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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
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第191話

地響きのような風の轟音が響き渡る猛吹雪の中、固い雪の斜面にぽっかりと口を開けた氷の裂け目へと踏み込んだ俺は、氷の壁面に苦無とピッケルを打ち込み、身体を支えながら迅速に降下していった。幸いにも滑らかな氷壁は硬く締まり、両手の支点だけでも俺の身体を支えるのに十分な強度を有しているようだ。幾ら俺の手足が自重を支えるのに充分なパワーを有していても、壁面が支点ごと崩れてしまっては落下不可避だからな。


故郷の一般的な認識では危険極まりないイメージのあるクレバスではあるが、エターナルに懸垂が出来る程に広背筋や上腕二頭筋を鍛え上げ、独りならば苦も無く垂直な氷壁を攀じ登る事が可能な今の俺にとっては、実は視認可能なクレバスは左程の脅威では無い。とは言え油断は禁物。例えば深いヒドゥンクレバスに出し抜けに落下して重篤な怪我を負ったり、狭い裂け目に悪辣な挟まれ方をして身動きが取れなくなってしまったり、クレバスの底に水流が在って流されてしまったら相当にヤバい。


垂直の氷壁を暫く降りてゆくと、クレバスの内部は入口よりは幾分広くなっていた。但し、その分氷壁がハングしており取り付き辛い。猛吹雪の中におっちゃん達を長く放置する訳にはいかないので、俺は此処から懸垂下降で一気に底まで降りてしまう事にした。改造棒手裏剣を利用して氷壁に新たな支点を設け、グイグイ引っ張って強度を確認する。そして暗い裂け目の底へとロープを垂らす。


此処にはビレイヤーなど勿論居らず、便利な下降器どころかカラビナ一つ存在し無い。その為、下降はロープと己の肉体のみでこなさなくてはならない。腕力、握力共に人外めいたトルクを有する今の俺だが、調子に乗って余り勢い良く下降すると身体を止めた際に手の皮がアチアチになったり、下手すると焼けてズル剥けるので要注意だ。念の為、垂らす前にロープに幾つか結び目を作っておき、誤って一気にズリ落ちない様に工作しておいた。


俺は支点に出来る限り不要なテンションを掛けないよう、ゆっくりと体重をロープに預けた。そして身体に伸し掛かる重力に従い、スルスルと素早く己の身体を下方へと降ろしていった。


そして程無く、俺はクレバスの底に辿り着いた。入り口からの高さは凡そ10m強てトコロか。幸い底は立って歩ける程に平坦で、水が溜まっている様子も無い。雪洞と違って想像して居たよりもかなり寒いが、猛吹雪の外に比べりゃ天国だ。


只一つ問題なのは、周りの暗さだ。頭上に見える裂け目から僅かに光が差して居るものの、天候の事も有り底まで届く光は僅かだ。相当に夜目が利く今の俺の目を以ってしても、周囲は殆ど何も見えんな。


俺は魔力を温存する為に出来る限り魔力を絞って回復魔法を発動し、右手をボンヤリと発光させた。次いで固く結んだ固定具を外して、背中から背負い籠を降ろした。此処なら荷解きをしても風で飛ばされる心配は無い。色々と想定外の事態ではあったが、今はアレを使用するのに丁度良いだろう。


俺は発光する手の灯りを頼りに降ろした背負い籠から油紙で包装された荷を引っ張り出すと、包装の紐を解いて中の一つを取り出した。其の外観は片手で持てるサイズの円柱形の物体であり、一瞥したところ嘗て故郷で使っていた小型のスープジャーか、或いはホームセンター等で販売していた芳香剤の類にも見える。だが良く見れば其の下部は銀の光沢がある金属ぽい装いで、上半分はまるで硝子か水晶の如く透き通って見える。が、実は透明な部分は魔物由来である部材の加工品で、金属に近い性質であるらしい。


実はコレ、魔道具である。一体何の魔道具かと言えば、発光して周囲を照らす光源としての機能を有する魔道具なのだ。旅に出る前、俺の魔法の師である婆センパイ・・では無く魔術師ギルドに所属するセンパイの舎弟の伝手に拠り、迷宮都市ベニスに居を構える魔道具の専門店にて購入した。其の類の魔道具が発する光の輝度は流石に故郷の白熱灯やLEDライトと比べれば劣るものの、此の世界で一般に普及して居る粗末なランプや松明の光よりは遥かに明るくて安定しており、何より臭く無い。


