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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
220/267

第193話

峻厳な高峰の真っ只中で遭遇した猛烈な悪天候を辛うじて遣り過ごした俺達は、高地特有の濃い青空と降り注ぐ苛酷な太陽光の下、大山脈を東方に向かって踏破する為の旅を再開した。


頭上の景色を見上げれば、俺達が踏み越えて来たピークに程近い鞍部の姿が想像以上に間近に在った。視界がホワイトアウトする程の猛吹雪の中、結構な距離を歩いたと思って居たのだが。思いの外距離が稼げて無かった事実を突きつけられ、少なからず落胆する。しかも、歩き始めた俺達の目の先には比較的傾斜が緩い雪原と、良い塩梅で風除けに成りそうな巨大な岩塊が雪と氷の壁から迫り出して見えた。其れは先日、猛吹雪の中で一瞬垣間見えた景色と合致する。ううむ、これ程近くに在りながら、結局今に至るまで探り当てる事が出来なかったとはな。悪天候で視界が効かない事の恐ろしさを再認識する。


こうして穏やかな天候の中で改めて周辺を眺めると、荒れ狂いまくってた昨日迄とはまるで別世界の風景に感じられるな。


俺達は腰まで埋まる雪をザクザクと景気良くラッセルしながら、眼前まで迫った岩塊に向けて更に歩を進めた。今居る雪がアホ程乗った急斜面は余りに危険過ぎるので一旦トラバースし、稜線上迄少しばかり登り直す。その後、稜線に沿って再び下山する目論見だ。


故郷での単なる登山であれば、或いは懸垂下降して一気に下山する手も有るだろう。だが、そもそも登山なるスポーツや娯楽が存在すらしない此の異界である。当然、俺達は碌な登攀ギアを所持して居ない上、俺も含めておっちゃん達の登攀経験は未だ付け焼刃の域を出ない。更には重い荷物を運搬する四足歩行なモジャを伴ってとなると、氷壁一つ二つ程度ならまだしも、巨峰一つ基部迄降りるとなると到底一筋縄ではいかない。特に体力と身体能力が心許ない二人と荷物持ちな一匹がどうにか降りられるルートを模索しながら進まねばならぬ。


てな訳で。砂漠の砂のように乾燥した雪を掻き分け、踏み固めながら目的の岩塊の基部迄辿り着いた俺達は、小休止がてら改めて周囲の様子を探ってみた。すると、其の辺りの雪の一部が妙に不自然に盛り上がって居る様に見えた。一体こりゃ何だ。強風で岩塊の一部が崩落でもしたのだろうか。


不審に思った俺は、杖代わり兼クレバスへの落下を防ぐ護身具として握っていた相棒の先端で、眼前にこんもりと盛り上がった雪の塊を何気無く払ってみた。すると、


「うおっ!?」

目の前に現れた光景に、思わず声が出た。


「うわああっ」


「オイオイ・・」


ほぼ同時に、背後からおっちゃんと樽の狼狽えた様な声音も聞こえる。


打ち払った雪の中から姿を現したのは、カチコチに凍り付いた幾人もの人間の姿だった。其の様子はまるで寒さから逃れようとするかの如く、皆互いに身を寄せ合い、身体を丸めた状態で凍結していた。そして、其の身なりは。


「此奴は・・まさか蛮族の 奴等だろうか」


「背格好から見るに、恐らくはカトゥー君の言った通りでしょう」


振り返って訊ねてみると、厳しい表情のおっちゃんが俺に向けて一つ頷いた。


「此奴等の事、おっちゃんは どう見る」


「我達を追って来たのかも知れません。あの嵐に巻き込まれる迄は、雪の中を私達が移動した痕跡は隠し様がありませんでしたから」


「ふむ」


此奴等があの商家のお嬢様一行を襲った連中かどうか定かでは無いが、よもや俺達の直ぐ傍まで迫って居たとはな。・・・いや、待てよ。必ずしも俺達を追って此処まで来たのでは無く、単に遭難しただけの可能性もあるな。初動は兎も角、天候が急変した後ならば、寧ろ可能性としては其方の方が高そうだ。何れにせよ結果纏めてお陀仏となってしまった訳で。あのヤバ過ぎる猛吹雪の苛烈さは、土着の山岳民である此奴等にとっても随分と想定外だったと言う事か。


