第179話
ゆらりと動き始めた小山の様な怪物と真正面から対峙しつつ、背中の得物をスラリと格好良く引き抜く・・などというイケメンムーヴが俺に出来る筈も無く。俺は件の魔物を視界の端に収めながらも地面に置かれた背負い籠の前でしゃがみ込むと、籠に固定された相棒を納める鞘の留め金を慌てて外しに掛かった。因みに相棒を背中に担いだ状態から鞘を落とすのではなく格好良く引き抜けないか何度も練習した結果、失意と共に人間の骨格では不可能と言う結論に達した。自分で注文を付けておいて何だが、刀身が長すぎるんだよお。
「なあ樽よ。何でアレが ドラフニールの幼体だと 分かるんだ」
手に握った相棒の頼もしい重みを感じつつ、小声で背後の樽に訊ねてみた。
「アタイは昔アレと同じ奴を見たことがあんだよ。あの時は8人死んだ」
「疑態じゃないのか?」
確か別種だが見た目だけ似てる、そんな魔物が居ると聞いたことが有る。
「擬きはあんなにデカくねえよ!」
背後から聞こえる声量を抑えた樽の声は、滅茶苦茶上擦ってる。
ドラフニールか。俺もその名は今迄度々耳にした事は有った。余り詳しくは知らんが、ドラフニールは体内に特異な魔石を宿す魔物の種の総称らしい。種族差、個体差は有るようだが連中は総じて肉食で、性格は獰猛かつ傲慢。また成体以上になると、素早く逃げる獲物を仕留める為に口腔や放出機関から殺傷力が高い呼気をぶっ放す奴が多いとか。更には此の世界の英雄譚や冒険譚に頻繁に登場する割と定番の敵役でもある。まるで故郷のフィクションに登場するドラゴンのようだ。てか名前も似てるしもうドラゴンで良いんじゃなかろうか。うんそうしよう。
眼の先で音も無く立ち上がった魔物のその巨躯は、まるで二足歩行する巨大な蜥蜴か鰐のようだ。但し、背の皮はゴツゴツして蜥蜴や鰐よりもより岩の質感に近い。よもやあれで今迄周囲の岩に擬態していたのだろうか。俺の見立てではあの図体は尾を含めると目測で全長10mを優に越えるかも知れん。あのデカさで天敵から身を隠す為の擬態など果たして必要なのか甚だ疑問である。てか天敵何ぞ存在するのだろうか。・・いや魔物領域なら余裕で居そうだな。
まだ結構距離は有るが、既に俺達の姿は補足されているな。独りならばとうに逃げてるかも知れんヤバい状況ではあるが、背後に意識の無いおっちゃんが居る以上、そう簡単に逃げる訳にはいかん。とは言うものの。魔物はジッと此方を見るだけで、ヒャッハーといきなり襲い掛かって来る様子は無い。よもや人間より行儀が良いとは思えないので、獲物の様子を値踏みしてやがるのか。故郷の家猫が獲物を見据えてケツを振り振りしてる様が思い浮かぶ。
「こっちだデカブツ!」
俺は相棒の柄で近くの岩をガンガン叩いて魔物の耳目を引きつつ、その場から移動する。少しでもおっちゃんから奴の目を逸らしておきたい。
「奴を迎え撃つぞ。樽、援護を頼む」
俺は背後に視線を走らせる、が。
おい。樽の奴、何処にも居ねえ。マジかよ。
いやいや、俺とて本気でヤバくなったら自分だけでも逃げるかも知れん。だが仮にもお前もおっちゃんの護衛だろうが。幾ら何でも判断が早過ぎるだろ。
それは其れとして樽の奴、俺に気取られること無く行方を晦ますとは。中々やるな。アレは隠形が上手い・・と言うよりは他人の虚を付くのが上手いように思われる。今のは俺が巨躯の魔物に気取られている隙を上手く付いた形だ。あんな樽みたいな奴でも危険と死が隣り合わせな職業であの歳まで生き残ってるてのは其れなりのモノは持ってるて事か。
俺は相棒を小脇に抱え、右の掌に石礫を握る。棒手裏剣を選択しなかったのは、点では無く面で確実に打撃を加える為だ。そして脚はトントンと軽くステップを刻む。全身をリラックスさせ、併せて脳は更に集中を高めてゆく。此の世界に飛ばされて以来、数え切れない程の魔物を屠り去って来た。今の俺なら多少の目付は利く。目の先の巨躯からは、あの迷宮の時程の脅威は感じられない。
デカさは強さに直結する。紛れもない事実の一つではある。だがそれだけじゃ無いって事を、手前に教えてやるぜ。
さあ・・・来いよ。
刹那か、或いは久遠か。極度の集中により時の流れも曖昧なまま睨み合っていると、魔物の巨体は突如、弾かれた様に滑り出した。
速いっ。いや、歩幅のせいか!
