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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
224/267

第197話

俺が偶然発見した、神々の手に拠り創造されたと思しき手付かずの希少な迷宮。行商人であるおっちゃんが力説する所に拠れば、迷宮其れ自体は無論の事、付随する情報にすら途轍もない付加価値が有るらしい。そしておっちゃんは其の情報を故郷の商会に持ち帰って然るべき相手に売り込む事で、一儲けしてやろうという腹積もりのようだ。


夜分にコッソリ呼び出して俺に儲け話を打ち明けたのは単なる好意からか、或いは俺を巻き込んで利用する為か。おっちゃんの真意はさておき、棚ぼたで銭が稼げるなら俺としても望むところであるし、遠慮する気も全く無い。


・・とは言ってみたものの。地球と此の世界。俺は何れの世界でも商売に関しては殆どズブの素人である。精々がその辺の店舗でちょっとした値引き交渉の経験がある程度だ。それに俺は此の世界で商売人に成る気はサラサラ無い。というか望んでも多分無理。何故なら以前耳にした商人ギルドへの加入条件が余りにも厳し過ぎるからだ。加えて商才なんぞ俺に備わってるとは到底思えん。軽快なビジネストークで困難な商談を纏めるなど、才能は元より知識も無きゃ場数も踏んで居ない俺では土台無理な話だ。・・相手をぶん殴って言う事聞かせるのならお手の物なんだがな。なので無知蒙昧な素人が下手に首を突っ込むよりも、餅は餅屋に任せるのが一番であろう。


そんな訳で。脳内での様々な葛藤と欲に塗れた皮算用の末、俺は決意した。仮におっちゃんの儲け話に乗っかる事に成ったにせよ、取引に関する具体的な手引きや交渉事は全ておっちゃんに丸投げする事を。そして俺は報酬だけ有難く頂戴したい。恐ろしく図々しく尚且つ身勝手な目論見ではあるが、なにせ儲け話の核心である迷宮を最初に発見したのは此の俺だからな。その程度の甘い汁の吸引は認められて然るべきではなかろうか。


持ち帰った洞窟と迷宮の情報に対する綿密な精査。必要経費を含む概算の各種見積もりの算出。商人ギルドへの告知と根回し。商品の売り込み方と提示する取引条件の立案と売買契約の草案作成。顧客や場合に拠り仲介役の選定と接触、商談の段取り。そして支払いと納税に関する各種取り決めや手続き等々。


俺がどうやって全てを丸投げしてやろうかと心中考えを巡らせて居ると、興奮した様子のおっちゃんが、脳内で温めて居たらしい迷宮情報販売計画の一連の流れを、怒涛の勢いで俺に捲し立てて来た。だがそんな急に説明されたって、取引の素人の俺に分かる訳ねえだろ。あと母国語で解読出来ない専門用語多過ぎぃ。なので頼み込んで随分と噛み砕いて説明して貰ったけど、にも拘らず聞いてるだけで早くも脳ミソが沸騰しそうになったぜ。


俺はおっちゃんが捲し立てた販売計画の概要と、其れに付随する多大な手間暇の喧伝に対して、十分に心得た風を装って重々しく何度も頷いておいた。


しかし何時しか俺もおっちゃんの熱い商魂に当てられたのか、気付けば件の洞窟の入口は俺が発見した事、魔物や蛮族の襲撃から身を挺して守った事、雪崩やブリザード等自然の猛威からの生還を手助けした事、食料の調達や魔法で飲料水を提供した事、険し過ぎる岩壁や氷壁の踏破をサポートした事等々、恩着せがまし過ぎぬよう配慮しつつも、迷宮の発見に至る迄に積み上げた己の功績を存分にアピールしていた。取引に関する面倒な実務を丸投げする以上、事前にしっかりと己の手柄を売り込んでおかないと、期待するだけの分け前をモノにする事は叶わないだろうからな。


因みに俺は以前おっちゃんが岩壁から墜落しかけた際、余りの恐怖からか糞を漏らした事を知っている。後で気付かれぬようコッソリ処理したつもりの様子だが、俺の嗅覚は誤魔化せん。クククッ此の事も或いは良い取引材料として使えるやも知れんな。


