第177話
充分に警戒していたにも拘わらず、結果として不意を打たれた上に此の強風。悪意と天候の両輪に拠り意思の伝達が妨げられる。隊商の面々は襲い掛かる魔物に対して個、或いは小集団により懸命に防戦するも、先日の襲撃の時のような組織的な動きが未だ出来ていない。
血と臓物の臭気で狂い、遮二無二襲い来る魔物の苛烈さと殺意は、体勢の立て直しを図る隊列に更なる混乱を招く。その結果、周囲は護衛達も意に沿わぬであろう更なる乱戦の様相となった。俺の耳には風の唸りに紛れて剣戟、では無く相手が魔物だけに肉を打つ打撃音や擦過音、人の怒号や魔物らしき咆哮、生々しい悲鳴などが伝わってくる。
突如魔物の群れに襲われ混迷する局面。以前、狩人ギルドの指名依頼により従軍させられた時の事が思い出される。とは言え、あの時とは色々と状況が異なる。先ずあの時は完全な魔物共の横槍による不意打ちであったが、今回は敵方である蛮族が俺達に向けて魔物を先兵代わりにけしかけている。次いで目の前の魔物共は確かに相当な数ではあるが、あの戦争の時程に絶望的な戦力差では恐らく無い。更には俺の立場があの時とは異なる。あの時の俺は雇われた一介の兵士であり、しかも後方の荷運び要員に過ぎなかったが、今の俺は仮にも隊商の護衛という立場だ。そして何より。今の俺の戦闘能力はあの時とは比ぶるべくもない。
周囲の混乱に乗じてに紛れてコソコソと後方に退避しようとする俺達に対して、前方で暴れる何体かの魔物が目敏く反応した。頭部がビクリと跳ねたかと思うと、次いで其のデカい目をグルリと此方を向ける。此の場所は遮蔽物が無い為、さしもの俺の隠形の技も用を為さない。・・と、言うより今は下手に隠形を行使出来ない。
ザッザッザザザッ
飢えなのか或いは餌を前に興奮しているからか。魔物共はハッハッハッと滅茶苦茶荒くて臭そうな息を吐きながら、物凄い勢いで俺達に向かって疾走する。おうおうおう、お前等余程お腹ペコペコなんやろなあ。俺は今し方手早く拾い上げた石礫を打って迎撃する。足許から武器を調達する必要はあるが、印字打ちで遠間から安全にシバけるならそれに越したことは無いのだ。しかしストレートの石打ちはともすれば肉食獣に対しては身体能力を以て躱されてしまう。なのでその際は握りを変え、軸足をズラしてスライダー気味に軌道を曲げてやると面白い様に当たる。此れは嘗て故郷で手に入れ、此の世界で鍛錬を積み重ねた素晴らしい技巧である。今なら変化球の投げ方を教えてくれた小学生時代のクラスメイトにケツ穴を差し出すのも辞さないであろう。・・いや嘘。我がケツ穴は誰にも渡さん。
立て続けに投擲した石礫は微妙に落ちながら曲がり、不用意にも真っ直ぐ向かってきた魔物共の身体に吸い込まれた。
「ゴギャッ」
魔物の口から悲鳴が漏れ、其の動きが一瞬止まる。
見た目挙動共にアホっぽいとは言え、相手は野生の魔物である。流石にそう簡単に急所っぽい部位に石礫を当てさせてはくれない。だが、別に急所に当てる必要など無い。ほんの一瞬、相手の隙を捻り出せれば、今の俺には其れで充分である。
一足踏み込んだ俺は魔物共に肉薄すると、其の身体に黒光りする丸太剣βこと魔物シバき棒(仮称)を叩き込む。此の御姿はまるで遠くない将来、立派に成熟する予定の我が愚息の如き威容を誇るシバき棒は、なんと魔物領域由来の希少な素材で造られており、桁外れの強度を誇るのみで無く其の重量も生半可な代物では無い。不要な力を込めず、ほぼ其の自重のみでぶん回したにも拘らず、魔物を殴打した際の俺の手には肉が潰れ、骨が砕ける嫌な感触が確かに伝わって来た。