重い足音。魔物は一声も発する事無く此方に、来る。ド迫力で、迫る。
まだ、まだだ。奴の視野を切る為、ギリギリまで引き付ける。
そして目視で彼我凡そ5mの距離。目の前まで迫った馬鹿デカい口が、獲物に喰らい付かんとガバリと開かれる。
今、だっ!
俺は真正面に迫る推定爬虫類の巨顔に向けて、超高速で石礫を投擲した。
「ゴア゛ッ」
放たれた石礫は狙い違わず、奴の左の眼球に吸い込まれた。短い鳴き声と共に、魔物の身体が硬直する。
次の瞬間、俺は呼気と共に外套を置き去りにして、捻り出した奴の死角に向かって全力で大地を蹴った。
ジャッ
垂直跳び推定高さ4mに達する人間が其の脚力で全力疾走すると、一体何が起きるのか。
ジャッ
其れは走ると言うより跳ぶようになる。バッタ先生、には遠く及ばぬまでも、其れは正に人間蝦蟇の如し。
ジャッ
その間僅か三歩。俺は魔物の死角を疾走し、そっと其の後ろ脚の傍らに身を寄せる。既に奴は完全に俺の姿を見失っている様子。余りに鈍過ぎる。あのハグレの反応と動きはこんなモンじゃ無かったぞ。
木偶が。俺の糧になりやがれっ!
俺は小さな踏み込みと共に捻じ込んだ全身の力と自重を切っ先に乗せ、相棒を魔物の下腿部に叩き込んだ。
僅かな手応えの後、相棒の全長120cmを優に超える刀身は苦も無く肉の壁に埋まってゆく。すると途中でカツンと手応え。骨に到達したのだろう。俺は相棒の角度を変え、骨の表面を滑らせるように更に刃を埋め込んでゆく。そして鍔元までぶっ刺した所で刀身をグリリッと外側に向けて90度回転させ、柄に左の肘を叩き込む。後は力任せだ。
「おおおおっりゃあっ!」
ブチブチと繊維を引き千切る様な耳障りな音が鳴り響き、大量の鮮血や体液と共に相棒の刀身が魔物の脚から飛び出て来る。人間で言えば脹脛を内側から両断した格好だ。俺の狙いは骨でも筋肉ではなく腱。例えどれ程ド根性があったとしても、靭帯や腱をぶった斬られたら身体は決して動かぬが道理だ。
「ゴエエエエッ」
ドォンッ
巨大な魔物は激痛の為か悲鳴のような甲高い声を発すると、悪足掻きでバランスを取ろうとしたのか数瞬の間身悶えた後、派手な音を響かせ地に倒れ伏した。
勝ったな。
うつ伏せに倒れた魔物を見て、俺は勝利を確信した。地の利は我にありっ。
俺は魔物から素早く距離を取ると、相棒を足元に放り出して代わりに直径40センチ程の岩を拾い上げた。そして槍投げの如く力任せに魔物に向けて投擲する。
ボンッ
「ゴギェッ」
鈍い音と共に、倒れた魔物が悲鳴を上げる。手応えアリ。クックック、すまんのう。此処の足元には素晴らしい武器が幾らでも転がって居るのじゃあ。さて、疾くあの世へ逝って貰おうか。貴様のお肉は後で俺達がちゃんと有効活用してやるからな。
「おらおらおらっ!」
俺は立て続けに岩を拾い上げると、怒涛の勢いで魔物の頭部に投石の連打を浴びせ始めた。
満面の笑顔で次々と岩をぶん投げまくる俺と、ボンボンと岩が当たる度に弱々しくか細い悲鳴を上げる幼い?ドラゴン君。傍からこの光景を目撃したら超ハードな動物虐待にしか見えんだろう。だが例え地球のあらゆる動物愛護団体が発狂しようが、爬虫類フリークスから何と言われようが、コイツは俺達を喰おうと襲い掛かってきた奴だかんな。所詮此の異界は弱肉強食。弱肉は強者に嬲られ、喰い散らかされるが世の理よ。イキって俺を殺ろうとした不届き者を見事返り討ちにして、しかも安全な場所から一方的にフルボッコする。ふはははっ滅茶糞気ン持ちイイ~。此れが愉悦と言う奴か!
