第172話
偽張飛にまんまと欺かれて意気消沈した俺は、いたたまれぬ気分のまま護衛としての新たな持ち場である隊商の天幕を探す事にした。心躍る歴史の生き証人となる夢は儚く潰えたが、まあ良い。俺は三国志の蜀漢の将の中では、悲惨な末路を迎えた張飛よりも劉備や諸葛亮の方が圧倒的に好みなのだ。だから全然気にしてなんか居ないぜチクショウ。
護衛の纏め役である4級狩人PTから情報を得た目的の天幕は程無く見付かった。聞けば中央にデカい継ぎ接ぎのある草臥れたショボい天幕との事。随分と失礼な物言いに思えたが、恐らく目の先に在るアレが其の天幕だろう。成程。確かに話に聞いた通り、他の隊商の天幕と比べると随分とボロくて小ぢんまりして居るな。
俺は目当ての天幕の前まで近付くと、傍で即席の竈に火を起こしていた一人の男に声を掛けてみた。
「おおい、其処のアンタ。俺は先程の戦闘で死んだ 護衛の代役の者だ。此処の隊商の主に面通しを 頼めないだろうか」
見れば俺と同年代か或いは更に若輩だろうか。俺を一瞥した年若い男は無言で立ち上がると、後を付いて来るよう顎で促して来た。何だか随分と辛気臭い奴だな。そして俺を先導する陰気な男は天幕の中、では無く横から回り込んで天幕の裏手に俺を案内してくれた。すると其処には。
一頭のもじゃもじゃ生物を巨大な束子のような器具でブラッシング?している一人の男の後ろ姿が在った。だが見た所もじゃもじゃの毛並みに特に変わった様子は見受けられない。果たしてその行為、意味はあるのだろうか。しかしそれにしても此の後ろ姿は。
「代わりの護衛の人、来たよ」
陰気男が男の背中に向けて声を掛ける。
「ん?そうですか」
すると男はブラッシングの手を止め、ゆったりとした所作で此方を振り返った。
むうっ。その姿を目の当たりにして、俺は内心唸る。
刺繍が入ったイスラム帽のようなピッタリした帽子を被り、柔和そうな垂れ下がった眼を瞬いたその男は、整った口髭を蓄えた口に微笑を浮かべて俺の方へと向き直った。だが俺にとって特筆すべきは其の顔面の造形では無く、肉体の方である。故郷で中東の連中が着るトーブのようなゆったりした衣服を身に纏う姿は、姿勢が良いお陰か見苦しさは無いものの、突き出た腹が存分に其の存在を主張している。つまりは地球人である俺が商人と聞いて真っ先に思い浮かべるアノ感じの体型である。此の世界に飛ばされて以来、商人と言えばどいつも此奴もムキムキの筋肉男しか見て来なかったので、此の恰幅の良い姿は逆に新鮮だ。だがそんな体形で此の先大丈夫なの?と気にはなるが。
「我々の為に来て頂いて有難うございます。私はモック・キャパ。見ての通り、しがない行商人をやっております。以後お見知りおきを。して、貴方は」
ヘンテコな名前の商人のおっさんは自己紹介をすると、丁寧に頭を下げた。流石商人と言うべきか。俺の様な若輩に対しても随分と腰が低い。あと何気に丁寧っぽい言葉使いの勉強になる。
「俺は加藤。狩人ギルドに所属している。話は既に聞いているだろうが、死んだ護衛の後任として 此処に来た。以後宜しく頼む」
「此方こそ、宜しくお願いします」
俺は行商人のおっちゃんから差し出された手を握った。柔和な顔で俺の手を取るおっちゃんは、口八丁こそが恃みの武器である商売人にしては何処となく元気が無い様に見える。だが考えてもみれば、自分等の護衛が全滅した直後なのだ。悄然としていて寧ろ当然か。逆に会うなり元気一杯爽やかに挨拶なんぞされたら、もしやコイツ頭がイカれてるんじゃないかと不審に思ってしまったかもしれん。
「前の護衛の人達は 残念だったな」
俺は一寸元気が無いおっちゃんに、お悔やみの言葉を掛けてみた。
「いえ、お気になさらず。行商人であれば、避けては通れぬ事ですから」
おっちゃんは口元を僅かに歪めながらも、存外きっぱりとした口調で言い切った。其の目からは強い意志を感じる。ふむ、悪く無い。一見すると気弱そうな外見をしているが、実は案外根性が座っているのかも知れん。余りに腰抜けな奴では、守る側としても正直扱いに困るからな。
「してカトゥー殿。不躾ですが、貴方の狩人としての実績は如何ほどで」
だが続くおっちゃんの言葉を耳にして、俺は固まった。
じ、実績?ええと・・実績って何かあったっけ。むおお不味い失念していた。今、おれが偉そうにおっちゃんにしたように当然俺もまた、おっちゃんから値踏みされる立場だと言う事を。しかしこのおっさん、マジ不躾。もしや俺が10級の最底辺狩人だとバレてるからか。其の辺り敢えて口にしなかったのだが。
