表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
212/267

第185話

カーン カーン カーン・・・


澄んだ空気に乾いた打撃音が響く。


今、俺が落石と落氷に注意を払いながら懸命に作業しているのは、途方も無く巨大な岩と氷から成る大岩壁のド真ん中である。標高のせいか骨身に染みる外気は体感で氷点下を遥かに下回る。そして頑張る反面過度な汗水は禁物だ。下手に身体を濡らしたら凍傷一直線である。尤も、本当にヤバくなったら俺には身体を温める魔法、懐炉の術が有る。問題は無い。と言うか、今日も既に何度か使用している。


高所恐怖症なら卒倒するような断崖絶壁。俺とて高い場所は好きでは無い。今の身体能力を以てしても、高所でパルクールなんて絶対やりたくない位には、だ。俺がヤモリの如く張り付く此の岩壁は、ほぼ垂直に切れ落ちている。墜落すれば確実に死ぬであろう高さ。其の基部からの高さは、俺が張り付いて居る位置迄でも優に二千mは越えるだろう。尤も、どれ位落ちれば谷底に至るのか正確には分からないが。何故なら足元へ目を向ければ、其の遥か眼下にはまるで大地の亀裂の如き奈落の姿が垣間見える。万が一此処から墜落すれば、あの亀裂の中へと真っ逆さまであろう。そして太陽の光が届かぬ其の昏い谷底は、俺の発達した視力を以ってしても見通す事が叶わないからだ。


俺は岩壁に身体を保持する為、縦に走った幅30cm程のクラックに右足を捻じ込み、膝から下を突っ張る様にガッチリ固定している。そしてフリーとなった両手で、強固な岩壁に支点用の改造棒手裏剣を打ち込む。気分は故郷のフリークライマーか、或いは超高層ビルの窓清掃員である。尤も、俺はカラビナだのハーネスだのカムだのアッセンダーといった故郷の素晴らしきクライミングギアの数々など所持していないし、清掃用の立派なゴンドラや落下を防ぐ安全帯等も此の異界には存在しない。当たり前だが。だが俺とて流石にこの状況で安全確保ゼロなフリーダムスタイルでスリルを満喫するような変態では無いので、身体に固定したロープで一応支点確保はしている。・・とは言ったものの、以前茸岩を直登した時はかなりヤバ目な変態行為をしていたような気はする。しかしアレが為せたのは、他人を顧みる必要が無いソロ登攀であればこそである。


変態云々はさておき。棒手裏剣に拠る支点や此の世界のロープの強度は、落下の衝撃を支えるのに十分とはとても言えない。なので基本、道具に身を委ねる事はしない。安心もしない。常時墜落の可能性を考慮し、万が一その瞬間が訪れた際には、狼狽える事無く即座に身体を動かせるよう気を張って置く。そして、


カーン カーン 


俺は墜落防止の為に探り当てた小さなホールドに左手指を改めて掛け直し、既に岩壁に三割ほど埋まった棒手裏剣の柄頭に対して、右の掌に収まった石を叩き付けた。




____俺達が立ち塞がる高峰を乗り越え、その後推定標高軽く数千メートルはありそうな、天を衝く巨大な岩塊が林立する難所に突入してから、地球時間で早くも一週間が経過した。始めのうち、俺達は出来る限り低リスクなルートを模索しつつ、東に向かって前進しようと試みたのだが。其の成果は、正直芳しく無かった。


最初の四日間、俺達は生死に関わる難所にぶち当たる度に、来た道を戻って安全な別のルートを探し求めた。だがどれ程探し回っても、結局馬鹿みてえに険しい地形にブチ当たるのだ。そして何度も何度も迂回させられた挙句、俺達は其の間、殆ど距離を稼ぐ事が出来なかった。


