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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
222/267

第195話

神々が創造した迷宮、か。


興奮に鼻息を荒くしながら尚も洞窟内の構造物を熱心に調査するおっちゃんのケツを眺めながら、俺は嘗ての記憶を辿る。何故なら俺が神々を其の名に冠する迷宮と関わるのは、此れが初めてでは無いからだ。


以前、俺が長らく滞在していた迷宮都市と呼ばれるベニスの町。俺が思い浮かべる其の迷宮とは、かの迷宮都市において名高い二大迷宮の片割れ。そう、あの忌まわしき迷宮『神々の遊戯場』である。あの当時、俺はポーターの一人として迷宮『古代人の魔窟』にて初めて迷宮探索に参加し、其処で凶悪極まる魔物である通称ハグレに遭遇した。そして奴とその後の迷宮内での遭難によってゴールデンハムスター並にナイーブなハートに重篤なPTSDを刻み込まれた俺は、後に心のリハビリと金策を兼ねて迷宮『神々の遊戯場』へと挑んだのだ。


だが、俺を待って居たのは悪夢のような結末であった。


少々記憶が曖昧ではあるが、有名な観光地でもある『神々の遊戯場』の入り口付近には活気のある幾つもの露店が立ち並び、数多くの人々で賑わって居た様に思う。そして雅な外観の建物にて手続きをした後、迷宮の入口の前に立った俺は、何と其の場で盛大にPTSDを発症してしまい、結果として周囲の人々に盛大にゲロを撒き散らすという最悪過ぎる凶行をぶちかます事に相成った。その後、怒り狂ってカッ飛んで来た衛兵にぶん殴られた俺は錯乱した挙句、脱兎の如く逃走する顛末となった。余りにも苦過ぎる思い出である。


勿論、ブチ切れた衛兵さんにも『神々の遊戯場』にも一切の非は無く、100%俺が悪い。俺が衛兵さんの立場なら、地獄の果てまで俺を追い詰めてタコ殴りにしている事だろう。だが理屈ではそうと分かってはいても、人間の感情って奴はそう簡単に割り切れる代物では無い。俺の『神々の遊戯場』に対する心証は、未だ最悪のままである。そんな訳で。何時に無く昂るおっちゃんとは対照的に、同様に神々が創造した(おっちゃん談)迷宮(推定)を眺める俺の心中は実に冷やかだ。


そうこうするうちに、木炭で紙片に何やら熱心に書き写していたおっちゃんが、乾燥したモジャの糞を薪代わりに火を起こして暖を取る俺達の元へ戻って来た。


「おっちゃん。他に何か分かったのか?」


俺は焚火を挟んで対面に腰を下ろしたおっちゃんに訊ねてみた。


「いえ。あの遺跡に関しては専門家に掛け合ってみないと、今以上の事は分からないでしょう」


「ふむ、ならば迷宮を 探索してみるか?」


「え~アタイは嫌だよ。面倒臭ぇ」


俺の提案に即座に樽が横槍を入れて来た。どうやら樽は乗り気ではない様子。


「いえ、止めておきましょう。本格的な迷宮探索を行うには、今の私達では余りに準備不足です。そもそも我々の目的は生きて大山脈を越える事であって、迷宮を探索する事ではありませんから。尤も、本音を言えば入り口付近を幾らか調査する程度でしたら、是非とも挑みたい所ではありますが」


「ふむ」


思いの外冷静だなおっちゃんは。俺としては備蓄を考慮すると、獣や魔物(くいもん)を探しに行くのは吝かでは無い。とは言えアノ場所はちと得体が知れないんだよなあ。必ずしもおっちゃんが言う様な迷宮とは限らないし、俺達では手に負えない化け物と遭遇する可能性もある。尤も、今迄踏破して来た大山脈だって自然環境がヤバ過ぎたし、身に降り懸かるリスクなど今更である。それならば。


「ならばどの道外の吹雪は 暫く収まりそうに無いし、今日は一旦休んで明日 あの入り口付近を 探索してみないか。それにもし内部に獲物が居るのなら、食料を調達出来るやも知れん」


「良いですねぇ。折角発見したんですし、やりましょう。何せ手付かずの処女迷宮ですし、ひょっとしたら物凄いお宝が眠って居るやも知れませんよ」


「・・フンッ。まあ少し位なら、一緒に行ってやるよ」


あれ?おっちゃんやっぱし余り冷静で無いかも。そしてそんなおっちゃんに煽られた樽は、コロッと先程迄の意見を翻した。お前幾ら何でもチョロ過ぎないか。まあ何れにせよ、方針は定まった。上手く食料が調達出来れば良いのだが。


