛ッ


「いいぞ。教わった通り頭を押さえて、もっと捻じ込め。そのまま窒息させろ」


「フグー!フグー!フーッ!」


そして腕の中の生命から力が抜け落ちた直後、私は意識を失った。





目を開くと、見慣れた天幕の補修跡が目に留まった。


私はゆっくりと上半身を起こすと、全身に鈍痛が走った。身体に目を落とせば、案の定全身傷だらけ・・なのだが。全身を染めた鮮血は綺麗に洗い落とされ、既に出血は止まっていた。しかも刻まれた幾つもの傷は、早くも塞がり掛けている。記憶が確かならば、かなりの深手も負ったハズなのだが。例の、カトゥーが所持する秘薬の効能なのだろうか。


そのカトゥーの顔を思い出したら、激しい怒りで吐息が震えた。何故、あの男は助けてくれなかった!どう考えてもナイフを失った時点で、止めるべきだった。アイツは私を殺す気か!


激高した私は天幕を飛び出すと、人の声がする方へと突進した。すると。


「おっちゃん!やっと目を覚ましたか」


「ゲハハッ。良い所で目を覚ましやがったな。丁度今、焼ける所さね」


其処には護衛の二人が肉の焼ける香りを漂わせる竈を囲み、そして其の内の一人であるカトゥーが普段は見せない人好きのする笑顔で、私に向かって手を振っていた。


「おっちゃん。やったな。こいつはおっちゃんが 初めて仕留めた記念の獲物だ。初めてにしては 良い腕前だったぞ」


「この野郎、モックの旦那が起きて来るまで絶対に手を付けるなって煩えんだよ。早く一緒に食おうぜ」


そんな二人を見て。私の取るに足りない怒りは瞬く間に、空の彼方へと消え去ってしまった。


「ハハハッお待たせしてしまって申し訳ない。さあ、一緒に食べましょう」


私は全身の痛みと着衣を身に纏って居ない事も忘れて、二人の元へ駆け寄った。

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途中から笑いが止まらなかったです。
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