此のペースは非常に拙い。現状のまま停滞が続けば、大山脈の反対側に辿り着くまでに、冬までどころか年単位で時間が掛かってしまいそう。もしそうなれば俺達を待って居るのは確実な涅槃行きだ。苦境に立たされた俺は、悩んだ末に決断した。最早是非も無し。闇雲に迂回路を探し回って貴重な時間を浪費するくらいなら、危険を織り込んで強引にでも東へ真っ直ぐ突き進んだ方がまだマシだ。余りにヤバそうなら先行した俺が念入りにルート工作をしてどうにかする。


だが其の場合は相応のリスクが降り掛かるだろうし、例えば最悪誰かが墜落や落石等で昇天するやもしれん。だが最早その時は天命と割り切るしか無かろう。不運にも俺以外の誰かが事故で死んでしまったら、その時はちゃんと手を合わせて冥福を祈る事にしよう。・・正直モジャが落ちた時の事はあまり考えたくは無い。だがもし万が一落ちてしまったら、場合に拠っては生命線である荷物だけでもどうにか回収を試みねばならんだろう。また、険しい路であれば確かに事故のリスクは跳ね上がるものの、逆にその分魔物や猛獣に襲われ難いというメリットも一応ある。・・・ジビエ確保とのトレードオフではあるが。


そんな訳で。俺は先ずはおっちゃんに相談を持ち掛けて了承を得て、次いで盛大に不平不満を捲し立てる樽を二人でどうにか宥めて説得した結果、如何に峻険な地形であろうが委細構わず東に向けて突き進む事に相成った。無論、ゴリ押しが通用する難易度にも限度は有るだろうけどな。樽の説得に関しては、正直力づくで従わせても良かった。だがそんな折、嫌がる樽を此れ以上無理に従わせても樽は無論の事、俺にとっても良い結果に繋がらないだろうとのおっちゃんからの助言を頂いた。


だがううむ、本当にそうか?樽のようなタイプは下手に甘やかすよりもケツをバスドラの如く高速連打して、徹底的に上下関係を叩き込んで従わせた方が上手く行く様な気がしないでも無い。とは言え、もし俺が樽程度の実力で今の境遇に立たされたらと考えれば、ビビリ上がる気持ちも分からんでは無い。其れは樽がかねてより肉体と精神の研鑽を怠ったツケが回って来たせいであるのだが。


そう思うと俺は最早少なくない年月、毎日毎日飽く事無く狂ったように身体を虐め抜き、加えて怠る事無く魔法の習練に励んで来た。物騒な此の世界じゃいつ何時不測の事態に巻き込まれるか分かったモンじゃねえ。備えあれば憂い無しとは良く言ったもので、お陰様でこんなヤバい状況でも俺は樽のように動転して醜態を晒す事も、黙して屍を晒す事も無く未だ元気に生きて居られる。俺の今迄の歩みは決して間違っては居なかったと、確信できる。其れは少なからず喜ばしい事だ。そういう意味では、樽の醜態は俺にとってとても良い反面教師であり、辛い鍛錬のモチベーション維持に一役買っているとも言える。となれば多少は寛大に扱うのも吝かではあるまい。そんな事を考えつつ、俺はおっちゃんの助言に従う事にした。


其の後の俺達は大自然の驚異など目もくれず、未開地にあって文字通り道を切り開き、どれ程険しい地形であろうがゴリ押しに次ぐゴリ押しで東に向かって突き進んで来た。そしてその結果、方針転換から未だ3日しか経過していものの、俺達の旅のペースは著しく改善を見た。その間、俺は主に難所でのルート工作等の超危険でキッツい仕事に従事し、ほぼ休み無く身体をハードに動かし続けた。まあ俺としては身体を鈍らせたくは無いので、強負荷が掛る肉体労働は寧ろ望むところである。


