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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
239/267

(閑話8-2)

何時しか目を瞑れば、懐かしい風景が鮮明に浮かぶように成っていた。遮二無二前を見て進んで居た頃は、とうに記憶から薄れたと思って居たのに。


届く見込みが乏しい筈の、遠い故郷で暮らす息子からの手紙。不思議と手の内に舞い込んだ其の手紙を何度も読み返した私は、胸に拡がる望郷の想いと共に最早二度戻れぬと覚悟した故郷の土を、再び踏む決意をした。そして此れが私にとって、生涯最後の旅と思い定めた。しかし此処は故郷から遠く離れた辺境の地。果てしない旅路は常に命賭けの道程と成るだろう。そして其の結果、もし道半ばに倒れる事に成ったしても、其れが私の命運だったと潔く受け入れよう。私はもう、十分に生きたのだから。


故郷への帰還を決断した私は、遠路の旅支度を始めた。今では気の置けない間柄と成った二人の付き人に事情を話すと、故郷への同行を願い出てくれた。


道中行商をしながらとは言え、故郷までの長大な道のりを考慮すれば、並大抵で無い物資と金子を事前に仕度せねばならないだろう。しかし幸いな事に、私が取り扱って居た幾つかの商材、特に香辛料が主に貴族相手に飛ぶ様に売れたので、手持ちの資金には十分に余裕が有った。お陰で程無く、長旅に必要な物資と商材を調達する事が出来た。


嘗て私が故郷で店を切り盛りして居た頃、南国から齎される交易品には多種多様な香辛料が含まれており、それゆえ私は香辛料に関して非常に豊富な知識を有して居るのだ。特に私が行商の傍ら長年研究した成果である独自調合した香辛料の数々は、他者では容易には模倣出来ない自慢の品々である。


故郷への長い旅路の中で、最初に乗り越えるべき巨大な障壁は辺境の西端に連なるかの大山脈である。其の天空に神々が座すると伝わる大山脈は、かねてより無数の行商人達の命を飲み込んで来た、恐るべき難所だ。


大山脈越えには二つの経路が有るが、私が目指す商人の道を選択した場合、冬が到来する前に踏破しなければ確実な死が待って居る。今の暦を考慮すると、年内の入山に間に合うかどうか微妙であったが、商人ユニオ・アーデムでの粘り強い交渉の末、どうにか年内最後の大山脈越えの隊商に同伴させて貰う事が叶った。辺境の地は最近相次いだ大規模な戦乱に拠り大荒れに荒れて居たので、難を逃れる為に大山脈越えを目指す隊商が例年に無く多かった事が幸いした。但し、戦乱の影響で巷には賊が溢れ、今では僻地の街道にまで凶悪な賊が出没すると聞く。充分に備えねばならないだろう。



____そして私は在留していた都市の知己達に別れを告げ、故郷への最後の旅に出立した。道中幾らか小さな障害に見舞われたものの、旅は概ね順調に推移して、我々の隊商は遂に大山脈の麓に在るシュヤーリアンコットの町に辿り着いた。


此の地で更に二つの隊商と合流した我々は、合わせて五つの隊商を擁する大所帯となった。尤も、僅か三名しか居ない私の隊商は添え物程度の扱いなのだが。合流して中規模の隊商団と成った我々は、此の町から大山脈へと伸びる険しい商人の道へと分け入り、私の故国である大国エリスタルが在る東方へと至る。


我々が合同で一つの隊商としての編成を進めるにあたり、大山脈越えに必要な物資の調達は、商人ユニオ・アーデムを仲介して共同で行う事に成った。また、仲介人を通して長年苦楽を共にした荷車と荷運びの家畜を売却して、代りに山岳地帯での荷運びが非常に達者なモシャスを1頭借り受けた。非常に心残りではあるが、今迄連れ添って来たあの子では、大山脈の過酷な環境には到底耐えられ無いだろうからだ。それにもし無理に同行させて山中で死んでしまったら、命と同等に大切な積み荷を諦めねばならない。其れは行商人として死を迎えたも同然だ。


当初、仲介人からは全身が厚い体毛で覆われたモシャスを何頭か紹介されたが、私はその内の一頭を選んだ。


其の子は体格は良いものの性格が非常に臆病なのと、また毛並みが悪かったので、思いの外安価な貸し出し金額と不測の事態で死んだ場合の補償額を提示されたのだが。私は其の説明を聞いて逆に親近感が湧いたのだ。


危険な旅に身を投じる行商人は、筋骨隆々で勇敢な腕自慢が多い。其の中で私は件のモシャスの様に、数少ないとびきりな臆病者だったからだ。後で油壺と毛払いを購入して、荒れ放題な此の子の毛を綺麗に繕ってあげよう。


物資の調達や新たな隊商団における各種取り決めや道筋の検討、護衛や食料の配分等々大山脈越えに必要な議論を重ねるうちに、私は新たに合流した他の隊商や護衛の頭目達ともすっかり打ち解けることが出来た。特に隊商の頭目は互いに商人ユニオ・アーデムの()()なので、行商と旅に関する知識が豊富な上、理解力が高くて非常に助かった。しかも聞いた所に拠れば、今回我々の隊商団には、何と湧水の魔法の使い手が二名も居るらしい。そして更に加えてもう一名、臨時で湧水を使うらしい魔術師を雇えるかも知れないとの事だ。


