第198話
俺達は大山脈の奥地で偶然発見した謎めいた推定迷宮に、再び潜る事と相成った。
旅の護衛である俺達の雇い主であるおっちゃん曰く、其の目的は入り口付近の簡易な調査との事である。だが、俺としては其処の所は割とどうでも良い。個人的に是が非でも試みたいのは魔物や野生動物の捜索と確保である。今迄踏破して来た大山脈の側は余りにも苛酷な環境のせいか、喰い応えの有りそうな大型の野生動物の痕跡が極端に少ない上、ムカ付く事にどいつもこいつも夜行性である。幾ら俺の夜目が利くとは言っても、此処は目印も土地勘も無い凄まじく急峻な山岳地帯である。夜間に野生動物を当ても無く追跡するのは、殆ど自殺行為に等しい。それならばと罠を仕掛けようにも資材が全然足りない上、東方に向けて絶賛移動中なので時間的な猶予も無い。
それでも辛うじて食えそうな小動物を何匹か氷礫をぶち込んでとっ捕まえたら、おっちゃん達が結構な勢いで引いて居た。二人共何だか俺がとんでもない野生児でサクッと獲物を狩るみたいに決め付けるが、逃げ上手な小動物を仕留めるのはかなり死に物狂いで、簡単な事じゃ無かったんだぞ。
因みにおっちゃん達にはもし動くモノを見掛けたら、即座に殺せと厳命してある。まあもしかすると狂暴な魔物とか居るかもしれんが、直ぐに俺がフォローに回れば問題無かろう。多分。超危険地帯と言われる魔素溜まりでもない限り、俺の手に負えない程ヤバい生物は早々居ないだろうという希望的観測をしておく。其れよりも下手に躊躇して、貴重なタンパク源を取り逃がす方が拙いと判断した。あとは隊商本隊の連中だが・・多分もう死んどるだろ。そうに違いない。もし万が一偶然遭遇して誤って殺っちまったら、誠心誠意謝罪してねんごろに弔ってあげよう。
それはさておき。そもそも今の俺達は、途轍もなく険しい人跡未踏な大山脈の奥地で絶賛遭難中なのである。食料問題を別にしても、置かれた状況は正に危機的・・いや絶望に近いと言っても過言では無い。ほんの些細な切っ掛けに拠り、何時此の世からオサラバと成っても不思議では無いのだ。不注意や不手際は言うまでも無く、例え何一つ油断も、ミスも、誤判断もしていなくとも。突如巨大雪崩が発生して流されたり、急に足場が崩壊したり、突風で吹き飛ばされたり、落石や落氷が直撃したりと、どれ程危機管理に気を配ろうが、運が悪けりゃあっさりとくたばる。生きて山脈を越える事が叶うかどうかは、正に神のみぞ知る、だ。
俺は昨晩のおっちゃんとの商談を思い返す。勿論大金は喉から手が出る程欲しいし、夢見るのは結構な事だ。だが、優先順位を履き違えてはならない。全ては今のヤバ過ぎる状況から生還してこそだし、俺の中で商売の話は最優先事項て訳では無い。仮に食料確保の為に必要とあらば、俺はあの入口を破壊して埋めちまうことも厭わないだろう。とは言え、あの儲け話がおっちゃんが生きて帰るモチベーションの手助けとなるならば、其れもまた大いに結構。水を差すような事を敢えて口にはしない。
また、おっちゃんからの提案で、樽には儲け話について部分的に打ち明けてある。無論、話を聞くなり鼻息も荒く分け前を要求してきたのだが、おっちゃんは樽が迷宮の発見に一切寄与しなかった理由を訥々と説いて完璧に黙らせた後、ですが私達は苦楽を共にする同行の仲間です、などと一声掛けると、良い笑顔と優しげな声色で樽に対して分け前を提示した。
其の額金貨50枚から成功報酬込みで最大で100枚。迷宮情報の概算見積もりを考えるとショボいが、此の世界の世間一般的には大金である。そして勿論、おっちゃんと俺で事前に口裏は合わせてある。俺としては樽に報酬を分け与える事には反対だったのだが、おっちゃん曰く、儲けを独占して変に嫉妬や恨みを買うと、場合に拠っては面倒な事態に陥りかねんのだそうだ。加えて樽への口封じの意味合いも有る。もし口を滑らせて迷宮の事を他者に口外しようものなら、報酬の件は全て白紙になると、おっちゃんは樽に重ねて念押ししていた。
