第208話
おっちゃんからの素晴らしく有益な情報を得た俺は、迷う事無く目的地を変更した。どの道王都へは行くつもりであるが、件の町は丁度此の町から王都へ向かう場合の旅先のほぼ途上に在るらしい。
芸術と美女が巷に溢れる町リュネサス、か。そんな地上の楽園を捨て置くなど、俺の燃えるハートと腕白な下半身が許すハズも無く。
そして愛する愚息が何れ本懐を遂げた暁には。俺は唯の未熟な童貞小僧何ぞでは無く、恋愛と女体を追い求め、大いなる未知を既知と為す者。即ち一端の棒験者を名乗っても良いのではないだろうか。まあ此の世界の奴等はボーケンシャとか名乗られてもワケワカランだろうが。他に異界で通じる童貞の反語とかねぇのかよ。
ただ懸念事項として、長らく辺境に居たおっちゃんの情報は時代錯誤な可能性がある為、一応商人ギルドの他の連中と情報の擦り合わせを行う必要はあるだろう。
「それとカトゥー君。例の件についてですが」
おっちゃんは地上の楽園を解説する先程迄のちょっと下卑た感じから一転、居住いを正した。流石行商人。切り替えが早い。あとギルドの建屋内にも関わらず・・いや、だからこそだろうか。具体的にあの迷宮の事を軽々と口にしない辺り、用心深い。正直俺は言動に逐一警戒するなんぞ面倒だし疲れるので、其の辺りかなり適当なのだが。
「うむ」
「取引相手と商談にある程度の目途がつきましたら、王都の商人ギルドへ、定期的にカトゥー君宛ての書簡を寄越そうと考えています。カトゥー君も私に何か言付けが有る場合は、王都の商人ギルドに取次いでください」
「王都の商人ギルドか。分かった」
此の世界は通信手段が異常発達した故郷と違って、有線電話や郵便制度すら無いのだ。互いに遠く離れた地に在って、連絡を取り合うのは容易な事では無い。
動物や恐らく秘密裏に魔物を巧みに使役する魔術師ギルドは希少な例外として、其の中でも商人ギルドは、行商人達の地道なフットワークなネットワークに拠り、比較的優れた情報網を構築している模様だ。また、他に迅速な情報伝達手段としては、上流階級は伝書鳥なんかも頻繁に使うらしい。但し、伝書鳥は高価で特殊な訓練が必要な上、肝心の鳥の寿命が短い等の問題が有るそうな。しかも以前俺がとっ捕まえて焼き鳥にした事例が有る様に、所詮鳥如きでは伝達が不確実と思われる。
「それとカトゥー君は確か、あの灯りの魔道具を売却したいと言っておりましたな」
「ああ。覚えていたのか」
「ハハ、勿論ですよ。ですが、売却先の伝手はありますかな?」
む、痛い所を突いて来たな。まあ俺も分かっちゃ居たのだが。
「いや、無いな。条件次第で 狩人ギルドで売却するか、商人ギルドを当たってみるか、もしくは他に売却出来そうな場所を 適当に探すか。場合に拠っては商売人や同業者辺りと直接交渉する事も 考えて居たのだが」
此の世界で物を売るのは容易な事では無い。売れる商材は必然、何処も地元の縄張りやら各種利権でガチガチに固められているからだ。そして行商に関しても無論、商人ギルドや各商会、場合に拠っては領主や国が睨みを利かせて居るそうな。まあ直接交渉に拠るニコニコ現物交換であれば、余所にバレなければ多分問題無いのだが。バレなければな。
とは言え、今おっちゃんに告げた様に、ギルドに話を通せばどうにかなると見込んでは居る。だが其の場合、どれ程買い叩かれるか分かったモンじゃねえが。叩き台の金額次第では、ある程度のリスクを折り込んででも個人売買を視野に入れねばなるまい。
