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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
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第192話

おっちゃんと樽。薄汚れた年かさ同士が固く抱き合う地獄のような情景をプロデュースした俺は、二人を低体温症の危機から救出すべく、とある魔法を発動した。其の魔法は耐火の魔法の応用である。名称は特に無い。敢えて言うならばエアコンの術(仮とでもしておこうか。


俺はおっちゃん達の周囲に拡散した自身の日属性の魔力をトリガーに、大気の分子運動を加速させてゆく。そして次第に、抱き合うおっちゃん達の周囲の温度がまるで其処の空間だけが切り取られたかの如く上昇してゆくのが分かる。自分でやっておきながら、何とも不思議な気分だ。肉体も精神もかなりローカライズされてしまった感は有るが、一応純地球人なんだよな、俺。


エアコンの術(仮は体感として周囲の熱エネルギーを奪う耐火の魔法(体外版)と比べると発動は容易いものの、温度の変化量が小さい割には消耗する魔力は左程変わらない、お世辞にも燃費が良いとは言えない魔法だ。しかも俺の拙い技量のせいもあるだろうが、バラ撒かれたまま無為にロストする魔力もかなり多そうだ。だが、其れでも耐火の魔法の温度が安定せずムラだらけだった以前に比べれば、俺の日属性魔法の技量は短期間で驚く程上達したように思える。


とは言え、手足の代わりに魔力を以て物理現象を引き起こすタイプの魔法は、緻密な肉体の感覚を用いる武術とは非常に相性が悪い。少々使った程度では何て事は無いが、常用するとなると手足の感覚が鈍らない様気を配らねばなるまい。


そう考えると、懐炉の術は実に使い勝手の良い魔法だ。燃費は非常に良いし、魔力が馴染む己の体内を温めるだけなので難易度も低く、更には濫用の末に手足の感覚が鈍る恐れも無い‥多分。そして其の効果は非常に高く、会得すれば故郷であれば厳冬期の旭川、其の路上においてタンクトップ&ショーパン、いやそれどころか裸族、すなわち高難度な変態の所作をも成し得るであろう。


俺は魔力枯渇により不意に力尽きぬよう体内の疲労感を探りながら、また、温度を上げ過ぎて樽がローストポークにならぬよう注意深く魔法を維持し続けた。背筋を撫でる冷たい外気とは対照的に、手元は既に常夏の楽園の如くポカポカに温かくなっており、其のせいで周囲の氷が解けて二人の身体や其の前に座る俺のケツが濡れるのが危ぶまれた。だが幸い、エアコンの術(仮の効果が及ぶ範囲は狭く限定されている上、俺達を囲む氷の壁は分厚い雪の重みで固く圧縮されており、そう簡単に溶ける様子は無い。


根気強く魔法を維持し続けて居ると、何時しか二人の肌には赤みが差し、覿面な効果が見て取れた。更に体感30分程掛けて魔法で二人の身体を温めた俺は、一旦魔法を解いて二人を触診してみる。其の肌は凍傷の患部を除けば充分な温もりを取り戻し、未だ意識は戻らないものの呼吸、脈拍共に安定している。其処で俺は処置を次の段階に移行する事にした。


お次は凍傷の治療である。果たして俺の回復魔法で凍傷の治療は可能なのだろうか。いきなりおっちゃんで試すのは少々躊躇われるトコロだ。もし失敗したり万が一却って悪化でもしたら拙いしな。が、今は上手い具合に手頃な実験動物が目の前に転がっているではないか。そこで楽しく愉悦な人体実験の時間ですよ!


今度は今迄のようなコッソリ体力回復とは訳が違う。本気の回復魔法に拠る治療である。そして俺の回復魔法に優しさやら慈愛なんて代物は無く、情け容赦無く痛い。なので治療の途中で急に目を覚まされて、秘匿性の高い回復魔法の事がバレたら面倒だ。そこで、俺はボロ布で樽の目を塞ぎ、猿轡を噛ませた。加えて痛みで暴れない様にロープで縛り上げておいた。其の絵面は治療と言うよりは此れから楽しい拷問のお時間ですよ、にしか見えんな。それにしてもこの樽。おっちゃんは連日の猛烈なカロリー消費のせいか恰幅の良い腹が随分と引っ込んで来てるのに、コイツの体型は初めて見た時から全然変わらんな。一体どうなってやがんだ。地面にだらしなくボテッと転がる其の姿は、まるで怠惰な動物園のジャイアントパンダから愛嬌をゴッソリ引っこ抜いた様な有様だ。