愛する息子が一皮剥けた直後のBOYの如く図に乗った俺が次々石を放り投げていると、ふと妙な違和感を感じた。そこで石を投げる素振りをしながらそっと右手に目を向けると、
「ぬははははっ!」
其処にはとてもとても邪悪な笑みを顔に張り付けながら、その体型に似合わぬ俊敏な動きで石をドラゴン君に向けてブン投げまくる樽の姿があった。こ、此奴何時の間に。いや・・・其れよりも。
樽のその余りに醜い姿を目の当たりにして、俺は昂った気持ちが何だかスン・・となった。先程迄の俺もあんな風にヤバいお薬ガンギマリな感じだったのだろうか。幾ら相手が俺達を喰おうとした奴とはいえ、やっぱし必要以上に動物を虐めるのって良く無いのかも知れんな。心が荒みそう。
俺は手振りで樽の暴挙を制止すると、瀕死のドラゴン君の傍に近付いた。そして相棒を脇に構えると、一息で其の首に向けて斬り上げた。凄まじい斬れ味を見せた相棒は、ドラゴン君のぶっ太い頸椎?を一太刀で両断してのけた。そして間を置かず、俺の中にちょっと濃い目の魔素が流れ込んで来る。
ドラゴン君に止めを刺して一息付くと、樽が良い笑顔で近付いて来た。コイツには本来なら即刻地獄の制裁をぶちかますところだ。だが今回、おっちゃんに怪我を負わせたのは俺の失態でもある。いやそれどころおっちゃんの付き人達から激しく折檻されても文句も言えない所だ。連中はもう死んじまったけど。それに先程の逃亡の件についても、まあ格上と見做した相手から逃げる事自体はそう悪いとは思わん。少なからず判断が早過ぎる気はするが。俺とてガチでヤバかったら逃げてたかもしれんしな。但しおっちゃんの護衛としてはまるで使い物にならんな。
「なあおいカトゥー、お前ってどう見ても普通じゃないぞ。一体何者なんだよ」
樽は俺の傍に来るなり、先程迄の笑顔とは一転して胡乱げな様子で俺に訊ねて来た。
「うむ。俺は森の開拓村から来た 10級の狩人だ」
俺は樽の詰問に素直に応えた。勿論、虚偽は何一つ無い。
「はあぁ!?アレ見てみろ。お前みたいな10級が居るか!」
樽はドラゴン君の遺体を指差して喚いた。ええい唾を飛ばすな汚い。
「あの魔物は糞でも我慢して 調子が悪かったんだろう」
「・・・フンッ アタイの眼は誤魔化せないよ。お前本当は高ランクなんだろ」
「ん?」
「偶に居るんだよ。指名依頼やら後輩の指導を面倒がってお前みたいに周りに経歴を偽る高ランクがさ。只あまり露骨にやってるとギルドから処罰される事も有るから、程々にしときな」
「いや、だから俺は10級だ」
「ガハハッ!分かってるって。この事は他の連中には黙っておいてやるよ。其れよりこんな時に高ランクが一緒てのはアタイはやっぱり運が良い。精々頼りにしてるよ!」
「・・・」
樽はゲラゲラ笑いながら馴れ馴れしく俺の背中をバンバン叩いて来た。まあ勝手に勘違いする分には別に良いか。無理に訂正する理由は無いし、変に舐められるよりは良いだろう。其れに何より此奴が再び何かやらかした際に鉄拳制裁が実に遣り易くなる。
しかし樽の些末な勘違いはともかくとしてだ。不幸中の幸いと言うべきか。俺は崖から墜落した魔物に続き、食い応えが有り余る素晴らしい食材を手に入れる事が出来た。正直今はあまり考えたくは無いが、今後の事を考えると保存食には可能な限り手は付けず、現地調達で賄っておきたい。と言っても僅か三名プラス一匹で此の巨体を持ち運ぶ事も喰い尽くす事も不可能なので、一部を切り取って湧水の魔法で洗浄後、塩揉みして干し肉にしよう。
熟慮の結果、比較的取り扱いが楽そうなドラゴン君の尻尾を切り落としてお持ち帰りする事にした。ケツ穴に近い付け根の部分は大量の固まった排泄物により不衛生極まりないので、解体したのは尻尾の中程の部分である。あと樽は全身を鮮血に染めてドラゴン君の胸の辺りを切り刻んでいた。何をトチ狂ったのか訊ねてみると、どうやら魔石を探しているらしい。幼体とはいえ、ドラゴンはほぼ全ての個体が体内に魔石を有しており、其の魔石はとても高く売れるのだそうだ。俺としてはそんな代物じゃ腹は膨れんから今はどうでも良いのだが。
結局樽が魔石を発見したのは俺が尻尾の解体を終えて更に暫く経ってからの事だ。樽は此れは見付けたアタイのモノだ。絶対にやらんぞとギャースカ喚いて非常に煩わしい。だが迷宮都市ベニスで大量の魔石を捌いた経験のある俺の目利きに拠れば、ドラゴン君から採取した魔石は確かに迷宮『古代人の魔窟』の深層の魔物から採れる魔石より一回り位デカいし独特な輝きは見られるものの、形は歪だし左程値打ちモノとも思えんな。無論、ハグレのあの規格外の魔石とは比するべくも無い。但し人質としては案外役に立つかも知れん。今後樽が舐めた真似をしようとしたら、没収を仄めかして従わせるのはアリかも。
その後、俺達はドラゴン君の遺体に他の魔物や獣達が群がるリスクを考慮し、少し離れた場所に移動してビバーグする事にした。
おっちゃんが目を覚ましたのは、其れから丸3日後の事であった。