そして俺が手にしたコイツには、単なる明るさだけで無く実に優れた長所がある。其れは耐久性だ。俺が購入した此の魔導ランプ(今、俺命名)は、恐ろしく頑丈なのだ。


例えば高さ数m程度からの落下の衝撃程度じゃビクともしない。しかもゴリマッチョが鉄板入りブーツで高速スタンピングしまくろうが、発情した猿の如く金属棒でガンガンぶっ叩いてベッコベコに凹まそうが、其れでも尚、起動すれば元気に稼働してくれる超優れ物なのだ。まあ稀に当たり所が悪いと直ぐに壊れる場合もあるらしいが。何れにせよ、実に俺好みな特性を誇る魔道具なのである。


そして此の魔導ランプ、敢えて言うまでも無く非常に高価である。にも拘らず、俺は迷宮で稼ぎまくった銭に物を言わせて複数個購入した。勿論、其れには理由が有る。自分で使用する以外にも、出来心でちょっとした行商の真似事をしてみたくなったのだ。因みに購入の際には、店主と熱過ぎる値切りバトルを繰り広げちまったぜ。


魔導ランプの類はかの迷宮都市においては迷宮探索に必須、て程でも無いが、数多の迷宮探索者達にとって是が非でも手に入れておきたい垂涎の品と聞いた。しかも俺が厳選して購入した此の逸品は、魔道具の聖地である迷宮都市ベニスで販売している最新モデルの一つである。(正確にはベニスは魔石の聖地と呼ばれており、魔道具の聖地は別の迷宮都市なのだが。)


とは言ったものの、此の世界の住人の生活スタイルは基本日の出と共に起床して暗くなる前に就寝、である。夜でも明るい歓楽街を擁するベニスはかなり特異だったりする。しかも諸々の短所に目を瞑れば、臭っさい獣脂や植物性油を使用したランプでも一応代替えは可能だ。なので一般庶民にとっては必需品、て訳では無い。


だが基本暗闇である迷宮や遺跡の探索は無論の事、夜に出歩いたり、探し物をしたり、作業をしたり、書物を読んだり、鍛錬したり、執務をしたり、糞をしたりと、より明るい魔導ランプを熱望する局面は数多く存在するであろう。特に貴族等の金持ち連中にとってはな。なので此れは間違いなく売れる・・と睨んだ俺は、迸る金銭欲と物欲の赴くままに、半ば衝動的に魔導ランプの購入に踏み切った。しかし後で冷静になって考えると、伝手も知識も無い俺には実際にブツを何処に卸せば良いのか全然分からんのだが。まあ今はそんな事を思い悩んでも仕方無い。


俺が購入した魔導ランプの仕掛けは、魔石を取り付ける溝と小さな突起が一つのみ。実にシンプルである。魔石は既に嵌め込んであるので、突起をカチリと音が鳴るまで押し込む。すると、体感3分くらいの時間を掛けて透明な上部にジワジワと明かりが灯る。俺は未だ暗い魔導ランプを足元に置くと、ロープを伝って再び氷壁を登り始めた。クレバス内部の安全確保が出来た以上、一刻も早くおっちゃん達を吹雪から避難させたいからだ。


俺は残った腕力と体力を振り絞って速攻で氷壁を登り切ると、猛吹雪の中で天幕の布により簀巻き状になったおっちゃんの身体をロープで固定し、目印となる魔道具の灯りに向けて降ろしていった。次いで樽の身体も先に降ろしたおっちゃんを下敷きにしない様に気を付けながら、裂け目の奥へと降ろしてゆく。其の後、モジャの荷物を裂け目の底へと降ろしたら、最後は再び俺の番だ。と、思いきや。再びクレバスの中へ降りようとしたとした俺の背中を、モジャが鼻面でグイグイと押して何かを訴えかけて来た。


え、もしかしてお前もクレバスの中に降ろせってのか?・・嫌に決まってんだろ。此の中はそれ程広くは無いし、何よりお前糞重いんだから降ろすのも引き上げるのも半端無く重労働なんだぞ。つうかお前なら外に居ても余裕で死なねえだろ。此処で我慢しろや。


俺はモジャをガン無視して其のまま降りようとした。するとコイツは額をグリグリと擦り付けてきたり、涎塗れな口で外套を咥えて引っ張りまくったり、目と鼻の先で爆臭ゲップをブッパしたりと遣りたい放題俺の邪魔をして来やがった。余りに執拗な上にゲップで馬鹿にならないダメージを受けた俺は、半ばヤケクソ気味にモジャも一緒にクレバスの底に降ろす事にした。万が一にもおっちゃんが下敷きになって圧死しては大事なので、モジャはおっちゃん達とは少し離れた場所に降ろす事にした。するとモジャはロープで固定してクレバスの底に降ろすまでの間、先程までとは手のひらを返した様に大人しく俺に従った。何とも虫の良い奴だ。


