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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
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第187話

雪原に人族と思しきトレースを発見した俺は、取り急ぎおっちゃん達が待つ野営地へと引き返す事にした。やがて見覚えのある天幕が出立した時と変わらぬ姿で遠目に映ると、その前でおっちゃんが此方に向かって大きく両手を振っているのが目に留まった。どうやら野営地は何事も無く無事だった様子だ。俺はおっちゃんに手を振り返すと、天幕を張った斜面の小さなテラスへと歩を進めた。此の先は垂直な壁じゃない、と言うだけで酷く急峻な斜面である。ヘマをして滑落すれば、お肉を削りながら軽く数百mはダウンヒルする羽目になるだろう。なので歩みは慎重を期す。尤も、アホ程の瀬戸際が常時続く大岩壁を踏破してきた俺達である。落ちたら死ぬ、なんぞ今更なのだが。


野営地に到着した俺はおっちゃんに笑顔で迎えられたが、樽の姿が見当たらない。おっちゃんから話を聞くに、どうやら俺が偵察に出てからずっと天幕の中で寝てるらしい。うおぉい!ボスにだけ見張りをさせて己は昼間から惰眠を貪るとは如何なる了見か。俺は憤怒と共に天幕の入口をズバーンと跳ね上げると、有無を言わさず床に転がる豚舎の豚、もとい樽の足を掴んでグイと引き寄せる。其のままスライディングして素早く足を絡め取った俺は、腕に踵を巻いて両手をクラッチ。外ヒール(ホールド)を極めて樽の膝関節をグイグイと捻りまくった。


「ぷぎいいぃっ!?」


「俺の故郷には 先人の有難い金言がある。働かざる者、死あるのみ、だ」


激痛により瞬時に目が覚めたであろう豚が野太い悲鳴を上げるが、そんな些事で俺の煮え滾るパッションは止まらない。もし加減を間違えて膝関節を破壊してしまっても、絞め落とした後にコッソリ回復してやるからアフターケアも万全よ。フンフンフンッ!最早謝罪など不要。俺とおっちゃんに心地良き鳴き声を存分に聞かせてくれたまへ。


ひとしきり樽もとい豚に私怨と大義をブレンドした制裁を加えた後。俺は偵察で見聞した出来事を二人に説明して(一名は半ば放心状態であったが)情報共有を済ませ、併せて今後の方針を練る事にした。


先程発見した移動の痕跡は降雪により薄れて居たので詳細な判別が難しかったが、其の歩幅は乱れ尚且つ蛇行気味であり、足取りに迷いが見られた。歩き慣れた山道や縄張りを歩く足跡では無い。断定は出来ないが、あのトレースは蛮族の類のモノでは無いと見た。てな訳で、俺としては差し当たってあの足跡を追跡したい。上手く行けば『商人の道』に復帰するか、あわよくば逸れてしまった隊商の本隊と合流出来るかも知れん。ただ、隊商の本隊にしては足跡が少な過ぎるのが気に成ったが。


おっちゃんと自失から復活した樽は俺の方針に諸手を挙げて賛同してくれた。そして協議の結果、今夜は此処で野営をして、明日の早朝から発見したトレースを追跡する事に相成った。風雪により残された痕跡が消えてしまわないか心配ではあるが、今は天候が安定している事に加え、何より安全面を考慮した結果だ。


翌日の早朝。


未だ空には無数の星が瞬く時刻。俺達は簡素な朝餉を済ませると、早々に天幕を撤収して野営地を後にした。


先頭は俺、続いておっちゃん、樽、モジャの順で隊列を組んで星と月の灯りを頼りにひたすら歩き続ける。偵察の単独行の時と比べて格段に歩くペースが落ちてしまうが、おっちゃんや樽の体力面や、重い荷物を考慮すれば此ればかりは仕方無い。俺は偵察の際に頭に叩き込んだ地形と、目印代わりに設置した石や雪玉、そして昨日の俺自身のトレースを慎重に辿ってゆく。


そして東の空が白み始めた頃。俺達は漸く目的の場所まで辿り着いた。其処には昨日と変わらず、何者かが歩いた痕跡が雪面に刻まれている。俺は振り返っておっちゃん達に足跡を指し示す。