しかしそんな折、俺は肝心要な事をおっちゃんから聞いて居なかった事に、今更ながら気付いた。我ながら余りにも迂闊に過ぎる。


「そういえば おっちゃんよ。聞くのを失念していたが、今話していた迷宮の情報は 一体幾らで売れそうなんだ?」


気付いたが幸い、俺は早速おっちゃんに訊ねてみたのだが。


「・・・そうですね。私見ではありますが、どれ程少なく見積もっても、金貨数千枚は下らないでしょう」


おっちゃんは少し考える素振りを見せた後、事も無げに言ってのけた。


「ふむ」


ふむ・・・ぢゃねえっ!

な、な、何だとおおおぉ~~!?少なくとも、数千枚?ウッソだろお前。おおお落ち着け俺えっ!coolでポーカーなフェイスを維持するんだっ!


俺は怒涛の下痢便を堰き止める括約筋並に表情筋を引き締めまくって何気ない無表情を辛うじてキープすると、嘗て新人狩人の教官と称して俺を思う存分シバきまくったあの憎っくきゾルゲに魂の往復ビンタをぶちかます勢いで、脳内電卓を高速で叩きまくった。


以前滞在していた迷宮都市ベニスの当時の物価では、普通の食事が一食につき確か銅貨8枚から10枚程度。そして狩人ギルドの提携宿に宿泊すると、一泊二食付きで銀貨2枚だった。となると、ドンブリ勘定ではあるがその他雑費も加えて1日の生活費が銀貨4枚程度と考えると、例えば金貨5千枚が手に入れば、過度な散財をせず慎ましく生活すれば凡そ200年以上は食うに困らず暮らしてゆける計算だ。(因みに此の惑星の1年は地球と異なり、凡そ300日である)


す、凄しゅぎるじゃあねえの。俺の人生における宿願の一つである、終の住処となる世界で十全な資産を築き、其処で悠々自適な余生を過ごすという夢が早くも幾らか達成されてしまいそうな勢いだ。


だがしかし。驚愕の売値を聞かされた俺が素直にハッピーな気分に成れたかと問われれば、実の所全然そんな事は無かった。


此の異界に飛ばされて以来、幾度も薄汚い人の悪意に晒されて来た俺が、おっちゃんの話を聞いてうひょおお大金ゲット!などと能天気に喜べるハズも無く。まるでウキウキでパスタと一緒に啜ったイカ墨が、実は糞マズで有害なコールタールと発覚したかの如き重苦しい不安が、胸の内にジワジワと広がる。


それってしがない行商人が取り仕切るには、少なからず分不相応な金額の取引に思えるのだが。ホントに大丈夫?何だか滅茶糞不安なんだけど。何故なら巨額の取引を首尾良く完遂する為には、今のおっちゃんには決定的に足りないモノが有るように俺には思えるからだ。


其の足りないモノとは、己の身の安全を担保する為の、暴力だ。故郷と違い法も倫理観も未成熟な此の異界では、相手の優位に立って交渉事を円滑に進めたい場合、其の為に必要な手札に暴力が占める割合が非常に高い。恐らくは真っ当な商取引においても例外では無いだろう。


其れも個の力だけで無く、組織としての武力を誇示するのが望ましい。個の力だけではどうあっても付け入る隙が出来てしまうからな。しかし見るからに気の良い行商人然としたおっちゃんには、あらゆる意味で暴力に拠る抑止力が圧倒的に足りない様に見えてしまう。


組織と言えば、おっちゃんは商人ギルドを取引の後ろ盾にする思惑のようだが、果たして本当にギルドを頼って良いものだろうか。籍を置いておいて何だが、俺は組織としての狩人ギルドをあまり信用して居ない。そんな疑り深い俺の脳裏には、何だかおっちゃんが何者かに速攻拉致されて情報を抜かれた挙句、埋められたり、沈められたり、刻まれて魔物の餌にされる等々の嫌過ぎる情景が幾つも鮮明に浮かんでくるのだが。


