第196話
「遥かな神話の時代、神々は競って世に数多くの迷宮を創造しました。その事は古き遺物や、古来より伝わる幾つもの伝承にも記されています」
俺の反応を見て興が乗ったのか、おっちゃんはドヤ顔をキメながら神々の迷宮について語り始めた。
「ふむ、しかし途轍もなく古い伝承なのだろう。信憑性はあるのだろうか」
「ええ。近年にも迷宮に関して神々から神託を賜ったり、古の知識を請うた記録が残っていますからね」
おうふ。当の御本人、もとい御本神から聞いたのかよ。俺の想像の埒外だな。それなら神々のアタマに痴呆が入って無きゃ、信憑性は間違い無いのかもな。そういうトコロ、地球じゃ絶対に有り得ない話だよなあ。
「しかしながらカトゥー君。世界広しと言えど、そんな神々の迷宮は、今や指で数えられる程しか現存していません。何故だか分かりますか。」
「ええと、魔物領域に在るからかな」
「それも大きな理由の一つですね。他にも数多くの迷宮が当の神々によって破壊されたり、永い歴史の中では魔物や人族によって破壊される事も有りました。しかし実は最大の要因は別に在ります。それは古代人が建造した遺跡や迷宮にも当て嵌まる事ですが」
「ふうむ、何だろう。風化して崩れたとか?」
「いえ、もしかするとそういった事例も有るかも知れませんが。しかし最大の要因はコレですよ」
おっちゃんは足で地面をトントンと叩いた。ああ、成程。
「・・お若いのにカトゥー君は理解が早いですね。お察しの通り。神々の迷宮の入口も、古代人の遺跡や迷宮も、今やその殆どは地下深くに埋まって居るんですよ」
俺の顔色を見て、おっちゃんは俺の理解を直ぐに察したようだ。この辺り、流石は熟練の行商人である。他人の表情の変化から思考を読み取るのが上手い。
「ふうむ、成る程なあ」
確かに考えて見りゃ、地球でも地表に露出してる古い遺跡なんて殆ど無いもんな。観光地等で現存する遺跡だって、実際は発掘したり復元した代物ばかりだったし。
「ええ。例えばエリスタルの旧王都の地下深くにも、神々の迷宮の一つが確実に存在すると伝えられています。ですが城や市街地を闇雲に掘り返す訳にもいきませんからね。そんな訳で、地上に露出している神々の迷宮は途轍もなく希少なんですよ」
改めて話を聞くと、ベニス近郊に在った迷宮『神々の遊戯場』はとんでもない迷宮だったんだな。思い出して見りゃ此の殺伐とした異界じゃ滅茶苦糞珍しい観光地として成立する位高名だったからな。嫌過ぎる思い出に毒されてたとはいえ、忌避せず一度くらい潜っておけば良かったかも。
「ふうむ、神々の迷宮が希少なのは 理解した。しかしおっちゃん。幾つか疑問もある。そもそも此処は 本当に何処ぞの神が創った迷宮なのか?」
「何処ぞ・・いえ疑問を抱くのは当然の事と思いますが、それに関しては私の行商人としての知識と経験を信じて頂く他ありません。私は他の神々の迷宮を幾度か訪れた事がありますが、遺物に遺された神代文字と門の構造、そして人知を超えた此の場所への転移。得られた物証を鑑みれば、まず間違い無いと思われます」
「・・うん、承知した。おっちゃんを信じよう」
おっちゃんに俺を謀る理由など無いし、もし勘違いだったとしても俺にとって大した問題では無い。おっちゃんの行商人としての名誉に傷は付くかも知れんが。
「しかし未だ疑問はある。迷宮の所在地だ。誰も足を踏み入れた事が無いであろう 大山脈の真っ只中なのだが。どう考えても真っ当な人族が 辿り着ける場所じゃない。果たして商材として 成立するのだろうか」
「其の事に関しては利点と欠点の双方が有ります。確かに普通の人族にとっては、この洞窟に辿り着く事さえ途轍もなく困難でしょう。しかも此処まで辿り着いた上で更に迷宮探索に挑むとなると、必要な資金と物資、そして時間は膨大なものとなるでしょうね」
「うむ。幾ら情報を得られても其れを生かせないんじゃ、あまり意味が無いんじゃないか」
「ですから情報を提供するのは然るべき人、なんですよ。普通の人族にとっては絵空事であっても、例えば腕利きの狩人であれば、位置さえ特定出来れば此処迄辿り着くのは決して不可能では無いでしょう。勿論、容易くは無いでしょうが」
「ふむ」
「更にそういった手合いの人々にとっては、逆に低水準な有象無象に場を荒らされる恐れが無いという大きな利点が有るんですよ。相応の実力者で無ければ、入り口の洞窟まで辿り着く事すら不可能に近いですからね。そしてそんな人々にとって神々の迷宮、しかも人間領域では唯一無二に近い希少な処女迷宮は、どんな手段を用いてでも先んじて探索したい魅力に満ち溢れている訳です」
「成る程な。しかしおっちゃんは処女迷宮と言うけれど、確か神々の迷宮は、一度として最深部まで踏破された事は無いと聞いたのだが」
「ははっ。確かにそうですね。私の失言でした。ですが現存する他の迷宮は、人族の限界と言われる階層まで踏破されておりますよ」
「成る程。此方こそ、何だか余計な事を言ってしまったようだ」
「いえいえ、お気になさらずに。そしてもう一つ。この迷宮の所在地には大きな利点が有ります」