どうやら蛮族共は襲って来る魔物の後方に陣取り、一気呵成に攻め寄せて来る様子は見られない。まあ下手に攻め寄せたら奴等も諸共魔物の大集団に喰い付かれかねん。それに適当に矢や石を放り込んで魔物に当たっても奴等にとっては何の差し障りも無いからな。飽く迄魔物に俺達を削らせ、己等はギリギリまで矢弾による嫌がらせに終始する腹積もりのようだ。どうやら初手で自爆気味に魔物に襲われた事に拠る混乱も収まって来ている様子だし、何とも厄介だ。とは言え蛮族共の矢や石弾は、後方に下がった俺達の位置までは飛んで来ないのは僅かな救いか。
今迄お目に掛かった記憶が無い、二足歩行の小型恐竜に幾らか体毛が生えた見た目の魔物共は、鋭い牙と爪でもってチュー○を眼前にした家猫の如く脳が軽くイッちゃった感じで俺達の肉を抉りに来やがる。俺の目付では其の強さの程は以前、頻繁に潜っていた迷宮『古代人の魔窟』の魔物に倣えば中層と同程度かそれ以下てトコロか。まあ正直な所、何匹襲って来ようが今の俺の敵では無い。あの迷宮に潜っていた時は中層の魔物共を散々殺りまくって居たし、その上今の俺は嘗てのような防御力ゼロの丸裸同然な格好では無い。防刃性能を持つ外套を身に纏い、恐ろしく頑丈なトト親方謹製の鎧と強靭な生地によるタクティカルベストで身を固めている。更に左手には改修した盾も装備しているのだ。
此の高品質な装備一式によって齎される素晴らしき安心感は、ボロ雑巾の如き平服一丁だった以前の俺には想像も付かなかったモノだ。しかも仮に其れ等の装備全てを突破されて身体に傷を負ったとしても、傷口は湧水の魔法やアスクリンで綺麗に洗浄し、回復魔法で塞ぐ事が可能だ。そのお陰で、滅多な事では重篤な症状に至る事は無いあろう。なので俺独りであればどうとでも対処出来そう、なのだが。
今、俺の背後にはおっちゃんやモジャが居る。守護りながらの戦闘って奴は思った以上に勝手が違う。後方に抜かれる訳には行かない以上、此方の動きは相当に制限されてしまう。しかも下手に突貫して暴れたり、隠形を用いて隠れたり、自慢の逃げ足で逃走する事も出来ん。唯魔物をぶっ殺すだけなら簡単なのだが、何とも戦り辛い。守護るといえば、俺は以前迷宮でとある王女様と一緒に行動したことがある。だが彼女は中層の魔物程度なら単独で数体斬り刻める程の腕前を有していたからな。自衛能力に期待薄なおっちゃんやモジャとはまるで立ち位置が異なる。
俺にぶん殴られ、ピクピクと痙攣する魔物共の頭蓋に止めの一撃をくれてやる。だが無駄に体液を撒き散らして仕留めてしまったせいか、他の奴等の注意を引いてしまったようだ。俺の事などガン無視して仲間の死体にむしゃぶり付く腹ペコ野郎の比率が高いものの、何匹かが鋭い牙をムキ出して此方に向かって来た。
対する俺は再び石打ちで魔物を牽制しつつ、チラリと背後の様子を伺う。と、其処で目にしたのは。
ボケっと突っ立って何考えてるか不明なモジャの巨体。不安そうに表情を歪めて俺を見詰めるおっちゃんと其の付き人達。そしてその脇には、一本棘の付いたハンマーのような武器を構える屈強な戦士の姿が・・てオイ!樽貴様何時の間に俺の後ろに。てかお前も前に出て戦わんかいっ。