俺達は樽の欲深くて思いの外慎重、かつ狡猾な性格は十分把握して居るので、樽がこの件の事を阿呆みたいにペラペラと他人に吹聴はしないと考えて居る。また、万が一誰かに喋ったにせよ、樽では迷宮の正確な所在地は分かるまい。
報酬を提示された樽はホクホク顔で、おっちゃんに抱き着いて頬にキスしたりしていた。うげぇ。俺なら反射的に顔面に肘を叩き込んどるぞ。だが恐ろしい事に、猟奇的セクハラの被害者であるハズのおっちゃんは、まんざらでもない表情を浮かべていた。・・此の罪深い光景、誰か夢だと言ってくれ。おっちゃんの奴、よもや樽の秋波で懐柔された訳ではあるまいな。いや、流石にソレは無いと思いたい。と言うより考えたく無い。俺は目の前の悪夢から速やかに目を逸らすと、用足しを告げておっちゃん達に背を向けた。
朝餉の後に起きた嫌過ぎる出来事の記憶を心の奥底に厳重に仕舞い込んだ俺は、おっちゃん達を引き連れて、再び迷宮の門を潜った。
目の前に現れた古ぼけた階段を登ると、再び異様な世界が視界一杯に広がる。しかし昨夜(迷宮の中は昼の様子だったが)は此の場所でおっちゃんと長い時間話し込んで居た為、此の景色にも既に慣れた。
神々の迷宮では何が起きても不思議では無い、と囁かれるのは、以前滞在した迷宮都市ベニスで耳にした不文律である。とは言うものの、実際に神々の迷宮の浅層で探索者達の生死に関わるヤバい生物に遭遇する事は滅多に無い、らしい。噂に拠れば、稀に悲惨な死亡事故が起きるそうだが。
そんなベニス近郊に入口を構える、神々の迷宮の一つに数えられる『神々の遊戯場』は、入口に近い浅層は迷宮探索者ならぬ戦闘未経験な常人でも潜る事が出来る、所謂観光地として成立する程に治安が良いと聞く。
ならば『神々の遊戯場』と同様に、神々に拠って創造されたと推測される此の迷宮はどうだろう。確かに周囲の景色は少々不気味だが、同時に何だか物悲しさも感じる。一面に広がる白い草原以外に、生物の気配がまるで感じられ無いからだ。行商人として経験豊富なおっちゃんに訊ねてみると、迷宮の入口が在る此の周辺ならば、生死に関わる危険には滅多な事では遭遇しないんじゃないか、との事だ。確かに昨晩は、俺とおっちゃんが此の場で危険な生物に襲われる事は一度も無かった。なので周辺を軽く探索する程度ならば、過度に神経を尖らせる必要は無いのかも知れない。無論、だからと言って警戒を緩める気は全く無いが。
ともあれ食料確保への期待と、僅かばかりの不安に胸が膨らむ。そして手筈通りおっちゃん達に出発を促そうとした、その時だった。
背後に居たモジャが突如俺達を押し退けて前に出ると、止める間も無く猛然と白い草を貪り始めた。
不意を衝かれた俺とおっちゃんは、暫しの沈黙の後、思わず顔を見合わせる。
「おっちゃん。あの草って、食っても大丈夫なのか?」
「さ、さあ・・」
ま、まあ見た目そんなにヤバそうな感じはしないし、ヤバい茸等と違って即中毒死する事は無いだろうし、イザとなれば俺の回復魔法も有る。其れに今更止めても手遅れな気がするので、此の際思う存分食わせて、後でじっくりと経過観察する事にしよう。
そう言えばモジャには此処数日間は碌なモンを食わせてやれなかったので、却って良い機会だったのかも知れない。モジャモジャ生物は最悪二カ月位は絶食しても耐えられるそうなので、此処で存分に食い溜めしておけば、当分餓死する心配は無いだろう。あと折角なので、モジャの食い扶持として後で幾らか白い草を刈り取って迷宮の外へ持ち帰ろう。もしかすると俺達も食えるかもしれんし。
少々出鼻を挫かれてしまった格好ではあるが、俺達は手当たり次第足元の草を食い捲るモジャを引き連れて、改めて迷宮の入口から出立した。
その後、周囲を警戒しつつも、赤銅色の太陽を背に俺達はひたすら歩き続けた。時折目印代わりに白い草を広く刈り込んで草の紐で束ね、モジャの背に積む。周囲に目印が何も無い為、道迷いにならぬよう注意せねばならない。
