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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
240/267

(閑話8-3)

「代わりの護衛の人、来たよ」


付き人の声を耳にした私が視線だけで背後を一瞥すると、其処に佇んで居たのは一人の少年、いや少年と見紛う程に年若く見える男であった。


そして其の姿を視界の端に入れた私が抱いた最初の印象は、何とも貧相な小僧だな・・という中々に辛辣な感想であった。


幾ら人手が足りないとは言え、随分と半端な人員を寄越してくれたものだ。私は心中苦々しく思った。先程受けた護衛の配置換えの説明に拠れば、男は隊商を護衛する狩人達の一員として、駆け込みで単身雇われた者だそうだ。


ユニオ・アーデムの狩人達は危険と隣り合わせな職業柄、見るからに屈強な体躯を誇る者が多い。しかし其れと比べて目の前の男の体格は、行商人の私にすら及ばない様に見える。尤も、一口に狩人ユニオ・アーデムと言っても其の内実には様々な業態が有り、必ずしも屈強な肉体が不可欠な訳ではない。例えば斥候に従事する者は、短駆や女性も多いと聞く。


とは言え、男の現在の肩書は我々隊商の護衛である。其の事を考慮すると、矢張り其の見た目は貧相と思わざる得ないだろう。しかも仮に斥候であるにせよ、男は背に飾り気は無いが矢鱈と目を引く長大な武具を担いで居る。なので到底真面に役目をこなせるとは思えない。それにどうにも不相応に見える得物を誇示する辺り、何処ぞの僻地の集落等から出て来たばかりの、思い上がった身の程知らずの類に見えてしまう。無論、そういった手合いは早々に苛酷な現実を思い知らされ、後悔と共に息絶える事に成るのだが。


と、其の外見から得られた情報だけならば、私は彼の事を完全に侮ってしまったかも知れない。しかしながら、私は既に彼が湧水の魔法の使い手だと知らされて居た。なので例え護衛としての実力は期待出来無くとも、我々の隊商団の貴重な給水役の一人として活躍が期待出来る事は承知していた。実際に隊商団の纏め役が彼を雇い入れたのは、その為であるだろうし。


かような次第で彼の姿を一瞥した私は束の間、苦々しい気分となったが、直ぐに気を取り直した。身辺の守りが手薄になるのは少なからず不安だが、代価として優先的に水が確保出来るのであれば、それ程悪く無い取引なのかも知れない。


私は新たな役畜となったモシャスの体毛を毛払いで整えていた手を止めると、泰然とした姿勢を誇示する為に敢えてゆったりした振る舞いで背後を振り返り、妙に起伏の薄い特徴的な顔に向けて自己紹介をした。


「我々の為に来て頂いて有難うございます。私はモック・キャパ。見ての通り、しがない行商人をやっております。以後お見知りおきを」


そして丁寧に一礼をする。


「俺はカトゥー。狩人ギルドに所属している。話は既に聞いているだろうが、死んだ護衛の後任として 此処に来た。以後宜しく頼む」


すると男は若輩な容貌にそぐわない、素っ気無い口調で私の自己紹介に応じた。


「此方こそ、宜しくお願いします」


私は男に手を差し出し、そして互いの手を握り合った。


男は戦傷の一つも見受けられ無い小綺麗な面差しをしていたが、握った手の皮は厚く、妙に厳つく感じられた。未だ駆け出し同然の狩人に見えるが、もしや幾らかは鍛錬を積んで居るのだろうか。


念の為、軽く探りを入れてみると。カトゥーと名乗った若者は分かり易く狼狽えながら、呆気無く其の余りにお粗末な経歴を暴露した。


「ではカトゥー殿。改めて、我々の警護を宜しくお願いします」


今更声高に不満を訴えた所で、一度取り決められた配置を覆す事は難しいだろう。私は内心深く嘆息しつつも、落胆を表に出さない様細心の注意を払いながら、改めて目の前の若造に我々の護衛を依頼した。