瞬間、思わず背後を二度見してしまった俺の首筋に怖気が走る。
「キエエエっ!」
ボグッ
あっぶねええええっ。
咄嗟に振り向いた俺は、眼前約20センチまで迫った魔物の顎をショートアッパーでカチ上げる。そしてそのまま喉元をひっ掴み、チョークスラムの要領で更に迫って来た奴等に向けてブン投げる。俺の人間離れしつつある腕力により投擲された魔物は、仲間を運動エネルギーの嵐に巻き込みながら盛大に吹き飛ぶ。ええいこうなりゃ仕方ねえ。
「おおい樽っ。おっちゃんを頼むぞ!」
「任せな!」
樽は実に良い笑顔で謎のハンドサインをキメる。
任せな、ぢゃねーよボケッ。とは言えこの際誰も居ないよりはマシと考えよう。おっちゃんに怪我させたら後で鬼の制裁をカマすからな。
「おっちゃんは あまり崖に近付き過ぎるな。落ちるぞ!」
張り上げた俺の声を受け、おっちゃんが頷く。
そして再び飛び掛かって来た魔物の頭部を粉砕して、後方に向かって再度注意を促そうとした俺が目にしたモノは。
「あっ!?」
背後の崖から飛び出して来た数体の魔物がおっちゃん達に襲い掛かる、正にその瞬間であった。
「雄オオッ!」
極度の集中により時がスローに流れる中、丸太剣を放り出した俺は両手でホルダーの棒手裏剣をぶっこ抜いて、ありったけの力で投擲する。此の瞬間、掛け値なしの全力。同時に背中に衝撃と何かが伸し掛かる感触。だが知った事か。放たれた棒手裏剣は、狙い違わず標的の頭を捉えた。だがしかし。
声すら発する間もなく、魔物とおっちゃん達の姿はあっと言う間に見えなくなった。糞おおぉやられたっ!奴等よもや崖下から襲って来やがるとは。
俺は肩に喰らい付いたまま爪を立ててきた魔物の頭を怒りと焦燥にささくれながら引き剥がすと、そのまま固い地面に叩き付けてカチ割る。そして痙攣する死体を魔物の一群に向けて投げ飛ばした。
俺は直ぐ様おっちゃん達が消えた崖の縁まで走った。そして背後を振り返ると、何時の間にか俺達の近くまで後退していたあの気の良いお嬢様と一瞬、確かに目が合った。不安に揺れる其の幼げな瞳と。俺は瞬時に決断した。足元に転がる石を拾い上げ、立て続けに投擲する。石礫は彼女の取り巻き連中と揉み合う魔物に直撃し、即座に奴等は斬り捨てられた。
俺に出来る助力は此処まで。今のは餞別代わりだ。今の俺はおっちゃんの護衛だ。其れに・・一飯之恩、決して忘るるべからず。誰よりも一等で守るべき相手を、決して思い違えてはならぬ。
俺は尚戦闘を継続する彼女達に背を向け、崖の底を覗き込む。崖の縁は岩が突き出しており、激しい風雪のせいもあって直下は底まで見通せない。だがある意味幸いと言って良いのか。此の場所に至るまでに踏破して来た滑落即死亡確定な魔素溜まりの渓谷と違い、目の前の崖は絶壁ではあるが地球にも在りそうな只の岩壁のようだ。かなり見辛いが、目視で推定高低差200m、てトコロか。事態は一刻の猶予も無い。死ぬなよ、おっちゃん・・・いや此の高低差では既に死んどる公算が高いが、死んでたら死んでたでその時はちゃんと弔ってやらねばならん。
俺はシバき・・いや丸太剣βを背負い籠に差し込むと、タクティカルベストの脇にマウントされたホルダーから新式苦無を引き抜く。
そして俺は、雪が舞い躍る薄暗い断崖へと身を躍らせた。