いや、だがしかし。今回の案件は何も非合法な取引て訳では無いし、話を聞く限り入念に手順を踏む意向のようだし、何よりおっちゃんは経験豊富なベテランの行商人である。そして其れ以前に一端の男でもある。そう考えれば俺が懸念する程度の事に考えが及ばぬとも思えんし、何かしら成算が有るのだろう。なので商売の世界では未熟な若造に過ぎない俺如きが、まるで貴族の箱入り娘の如く其の身を案じて介護しようなどと、寧ろ度し難い侮辱でしか無いのかもしれない。軽快に舌を回しながらも貪欲な光を湛えて俺を射抜くおっちゃんの瞳が、俺にそう訴え掛けている・・ような気がする。


・・・ならば信じちゃっても良いのか?おっちゃんよ。


まあおっちゃんの事は兎も角、俺自身の事に関しては特に心配はして居ない。ちょっとばかり己の腕力と、そして何より逃げ足には絶対の自信があるからな。もし取引が悲惨な結末に終わったとしても、残念無念ではあるが結局はその程度の事である。所詮はたまたま発見して、棚ぼたで手にしたお宝に過ぎないからな。


俺は金銭を軽んじるつもりは無いが、かと言って過度に執着する気も無い。勿論金は有るだけ欲しいが、其れ以上に金に振り回されるのは御免だからだ。また、その気に成れば男一匹。例え無一文の裸一貫になろうとも、今の俺には鍛え抜いた肉体と、苦労して身に付けた魔法なる魔訶思議な力が有る。だから何処でだって生き抜いてゆく自信があるのだ。


己が寄り掛かり、頼みとするもの。言うなれば精神的支柱。そういった代物ってのは他者に見出すのでは無く、常に己の内に在るべきだ。で、あるならば例え如何なる苦境に立たされようとも易々と喪う事も付け込まれる事も無く、何時だって己の足を支える強固な礎となってくれるだろう。そしてその拠り所は偶然手にした泡銭などでは決して無く、日々の地道な鍛錬で培った強靭な肉体や磨き上げた魔法であり、また幾度も死線を潜り抜けた経験と、其れ等に拠って積み上げられた己の実力に対する確固たる矜持なのだ。



____俺はおっちゃんと時間を忘れる程に激論を酌み交わした結果、取引に関する実務を首尾良くおっちゃんに丸投げする事に成功した。もしかすると、俺の魂の貢献度アピールが多少なりとも功を奏したのかのかも知れない。


更にこの度の取引における互いの取り分は、税と各種経費を除いた純利益で俺が四、おっちゃんが六の割合と相成った。一見すると杜撰過ぎるドンブリ勘定に思われるが、報酬の配分方法を余り細かく設定すると俺の脳内帳簿の収拾が付かなく成りそうなので、此方から簡素な条件を願い出た格好だ。


「ふふっこれで漸く契約成立ですね。尤も、未だ口約束の段階ではありますが。しかし、嘗てデュモクレトスは無二の友に告げました。盟友との口約束とは最も粗末であるが、同時に最も尊ぶべき契約である、と。私もきっと、カトゥー君の期待に応えて見せますよ。ですからこの先も、どうか宜しくお願い致します」


おっちゃんは満面の笑顔で、俺に向けて手を差し出した。


「ああ。此方こそ、宜しく頼む」


俺は日に焼け、以前よりも少し分厚く見えるおっちゃんの手を、固く握り返した。いや、しかしまあ頑張るのは大変結構なのだが、あまり無茶はしないでね。もう良い歳なんだからよ。


取り決めた条件は、俺にとっては破格、だと思う。尤も、迷宮の情報を売るにせよ其の価格の指標となる知識が俺には皆無な為、正直な所提示された取り分が果たして高いのか安いのか余り定かでは無い。