そして俺達が今、取り付いて居る断崖絶壁は、三日の間に二つ山を踏破した先に現れた、一際壮大な巨岩が織り成す高峰の一角である。但し一角と言いつつも、其の末端に至る迄果たしてどれ程壁が続いて居るのか、此処からでは皆目見当も付かない。高さも規格外ならば、横幅も途轍もなくデカい大岩壁である。出来れば勢いに任せて一気にトラバースしてしまいたい所なのだが、壁の全貌が見えないのに加えておっちゃん達の体力面を考慮すると、中々一筋縄では行きそうに無い。


だが不幸中の幸いと言うべきか。此の数日の強行軍における、樽とおっちゃんのサバイバル登攀への順応の早さには目を見張るものがある。二人共数え切れない程泣き言を漏らしつつも、連日綱渡りとでも言うべき致死度マシマシな絶壁渡りにもどうにか喰らい付いて来ているのだ。つい先日迄山に関してはズブの素人だった事を考えれば、此れは正に驚くべき事である。尤も、登山経験なら俺も二人と大して変わらんのだけれど。


二人と加えて一匹は一応俺がロープで支えてはいるものの、一歩間違えれば即座にあの世行きである。それだけに、二人共死に物狂いに成らざる得ない事が順応の早さに繋がっているのであろうか。或いは三つ子の魂百までと言うが、餓鬼の頃はずっとぬるま湯のような環境で育った俺なんかよりも、甚だHOTなスリルと暴力に満ち溢れた此の世界の連中の方が、根っこの部分で遥かに逞しいのかも知れんな。


何にせよ悪く無い傾向だ。ハードな追い込みと言えば毎日ゾルゲの野郎にぶん殴られてたあの頃を思い出す。但し、俺はDVの化身の如きゾルゲとは違う。本当に逝ってしまいそうな難所に遭遇した場合は、イザと成ればおっちゃんを背負って踏破する腹積もりだ。樽?先日はシバくのを止めてちょっとだけ優しさを見せたが、俺のハートの寛容さは決壊寸前な下痢便を支える菊門程度の耐久力しか備わっていない。仏の笑顔は一度きり。お前は自分で何とかしろ。



結局俺達は丸一日、大岩壁のトラバースを試み続けたのだが。何時までも何時までも壁が終わる気配は無かった。道中チラリと頭上を見上げてみると、コンテナサイズや下手すりゃ家サイズの氷塊が壁にぶら下がってるのが視界に入ったりする。余りにも怖過ぎる。もしあんな代物が落ちて来て直撃しようモノなら、ちょっと鍛えてますだの身体能力が凄いだのでどうにかなるワケがねえ。為す術無く一瞬で挽肉の出来上がりだ。


余りに怖過ぎる為、無理を押して一旦岩壁の頂上まで登る事も検討してみた。だが壁の上部はハングしてる上に、ガッチガチの氷壁となっている。先日登った100m程度の氷壁とは難易度の次元が違う。俺が先に登って上から引き上げようにも、ロープの長さが全然足りん。逆に下に降りる事も勿論考えたが、奈落の如き谷底は目視出来ないが、相当にヤバそうな雰囲気である。例の魔素溜まりの可能性が高そうだ。そもそも其れ以前に懸垂下降するにもロープの長さがまるで足り無い。


そして長い悪戦苦闘の末、結局崖を横断する目途がまるで立たぬまま日が傾いてしまった為、俺達は断崖絶壁にぶら下がりながら夜を明かす羽目に成った。一応、岩が傘のように張り出した箇所を発見したので其の下迄移動し、落石や落氷の脅威から僅かでも身を隠す。尤も、其の傘の幅は精々30cm程度なのでホンの気休め程度でしか無い。俺達は苦労してモジャの巨体を岩壁に固定すると、其の剛毛に覆われた身体に張り付くように身を寄せた。夜間の身を切る様な寒さから少しでも身を守る為だ。絶壁のど真ん中で天幕など張れるハズも無く、暖かくて居心地の良い吊り下げ様のテントなど無論無い。夕餉は不慣れな体勢でお湯を啜り、先日拵えた俺謹製の干し肉を齧るのみ。日が落ちて周囲の闇があっという間に濃くなると、外気が恐ろしく冷え込み始めた。にも拘らず、樽はモジャに半ば埋まる様に抱き付いたまま、何とあっというまに野豚のような鼾をかき始めた。こ、此奴マジか。此の状況で寝るの早過ぎる。