因みに俺が以前滞在した迷宮都市ベニスでは、魔石を筆頭に探索者達による迷宮資源の売買ルートが公認で確立されて居たからな。お陰様で俺の様な余所者の風来坊でも、容易に魔石を売却して一儲けする事が叶った。あの町もまた、情報伝達における魔術師ギルドと同様に非常に稀有な例外と言って良いだろう。
「成る程。でしたら私が商人ギルド宛てにカトゥー君の紹介状を用意しましょう。加えて先程の書簡の件も含めて、王都の商人ギルドに私から話を通しておきますよ。そうしておけばギルドで門前払いされたり、不当に買い叩かれる事態には滅多に成らないハズです。幸いカトゥー君は狩人ギルドの所属ですし、容貌がとても特徴的ですからね。ギルドの職員が君を取り違える可能性は低いでしょう」
おっちゃんの問い掛けに応じつつ高速で思考を巡らせていると、彼は人好きのする良い笑顔でそんな提案をして来た。
おいおいマジか。おっちゃんからの有難い申し出に驚く。狩人ギルドは元々商人ギルドの傘下であったので、今も尚その繋がりは強いと聞く。俺もその薄い伝手を頼ってワンチャン王都の商人ギルドに乗り込んで売却を試みるつもりではあったが、胡散臭い風来坊など門前払いされる可能性が非常に高い。なので飽く迄も運任せの分の悪い賭けのつもりだったのだが。
其の申し出はとても、とても有難い。矢張り俺の少々残念な身なりと、殆ど後ろ盾が無い余所者であるという立場上、何かを売ろうにも縄張りや利権への抵触と買い叩きのリスクは常に付き纏うのだ。欲を言えば、此れを機に王都の商人ギルドに何らかの伝手を構築したいものだ。
「その申し出はとても有難いが、良いのか?」
「今迄カトゥー君から頂いた大恩と比べたら、其の程度の雑事など何の苦でも有りませんよ。尤も、カトゥー君の足を考慮すれば、私の書簡よりも君の方が遥かに早く王都に辿り着くでしょうから、当面はギルドに門前払いされてしまうかも知れません。其処の所は心得て頂きたいですね」
「うむ、承知した。おっちゃん 色々と有難う」
「ハハハッ、少しでもカトゥー君のお役に立てれば私も嬉しいですよ」
「・・・おっちゃんには 更に手間を掛けさせてしまうかも知れんが、もののついでに、おっちゃんに一つ 頼みがある」
俺は思い切って、以前から温めていた話を切り出した。
「はて、一体何でしょう」
俺は腰に括り付けた道具入れからある物を取り出すと、机の上にゴトンと置いた。
「コイツを売却したい。おっちゃんの伝手で、何とか成らないだろうか」
俺が提示した机上で異様な輝きを放つ球形の物体は、ハグレをぶっ殺して採取した、あのクソデカ魔石である。
「ほう、これは美しいですな。何かの宝石でしょうか」
「いや、魔石だ」
俺の言葉を耳にしたおっちゃんは凡そ二十秒余りの間、無言でクソデカ魔石を食い入る様にまじまじと凝視し、そして固まった。
「・・・・・一体何ですか、コレ」
俺が脳内でカウントする事1分12秒。暫しのフリーズから漸く立ち直ったおっちゃんは、絞り出すような声で俺に訊ねて来た。
「だから魔石だ」
「希少な混成の魔石じゃないですか!しかも、何と言う大きさと色の深み。・・いや、単純な大きさだけならば、魔物領域の品なら左程可笑しくはありませんが・・ですが、この輝きは・・・二色でも希少なのに、一体幾つの色が溶け合っているのか」
「ふ~ん」
「ふ~ん、じゃありませんよ!私は長い年月、数多くの商いに携わって来ましたが、こんな魔石、今迄一度も見た事ありませんよ!」
「希少な品なのは 分かって居る。だから売却先に 困って居るのだ」
俺にとっては棚ぼたで見つかった迷宮なんぞよりも、文字通り命懸けで手に入れた此の魔石の方が桁違いに重い代物だ。そう易々と他人に晒したり手放せる品では無い・・と、以前は思って居た。