「おうおうおうっ モック・キャパの隊商の天幕は此処かい?」


するとその直後。やけに耳に残る胴間声と共に、今度は武装した一人の女が現れた。そしてその姿を目の当たりにした私の口は、我知らず綻んでしまった。


彼女こそが、故人の穴埋めとして我々の元に来てくれたもう一人の護衛であろう。その身にまるで酒樽の様な珍しい形状の鎧を身に纏い、豪快に笑う姿は其の優れた体躯も相まって、女性ながら腕利きの狩人としての風格を感じさせる。少々我が強過ぎる様にも見受けられるが、其のふてぶてしい佇まいは、矮躯の若造よりも余程頼もしく見えた。


更に加えるならば我々商人、特に行商人には古くから豊かさと強い生命力の象徴として、枯れ木の様な貧相な女よりもより良い体格の女性を好む慣習がある。其の事も私が追って姿を見せた彼女を高く評価し、思わず顔が綻んでしまったのに一役買ったのかも知れない。


「てな訳で、アタイの事も宜しくなっ」


不意に現れた彼女を前に余計な気を回したのか、断り無く私の前に立ち塞がったカトゥーの背中を軽く押し退けると、私は自己紹介を済ませた彼女と互いの手を固く握り合った。


新たな護衛達と合流した其の晩、私達は設営した天幕の中で一緒に就寝した。


その際、新しい護衛の二人は事も無げに寝入ってしまったのだが、不安は無いのだろうか。蛮族共の襲撃を受けて間も無いと言うのに。それに、護衛の務めに従事しなくて良いのだろうか。亡くなった護衛の二人は毎晩交代で見張りをして居たのだが。


まあ二人共躊躇無く私の天幕に潜り込んで来たし、何かしら考えがあるのだろう。夜闇の中、私は急速に冷え込む山の外気を感じながら、瞼を閉じた。


翌日からの我々の旅は順調に推移した。勿論、険しい山道を歩き続けるのは非常に苛酷ではあるが、其れは事前に想定していた事だ。それに年嵩とは言え、私は行商人として身体はそれなりに鍛え込んでいるし、隘路の歩き方も長年の経験に拠り心得ている。


ふと見ればカトゥーは退屈なのか道端の石を拾っては、手慰みに遊んで居る様子だ。若さ故か体力が有り余るのは結構な事だが、彼は果たして真面に護衛の役割を果たす気は有るのだろうか。


まあカトゥーの事はさておき。此処暫くの間は不測の事態が起きる事も無く、此のまま何事も無く大山脈を抜けられれば・・と思った矢先。我々の旅の行く末に、俄かに暗雲が立ち込め始めた。


隊列を組んで順調に歩き続けて居た我々隊商団の何名かが急な体調不良を訴え、その内の一名が完全に動けなくなってしまったのだ。その原因は厳しい環境のせいか、蓄積した疲労によるものか、或いは神々の呪いに拠るものか。定かでは無いが、特に神々の呪いは恐ろしい。大山脈で神々の不興を買った者は、つい先程迄元気だったにも拘らず突如動けなくなり、そしてコロリと死んでしまうと伝え聞く。


其の逸話の中でも特に恐ろしいのは、どれ程屈強な者であっても呪いは委細構わず身体を蝕むという事だ。そして今は護衛の纏め役である、4級狩人の頭目の体調が思わしくないと耳にしたのが非常に気掛かりだ。彼は隊商団の中で最も頑強な肉体を誇っていたハズなのに。


とは言え、大山脈越えの際に神々の呪いが降りかかる事は、ある程度は織り込み済みだ。それに、膨大な労と路銀を費やして此処まで来た以上、今更安易に引き返す訳にもいかない。我々は休息がてら神々の不興を鎮めるべく簡易な祈祷を行うと、動けなくなった不運な者を残してその場を後にした。



「おおいカトゥー君、今日は此の辺りにしようか」


「うむ、分かった」


天幕を張るのに具合の良さそうな場所を見定めた私は、護衛のカトゥーに一声掛けた。すると、カトゥーは手際良く天幕の設営を始めた。


護衛の仕事に関しては常時怠けがちなカトゥーだが、其の事を除けばとても気が利くし、良く働く若者だ。それに此処数日の間に多くの言葉を交わして、彼がとても気の良い若者である事が分かった。