凍傷の患部を確認すると樽の頬や鼻や耳、そして幾つかの手足の指は血流が止まってしまったせいか、腫れ上がったのを通り押して次第に黒ずんで来ている。此のまま放置すれば、遠からず腐ってポロリしてしまうだろう。まあ樽なら少し位ポロリしても問題無いような気がしないでもないが、俺も其処まで鬼では無い。それに好都合な実験た・・もとい治験の被験者でもある事だし、今はしかるべく回復魔法を掛けてあげよう。魔法と言えば今日の俺は既に結構な魔力を消費したものの、身体の具合を鑑みるに、未だ残存魔力に多少の余裕は有ると見た。誠に不本意ながら俺自身の治療を後回しにすれば、おっちゃんの応急処置までならどうにか賄えるハズだ。多分。まあ前提として回復魔法が凍傷に効けばの話ではあるが。


俺は樽の身体を転がしてうつ伏せにさせると、ちょっと嫌だが後ろ手に縛り上げた其の手を自分の両手で包み込むように握る。そして集中力を高め、回復魔法を発動させた。すると、


「おおっ!?」


回復魔法の光を注ぎ込まれた樽の指から、抜け殻のような物体がバリバリと剥がれては落ち始めた。ぬわああ汚えな!思わず手を放り出しそうになるが、歯を食い縛ってグッと堪える。すると矢張り回復魔法の所為で患部に激痛が走るのか、樽はウ~とかブヒ~とか唸りながらジタバタと激しく暴れ始めた。


ふむ、此れは丁度良い気付け代わりに成るな。とは言え、こうも暴れられては治療に支障を来す。俺は回復魔法を中断して背後から樽に組み付くと、裸締めで其の太い首をキュッと絞めてやった。程無く、樽の身体からクタリと力が抜けた。・・うむ、ちゃんと生きてるな。よおおし初めはぎこちなかった、人間を絞め落とす行為にも随分と慣れて来たぞ。やっぱし何度も実践して経験を積まなないと、此の手の匙加減は中々身に付かない。加減を見誤って息の根を止めてしまったら大事だからな。


そして締められた鮟鱇のように大人しくなった樽の手に改めて回復魔法を注ぎ込むと、皮のような物体がバリバリと剥がれる現象は程無く収まり、其の跡からはピンク色の瑞々しい肌が現れた。其の健康的な張り、色艶、弾力、体温全て申し分無し。良し、どうやら首尾良く治療出来た様だな。であれば先におっちゃんの方を治療するか。


俺は樽と同様おっちゃんに目隠しをして縛り上げると、早速回復魔法に拠る凍傷の治療に着手した。その後、激痛に身悶えるおっちゃんも樽同様にキュッと絞めたのは改めて語るまでも無いだろう。


二人の重篤な患部にあらかた手当てを施した俺は、流石に身体の倦怠感による魔力の枯渇を感じる様になった。本音を言えば直ぐにでも就寝したいトコロだが、俺には未だやらねばならぬ事が有る。そう、己の肉体の鍛錬である。こんな状況でアタマがイカれてるんじゃないかと思われるかも知れんが、十分なタンパク質やビタミンの摂取が難しいこんな時だからこそ、日々の鍛錬がより重要となるのだ。


最早自重トレの負荷など殆ど意味を成さなくなってしまった今の俺だが、目の先には都合良く暇そうに突っ立っているバーベル(モジャ)が在る。コイツを利用しない手は無い。先程は敬遠したが、クレバスの上に引き上げるのも鍛錬と思えば存外悪く無いのかも知れんな。


その後、魔導ランプの淡い光に照らされながら肉体が限界の軋みを上げる迄高負荷のトレーニングに没頭した俺は、頃合いを見て鍛錬を切り上げて一息付いた。背後では何故か息も絶え絶えになったモジャがぶっ倒れている。何でお前が疲れ切ってんだよ。今迄俺にリフトされたり担がれてただけだろうが。


短い休憩を終えた俺は疲れ切った身体に鞭打って、トレーニングで温まったモジャの背中におっちゃん達を縛り付けた。こうしておけば二人共再び低体温症でくたばる事などあるまい。そして魔石が勿体無いので魔導ランプの灯りを消した俺は、最後にモジャに抱き着いて残り滓となった魔力を振り絞り、体内で回復魔法を盛大にぶっ放した。


度重なる苦難とトドメの鍛錬の果てに精も根も魔力も尽き果てた俺の意識は、急速に闇の中へと溶けていった。



___再び意識を覚醒した俺の目に前には、モジャの剛毛が在った。どうやら上手い具合に振り落とされず抱き付いたま寝られたらしい。だがううむ、一応暖は取れるものの、相変わらず剛毛過ぎてちっとも気持ち良く無いな。あと地球で言うトコロの蚤や虱に相当する生物が居ないか気にはなるが、例え居たとしてもあの寒さと猛吹雪に拠りとうに死滅したと期待しよう。