しかし生死の境を高速で反覆横跳びするが如き大山脈越えを経て、俺の考えは変わった。いや気付かされた。こんな石コロ何時までも後生大事に抱え込んだとしても、何の意味も無い事に。その気になれば木の根や皮だって食える今の俺でも流石に石は食えんし、便所の紙代わりにも成りゃしねぇ。・・・いや、やろうと思えばケツ穴を拭けなくは無いかも知れんが、使用出来るのは1回こっきりであろうし、突起を考慮すれば拭いた際のケツ穴のダメージは深刻であろう。やっぱ使えねぇわ。
てな訳で、矢張り持つべきモノは現金である。大切な事なのでもう一度言おう。現金である。しかも此の魔石、無駄にデカくて重くて邪魔だし、盗難のリスクを気に掛けるのもいい加減面倒過ぎる。なので売れる機会が有るならば、是が非でもさっさと売っ払ってしまいたい。
「カトゥー君。こんな品を一体何処で。いや、今更ですが、君は一体何者なんですか」
「唯の10級狩人だ。魔石は迷宮で手に入れた」
「唯のって、そんな訳無いでしょう。・・そういえばカトゥー君は、以前はあの迷宮都市ベニスに居たのでしたな。ああ、でしたらあの『神々の遊戯場』でこの魔石を手に入れたんですな。それなら有り得なくも無いのか・・」
いや、手に入れたのは別の迷宮で何だけど。しかし一々訂正するのが面倒なので、とりあえず澄まし顔で黙秘しておく。
「事情は分かりました。他でもないカトゥー君の頼みです。私から幾つか伝手を当たってみましょう。・・・ですからソレは早く仕舞ってください」
「うむ、重ねて感謝する。此の件は 出来れば内密に進めて欲しい。あと、おっちゃんに支払う手数料の取り決めに関しては、売却の目途が立った時に 改めて相談しよう」
「承知しました。何か進展が有れば、王都のギルドに報せを入れましょう」
そう言う事に成った。
だが、流石に魔石をおっちゃんに預ける事は出来ない。此の世界で旅を続ける以上、常にリスクは付き纏う。例えばおっちゃんが何処かで野党に襲われたり、病に冒されて其のままくたばる可能性も充分に有るのだ。なので命懸けで手に入れた大切な魔石を軽々しく預ける訳にはいかない。そもそも今の様子だと、おっちゃんが預かるのを滅茶糞嫌がりそうだしな。
その後、俺はおっちゃんに、今も継続中のフィジカルトレーニングの強度を、今後は今の6割程度に抑える旨を厳命しておいた。
おっちゃんには己の肉体でノウハウを蓄積した、秘伝の薬及び筋肉の按摩(実は回復魔法)を駆使した加藤流肉体改造術を施したのだが、おっちゃんの年齢やトレーニングの期間を考慮すると、正直俺もビビるくらい効果が出てしまった感がある。
但し、加藤流肉体改造術には極めて高度な肉体への苦痛耐性が要求される。かく言う俺もつい調子に乗ってしまい、根性を注入すると称しておっちゃんのケツを横に叩き割る勢いで激しくスパンキングをブチかましてしまった覚えが何度か有る。あの時は樽がアホ程ドン引きしてたっけ。しかし幸か不幸か、おっちゃんには元々相当な苦痛耐性とド根性が備わって居たのだ。
しかし俺と別れた後は回復魔法で無理矢理肉体を修復する事が出来ない以上、今迄のノリでフィジカルトレーニングを敢行すれば、おっちゃんは早々に壊れて再起不能と化すのは間違い無い。なので今後は強度を抑え、まっとうな遣り方でじっくりと鍛え込んでゆく必要が有る。今後鍛錬を上手く継続出来れば、数年も経てばおっちゃんの戦闘能力は、或いは樽を越える事が出来るやも知れん。
____そして其の翌日。
示し合わせて集まった俺達山岳横断隊は、数日の間にすっかり元気を取り戻したモジャを連れて、町に程近いモジャモジャ生物の放牧地を訪れた。




