表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
205/267

第178話

覚悟を決めて断崖絶壁へと身を躍らせた俺だが、勿論紐無しバンジーの如く崖下へとダイヴしたワケでは無い。つうかそんな事をしたら普通に死ぬ。俺は岩肌の小さなホールドに苦無とブーツの足先を引っ掻けて壁に張り付くと、間を置かずスルスルと下降を開始した。


絶壁の下降は当然ビレイヤーも居なけりゃ命綱の類も何も無いフリーなソロだ。以前茸岩での鍛錬で慣らしたとはいえ、此の悪天候の只中初見な壁をいきなり降りるのはやはり怖い。だが例え運良く生きていたとしても、おっちゃん達の生死は一刻を争うだろう。愚図愚図している猶予は無い。


今回は基部から茸岩を登った時と違い、岩壁を眺めながら事前にルートの検分や選定をする事は出来ない。全てが手探りの一発勝負だ。そして落ちたら多分死ぬ。思いの外滑らかな岩肌から探り当てた小さなホールドやクラックで身体を保持しつつ、慎重に下る。所詮俺如きには故郷のクライマー達のような素晴らしい登攀 技術や知識など備わってはいない。なので恃むべきは鍛えに鍛え抜いた己の身体能力と体力、そして握力のみ。要はゴリ押しだ。だが涓滴岩をも穿つ 。愚直に磨き続けたゴリ押し力もそう馬鹿にしたモンじゃない。こんな時、毎日アホみたいに肉体を鍛えまくっていて良かったと心の底から思う。


崖の天辺付近のハングしている難所を越えると、後は比較的楽な垂直の壁、と思われた。だが実際に取り付いてみると岩肌は寒さの為至る所で凍り付き、フリクションが効き辛い。その上、一応指貫グローブやブーツを装着しているにも拘らず、凍った岩肌に触れた箇所から体温を奪われ、凍える手足は急速に動きが鈍る。懐炉の術で温めたいところだが、此の状況で岩壁への集中を切らすのは余りに怖過ぎる。


とまあ非常にデンジャーで膀胱がキュンとときめく状況ではあるが、上から覗いてある程度予測はしていた。その為、身体の保持には指代わりに苦無を多用する。凍った壁面にもしっかり喰い込んでくれる苦無は想像以上に使える。鍛冶職人のトト親方の腕前に感謝だ。周囲に魔物の姿は見られない。どうやら先程崖下から襲って来たのは群れの中でも極一部の個体だけのようだ。まあこんな垂直の壁をスイスイ攀じ登るような猛者がゴロゴロ居てたまるかよ。


ヒリ付くリスクに神経を擦り減らしつつも其れなりのペースで下降を続けると、壁面に引っ掻いたような擦過痕が崖下に向かって伸びて居るのが視認出来た。其のサイズと傷の真新しさから見て、モジャの爪痕と見て良さそうだ。よおし、僅かではあるが生存の希望が見えて来たぞ。崖の底を覗き込んで見ると、幾つかの人や動物が倒れて居るのが確認出来る。気が逸るが、此処で焦って墜落などしたら元も子も無いので自重する。勿論可能な限り急ぐが、飽く迄も俺の身の安全と命が第一である。


遂に崖の底から3m程の位置まで辿り着いた俺は、その場から慎重に飛び降りた。そして崖下へ到着した事を喜ぶ間も無く、林立する岩の隙間から覗く最も近くに倒れる人影へと近付いた。


「うっ・・」


一番近くに倒れていたのはおっちゃんの付き人の二人だった。まあ、先程上から見ても明らかにアカン様子ではあったが・・。


其処には無残な肉塊と成り果てた付き人達の姿があった。一人は頭から墜落したのであろうか。下あごから上が岩に突き刺さっており、頭頂部は埋まって居るのか挫滅しているのか定かで無い。更には腰椎と胸椎が折れたのか身体が不自然な形で三つ折れになっていた。そしてもう一人の付き人は身体が団子のように丸まっており、至る所から白い骨が飛び出ていた。更には頭部と両膝から下が千切れて消失している。二人共何処からどう見ても完全にお陀仏であろう。俺は二人に対して手短に手を合わせて瞑目すると、一先ず其処は後回しにしておっちゃんの姿を探した。


おっちゃんと、そしてモジャの姿は直ぐに見付かった。俺は倒れる一人と一匹の方へと駆け寄った。おっちゃんは岩の地面にうつ伏せに倒れていた。俺はおっちゃんを慎重に抱え起こす。すると頭部から多少出血が有るものの、他に目立った外傷は見受けられない。下手に身体を揺するのは危険と判断した俺は大声で呼び掛けてみた。が、反応が無い。呼吸は・・響く風音と着膨れのせいで良く分からん。ならば脈は・・・・・おおおっあるぞ!衣服を脱がせて状態を確認しないと断言は出来ぬものの、此れなら助かる公算は十分だ。良かった。可哀想な付き人達は残念だったが、正に不幸中の幸いて奴だ。