そんなカトゥーだが、先日倒れて隊商団から落伍した者がどうやら彼の知己だったらしく、何処となく悄然とした様子であった。そこで、私は仕込んだまま開封する事無くずっと温めていた秘蔵の食材を、思い切って彼に提供する事に決めた。其の理由は元気が無いカトゥーを励ます為なのだが、お互い更に打ち解ける事で、有事の際により献身的に働いて貰おうとの打算もある。


日課となったモシャスの毛繕いを終えた私は、カトゥーに具合の良い石を運んで貰い、即席の竈の隣に二つ目の竈を拵えた。そして竈の上に平らな焼き石を乗せる。


其の後、隊商団で分配された味気無い夕食を摂取した私は、カトゥーに密かに水の提供を依頼した。すると彼は嫌な顔一つ見せず、二つ返事で引き受けてくれた。隊商団に相当な量の水を提供して尚、湧水の魔法を行使する余裕が有る彼は、単に希少な湧水の魔法の使い手と言うだけで無く、非常に優れた魔術師である事が伺える。其の容貌は全くそうは見え無いが。


「ふふふ、これは若いリュティルクの牝。其の背肉を私が調合した香辛料に漬け込んだ、特別な肉です」


私は己の荷の奥から、たっぷりと熟成させた秘蔵の食材を取り出した。


人里から遠く離れた渓谷の奥深くに生息するリュティルクは非情に臆病な動物で、特に若い牝ともなると、熟達の狩人ですら滅多にお目に掛る事は出来ない。そして其の肉、特にたっぷりと脂が乗った三枚肉と背肉は、まるで溶ける様にまろやかな口当たりで、かつ重厚で刺激的な旨味が口腔内に止め処無く滲み出る超高級食材だ。


そして私はそんな高級食材を、長年の研究と試行錯誤の末に産み出した四十種を超える食材や香草、そして香辛料から成る蠱惑の調味料に十全に漬け込む事で、防腐と併せて更に途轍もない旨味を絞り出す事に成功した。しかも限界を越えて引き出された肉と調味料の旨味を、過不足無く調和せしむる事を成し遂げた至高の一品である。


充分に加熱した石の上に薄く油を引いて秘蔵の肉を乗せると、食欲を唆る香りが周囲に漂い始める。すると、突如カトゥーは猛然と立ち上がって、隣に座る私の付き人を撥ね飛ばした。そしてまるで濃厚な香りに操られるかの様に、二本の棒で焼き色の付いた肉を巧みに挟み込んで、口の中に招き入れた。


するとカトゥーは無言で夜空を見上げ、そして其の鼻孔と頬から止めど無く大量の液体が流れ落ちるのが垣間見えた。私は少なからず戸惑った。確かに今、提供したのは美食に爛れた上位貴族すら唸らせる私の渾身の食材の一つではあるが、口にした者が此処迄劇的な反応を見せるのは初めてだ。でもそんな彼の姿を見た私は束の間の戸惑いの後、とても嬉しくて、満たされた気分に成った。


私が微笑ましい気分で居ると、カトゥーの口元から何事か聞こえて来た。聞き耳を立ててみると、彼は空を見上げたまま、聞き覚えの無い言葉で何事かを呟いて居た。


コメクイテ?意味が良く分からないが、もしや彼が探しているという故郷の言葉なのだろうか。



その後ちょっとした揉め事が有ったものの、私は目論見通り護衛であるカトゥーとの距離を縮める事が出来たように思う。


翌日。身を切る様な寒さを感じて目が覚めると、天幕の周囲は一面真っ白な雪で覆われていた。我々は朝食を済ませて手早く荷物を纏めると、隊列を組んで野営地を後にした。


其の日を境に、大山脈越えの旅は道が険しい事に加えて、天候が崩れる事が多くなった。凍て付く寒さに加えて、猛烈な風が我々の行く手を阻む。そして悪天候の中を進む隊商団の足取りは、急速に重くなっていった。私は無論の事、今迄歩みに余裕を見せていたカトゥーも激しく息を切らし、流石に疲労困憊の様子だ。


