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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
238/267

(閑話8-1)

私の名はモック・キャパ。一介のしがない行商人だ。


私は大国エリスタルの南方に位置する町ルムー・ファスに大店を構える商家の長男として、此の世に生を受けた。ルムー・ファスの東方には恐ろしい魔物が跋扈する広大な湿地帯が拡がり、西方と南方は峻厳な山岳地帯に囲まれている。その為、先人達に拠って切り拓かれた細い街道を抜けて唯一北方へ抜ける為の交易の要所として、古くから栄えて来た町である。


私には元々三人血の繋がった弟が居たが、私を除いて皆、生誕から五年目の祝福を迎える事は叶わなかった。何れも病に拠る急逝である。血を分けた弟達が苦痛の果てに息を引き取るのはとても悲しい出来事であったが、身体の弱い幼児が早逝する事はさして珍しい話では無い。けれど、両親が嘆き悲しむ姿を見るのが居たたまれなかったのを良く覚えている。


私は店の後継ぎとして、何不自由なく育てられた。特に弟達が早逝してからは、両親や一族の皆から一層大切にされたと記憶している。そして物心付いた頃から、父親から商家の跡取りとしての知識や心構えを熱心に教え込まれた。商売人としての精神と商売の基礎から始まり、店で扱う様々な商品の概要、取引に関する法や慣習、一族の誰某や取引相手の人脈、王国貨幣の価値、王国の役人との付き合い方まで。


あの頃の両親や一族の誰しもが私が店を継ぐ事を期待、いや一片たりとも疑っては居なかっただろう。しかし、私は何時しか店を継ぐ事よりも、行商人としての生き方に憧れる様に成っていた。


何か特別な切っ掛けが有った訳では無かった。しかし店を訪れる行商人達から様々な話を聞かせて貰い、町の広場で吟遊詩人達が謡うデュモクレトスの伝説を耳にし、遥か南方の異国から齎された交易品を手に取るにつれ、私の行商への想いは抗い難い程に膨らんでいった。しかしだからと言って、私は大店の唯一人の後継ぎとして、敬愛する両親や商家の一族、気の置けない店の雇人達に対して、果たすべき責任を放棄する事など出来る筈も無かった。しかし、私は諦め切れなかった。いや寧ろ困難を自覚する程に、私の行商に対する想いは一層熱く燃え上がった。


私は何時か行商人と成るべく、幼いながらも持てる知恵を絞って幾つもの計画を立てた。皮肉にも、父からの様々な教えが計画立案の支えとなった。


そんな私に、一つの転機が訪れる。年齢が十を過ぎた頃。私は父に、エリスタルの王都への留学を願い出た。其の名目としてかの地の学び舎では商家の跡取りとして有意義な算術や論理学、修辞学、法学、天文学を修める事が叶うと訴えた。しかしその秘めたるもう一つの目的は、いずれ行商人として独立する為の人脈造りである。特に王都の商人ユニオ・アーデムや、中央の役人と何らかの伝手を持ちたかったのだ。


父は私の訴えに対し、難色を示した。本来ならば、その頃の私は馴染み客や贔屓先との顔合わせを行い、取引の現場を学び始める頃合いである。それに加え、留学と成れば多額の金子や推薦状が必要な上、王都の大学に入学する為には試験を通過しなければならない。しかも、当時未だ幼かった私が王都へ旅をするには数多くの危険が伴う。


だが幸い、王都には私の叔父が小さいながらも店を構えており、幾らか伝手が有る事を父から教わっていた。私は幼いなりに、出来得る限りの言葉を尽くして父を説得した。そして私に甘かった父は、幾つかの条件を付けたものの、結局折れて私の王都への留学を認めてくれた。その後、私は父と己で選定した幾人かの付き人と共に、父の伝手で顔馴染みの行商人の隊商と同行させて貰い、王都へと旅立った。


王都に辿り着いた私は、叔父の店を手伝いながら入学の為の勉学に励んだ。幸い、叔父の伝手で推薦状の手配と優れた教導者を雇う事が出来たので、半年後には無事王都の大学に入学する事が叶った。その後、私は幾つかの学問を王都で学びながら、何時か行商人と成るべく人脈造りに奔走した。その際、初対面の相手に対する警戒心を和らげる私の幼さが、思いの外人脈造りに役立った。


そして私が齢十二を数えた時。私は予め見留めて居た付き人の一人に手を付け、子を成した。その事を伝えると叔父は呆れていたが、実の所、其れは以前から温めていた私の計画の一端である。そして、生まれたのは私が望んだ男児であった。


此の子を出来る限り早く故郷の店の後継ぎとして育て上げ、全てを託した後に私は念願の行商人として旅に出る計画だ。私は子を成した付き人を妻として娶り、また子供が幼い事を名目に、暫く王都に留まる旨の報せを故郷の両親に送った。私の予想通り勝手に妻を娶り、子まで成した事を知って両親は激怒したそうだが、遠く離れたルムー・ファスに居てはどうにもならないだろう。


幼くして亡くなった私の弟達と違い、私の息子は健やかに成長した。医療が未熟な故郷と違い、王都には優れた薬師や神官が数多く在住して居る事が幸いした。そのお陰で高額な金子を払う事さえ可能ならば、王都では非常に高度な治療を受けることが叶ったのだ。勿論、私はその事を見込んで子を成したのだが。