「ふむ、何だろう」
「幸運な事に迷宮の所在地である大山脈の奥地は、何処の国の領地でもありません。また、何者も領有権を主張しておりません。これが麓に近い地域となると、また話が面倒になってくるのですが」
ああ、そういう事も有るのか。此の世界では広大無辺な魔物領域を筆頭に、如何なる国家や領主にも領有されて居ない所謂空白地帯のような地域は特に珍しくも無い。其の理由は幾つも考えられるが、例えば大山脈の奥地など領有権を一方的に主張した所で、狂暴な蛮族共の怒りを買うだけで何一つ利点が無い。他の理由の一つとしては、単純に地球と比べて土地の面積当たりの人口が桁違いに少ないのだ。誰も居らず道すら無い上に魔物が跋扈する未開の地の領有を主張した所で、これまた何の意味も無い。トチ狂って開墾しようにも糞程労働力と金が掛かるだろうし、維持するコスパも最悪だろう。他に優先すべき土地が幾らでも有るのにだ。因みに俺の見立てに拠れば、此の惑星の直径は地球よりも相当にデカい。長らく旅をしていて気付いたのだが、此の世界の地平線の位置は地球よりかなり遠く感じるのだ。尤も、地平線の位置は目線の高さに拠って変化する為、現時点では疑惑の段階ではあるのだが。まあ、それはさておき。
「何処の国の領地でもないのなら、取引の際に税が掛からないと言う事なのか」
「実際にはエリスタルの国内で金銭が動きますから、税は掛かってきますよ。それよりも重要なのは、国や領主様からの横槍が入り辛い事です。如何に我々が最初に発見したと主張しても、もし迷宮の所在地が何処かの領土内であれば、その所有権は領主様に帰属しますから。そして仮にその事を盾に全ての商取引を横取りされた場合でも、所詮は脆弱な商家の一行商人に過ぎない私では、如何に商人ギルドの後ろ盾が有っても抗う術はありません。何故ならその場合、主張の正当性は領主様にありますから」
まあ、言わんとする事は分かる。その場合最悪武力で以って何処ぞにサクッと埋められて、その後素知らぬ顔で取引を横取りされても誰も助けてはくれないだろう。
「凡その話は分かったが、主の無い土地であっても横槍自体は入りそうに思えるが」
「その対策の為に、取引の後ろ盾として予め商人ギルドに話を通します。先にギルドの誰に話を通すかは、慎重に検討せねばならないでしょうが・・。私がカピーダスでは無く、商人ギルドに属して居るのは幸いでした」
「カピーダス?」
「ああ、カトゥー君は辺境の出身でしたか。でしたらご存じ無いのも当然でしょう。カピーダスはエリスタルにおいて、絶大な力を持つ三大商会の俗称です。王都を筆頭に主要な都市部では、商人ギルドよりも三大商会の方がより強大な権力を有してるんですよ」
えぇ?そうなんだ。てっきり商売に関しては商人ギルドが牛耳ってるとばかり・・。
「そ、そうなのか」
「ふむ、そうですね。確かに商人ギルドは大陸中に広大な販路を誇り、また組織の規模だけを見れば決してカピーダスにも引けを取りません。ですがエリスタルの王族や大貴族が関わる巨額な取引や、国や領主が主導する公共事業の受注に関しては、基本カピーダスとその傘下が全て取り仕切って居ると言っても過言では無いでしょう。逆に我々商人ギルドは、自慢の販路を生かした行商が最大の強みですね。尤も、カピーダスと商人ギルドは互いに無関係と言う訳では無く、実際には様々な取引や利害関係に拠って複雑に絡み合っている訳ですが」
「ふうむ。ではそのカピーダスとやらの取引を、商人ギルドで奪う事は出来ないのか?」
「ははっ其れは難しいでしょう。そんな無法に手を染めれば、下手をすれば連日王都に死体の山が出来ますよ。それに商人ギルドは所詮中小規模の商家や商会の寄せ集めですから。特にエリスタルの大貴族や王族が絡む取引ともなると、商会としての『格』がとても重要になってきますからね」
「へぇ」
むううっ所詮辺境の山猿である俺には知らない事ばかりじゃねえか。もうヘェとしか言いようが無いぜ。
「少々話は逸れてしまいましたが、我々商人ギルドは建前上は構成員の上下関係が無い横並びの組織ですからね。ですのでカピーダスのように、傘下の実入りが良い取引を強引に取り上げる様な事は・・・・建前上は無いと言う事です。良かったですね」
「うへぇ」
おっちゃんはニッコリととても良い笑顔を俺に向けて披露してくれた。だが其の目は全く笑って居ない。俺は目を逸らしそうになるのを意地で我慢する。
「まあギルドとの交渉や手続きに関しては、私にお任せください」
「う、うむ。頼む」
「次は迷宮の情報提供について交渉する相手ですが、此方も慎重に検討しなければなりません・・・」
俺は昨日までとはまるで別人のように目をギラ付かせながら矢継ぎ早に取引の概要を解説するおっちゃんに、完全に圧倒されてしまった。しかし、卑しさフルパワーな金銭欲を十全に満たす為には、そう簡単に白旗を挙げる訳にはいかぬ。俺はすっかり茹った脳をフル回転させつつ、死に物狂いでおっちゃんの熱過ぎる語りに耳を傾け続けた。




