第202話
山岳遭難隊の三名で事前に協議した幾つかの戦術のうち、二人に告げた三番はおっちゃんと樽のペア、そして俺による標的に対する挟撃である。と言っても隠形が出来ないおっちゃん達は囮役で、実際に奇襲を仕掛けるのは俺だけだ。また、此の戦形は肉食獣の群れの生き残りや、小動物を仕留めた際に実戦で何度か運用済である。
因みに下手を打って奇襲を察知されてしまった場合は、俺の合図に拠り三人で取り囲んでタコ殴りにするか、又は全力で逃走するか、或いは高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応となる。
俺は目測で高さ50m程の岩壁を、短期間で積み重ねまくった経験と身体能力に物を言わせてフリーソロで素早く攀じ登った。絶壁を苦も無く攀じ登る我ながら人間離れした動きは、例え嵐山のモンキー達でも到底模倣など出来まい。こうして人外じみた身体能力のゴリ押しに拠り三次元的なフットワークが可能となれば、取り得る戦術の幅は大きく拡がる。程無く岩壁を登り切った俺は崖の上を疾走し、おっちゃん達と蛮族共を挟んで反対側に向かう。単に連中を殺るだけならば崖の上から岩を投げ落とす方が安全でイージーなのだが、今は殺意は無いので却下だ。
蛮族共から充分な距離を取って崖を降りた俺は、気配を殺して逆方向から再び蛮族へと近づいてゆく。幸い、周辺にはデカい岩が疎らに点在しており、どうにか身を隠す事は可能。しかし足元はほぼ雪面である。抜き足はともかく、差し足の気配を完全に殺すのは至難だ。それに俺は光学迷彩の様に透明になったり出来る訳では無く、認識阻害といったフィクションに有りがちなご都合能力を所持している訳でも無い。なので幾ら隠形を頑張ったとしても、バレる時にはあっけなくバレる。なので奇襲がバレた場合の対処も、しっかり織り込んでおかねばならない。まあ対処と言うか、その場合は三人で速攻囲んでボコるつもりなんだけど。
何やら岩を削って居るのだろうか。懸命に作業を続ける蛮族共の後方僅か20m程まで接近して岩陰に身を潜めた俺は、おっちゃん達の仕掛けを待つ。
暫く様子を眺めて居ると、蛮族共の動向に劇的な変化があった。突如作業の手を止めて立ち上がった二人の蛮族は、警戒も露わに俺が身を潜める岩の反対側、つまりおっちゃん達が居るであろう方向に顔を向けた。はて。俺が見る限り、二人が姿を見せたり何かしら気を引く行動を起こした様には見えなかったが。
・・・いや、風は弱風、そして此方側が風下だ。成程。風に乗せて蛮族共に体臭を嗅がせたか。今やおっちゃん達の身体は常時猛烈な異臭を放って居る。臭いだけなら気を引いても正確な位置は捕捉され難いだろう。二人共中々やるな。
すると蛮族の一人が蛮刀を鞘から抜き放ち、存外無造作におっちゃん達が潜むであろう方向へと歩き始めた。俺は蛮族の足音に合わせて己の気配を忍ばせつつ、背後から一気に接近する。
二人の蛮族同士の立ち位置が数mまで開いた好機。俺は目の前まで肉薄した蛮族の背後から抱き着くと左手を回して口を塞ぎ、右腕で首を抱え込みながら足元の小さな岩陰へと音も無く引き摺り込んだ。精々人一人程度身を隠せるサイズの岩陰である。よもや突如こんな場所に引き込まれるとは夢にも思うまい。更には両脚で腕と胴をガッチリ挟み込んで、抵抗を封じる。予期せぬ奇襲に動転したのか、一瞬の弛緩の後。俺は激しく身悶えする蛮族の口を固く塞ぎながら首筋に腕を絡め、頭を押し付けて素早くワンハンドチョークを極めた。
程無く獲物の身体からクタリと力が抜け、一切の抵抗が止む。よ~し此奴等の実力も知れたし、此れなら最早隠形するまでもあるまい。俺は小さな岩陰から躍り出て得物を抜いた蛮族に向けて突進すると、其の背中に子泣きジジイの如く飛び付いた。
絡み合った俺と蛮族は、背中から地面に倒れ込んだ。恐らくは既にホモ・サピエンス離れした筋密度を誇るであろう俺のウエイトは、今や見た目通りでは無い。背後から飛び付かれて支え切るのは困難だろう。蛮族は何やら喚きながら激しく暴れまくる。だが俺は背後から両脚でガッチリと蛮族の胴を抱え込み、両腕は既に裸締めの体勢だ。獲物が握っていた蛮刀は、倒れた際に何処ぞへ逸失している。
しかし本当は初手から裸締めで一気に絞め落としたかったのだが、蛮族は咄嗟に顎を引いて頸を防御しやがった。コイツ中々良い反応してやがる。ならば此処からネッククランクに移行しても良いが、今の俺の膂力だと、加減を間違うと容易に頸椎を破壊しかねない。もしそうなってしまうとチョット後味が悪い。・・いや、幾ら無法地帯で相手が蛮族とは言え、初対面の相手に強盗殺人はチョット・・・アウトォォな気がするので、出来れば避けたい。