「昨日見付けたのはコレだ。一応確認するが、おっちゃんはどう見る」


「成程。かなり不鮮明になってはいますが、確かに人族の足跡のようですね」


「おっちゃんも そう思うか」


「ええ、ええ。この跡を追って・・・上手く行けば、本体に合流できるかも!」

おっちゃんの口調は、嬉しさと興奮を抑え切れない様子だ。


「うひょおっ!アタイ等、やっと助かるのかよお」

樽も鼻と口から白い息を噴出しながら興奮している。


其の弾ける満面の笑顔を見て、俺のテンションは逆に俺はスン・・となった。ああ、此奴も生物学的には一応女なハズなのに、其の気色ばんだツラに色気は絶無だ。いや、此奴に色気が無いのは単に顔面の造形だけの所為では無いと分かっては居る。だが、こうして改めて樽を眺めていると、遺伝子の格差って奴が心に突き刺さってとても辛い。俺も他人事では無いだけに。


「かもな。後少し休憩したら、行くぞ」


俺は不意に湧き上がった物凄くどうでも良いネガティブ思考と樽の顔面からついと目を逸らして、宣言した。


其の後、素性不明なトレースの追跡は順調に推移した。足跡が今迄踏破して来た際ど過ぎる地形と比べて、程々に歩き易い地形に沿って続いて居たからだ。但し一点、看過出来ない問題があった。トレースは俺達が目指す東、では無く北に向かって伸びて居たのだ。俺は歩きながら東の方角へと目を向ける。其処には8割方雪と氷に覆われた、巨大な山嶺が連なっていた。アレも相当にヤバい眺めではあるが、今迄踏破して来た道筋と比較すれば、まあ越えられなくも無い、と思われる。


足跡の主達は、或いは東に見えるあの連峰を避ける為に北に進路を変えたのだろうか。だがしかし。俺達は此のトレースを発見する事が無ければ、間違いなく其のまま東に向かって突撃して居たであろう。


・・・もしかすると俺達が真っ直ぐ東に向かってゴリ押しで突き進んで来たのって、やっぱし此の世界の常識から見てもちょっとばかり常軌を逸脱していたのだろうか。いや、おっちゃんや樽の反応から凡そ分かってはいたし、結局他にベターな選択肢が思い付かなかったけれど。


特にモジャ。素知らぬ顔で一緒に大岩壁を踏破させたけど、アレって他のモジャモジャ生物にも出来るよね、多分。・・・そういえば氷壁を登らせた時とか、大岩壁に取り付いて間も無い頃は滅茶糞ビビッてたなモジャの奴。あの時は故郷の山羊だって絶壁やダムの壁とかサクサク登れるんだから、お前もいけらあとケツ叩きまくって無理矢理行かせたけども、もしや俺って滅茶苦茶鬼畜な所業をカマしてしまったのでは無かろうか。動物愛護精神的に。・・・まあ今じゃ壁にもすっかり慣れたモンだし、結果オーライとしよう。其れにモジャは山羊のように岩壁の小さなホールドに足を乗せるだけで無く、鋭い爪を壁に喰い込ませて蝉のように壁に張り付くスタイルも可能だ。あの四ツ足歩行の体型も相まって見た目非常にシュ-ルなのだが、お陰で其の登攀能力は山羊よりも更に上と言えよう。


それはさておき。其の日は丸一日をトレースの追跡に費やした俺達は、雪崩を避けられそうな岩陰の小さな窪地で野営をする事にした。


そして翌日。天候は晴れ。風は微風。この日もひたすらトレースの追跡を続けた俺達は、丁度太陽が頭上に差し掛かろうと言う刻限、とある場所迄行き着いた。丸一日以上掛けて追い続けた足跡は、小高い岩山に囲まれた見通しの悪そうな窪地に向かって伸びて居る。俺の発達した視力で遠方に目を凝らすと、其処に何かが散乱しているのが目に留まった。


正直、嫌な予感しかしない。


俺はおっちゃん達を岩陰に潜伏させると、一足先にキナ臭過ぎる行き先の様子を伺う事にした。一応気配は出来る限り殺すものの、此処から目的の場所までの道のりには遮蔽物が少なく、尚且つ足元は雪の所為で移動の痕跡がバレバレである。自慢の隠形は殆ど機能しないと考えた方が良いだろう。