とは言え、だ。此の先無事に大山脈を越えられたとしても、流石におっちゃんの故郷迄同行する気は無い。何故なら完全に狩人ギルドで受注した護衛契約の範疇の外となってしまう上、俺には別途王都で麗しきお姉様に童貞を捧げるという重大な使命がある。其れはとてもとても大切な事だ。なので無事大山脈を越えた暁には俺はおっちゃんと別れ、迷宮の取引に関して以後は全て丸投げする旨を宣言した。そして其の事を、どうにかおっちゃんに受諾して貰った。


此の先取引の成立に漕ぎ付ける迄の莫大な労力を考量すれば、取り分はおっちゃんが7、いや8割は持って行っても不思議では無い、と思う。先程はおっちゃんに対して今迄の功績を色々とアピールはしたものの、其れ等の殆どは一応護衛契約の範疇と考えられる上、実務を丸投げする為の口実にしたけれど、正直に言えば俺には偶然迷宮が在る洞窟を見付けたに過ぎないという思いも有るからだ。口には出さないけど。


なので最終的に提示された俺の取り分は、恐らくはおっちゃんの好意なのだろう。思えば交渉の最中から、何となくおっちゃんに話の流れを誘導されてる様に感じられた。それにおっちゃんの異様な熱気に当てられて、我知らず己の功績を熱心にアピールしてしまったのも、今思えば滅茶糞恥ずかしい。何時の間にやらおっちゃんの表情からは先程までの異様なギラ付きは影も形も無くなり、以前迄の好々然とした佇まいに戻っている。まるで知らぬ間に悪い夢から醒めた様な心地だ。


また、おっちゃんと商談をして思い知らされた事が有る。此の異界では如何に素晴らしいお宝を発見しようが、其の価値が高ければ高い程に現金化する事が如何に困難であるかを改めて痛感させられたのだ。今思えば、迷宮都市ベニスで採取できる魔石はとんでもなく破格の商材だったと分かる。


そしてお宝の現金化を試みる際、とても重要な役割を担うのは、幅広い人脈と有力な組織に対するコネである。此の世界は故郷とは異なり、商取引は互いの信頼関係により成り立つ部分が非常に大きい。一応エリスタル王国には商法や、場合に拠っては魔法に拠る縛りなんかも存在するらしいが。今迄もある程度頭では分かって居たつもりなんだが、おっちゃんと意見を交わして認識の浅さを改めて痛感させられた。


勿論、相手に舐められたり、一方的に搾取されない為に武力も必要ではあろう。特に初見の相手に対しては。しかし武力を笠に着た取引ばかり続けて居ては、早晩行き詰まるのは目に見えている。ヘマをすれば恨みを買い易いだろうし、相手からしてもそんな奴を客として贔屓にしたいとは思わないだろうからな。


ならば此の世界で末永く商売を続ける為に、他に必要なものは何か。其れは単に広い人脈と言うだけでなく、互いに信頼出来る濃密な人間関係の構築である。だが言うは易し。商取引に精通しており、尚且つ優れた人材と誼を持つ。其れだけでも難事であるのに、その上で互いに強固な信頼関係を築かねばならぬ。殺伐過ぎる此の異界で其れを成し遂げる事が、如何に困難である事か。俺?無理に決まってんだろ。そんな素敵な人間関係を構築できる程人間出来てないし、カリスマ性も皆無だ。そもそも俺自身が、此の世界の赤の他人な奴等を全く信用出来ない。


「どうです?カトゥー君。商売って、難しいでしょう」


すると、そんな俺の心中の葛藤を見透すかのように、目に前に座るおっちゃんが親し気に声を掛けて来た。


「うむ」


「でも、楽しいでしょう」


おっちゃんは俺に向けて再び、何処かおどけた様な、人好きのする笑顔をニッコリと浮かべた。


「・・・うむ。そう、かもしれんな」


成る程。腕力や体力では如何にしても負ける気はしない。だが、俺では決して持ち得ぬモノを、おっちゃんは持ってるんだな。商売事に関しては、此の先もとてもじゃ無いがおっちゃんには敵いそうに無い。



____そして翌日。薄暗い洞窟の外は、相変わらずの猛吹雪である。


朝餉を済ませて荷物を纏めた俺達は、今度はモジャを伴って、再び未知なる迷宮の中へと足を踏み入れた。

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