それにしても。


俺はカチコチになった蛮族共の骸を眺めながら物思いに耽る。


正直、俺としては此の数日間の停滞はかなり痛い。主に食料の備蓄的に。おっちゃん達は保存食がまだ有るからと悠長に構えているが、旅慣れたおっちゃんにしては随分と認識が甘い様に感じられる。俺からすれば保存食に手を出さざる得ない時点で、状況は既に黄信号と見做される。本音を言えば、遭難後の俺は食料のほぼ全てを現地調達で賄うつもりで居たのだ。だが不幸中の幸いと言うべきか、此の山に取り付く前に幾らかの小動物を仕留める事が出来たし、周辺の自然環境は食料の保存に適している。とは言え、残った備蓄は決して楽観できる分量では無い。


そこで期待を込めて雪を更に広範囲に払い落としてみるも、現れるのはグロい死体ばかりで、目ぼしい食料の類は何処にも見当たらない。チッ、シケてやがんな。


その時、ふと肉付の良さそうな骸の一つに目が留まった。


・・・ふむ。例えば、だ。例えばコイツ等の一部を保存食として有難くお持ち帰りするのは、果たしてアリ・・なのだろうか。ううむ、一応可食出来そうな有機物、ではあるが。もしアリならば、当面の食糧問題は一気に解消されるのだが。


俺は中腰に成り、顎を指に乗せて冷凍保存されたジビエの状態を慎重に吟味する。


「カトゥー君?」

訝し気なおっちゃんの声が、やけに遠く聞こえる。


すると苦悶の表情のまま硬直している蛮族の濁った瞳と、何となく目が合ったような気がした。


ゔ~~む、やっぱし無理過ぎる。


大山脈の麓に在るシュヤーリアンコットの町で見掛けた類人猿程にモンキー寄りならば或いはイケたかもしれんが、此奴等は相当に毛深いものの、造形が我々ホモ・サピエンスに近過ぎる。故に忌避感が半端無い。


少しばかり山に籠って如何に野生を気取ろうが、俺も所詮は温室育ちなヒトカス、と言う事か。共食い上等なチンパンジー並の野生へと進化のロードを逆走するのは、俺如きじゃ土台無理筋な夢物語と言う事なのだろう。いや、別にそんなヤバい夢見ちゃあ居ないけど。ただ如何に軟弱なヒトカスと言えど、限界まで追い詰められれば共食い迄ヤッちまう事例は古今東西無い訳では無い。故郷の例では嘗ての戦国の世で羽柴秀吉が敢行した、鳥取の飢え殺しの逸話など有名である。俺としては、そんなヒトカスとしての尊厳崩壊待った無しな事態にまで追い詰められるのは真っ平御免であるが。また、例外としてアタマ逝っちゃってるカニバル系凶悪犯罪者なんかも稀に居るが、そういう連中は尊厳だの野生云々だのとはまた無関係だろう。


何れにせよ、目の前の死体に手を出すのは到底無理だな。そもそもおっちゃん達にドン引きされそうだし。


「いや、何でも無い。もう少し休んだら 出発しよう」


俺はおっちゃんに応じると、立ち上がってジビ、いや蛮族の死体から目を離した。




____俺達がとんでもない猛吹雪に襲われ、死に掛けたおっちゃん達をどうにか治療して再出発してから10日余りが過ぎた。その間、俺達は薄氷の上でデッドリフトをかますような瀬戸際に幾度か見舞われながらも、険し過ぎる幾つかの高峰や氷壁を辛くも乗り越えた。しかし広大な大山脈の果ては、未だ影すら見えない。



俺は視界一杯に拡がる白銀の斜面を、ラッセルしながら目標の黒い岩に向けてひたすら突き進む。後に続くのは勿論、おっちゃんと樽、そしてモジャだ。大気は下界とは比べ物に成らぬ程に薄く、身体に重い負荷が掛ればあっという間に息が上がる。此処まで来ると最早逸れた隊商の本体はおろか蛮族共の痕跡すら完全に消失し、俺達が歩を進めるのは完全に人跡未踏な大地となった。


今の俺達の置かれた状況、故郷であれば或いは目前に広がるフロンティアと漲る冒険心に胸を熱くする局面なのかも知れん。だが此の異界では、人跡未踏の場所何ぞは其処ら中に転がっている。いや、其れ処か脆弱な人族の侵入を寄せ付けないヤバい地域の方が圧倒的に多いのだ。なので俺の胸の内には熱どころか果て無く続く山山山と、更には引きも切らずに襲来する窮地により、今では鬱屈した気分と恐怖感しか無い。雪原を歩く今も何時クレバスに転落するかと冷や汗ものだ。