そして其の()()が散乱する地点が近付くにつれ。其の詳細な様子が次第に鮮明になってきた。俺の目に映るその場所に散乱していたモノは、どうやら元々は生きた人間である事が露わになって来た。しかも全く嬉しく無い事に、その外観には何となく見覚えがある。


俺は脚を一旦止めると、思わずクソデカ溜息が口を付いた。


その場所に辿り着いた俺が目の当たりにしたのは、俺が以前護衛していた隊商の面々の変わり果てた姿であった。追跡してきたトレースの彷徨具合と死体の数から推測するに、どうやら此の連中も隊商の本隊から逸れてしまった模様だ。


幾らかの人体がパーツと化して散らばって居ても尚、記憶より人数が少ない様に見えるのは、恐らくは此処に辿り着くまでに少なからず落伍者が出たからであろう。付近の雪面は甚だ踏み荒らされ、至る所に血痕が散見される。乱雑に散らばる死体には例外無く切創や打痕が刻まれており、しかもどれもカチコチに凍っているせいか、野生動物に齧られた痕跡は余り見られ無い。現場の状況から察するに、恐らくは蛮族共に襲われたのであろう。


其処には覚えの有る雑用仲間の身体も転がって居た。但し、首から上は見当たら無かったが。陰鬱な気分で更に死体を一つ一つ検分すると、激しく抵抗したのであろうか、特にあの取り巻き達の死体の損傷が激しい。そして・・・


取り巻き達の傍にはあの気さくなお嬢様の亡骸が、横向きに小さく蹲る様な姿勢で無造作に転がっていた。確かルカとか言ったか。瞼が開かれたまま虚ろに濁る瞳は、最早何も映しては居ない。其の無残な姿を目の当たりにして、俺の口から再び深い溜息が漏れた。


心臓を一突きか。


死因が一目で分かったのは、文字通り身包みが全て剥ぎ取られていたからだ。甚だ無残な有様。蛮族の連中、餓鬼にも全然容赦ねえ。ただ、その小さな身体に凌辱の痕跡が無いのがせめてもの・・。見た目が蛮族共のお眼鏡に叶わなかったのだろうか。いや、そういえば以前襲って来た奴等の中には女も混ざってたな。仲間の女の前でヒャッハーな無体が出来無かっただけかも知れん。


俺は死後硬直と低温によりカチコチになった彼女の瞼を無理矢理閉じると、その場で手を合わせて冥福を祈った。次いで周囲に転がる他の遺体についても、顔が有るものは順次瞼を閉じてゆき、その後、手を合わせて祈りを捧げた。


ひとしきり仏さん達に手を合わせた後。一旦来た道を引き返した俺はおっちゃん達と合流して仔細を説明すると、二人と一匹を伴って再び惨劇の場を訪れた。


「・・・これは惨い」


其の惨状を目の当たりにしたおっちゃんは、震える声を一言だけ発した。樽は無言で盛大に顔を顰めている。


「カトゥー君。哀れな死者達はどうします。埋葬してあげるのですか」


暫くの無言の後、何やら祈りの文句を呟いていたおっちゃんが俺に訊ねて来た。


「いや、直ぐにこの場を離れよう。何時までも此処に留まって居るのは 危険だ」


或いは彼女だけなら埋葬する事くらいは出来るやも知れん。だが、主人の為に身命を賭して戦った取り巻き連中や、僅かな期間とは言え同じ釜の飯を食った雑用係達を蔑ろにして彼女だけ埋葬するのを、俺は良しとは出来ない。


「しかし・・・いえ、行きましょう。亡くなった方々は不憫ではありますが」


おっちゃんは何かを振り切る様に一つ首を振ると、俺の提案に賛同した。流石に行商人として多くの場数を踏んで来たであろうおっちゃんは、必要とあらば気持ちの切り替えが即座に出来る様子だ。


そして俺達はまるで逃げる様に、足早にその場を後にした。陰鬱な俺達の心を映すかのように、何時しか空は粘付いた泥のような、厚い雲に覆われていた。

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