どうにかモジャを降ろした後、俺はクレバスの底へと取って返し、おっちゃん達の居る場所へと急行した。


クレバスの底に横たわるおっちゃんと樽の姿は、魔導ランプの灯りのお陰で直ぐに見て取る事が出来た。触診すると二人共脈は有り、呼吸も確認出来た。だが体表は相当に冷たくなっており、恐らくは低体温症を発症して意識を失っているのだろう。しかも鼻や頬、耳が腫れて白くなり、重い凍傷の症状が見受けられる。勿論、直ぐに対処せねばならん。とは言え、俺程度が持つ知識ではとにかく身体を温める事位しか思い浮かばないのだが。


その時、ズキンと額に鋭い痛みが走ったので、予備のナイフをホルダーから引き抜いて自分の顔を映してみた。すると其処に映ったのは、元の2倍くらいにパンパンに腫れ上がった上にズタズタに切り裂かれて凝固した血に塗れた、まるでエンドレス集団リンチでフルボッコされたかの如き原型を留めぬ顔面であった。オイオイお前誰だよ。・・恐らくは先程の爆風で謎礫を食らいまくった時に受けた傷だろう。うぐぐぐっ、改めて見たら何だか急に傷が痛くなってきた。実際に目の当たりにすると想像してたよりも遥かにヤバいなコレは。しかし見た目はド派手だが生き死にに関わる怪我では無さそうだし、コチラの治療は後回しにするか。


俺は気を取り直しておっちゃん達の処置に取り掛かる。低体温症と思われる二人の治療は魔法に拠って行う。行使するのは勿論、日属性魔法だ。


クレバスを発見してから此処に至るまで結構な作業量をこなした俺だが、全て突貫で行った為、此処まで左程の時間が経過した訳では無い。途中、モジャの妨害で少々手間取った位だ。俺は天幕の布で木乃伊の如く包まれた二人の身体から布を引っぺがし、樽の身体から樽のような甲冑を脱がせる。甲冑は本来の取り外し方が分からず、意外と苦戦を強いられた。見れば二人共手や恐らくは足にも重度の凍傷を負って居るな。


次いでおっちゃんと樽をまるで蜜月な恋人のように正面から固く抱き合わせる。個別に日属性魔法を掛けては余りに効率が悪過ぎるからだ、が。其の絵面は非常に目に優しくない。二人共アホ程険しい山行を潜り抜けるに従い、その身なりは加速度的に薄汚れてしまった。あと臭い。しかも樽に至っては唯でさえ臭くて薄汚い上に、髭がボーボーに伸びて最早ピコ単位ですら性別雌に見えなく成りつつある。俺がもしおっちゃんの立場で運悪く今の状態で目を覚ましてしまったならば、俺に対して秒で怒りの全力タコ殴りを敢行するであろう。


それはさておき。俺は二人の身体の上に掌を置き、精神を集中する。


行使するのは耐火の魔法の応用、である。耐火の魔法が分子運動を抑え、熱エネルギーを奪って温度を下げるのであれば、当然其の逆も出来るハズだろ?てな理屈だ。いやまあ懐炉の術で既に実践しているので、其れが可能である事は分かっている。


但し、此れから発動を試みるのは、懐炉の術とは違って体外の耐火魔法の応用である。実の所今発動を試みている魔法よりも、本当は懐炉の術のように体内から温めるのがより効果的と思われる。だが、残念ながら其れは出来ない。何故なら人族には生来、魔法に対する強い抵抗力が備わっており、魔法の影響力を直接体内に及ぼすのは非常に困難だからだ。(不可能、では無いらしいが)此の事は俺の魔法の師である婆センパイから教わった。センパイは意志ある獣、などと大仰な言い方をしていたが、要するに人族のみならず野生動物や魔物も同様て事だ。だがそう考えると、俺の回復魔法の異質さが猶更際立つ。或いは回復魔法は人体に無害なので、身体の免疫的な代物が働かないのであろうか。・・まあどの道幾ら考えても答えは出ないだろうから、あまり深く考えない事にして居るが。


其れにしても、よもや必死で修練を積み重ねて来た水属性魔法よりも、割と適当に覚えた日属性魔法が目下最大の命綱に成ろうとは。まるで想像もして居なかったぜ。最近ではお湯を沸かすのにもその辺の雪や氷を日属性で加熱しているからな。毎日文字通り死ぬ程使い倒している。そして俺は元々日属性と相性が良い事も有り、其の練度は短期間で飛躍的に向上している。お陰様で初めて試みる日属性の応用魔法だが、少なからず成功する自信は有る。現在実践中の日属性への魔力の変質も、大山脈に踏み込む以前では考えられない程に抵抗無く滑らかだ。


などと頭の片隅で様々に思考を巡らせつつも、俺は十全に掌握した日属性の魔力をおっちゃん達の身体の周囲に展開し、大気をジリジリと加熱してゆく。


頼むぜ、上手くいってくれよ。


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