どうやら充分な睡眠を取った事で、魔力は回復した様だ。俺は回復魔法の光で周囲を照らすと、再び魔導ランプに明かりを灯した。


おっちゃんと樽は、未だ意識が戻って居ない模様だ。だが改めて触診してみた所では、肉体は完全に危機的な状況を脱した様子。俺はモジャの背に縛り付けられた二人を下に降ろすとモジャの身体を壁代わりに身を隠し、礫の激突でボッコボコになった自分の顔面と、噛み締め過ぎてグラグラに成った奥歯を回復魔法で治療した。


「う・・あ・・」


意識を失ったおっちゃんが漸く目覚めたのは、俺が目覚めてから体感で半日程経過した後の事である。その少し前に一度クレバスの外に偵察に出た俺だったが、外は相変わらず目も開けて居られない程の猛吹雪だった。


「良かった。やっと目が覚めたか、おっちゃん」


「あ、うあ、あ~・・・」


目を覚ましたおっちゃんの意識の覚醒には、其れから更に暫くの時間を要した。正直脳に重度の障害でも残ってしまったのかと滅茶苦茶心配になっちまったぜ。


「カトゥー君。良かった、君も無事だったんですね。それにしても、此処は一体・・」


「クレ・・いや、雪原に出来た 氷の裂け目の中だ。此処も安全とは言い難かっのだが、危機的な状況だったので 咄嗟に避難した」


俺は意識が覚醒したおっちゃんに、今迄の状況をごく簡潔に説明した。面倒臭いので事細かに説明する気は無い。それに余計な情報を与えて、回復魔法の事を勘繰られたく無いしな。


すると、モジャが軽やかな足取りでおっちゃんの傍まで近付き、その顔をベロベロと勢い良く舐め始めた。


「おお、お前も無事だったか。良かったなあ」


モジャの頭を撫で回すおっちゃんも嬉しそうだ。とても臭そうではあるが。


「おっちゃん、随分と 喉が渇いているだろう。コレを飲むと良い」


「おおっ!暁の熱砂を旅するデュモクレトスの如く、私も丁度渇き切って居たところです。有難く頂戴しましょう」


俺がホカホカのお湯を湛えた器を差し出すと、丁寧な言葉とは裏腹に俺から貪る様に器を奪い取ったおっちゃんは、其のままグビグビとお湯を一気に飲み干した。


「ハッハァ~・・。あ、いや!これは失礼致しました」


おっちゃんは申し訳無さと照れ臭さを器用にブレンドした表情と仕草を見せながら、俺に対してペコリと頭を下げた。


「いや、気にする事じゃない。其れよりも、身体に何か 異常は無いか」


「そうですね。強いて言えば、喉の渇きと体に幾らか倦怠感がある位でしょうか・・あっ!」


「どうした?」


「た・・彼女は、無事なのでしょうか!?」


ううむ?何だかおっちゃんは随分と焦っている様子だ。樽相手なのに。よもや固く抱き合ったせいで情でも湧いたのだろうか・・んな訳無いか。二人共寝てたし。


「ああ、樽なら其処で寝てるだろう。その内、目を覚ますんじゃないか」


俺は首を曲げて背後をチラ見すると、腹をボリボリ掻きながらグースカ鼾をかく樽を親指で指し示した。


その後、樽は間も無く目を覚ました。そして開口一番、おウチ帰るなどと盛大に喚き始めたので、一発頬を張り飛ばしてやった。すると、気恥ずかしそうな気色悪い態度をひとしきり見せた後、程なく何時もの太々しい態度に戻った。どうやら漸く正気に戻った模様だ。


おっちゃんと樽が目を覚ました後も外の天候は荒れに荒れまくり、結局俺達は体感で更に丸二日間、クレバスの中で過ごす事を余儀無くされた。氷の裂け目の奥は酷く暗い為、其の間に時間の感覚がかなり曖昧になってしまった。クレバスの中は天幕を張れる程広く無かったので、推定日中は鍛錬を兼ねて俺の日属性魔法で暖を取り、推定夜間は皆でモジャに抱き着いて就寝した。


そして推定丸二日の後。漸く空にはやたら濃い青空が広がり、吹き荒れ続けた暴風は、笛のような音と共に身体を抜ける程度に其の勢いを失った。俺達は巣穴から這い出る土竜のように埋まり掛けた雪の裂け目から這い出ると、久方振りに目にする太陽の光を眩しく見上げた。


ああ、空はこんなにも青く澄み切って、見渡せば雄大な景色が何処までも広がっているというのに。


眼前の急斜面にはアホ程降り積もった豪雪が行く手を遮り、果て無きラッセル地獄が手ぐすね引いて俺を待ち構えていた。そして何より、いつ何時起きても可笑しくない雪崩が超絶怖いんだが。あ、今もまた何処かでゴーゴーと鳴ってるよ。


最後にモジャをクレバスから引き上げて荷物を纏めた俺達は、澄み渡った爽やかでゴキゲンな青空の下、心中甚だ陰鬱な気分でその場を後にした。

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