とは言え俺に医療の知識など無い。今後の処置に関しては何が最適解なのか正直判断が付かないな。但し、回復魔法に関してはある程度の経験則がある。念の為、おっちゃんの腹腔部に回復魔法を流し込んでおこう。例え見た目が綺麗でも内臓に損傷を受けてたらヤバいからな。あと意識が戻らないのは少なからず気に成るトコロだが、おっちゃんの脳に回復魔法をぶっ放すのはかなり躊躇われる。樽ならば実験動物として具合が良いので即試す所なのだが。


俺は念の為にボロ布で目隠しをしたおっちゃんの身体に存分に回復魔法を流し込むと、其の身体を地面に丁寧に横たえた。良し。お次はモジャだ。おっちゃんへの一応の処置を済ませた俺は、今度は傍で倒れたまま動かぬモジャに近付いた。


モジャは生きていた。だが身体中痛手を負ってボロボロであり、出血も酷い。そして何より、足が二本折れていた。この様子だと或いはおっちゃんを身体を張って庇ったのだろうか。毎日マメにブラッシングして貰って随分と懐いていたからな。


横たわるモジャの口からはヒューヒューとか細い呼吸音が漏れている。見た目から判断するに正直もう駄目かも分からんが、そんな潤んだ瞳で見詰められて放置する訳にもいくまい。やれるだけの事はやってみよう。背中から背負い籠を降ろして空身になった俺は、モジャの身体の傷の箇所を丹念にチェックすると、その巨体に刻まれた外傷の一箇所に回復魔法を注ぎ込んでみた。するとモジャの悲痛な鳴き声と共に、結構深い傷がギチギチと塞がってゆく。ほう。流石は山岳地帯に適応した生物らしく、モジャの身体は存外にタフな模様だ。


その後、モジャの外傷を粗方塞いで充分な手応えを感じた俺は、其の勢いのままモジャの脚を抱え込むと、折れた骨を力づくで繋ぎ合わせた。モジャが最早何度目か知れぬ悲鳴を上げるが、あのまま回復魔法を掛けてもし変な形で骨が繋がってしまったら、却って面倒な事態になりかねんからな。


次いでモジャの脚をガッチリとホールドしたまま、腫れ上がった患部に回復魔法を注ぎ込む。モジャは余程痛いのか、ゴギェ~とか変な声を出して更には口から泡を吹いて暴れまくるが、対して俺は腕をパンプさせて力任せに抑え込む。ええい此の位我慢しろ軟弱者。良薬口に苦し。俺の回復魔法はそんなに優しくねえんだよ。


そんなこんなで暴れまくるモジャと暫くの間激しくんずほぐれつした末に。俺は見事モジャを自力で立ち上がれる程に回復することに成功した。するとモジャは、其の臭過ぎる舌で俺の顔面をベロベロと激しく舐め回し始めた。コイツアレだけ痛い目に遭ったにも拘らず、俺に傷を治して貰った事がちゃんと分かるのか。見た目に反して頭の良い奴だ。だが其れは其れとして。お前の口は臭過ぎるんだよボケェ。これ以上舐めやがったらマジでぶん殴るぞ。


するとその時。ゴォと響く周囲の風の音に紛れて、俺の発達した聴覚が何かを捉えた。警戒して良く耳を澄ますと、其れは確かに人の声のように聞こえる。此の声は・・まさか樽か。正直樽は真っ先に潰れたトマトの様になったと思って居たが、よもや生きていようとは。俺はモジャの身体に繋がる手綱をおっちゃんを寝かせた傍の岩に繋ぐと、急いで声が聞こえた方角に足を向けた。


其の声はおっちゃん達が落ちた場所から程近い崖の上から聞こえて来た。頭上を見上げると、崖の基部から高さ推定40m程の岩壁に、見覚えのある姿が張り付いて居る様子が視認出来た。アレは確かに樽だな。その様子から察するに、どうやらあの棘が付いた武器をピッケル代わりにして落下を喰い止めたようだ。樽の奴、存外しぶとい。一先ず無事を確認する為、声を掛けてみる事にした。