行商に携わる者なら誰しも、湧水の魔法の使い手は喉から手が出る程欲しい人材である。其の並外れた有用性は、敢えて説明するまでも無いだろう。その為、行商人にとって湧水の使い手を隊商の一員に招き入れる事は最上級の幸運であり、厳しい旅の最中誰もが一度は夢見る光景である。そして今回、隊商団にそんな希少な人材が三名も在籍してくれるのだ。私は途轍もない幸運を商の神とデュモクレトスに深く感謝した。


シュヤーリアンコットの町で大山脈越えの準備を済ませた我々は、隊列を組んで早朝に町を出立した。一先ず目指す先は山の奥に在る商人ユニオ・アーデムの集落である。私の隊商は隊商団の最後尾を歩く。


険しい山道を歩き続ける事は体力的に少々不安であったが、そんな私の不安を余所に、集落までの歩みは殊更緩やかな速度で行われた。聞けば先ずは山道に慣れる為、との事だ。其の為、時間を掛けた分食料は余分に消費するものの、幸い湧水の魔法のお陰で飲み水には困らない。其れよりも無理をして怪我や落伍者が出ない様に、との配慮だ。お陰で私も道中疲労困憊で動けなくなる事は無く、無事に集落まで辿り着くことが出来た。


商人ユニオ・アーデムが管轄する小さな集落に辿り着いた我々は、其処で最後の補給を行い、また集落の人々と杯を酌み交わした。彼等もまた、商人ユニオ・アーデムの身内であると同時に、長年此の山で暮らす者達である。単に飲み交わして親睦を深めるだけでなく、大山脈越えに関する有用な情報を得ようとの魂胆も有った。


また、其の翌日には山の神域に座す豊穣の神々へ供物と祈りを捧げ、道中の幸運と無事を祈願した。もし大山脈で神々の怒りを買えば、 恐ろしい呪いに身体を蝕まれ、如何なる屈強な者でも容易く死に至ると伝え聞く。実際、私はシュヤーリアンコットの町で、数多くの人々が呪いに拠って命を落とした話を何度も聞かされた。


そして商人ユニオ・アーデムの集落に辿り着いてから丸2日の後。我々は集落の人々に見送られながら、その地を後にした。


集落を立ち去った我々は、目の眩む様な険しい山道を黙々と歩き続けた。最早詳細な記憶は薄れて定かでは無いものの、私にとっては昔一度通過した道のハズである。また、体力の衰えを危惧していた私であったが、行商人の嗜みとして普段からある程度身体を鍛えて居たお陰で、隊商団の足に難無く付いて行く事が出来た。


其の後、大山脈の最奥に居を構える商人ユニオ・アーデムの関所を越え、我々は更に大山脈の奥深くへと進んでいった。そして更に何日かが経過し、我々は小高い岩山に囲まれた渓谷に差し掛かった。


そしてその時、我々は大山脈に生息する蛮族共に襲われた。


奇声を上げながら襲い来る蛮族に対して、隊商団の護衛と商人は素早く即応した。皆各々の武器や防具を手に取り、重い荷を背負ったモシャスをの守りを固める。そして護衛達は、商人達の前に出て蛮族共を迎え撃つ。私も他の商人達に遅ればせながら、迫り来る蛮族共に向けて木製の盾を構えた。


練度が高い護衛達の連携による反撃は、直ぐに蛮族を圧倒し始めた、かに見えた。だが、その時。



「あっ」


其の瞬間、何処からか飛来した流れ矢が、不運にも私を担当する護衛の背に深々と突き立った。そして、私の護衛は呆気なく地面にパタリと倒れ伏した。或いは其の光景に気を取られたのだろうか。更には残ったもう一人の私の護衛も、蛮族の一撃を捌き切れずに額から顎にかけて顔を両断され、鮮血を撒き散らしながら足元へ崩れ落ちた。


其の影響で僅かな間、護衛達の陣形が崩れかけるも、素早く支援に回った他の護衛達が蛮族達を切り伏せた。


結局、短くとも激しい戦いは我々の圧勝に終わった。しかし私の護衛は一人は顔を断ち割られて死に、運悪く鎧の隙間に矢を受けたもう一人の護衛も、間も無く息を引き取った。


惨たらしい護衛の死。そして仲間の死。長い行商の旅の最中、私は今迄何度も陰鬱な経験をさせられて来た。だから旅の間は常に覚悟はしているののの、決して慣れる出来事では無い。


蛮族の襲撃に拠る被害の確認と負傷者の手当てを行った我々は、此の場で暫く休息を取る事にした。併せて勇敢だった護衛達の遺体を丁重に埋葬し、討ち取った蛮族達の死体を処理した後に話し合いの場を設けた結果、無理をして進む事はせず、其のまま野営をする事に成った。


私の隊商を担当する護衛は残念ながら先の襲撃で二人共亡くなってしまった為、協議の結果護衛の配置換えを行い、別の隊商から新たに二名の護衛を融通して貰える事に成った。




そして私は、願わくば故郷で静かに朽ち果てる筈だった私の余生を、根底から覆した一人の男と出逢う事になる。

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― 新着の感想 ―
おっちゃんの視点で大山脈越え編を読むのを今か今かと心待ちにしていました。
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