岩肌に辛うじて刻まれた商人の道は益々心許ない悪路と化し、周囲の景色は恐ろしく切り立った断崖へとその様相を変えた。我々は死と隣り合わせな危険過ぎる山道を、時に疲労に軋む身体に鞭打ち、またある時には転落や襲撃に怯える心を叱咤しがら、毎日黙々と歩き続けた。


そして悪天候の中、目が眩みそうな深さの大渓谷を踏み越え、断崖から漸くある程度平坦な道に差し掛かったその時。我々の命運を分ける恐ろしい出来事が起きた。


前方から警戒を促す角笛の音が聞こえて来た、その直後。


「上、だ~!!!」


私の前方を歩いて居たカトゥーが、周囲に響き渡る凄まじい大音声で咆哮した。


しかし私を含め、周囲を歩く者達は突如放たれた叫び声を耳にしても、咄嗟に何が起きたか理解出来なかった。足を止めて戸惑って居ると、荒天による強風にも拘もわらず、我々の周りを異様な臭気が漂い始めた。


状況から鑑みて、恐らくは再び蛮族が襲撃して来たのであろう。しかし視界の悪さも相まって状況が全く呑み込め無かった為、我々は先頃の蛮族からの襲撃と比べて非常に狼狽し、浮足立った。


そんな我々を余所に、カトゥーの背中は目にも止まらぬ速さで機敏に動くと、襲い掛かって来た《《ナニカ》》を瞬時に叩き伏せた。私は目の前で見せ付けられた凄まじい戦闘能力に瞠目しながらも、地面に這い蹲って痙攣する襲撃者に目を向けた。其の姿は今迄見た事の無い、獰猛そうな見た目の獣であった。


一体どういう事だ。蛮族の襲撃じゃないのか。


想定外の事態に戸惑って居ると、背後の我々を一瞥したカトゥーは私に向けて手で何やら合図を送り、此方に近付いて来た。周囲は怒号や悲鳴、そして激しい戦闘音が入り交じり、早くも混沌とした様相を呈している。


後退して来たカトゥーは矢継ぎ早に石礫を投げて獣共を撃退しつつ、何やら声を上げながら再び手で合図を送って来た。他の護衛達も含めて隊商団の仲間達が大混乱に陥る中、其の所作と表情には動揺の欠片すら見受けられ無い。その頼もしい背中を見て落ち着きを取り戻した私は、彼の意図を直ぐに汲み取った。成る程、もっと後ろに下がれと言う事だな。


私と付き人は、表情には出ないが怯え切って震えるモシャスの手綱を引いて、更に後方に向かって移動を始めた。


幸い未だ傷一つ無く退避を続ける私達だったが、前方に陣取るカトゥーを狙って、何匹もの狂暴な獣が突進して来た。カトゥーは後退しながらも足元の石礫を手際良く手中に収めると、再び獣の群に向けて矢継ぎ早に投擲を始めた。其の威力と命中精度は凄まじく、投擲する毎に鮮血と獣の身体の一部が弾け飛ぶ。辛うじて石礫を搔い潜って肉薄した獣は、皆あっけなく黒い棒で叩き潰された。傍から見るといとも容易く相手を蹂躙しているように見えるが、血塗れで奮闘する他の仲間達の姿を見れば、其れがどれ程異常であるかは直ぐに分かった。


私がカトゥーの凄まじい戦いに見惚れていると、此方を一瞥した彼の表情が一瞬、酷く動揺した様に見えた。そして、其の隙に襲って来た魔物を返り討ちにして前方に放り投げると、此方に向かって一言。


「おおい樽っ。おっちゃんを頼むぞ!」


「任せな!」


えっ!?


驚愕した私は思わず、声が聞こえた私の右隣を振り向いた。すると其処には私のもう一人の護衛が、したり顔で陣取っていた。彼女、何時の間に私の隣に。いやそれよりも、今迄一体何処に居た。


「おっちゃんは あまり崖に近付き過ぎるな。落ちるぞ!」


だが、深く考える間もなくカトゥーからの鋭い声が飛んで来る。私は慌てて頷き返した。


そんな彼の警告を耳にした直後、突如私は背中に強い衝撃を受けた。そして視界が激しく旋回する中、何かに吸い寄せられる様な浮遊感を味わいながら、私の意識は急速に闇に沈んでいった。

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