そして、其の瞬間。


ピシッ


ヒエッ。否応無く山に順応し切った俺の聴覚が、頭上からの嫌~~な音を確実に捕らえた。俺は間髪入れず、背後を振り返って叫んだ。


「拙いぞおっちゃん!上からデカい雪崩が来る。急げ急げ急げっ!」


目標の岩の陰に入れば、少なくとも雪崩の直撃は避けられるハズだ。俺は急速に歩くペースを上げる。高地ゆえに、背後からはあっと言う間に荒くなった呼吸音が聞こえて来る。深い雪の中を歩きながら頭上を一瞥すると、決して見たく無かった光景が視界に飛び込んで来た。遥か頭上の広大な雪の急斜面に、馬鹿デカい亀裂が一直線に伸びて居る。不味い、あのデカさだと大規模な全層雪崩が来るやもしれん。


迫る死の恐怖に駆られた俺は、おっちゃんを半ば引き摺る様に走り始めた。ほぼ同時にモジャも生命の危機を本能的に察したのか、俺と並走する様に雪を掻き分けながら猛烈な勢いで走り始めた。モジャとロープで繋がれた樽は虚を衝かれたのか、転倒して其のままズリズリと引き摺られている。


程無く俺もおっちゃんを容赦無く引き摺りながら、全力疾走に移行した。背中から何やら喚く声が聞こえてくるが、今は其れどころでは無い。酸素不足による息苦しさで、あっという間に呼吸が乱れる。しかし邪魔臭い雪の壁に阻まれ、身を隠せそうな目標の岩の姿はもどかしくも中々近付かない。


そして間も無く、危惧した恐怖は現実となった。目の端に巨大な雪煙が立ち登るのが垣間見え、遅れて不気味な轟音が耳に入って来た。


あっあっ、ヤバいヤバいヤバいっ!


俺は最早並走するモジャを気に掛ける余裕も無く、死に物狂いで身体を動かす。ネックウォーマーに覆われた首筋の毛は総て逆立ち、そして股間に輝く玉は限界まで収縮して、差し迫った生命の危機を猛烈に報せて来る。


そして永遠にも感じた時の後、辛うじて雪原をぶち抜いた俺は、酸素不足に喘ぎながらも巨岩の陰に転がり込んだ。そして間髪入れず、ロープで繋がったおっちゃんを引っ張り込む。うおおおっ間一髪で間に合った!そして一瞬の安堵とほぼ同時に、モジャが猛烈な勢いで岩陰に滑り込んで来た。だがしかし。


その刹那、まるで津波のような巨大な雪と氷の瀑布が、紙一重の差で樽の身体を覆い隠すのが垣間見えた。


「うおおおっ!」


俺は全力で踏み込むと同時にモジャに繋がったロープを引っ掴むと、スタンスを目一杯拡げ、全身の筋肉を総動員してロープを手元に引き込んだ。


すると数瞬の間、巨大な雪崩に流され掛けた樽の身体が、一本吊りされた鰹の如く宙を舞って岩陰に飛び込んで来た。そして間もなく、俺達は雪崩の雪煙に飲み込まれた。


結局、全身雪に埋まってしまったものの、俺達は全員流される事無く辛うじて巨大雪崩から生還する事が叶った。岩の隙間から雪を掘り進めて地上に這い出ると、周囲の景色が一変していて驚いた。尤も、元より初見で大自然オンリーな景観なので、大した衝撃は感じなかったのだが。それよりも山越えの間にムサ苦し過ぎる外見と成り果てた樽が、オイオイと号泣しながら抱き付いて来たのが衝撃過ぎた。尚、俺は反射的に其の顎を掌底で打ち抜いて、危うい所で昏倒させる事に成功した。今はただ、発達した己の反射神経を手放しで誉めてあげたい。



____其れから更に数日の後。


俺達は見知らぬ大地に立っていた。其処は見渡す限りの白い草原。そして天空には深い藍色の空が拡がり、不気味な赤銅色の太陽が輝く。



此処は何処だ。

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蛮族の死体をジビエと言いかけるなw
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