そこで脚のホールドを一瞬解いて踵で金的を軽く叩いてやると、身体がビックンと跳ねて抵抗が緩んだので、前腕で顎をカチ上げて顎下へと腕を滑り込ませた。そしてて無事裸締めがガッチリと極まった。
蛮族は悲痛な声で啼きながら再び暴れまくるが、フハハハ貧弱貧弱ゥ。今の俺のチョークを振り解きたきゃ、油圧ジャッキでも持って来なきゃ不可能だぜ。
間も無く二人目の蛮族も俺の腕の中であえなく失神し、無事制圧が完了した。
幸い蛮族共には俺達の姿は見られてないし、声も聞かれていない。どうにか過失致死も免れたし、奇襲作戦は上々の結果だ。そしていよいよ、楽しい楽しい蛮族からのサプライズなプレゼント開封の時間である。
「うひょおっ。コイツ等金目のモン持ってやがらねえかな」
「とても暖かそうな毛皮ですねぇ。頂いてしまっても宜しいでしょうか」
とか考えてたら、既におっちゃんと樽が横たわる蛮族に飛び付いて居た。おっちゃんなんてブツブツ言いながら早くも身包み剥がしに掛かっとるし。しかし、う~むこうして大はしゃぎで獲物を漁る二人の姿は・・悲しいかな実にサマに成っとる。其の光景を目の当たりにして俺は一瞬、こうは成りたくねえなぁとか不覚にも思ってしまった。主犯格なのに。
そして結局蛮族共の雑囊から手に入った食料は、幾らかの不味そうな干し肉と貧相な干し芋みたいな物体のみという残念な結果に終わった。糞~シケてやがんな。
あと雑囊の中には他にも色々とガラクタが入って居たが、用途が不明なので全てスルーしておく。腰の水袋も放置だ。水袋は既に持っとるし、どうせ革臭っせえ水しか入ってねえだろうし、湧水の魔法も有るし、いらん。また粗末な造りの蛮刀については、本来なら叩き折って投棄する所ではあるが、武士の情けでそのままにしておいてやる事にした。此奴等弱いから丸腰のままだと、其の辺を徘徊する肉食獣に為す術無くモグモグされてしまいそうだしな。
着衣については暖かそうな毛皮を脱がせ、一人は厚い生地の貫頭衣まで剥ぎ取っておっちゃん達が身に纏っていた。因みに鎧を着てるので、樽が強奪したのは毛皮だけである。そして代わりにズタボロな自分の着衣を丁寧に着せてあげる辺り、おっちゃんの人の好さを感じてしまう。でももし俺が蛮族の立場なら、こんな弩級に臭くて汚ねえボロ布を着せた奴をぶっ殺したくなると思う。
強奪した食料については糞程ショボかったものの、実は別方面で思わぬ収穫があった。蛮族達が削っていた岩壁の岩肌を検分してみると、其のピンク色の岩は・・何と岩塩であったのだ。塩の備蓄が心許なかった俺達にとっては思わぬ僥倖である。おっちゃんは此の事が判明するや否や、素晴らしい素晴らしいなどと連呼しながら、ウッキウキで蛮族達が一生懸命削り出した岩塩を布袋に放り込みまくっていた。
頂けるブツは全て頂いた俺達は、失神した蛮族達を目立たない岩陰に放置して其の場を離れた。連中が無事生き残れるか、或いは野生動物や苛酷な自然環境に拠り無残な最期を迎えるかは運次第ってトコロだ。
その後、東方に向けて更に歩みを続けた俺達は、いよいよ森林限界を越えて、周辺には種類は不明だが低木が到る所に散見されるようになって来た。とは言え冬が近付いて居るせいか、特に夜間の気温は低体温症で逝ってしまいそうな程で、時には日中でも激しい吹雪に見舞われた。また、森林が次第に深くなるにつれ、水流に行く手を遮られて迂回を余儀無くされる場面が多くなり、頭上の視界不良で太陽や星の位置が見辛く成って来た。
こうして一面白銀の世界だった今迄とは異なる様々な困難に見舞われるものの、蛮族をシバいたお陰で貴重な塩を手に入れ、俺達の旅は一応順調に思える。だがしかし。此処まで来てしまうとかねてより何となく目を逸らし続けて来た恐ろしく重大な問題に、俺達は嫌でも向き合わざる得なく成った。
「町は・・道は・・何処だ」
予期せぬ災禍に見舞われ、巨大な大山脈の真っ只中で完全に遭難してしまった俺達は、正確な現在位置や方角を知る術は無く、太陽と星だけを頼りにひたすら東に向けて突き進んで来た。その為、町や道が何処に在るか皆目見当が付かん。しかも、行く手に拡がる忌々しい大自然の規模は、故郷とはまるで次元が違うのだ。
此れから先・・どうしよう。




