第204話
苦難に満ちた旅路の果てに遂に大山脈を踏破した俺達山岳遭難隊は、無人の荒野で見知らぬ行商人の御一行と幸運にも邂逅する事が叶った。その際、不幸な行き違いに拠りほんのちょっとしたトラブルが有ったものの、おっちゃんが所持する高級感溢れる商人ギルドカードの威光のお陰もあってかその後はすんなりと和解を果たし、当初の目的地であった町へ道筋を教えて貰う事が出来た。
更には同じ行商人仲間であるおっちゃんの申し入れに拠り、彼等が所持していた此の辺り一帯の手書きの地図を親切にも模写させて貰った。いや、普通に金を強請られたので別に親切って訳でも無いか。
相手からの請求は俺達三名に均等にされたが、その際の支払いは俺の分もおっちゃんが立て替えてくれた。出費を惜しむと言うよりは最早背負い籠の奥底に仕舞い込まれた財布を取り出すのが非常に面倒だったので、おっちゃんの気遣いは非常に有難い。そして樽は当然の様に知らんぷりをしていた。腹は立ったが、赤の他人との歓談中にいきなりボコるのは余りに体裁が悪過ぎるので、その場は不問とした。それに此奴の場合、本当に無一文な可能性もあるしな。
その後、行商人達に別れを告げた俺達は、地形を手に入れた地図と照合しながら南の方向へ旅を続けた。すると、程なく大地に僅かに刻まれた街道らしき轍と足跡に辿り着いた。因みに先程出会った行商人達は、飲料水を補給する為にワザワザ街道を外れて湧水が在る場所へ向かっていたそうだ。
はえ~成る程。俺達は山を降りてからは俺由来の水ばかりグビグビ飲んでたからな。散々使い倒して分かっちゃ居たが、湧水の魔法の素晴らしい有用さを改めて実感してしまうぜ。
推定街道の傍で一晩明かした俺達は、相変わらず元気が無いモジャを労わりつつ更に南に向けて歩き続けた。すると、おっちゃん曰く道標らしい文字が刻まれた古ぼけた石柱と、枝分かれした道を発見したので、今度は西へ転進して旅を続けた。
西方一帯に拡がる森に入ってから暫く経つと次第に道の勾配は急になり、俺達は再び険しい山道を登る事に相成った。しかし今迄垂直か、或いはそれ以上の岩壁や氷壁に幾度も張り付いて来た俺達からすれば、此の程度の隘路を突き進むのは最早何の苦にも成らない。とは言え、時折深い谷間を縫うように刻まれた脆い細道も在るので油断は禁物だが。
そして道標の石柱を発見し、西へと進路を変えてから丸四日後。俺達は遂に、遂に当初の目的地であった大山脈の果ての町、アプリリスの町へと辿り着いた。まあ色々有った末、やって来たのは大山脈とは反対側の道からだけどな。
アプリリスの町は大山脈越えの前に滞在したシュヤーリアンコットの町と規模こそ同程度に見えるが、季節が既に冬なのであろうか。周囲には雪が降り積もり、俺達が歩いて来た街道には、他の人族やその他の姿は無く閑散としていた。
只、セキュリティがガバガバだったシュヤーリアンコットの町と違い、アプリリスの町の周囲は石を積んで泥で固めただけに見える、高さ1m強程度のクソの役にも立たなそうな粗末な防壁に囲われており、そして二本の古ぼけた石柱が建つ町の入口には、武装と防寒着で着膨れした守衛と思しき男達がヒマそうに立って居た。そして町に入るにあたり、当然の如く俺達は・・正確にはおっちゃんと樽が原因なのだが、連中と揉めた。
ベコベコの半ば鉄屑と化した自前の樽鎧を除けば、おっちゃん達は蛮族から奪った貫頭衣や毛皮に身を包んでいる。しかし其の服や毛皮は度重なる戦闘の果てに、最早面影すら分からぬ程にズタボロに朽ちかけていた。
当初は滅茶糞大切に手入れされて居たのが見て取れる程にツヤッツヤだった其の毛並みは、今や毛並みどころかボロボロの毛が三分の一位しか残っておらず、しかも到る所が原型を留めぬ程にズタズタに破れたり切り裂かれており、色はドス黒い血と垢色に染まり切って生物兵器の如き悍ましい悪臭を撒き散らして居る。思えば先日出会った行商人達も、俺達と不自然に距離を取ってたな。
もしアレを剥ぎ取った当の蛮族に返却しようものなら、彼等は怒りと悲しみの余り号泣して崩れ落ちるかも知れない。更に防寒の為に天幕の一部を切り裂いて着衣を補強したので、形状も最早真っ当な服の体を成していない。そして薄い空気と照り返しの厳しい雪山の中で露出し続けた二人の顔面の惨状は、今更語るまでも無いだろう。
そんなマジもんの蛮族と比べても見た目の蛮度300%マシマシなUMA擬きが突如町の入口に現れたのだ。無論、平穏無事に済むハズなど無く。
「きっ貴様等っ、一体何者だ!?」