そして体感で凡そ数時間程歩き続けた俺達であったが。結局、獲物を捕らえるどころか動物を発見する事すら叶わなかった。代わり映えのしない景色の中、俺達は白い草原の只中で野営をする事に相成った。
「なあおっちゃん。此処って本当に 迷宮の中なんだよな」
俺は夕餉の仕度をしつつも、おっちゃんに訊ねずには居られなかった。迷宮とは一体何ぞや・・と迷宮の定義について考えさせられる程に、周囲の景色は俺が知る迷宮の常識とかけ離れている。
「ええ、そのはずです。他の神々の迷宮の知識が無ければ、俄かには信じられないとは思いますが」
「ずっと遠くに山が見えるんだが、あそこ迄行くことは 可能だろうか」
俺は遥か遠くに薄っすらと見える、山の様な影を指差した。
「ううん・・遠過ぎて私の目では良く見えませんね。迷宮の各階層の広さは千差万別なので断言は出来ませんが、恐らく到達するのは難しいかと」
おっちゃんの説明に拠れば、此の手の屋外と見紛う景観を有する迷宮の階層は、末端まで到達すると壁にぶち当たるらしい。壁と言う言葉にピンと来なかった俺が詳しい説明を求めると、どうやら壁と言うより結界の類に近い代物である様だ。入口から迷宮に入った探索者達は其の結界に阻まれて、其れ以上先へは進めないんだそうだ。但し、元々迷宮の中に存在する生物は結界を素通り出来るらしい。と言うよりも、どうやら結界や入口の存在を認識出来無いんだそうだ。
俺達はもう一日だけ周辺を探索して入口に戻る予定だ。もし運が良ければ結界や、別の階層への入口を発見する事が出来るかも知れないとのこと。俺としてはそんなモノより食料の方が遥かに重要なんだけどな。
此の迷宮の階層・・というか此の惑星には月が存在しないらしい。美しい星々は満天に輝いて居るけれど、夜の闇は異界とは比べ物にならぬ程に深い。そしてクソ程に寒い。よもや此の場所で懐炉の術の世話になるとは。交代で見張りを立てていたものの、結局おっちゃん達も寒過ぎて殆ど眠れなかった様子だ。だが幸いなのか或いは残念なのか。夜陰に紛れて野生動物等の襲撃を受けることは無かった。と言うか、動物の気配が相変わらず俺達以外に全く無い。正直、ちょっとだけ寂しい。
翌日。紫掛かった不気味な色を湛える日の出と共に、凍死しそうな程の極寒から急激に気温が上昇してきた。俺達は朝餉を済ませて手早く荷物を纏めると、早々に野営地を後にした。
それから先は、歩いても歩いても歩いても代わり映えのしない景色ばかり。此れでは大切な食料を唯浪費するばかりでは無いか。イライラが募る。モジャは思う存分草食ってご満悦の様子。クソッ手前ばかり腹一杯喰いやがって。そこで、俺もモジャに倣って草を刈り取って喰ってみた。まあ食えなくは無い・・が、無事消化吸収出来ているかどうかは相当に怪しい。先程糞した時に、白い草がほぼ食った時の形状のまま出て来たし。
その後も空しく歩き続けた俺達だったが、結局何も見つけられぬまま、頃合いを見て引き返す事に相成った。今の所、マジで何も無かったな。こんな素寒貧な迷宮の情報が、本当に高額で売れるのだろうか。疑念が募る。まあよもや此れが迷宮の全容ではあるまいし、後はおっちゃんに一任するから別に良いか。だがそんな事よりも、食料を確保出来無かった事が痛過ぎる。
俺は歩きながら、そろそろ撤収の合図をすべきか考えていた。すると、その時。
俺の身体が、突如身に覚えの有る浮遊感に包まれた。
そしてふと気付くと、俺は何故か背後を歩いて居たハズのおっちゃん達と、正面に向き合っていた。突然身に起きた不可思議な現象に一瞬、酷く狼狽したものの、察しの悪く無い俺は、直ぐに其の原因に思い至った。恐らくは、おっちゃんが言っていた階層の結界に到達したのだろう。
「おっちゃん。どうやら此処が この階層の境界のようだ」
俺はドヤ値やや高めな心持で、背後の何も無い空間を親指で指し示した。