その後、簡素な夕餉を済ませて寝床の準備をしていると、おっちゃんが耳元でそっと囁いて来た。


「カトゥー君。後ほど二人で少し、話をしませんか」


すわ、愛の告白か。ならば二、三発ブン殴って、其のトチ狂った脳を初期化してやらねば・・て、んな訳無いか・・・無いよね?おっちゃん、チョット顔近いよ。


「迷宮の事か?」


「ええ」


「分かった」


正直少しだけビビッてしまったが、それならば異存は無い。そして俺達は樽が完全に眠りに落ちた事を確認すると、連れ立って密かに其の場を離れた。洞窟の外は猛烈な吹雪なので、見張りを立てなくても魔物や猛獣の類に襲われる事はまずあるまい。


「折角ですし、迷宮の中で話をしませんか」


俺は魔導ランプに照らされたおっちゃんの顔に向けて、一つ頷いた。あの場所ならば気兼ね無く声や音を立てられるし、万が一樽が来たら直ぐに察知出来るので、二人で密談をするには実に都合が良い。俺達は再びアーチ状の門を潜って、推定迷宮の中へと移動した。不気味な浮遊感の後、目の前に古ぼけた石の階段が現れる。


「不思議なものだな。神々が創った迷宮の入口ってのは 何処もこんな感じなのか」


確か迷宮『神々の遊戯場』も、入り口を潜ると広大な草原が広がって居ると聞いた。此処とは違って、見た目は普通の草原らしいが。


「私が知る限りではそうですね。門を潜った先はこの世界の何処か、或いは別の世界に繋がってるとも言われています」


「ふむ」


個人的には眉唾な存在ではあるが、流石は異界の神様と言った所か。空間を歪めたのか繋げたのか何だか知らんが、例え故郷の文明が此の先千年発展し続けたとしても、物理学の脳内オンリー理論の如き現象を再現する事など不可能であろう。しかし別の世界か。もしかすると此の世界で拝まれている神々の類は、故郷へ帰還する為の足掛かりとなるやも知れんな。神様なんてどうすれば接触が叶うのか皆目見当も付かんが。例のクソデカ山に登る?100%死ぬだろ。


俺達は階段を登り、再び不思議な景色に足を踏み入れた。此処は惑星の大気が薄いのか、大山脈の高峰に居るよりも更に息苦しい。十分に高度順化して居るお陰か左程不都合は感じないが。空に浮かぶ不気味な色の太陽は、赤色巨星だろうか。元の異界の太陽よりも一回り位大きく見える。


俺達は人工物と思しき地面に転がる風化した立方体の石に、向かい合って腰掛けた。


「で、話とは何だ?」


「この迷宮の事ですよ。言ったでしょう途轍もない大発見だと。なので今後の事について、カトゥー君と交渉しておきたいと思いまして」


「装備を充分に整えて、日を改めて 本格的に探索したいって事か?」


う~む、正直言って全然気が乗らない。そもそも此の場所を再訪するだけでも途轍もなく困難な道のりだろうし、命が幾つ有っても足りやしない。しかも俺は神々の迷宮に対して思い入れ何ぞ皆無だし。いや、何方かと言えば悪感情しか無い。全部俺の所為だけど。


「いいえ、違います」


「ん?」


「私はこの迷宮の情報を、然るべき相手に提供しようと考えています。恐らくは、私が嘗て経験した事の無い巨額の商談になるでしょう」


おっちゃんは其の瞳をギラギラと輝かせ、犬歯をムキ出しながら獰猛な笑みを浮かべた。唯でさえ連日の過酷なカロリー消費と伸び放題の各種体毛に拠り、おっちゃんの容貌は野性味推定400%増しと成り果てて居る。其れに加えて此の表情である。以前と変わらぬ丁寧な口調に反して、あの好々然とした面影は最早欠片も見出せぬ。だがしかし。


「話を聞かせて貰おうか」


溢れる笑顔を抑え切れぬ俺は、おっちゃんのギラ付く目を真っ直ぐに見返しながら、ずずいと前のめりに身体を寄せた。うひょ~探索とか割とどうでも良いが、儲け話となれば話は別だぜ。


おっちゃんが敢えて俺に交渉を持ちかけたのは、好意か打算か或いは其の両方か。何れにせよ俺は此の世界に飛ばされてから、金の大切さは身に染みているからな。最近は金銭感覚が少々バグってたけど。なので頂ける銭ならばキッチリ獲りに行くぜ。


もし此の場で僅かでも遠慮なんぞしたら、恐らくおっちゃんは俺に対してお人好しだの善人だの都合の良い好意的な解釈なんぞしてくれない。其れ処か、儲け話をする価値も無い唯の阿呆と見做されるだろう。おっちゃんの目と貌が雄弁にそう物語っているぜ。


コイツはタフな交渉に成りそうだ。


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