「おおい樽よ。生きてるか~!」


「あっカトゥー!頼む、助けてくれ。もうこれ以上動けないんだ!」


俺の呼び掛ける声が聞こえたのか、樽は即座に助けを求めて来た。其の声だけ聞くとまだまだ余裕がある様に思えるが。さて、どうしたものか。何せ場所が悪い。


「少し待てるか。考えさせてくれ」


「駄目だ~。アタシぁ疲れてもう手足がもたない。落ちそうなんだよお。今直ぐ助けてくれっ!」


俺の応えを聞いた樽は、切羽詰まった悲鳴を上げた。むうう、何とも辛抱が足りない奴だな。ちっ、しゃーない。


俺は急いで先程背負い籠を降ろした場所に戻ると、大山脈越えの為に準備した登山ギアの一つであるロープの束を引っ張り出して肩に掛けた。そして再び樽が壁上で立ち往生している場所まで戻ると、十分なウエイトが有りそうな大岩にロープを固定した。更にロープを担いだまま岩壁の基部に取り付き、サクサクと壁を登り始める。幸い降りる時と比べれば、登る方が随分と容易い。


「ゔお~ん、何してんだ。早く助けてくれ!」

程無く樽の足元まで近付くと、頭上から半泣きのダミ声が降り注いで来た。煩えなあ。


「分かったら、少し黙ってろ」


俺は樽と並ぶ位置まで登ると、其の腰と肩にロープを回してガッチリ固定する。幸い樽は樽の様な鎧を身に纏って居る為、不測の事態によりロープに身体を圧迫されて負傷する事は無いものと思われる。


次いで少し登って樽の頭上の適当な岩壁に、石で叩いて二本の棒手裏剣を埋め込む。そして埋め込んだ2箇所の棒手裏剣を支点として、樽を固定したロープを引っ掻ける。次いで俺自身は、棒手裏剣と同様壁に埋め込んだ苦無に足を置く。本当は下に降りても良いが、こんな即席の支点では流石に怖くて目が離せない。かなり心許ない気はするが、埋め込んだ手裏剣の具合を確かめた感じ恐らくイケるだろう。もしロープが外れたり手裏剣が抜けて落ちたら、其れは樽の運命て事で。


「樽、ゆっくり手を離して 縄に身体を預けるんだ。ゆっくりだぞ」


「お、おう」


程無く握ったロープに少なからぬ負荷が掛かる。真っ当な地球人の腕力と握力であれば決して真似しちゃいけない危険な行為だが、今の俺であれば問題は無い。樽の体重程度なら例え指一本でも充分に支え得るからだ。俺はぶら下がった樽を支えるロープを少しずつリリースして樽を崖下に降ろしてゆく。リリースには美女のおっぱいを優しく揉むが如く細心の注意を払う。此れは樽を気遣ってでは無く、ロープを気遣ってである。今後の事を考えれば、此のロープは文字通り俺達の命綱に成る可能性が高い。己の命を預ける大切な道具を、決して粗末に扱う事無かれ、だ。



____樽を地上に降ろして手裏剣と苦無を回収した後、俺達は付き人の二人を埋葬した。此処の地面は岩で穴が掘れないので、遺体の上に石を積み上げて墓とした。もげた一人の頭部を探し回った挙句漸く見付けた時は、何とも言えぬクソデカ溜息が思わず口を付いた。肉体は兎も角精神面で少々疲れたので、崖の上の事は気になるが一先ず全部棚上げにしよう。何れにせよおっちゃんの意識が戻らぬことには下手に動けないしな。


相変わらず強風に晒されて雪は激しく降り続いている。俺はおっちゃん達と一緒に落ちた魔物の死体から食えそうな部位と棒手裏剣を回収した後、風雪を凌げる場所に天幕を張っておっちゃんの回復を待つことにした。最悪意識が戻らない場合は、脳に回復魔法をぶち込む事も考慮せねばならないだろう。


俺は移動の前に意識の無いおっちゃんを背後に寝かせて荷物の整理をしていると、何だか前方にある岩の一つが動いた気がした。うん?少々疲れてるのかな。


「なあ樽よ。あの岩何だか少し動いたような 気がしないか」

俺は違和感を覚えた岩の方を指し示す。


「オイ誰が樽だ。お前アタイに喧嘩売ってるのかい」


「・・ううむ気のせいか。その辺の魔物にしては 少々大き過ぎるしな」


「オイ小僧、アタイの話を聞けよ」


俺は樽の戯言は気に掛けず、黙々と荷物の整理を続ける。だが暫く作業を続けていると、傍に居る樽から妙な気配を感じた。俺は訝しく思って改めて樽に目を向けた。すると其処には顔面蒼白になった樽が、今にも飛び出そうな程に目を見開いて前方を凝視していた。


「ひいっ・・あ、あれはドラフニールの幼生体だよ。何でこんな所に!?」


樽の怯え切った声を耳にした俺が慌てて前方へ目をやると、其の目の先に在る小山の如き()()が、ぬるりと不気味に動くのが視界に入った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