息子が齢三つを数えた頃、私は父からの教えに倣って息子への教育を始めた。そして息子が五歳に成ると、ルムー・ファスへと帰郷した。


久方振りに帰郷した私を出迎えたのは、怒りに震える両親であった。しかし王都で長く修辞学を修めた私にとって、怒れる両親を説得するのは造作も無かった。息子は程無く、私の正式な後継ぎとして両親と一族に認められる事に成った。その後、私は両親から店の引継ぎを行い、齢十九を数える頃には店を正式に受け継いだ。店の引継ぎが周囲が驚く程円滑に進んだのは、王都での学びの賜物である。




____それから十六年の歳月が流れた。


私は両親から受け継いだ店を無難に切り盛りし、更に一族を纏めて小さいながらも商会を立ち上げるに至った。しかしその一方では、行商人として旅立つ為の下準備と根回しを入念に進めていた。幼い頃は酷く頼り無く見えた私の息子は、今では一人前の若き商人へと成長していた。


そして、遂にその時が来た。


そう判断した私は、集めた一族と息子を前に宣言した。我が息子に築き上げた富と商会の全てを託すと。


その後は、目まぐるしい勢いで店と商会の引継ぎが行われた。そして遂に、私は念願の行商人と成る手続きを行った。既に根回しは完璧に済ませてある。店を継いでから十六年の間にルムー・ファスへと誘致した商人ユニオ・アーデム支部を訪れて、顔馴染みであるギルド長に面会した私は、早々に商人ユニオ・アーデムへの加入手続きを済ませた。長年の根回しのお陰で特例中の特例扱いで、私に限っては推薦状も試験も納金も全て免除である。


「父さん。本当に行ってしまうのかい」


「ええ、私の長年の夢だからね。私が居なくなって、お前には苦労を掛けてしまうかもしれないけれど」


「気にしないでよ。でも、本当に良いのかな。商会を此処まで盛り立てて来たのは、父さんなのに・・」


「フフ・・もう商会も店もお前の物だよ。それに、商人として私に教えられる事は全て教えたからね。後はお前の思う通りにやりなさい」


「・・・父さん」


「勝手ばかり言って済まないが、家族の皆を宜しく頼むよ」


「ああ。任せてよ」


行商の旅は、何時だって死と隣り合わせの厳しい旅である事は分かって居る。私は同行を願う妻を説得して、立派に成長した息子に彼女を託した。此れが今生の別れと成るかも知れない。私は出立する前に愛する妻と息子と、固く抱き合った。


その後、一族の中での熱烈な希望者と、共に旅立つと固く約束した総勢15名の仲間と共に、私は故郷を旅立った。



____長年夢見た行商の旅は、想像を遥かに超える程に厳しいものだった。苛酷な自然環境、容易に襲い来る飢えと渇き、夜陰に紛れて荷を奪う盗賊達、強欲で残忍な貴族、欺瞞に満ちた同業者達、凶悪な猛獣や魔物共・・・。


でもそれ以上に、夢の様に楽しい旅路でもあった。名も知らぬ小さな村で村人達と踊り明かし、魔の森の秘められし通路を越えて美しい森人達の村を訪れ、悪徳と享楽が溢れる迷宮都市で身包みを全て剥がされ、熱い砂の国で美しい踊り子と愛を語り、果て無く拡がる大草原で誰より屈強で純朴な遊牧民と酒を酌み交わした。


そして旅路は遂にかの大山脈を越えて辺境へと至り。


その間に苦楽を共にした最初の旅の仲間達は、一人また一人と倒れてゆき。遂には私を残して、誰も居なくなってしまった。今でも私の傍に居るのは、嘗て旅の途中で雇い入れた、忠実で働き者の二人の従者のみ。


長い長い旅路の果てに、年齢を重ねた私は昔と比べて随分と身体が動かなくなり、少なからず老いを感じてしまう様になった。また、気心の知れた仲間達が皆居なくなってしまったせいか、昔の思い出に耽る機会が増えた。そんな私は次第に行商の旅に出る意欲が擦り減ってゆき、長く一つの都市に留まって細々と商いをする事が多くなっていった。


そんな折。届くかどうかも定かで無い手紙を稀に送っていた故郷の息子から、何と私が滞在する都市の商人ユニオ・アーデムに私宛の封書が届いた。此の辺境に、しかも私が滞在している都市の支部まで封書が届いた事に驚いて居ると、ギルドでも滅多に使われない非常に高価な伝書鳥が使用されたと言う。


急いで封書を受け取り内容を確認すると、其処には確かに息子の筆跡で私の孫の事や、家族や一族の事、商会の事、そして生きているなら一度でいいから帰って来て欲しいとの思いが綴られていた。


私は手紙を何度も何度も読み返した。そしてふと、手紙が濡れて居る事に気付いた。気付けば私の瞳からは、止め処無く涙が溢れていた。


もう、十分だ。私はもう、心も体も擦り減ってしまった。疲れ切ってしまった。ただ、死ぬまでにせめてもう一度だけ、懐かしい故郷に帰りたい。一目だけでも家族に、遭いたい。


泣きながら蹲った私は、何時からかカサカサに疲れ切った心に拠って、故郷に帰る決断ををした。

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