守衛達は俺達の姿を視認するや否や、金切り声で誰何しながら槍のような武器を突き付けて来た。
ううむ拙ったな。矢張り面倒がらずに町に入る前に川や水魔法で身を清めておけば良かったか。しかし幾ら俺の湧水の魔法でも、全員の垢を落とせる程ドバドバと水を出せる訳も無いし、弱ったモジャを連れて谷底の渓流まで降りるのは、正直かなり面倒臭かった。しかも川の水超絶冷たそうだったし。更に病気のリスクを考えると、出来れば身体が濡れて冷えるのは避けたかった。まあ俺は懐炉の術が有るから濡れても多分何とも無いけど。
「うむ、驚かせて済まない。俺達はモック・キャパの一団。商人ギルドに 所属している行商人だ」
俺は下手に相手を刺激しない様、出来る限り平坦な声色を心掛けながらおっちゃんから借り受けた商人ギルドカードを差し出した。おっちゃんに拠れば此の町にも商人ギルドの支部が在り、行商人達の大山脈越えの拠点でもあるので、衛兵達はある程度ギルドカードを見慣れて居るだろうとの事。また、おっちゃんでは無く俺が交渉に当たるのは、先日出会った行商人達との苦い一幕から学んだからだ。
「ウーム。見たところ一応、本物のようだが・・まさか盗品じゃあるまいな」
守衛は受け取ったおっちゃんのギルドカードを暫し眺め回すと、険しい表情のまま呻く様に声を上げた。
「いや、盗品では無い。何なら商人ギルドに 照会して貰っても構わない。それとそう怖い顔で 見ないでくれないか。俺達は別に 怪しい者じゃない。確かに恰好は少々見苦しいかも知れんが、旅に汚れは付き物だろう」
「オイ。幾ら旅の汚れと言っても、限度があるだろう。一体何なんだよソイツ等は」
すると、もう一人の年若い見た目の守衛がやたら高圧的に訊ねて来た。
「ハハ、金で雇ったのだ。身なりは汚いが良く働くし 何より安いからな」
安い雇われとは最低辺狩人の俺の事である。借り物のカードを差し出した手前、後で揉め事の種にならぬよう人称が誰かは敢えてボカして応じる。
「ならお前等は何の用件でこの町に来た。この辺りももう冬の風が吹き始めた。山越えに挑める季節はとうに終わっているぞ。それともよもやその貧相な装備で迷宮に入るつもりか」
「ああ、実はその事なんだが」
胡乱げな態度の年嵩の守衛に対して、俺は後方に佇むモジャを親指で指し示した。
「アイツが険しい山道でも 造作無く歩くのを見て そのまま麓の先まで連れて行ったのだが。下界じゃロクに歩けもしない 役立たずでね。仕方無いので改めて売り払いに来た、と言う訳だ」
人跡未踏ルートで大山脈を越えて来ました、などと連中に正直に話した所で到底信じて貰えるとは思えないので、事前に打ち合わせた筋書通り目的の一部だけ切り取って説明する。一応嘘は言って無い。
「ああ、ああ成る程な。ソイツは残念だったな。その件なら誰かが毎年一度や二度くらいはやらかすよ。特にお前さんみたいな、経験に乏しそうな商人はな」
すると、年嵩の守衛が漸く得物を納め、納得した様子で頷いた。良し、今だっ。此処でもう一押し。
俺は摺り足で年嵩の守衛の間近まで音を立てずに近付くと、素早く銀貨を滑りこませながら、両手で包み込むように其の手を握った。そして耳元でそっと囁く。
「見苦しいモノを見せてしまって、済まなかったな。コレは税と、俺からの詫びの 気持ちだ。良ければ美味い酒でも 楽しんでくれ」
おっちゃんから事前に預かった入町税に加えて、さっさと町に入りたい俺の独断でかなり多目に心付けを握らせた。 此れこそ以前世話になった行商人のヴァンさんから盗んだ、ニコニコ賄賂術だっ。
「ふ、ふ~ん。まあ良いだろう。通りな。町中で悪事や揉め事なんて起こすんじゃないぞ」
年嵩の守衛は掌の中の硬貨に素早く視線を走らせると其の態度を豹変させ、ニヤニヤしながら俺達に通過を促して来た。おおい袖の下を握らせた身で言うのも何だが、ド田舎の守衛、幾ら何でもチョロ過ぎないか。まあ俺は町に入れるなら別に何でも良いけどさ。
そして俺達山岳遭難隊改め山岳横断隊は、意気揚々とアプリリスの町へと入町を果たした。すると俺の背後から、おっちゃんの囁くような声が聞こえて来た。
「カトゥー君。狩人なんて辞めて、商売人になりませんか?」
だが俺は振り返る事無く手をヒラヒラと振って、お断りの意を伝えた。つうか成りたくてもギルドの加入条件厳し過ぎて成れんし。それに厳しい下積みと試験を乗り越えた末に万が一商人ギルドの一員に成れたとして、俺如きが海千山千な他の商売人共相手に生き残れる訳ねぇだろ。碌なコネも無いのに。