逆におっちゃんは寒さからか、或いは不安からなのか全然眠れない様子。俺は時折懐炉の術で己の身体を暖め、おっちゃんに対しては魔法で拵えたお湯を飲ませて寒さを凌いだ。寒さと頭上からの恐怖から気を逸らす為、二人で夜空を眺めながら満天に輝く星々の話に興じた。


おっちゃんは星を読めると言っていたが、其れは占いの類では無く天文学なのだそうだ。学問に関するおっちゃんの具体的な解説は難解過ぎて余り理解できなかったが、夜空に煌めく星々の呼び名や、故郷の星座に相当する星の並びを教えて貰った。また、嘗ておっちゃんがエリスタルの王都で学んだ天文学の学派は地動説を唱えているらしい。おっちゃんは此の惑星が自転している事や、何と指差した先の一際明瞭な輝きが恒星では無く惑星であり、太陽の周囲を公転している事すら知っていた。ちょっと凄えな。尤も、地動説だけで無く天動説を唱える学派や、大いなる何とかを中心に天地が巡る大動説なんて説を唱える学派も存在するらしい。宇宙は膨張し続けて居るので、此方の説が実のところより真実に近いのかも知れんな。


地球においても古代より天文学は主たる学問であり、異様に発達していた事は知識として知っては居たが、こうして異界の星空を眺めると改めて其の理由に気付かされる。今にも天から零れ落ちて来て、手で掴み取れそうな程に星々が近く見える夜空を毎日眺めて居れば、そりゃ誰しも興味も惹かれるだろうさ。地球でも遥か昔にはコレと似たような満天の星空を、場所を選ばず拝むことが出来たのだろう。


其の日の夜、俺とおっちゃんは骨身に染みる寒空の中、空が白み始めるまで一晩中語り明かした。



____結局、俺達が大岩壁を壁を横断し、辛うじて野営出来る地形に辿り着くのには更に丸三日を要した。満足な装備も無い状態で常に死と隣り合わせな断崖絶壁で、更におっちゃん達をケアしながら活動し続けた俺は、その間一睡すらも出来無かった。此のままではヤバいと分かってはいたのだが、道中、ほんの一瞬目を離した際におっちゃんとモジャがあわや墜落しかけた出来事が有り、どうにも目が離せなくなってしまったのだ。当然、お陰様で俺の精神と体力は怒涛の勢いでガリガリと削られ、急速に疲弊していったのだが。対して俺は回復魔法と言う名の脱法ドーピングにより強制的に精神と身体を覚醒させ続け、窮地を力づくで乗り切った。しかし此れだけ四六時中回復魔法をキメまくっていると、その内重度な依存症に成ってしまいそうでチョット怖い。とは言え、先ずは生き延びる事が最優先だ。


途方も無い規模の大岩壁を乗り越えて、漸く辿り着いた小さな窪地で。極度の疲労と恐れていた魔力の枯渇により朦朧とした意識の中。俺は自ら小指をへし折り、岩に額を叩き付けて辛うじて意識を繋ぎ止めると、身体に僅かに残った何かの残りカスをド根性で振り絞り、漸く天幕の設営を終えた。おっちゃんが傍で幾度も喚いて居たが、何を言ってるのか良く分からない。今は忙しいので黙殺だ。


硬い岩に再三頭突きをカマしたせいか、ゴキゲンにチカチカと光が瞬く視界の中。一息付いた俺は、倦怠感からか締まりの無い心地で天幕の中に転がり込んだ。


其の後の事は、良く覚えて居ない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 東へ進むって決まった時にすごい地獄だぜって書いてたので、もっとか!?もっとなのか!?とワクワクひやひやしています!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