ええと戦争に参加・・は荷物運んでたら何時の間にかどえらいことに成ったし、ハグレ討伐や王女様の護衛は非公式だし、自分で言うのも何だが信憑性が無さ過ぎる。適当にホラを吹いても即突っ込まれて墓穴を掘りそうだし、後は・・・。
「ええと・・薬草を採取したり、迷宮都市で荷物持ちを やっていた」
俺は苦し紛れにおっちゃんの質問に応えた。
ヤバい。此れじゃ俺の履歴書のPR欄はほぼ白紙も同然ではないか。しかも正確に言えば荷物持ちは狩人の仕事ですら無い。ハードな鍛錬をしている訳でも無いのに、額に脂汗が次々と滲む。
「それだけですか?」
「・・・ああ」
「そうですか。ではカトゥー殿。改めて、我々の警護を宜しくお願いします」
おっちゃんは再びニコリと俺に向けて笑顔を見せた。その何食わぬ顔からは、新たな護衛を迎える喜び以外の感情は一切読み取れない。だが糞っそおおお俺には分かるぞっ。おっちゃんが内心滅茶糞落胆しているのが。
「おうおうおうっ モック・キャパの隊商の天幕は此処かい?」
俺が心の声を表情筋に出さぬよう苦心しつつ内心屈辱に震えていると、突如背後からバカでかい胴間声が鳴り響いた。俺の肩越しに背後を見るおっちゃんの顔が、何故かパァと明るくなる。俺は護衛としておっちゃんを庇って立ち塞がる様に、背後の気配の方へと油断無く振り向いた。履歴書のPR欄は白紙なれど、俺は仕事が出来る男なのだ。
そして、振り向いた俺の目の前に立っていたのは樽・・じゃなくて一人の女だ。そして数瞬野郎と見間違えるほどに、その姿は女としては相当にデカい。タッパは優に180cmは超えるだろう。其の大柄な身体の上には樽っぽい造形の金属鎧を装着し、とても女とは思えぬ威圧感を醸し出している。更に目を見張るのは上背のみならずその体型だ。その有様は正に樽と呼ぶに相応しい。敢えておっさん風に言うならボンキュボンならぬキュドンキュである。そして頭部には幅広の額宛てを装着し、犬歯を剥き出して笑う貌はまるで野生の猪のよう。てか顔だけ切り取って見たら絶対に女だと分からん。その無造作に伸ばされた赤み掛かった茶色の髪と声の質、そしてクッソ無駄にデカい胸の膨らみに拠って辛うじて性別を判別可能である。だがもし敢えてその外見を擁護するならば、恐らく此奴は肥満では無い。互いの命をBetした実戦を勝ち抜く為、鍛え込んだ末の樽型なのだろう。
性別だのLGBTだのすっ飛ばして野生の獣寄りにまで成り果てた此の樽女。恐らくは俺と同じように死んだ護衛の代わりに此処へ来たのだろう。実の所、此の世界の狩人や傭兵の女ってのは目の前の女の如き体型の者が多い。いや、寧ろコチラがスタンダードと言っても良い位だ。戦闘に纏り、死と隣り合わせである職業はあらゆる意味で苛酷極まる。しかも女である事の肉体的なハンデは無論有るし、当たり前だが敵は殺し合いの最中に性別に拠る忖度など一切してくれない。いや、それどころか寧ろ様々な意味で女は狙われ易い。なので女性でありながら狩人や傭兵として生き抜く為には、精神的にも肉体的にも生半可なタフネスでは到底不可能なのだ。尤も、高ランクの狩人や名高い傭兵ともなると、世間一般的な常識が全く通用しなく成るらしいのでその限りでは無いのだが。
・・・ガハハハッ!てな訳で、アタイの事も宜しくなっ」
はっ、イカン。つい考え事に夢中になって樽女の話を聞き流してしまった。すると、樽女がギロリと俺を睨んで来る。いや、実際は唯見ているだけなのかも知れんが、俺の目にはその様にしか見えん。
「で、其処のチビがアタイと同じ死んだ護衛の代わりかい。カラダを見る限り、随分と頼りないように見えるけどさ」と、樽女がいきなり俺をdisて来た。
いや、確かに俺は此の世界の狩人としては随分小柄だしお前よりも小さいけどさ。
「ああ。俺は狩人ギルドの加藤だ。宜しく頼む」
俺は舐められまくる怒りをぐぐぐっと押し殺し、澄まし顔で樽女に手を差し出した。糞おぉっ今に見せ付けてやる。俺は脱いだら凄いんだぞっ。そして上辺だけは和やかな風を装い、互いの手を握り合った。
その後、竈を囲んで夕餉を頬張りながら、行商人のおっちゃんや樽女から色々と話を聞くことが出来た。
おっちゃんは元々行商人では無くエリスタル王国で何処ぞの大店の主だったそうだ。だが実は幼い頃から店を継ぐのでは無く、故郷を出て行商人に成る事を夢見て居たらしい。だが幸か不幸かおっちゃんは商家の一族の長男であった。そして両親や親族、更には贔屓先や主筋の貴族の意向も有れば、行商人に成るなど絶対に有り得ぬ世迷言であった。そしておっちゃんは心を押し殺して店を継いだそうな。だが結局、店を継いだ後も行商人になる夢を諦める事が出来なかったらしい。その後、店を切り盛りしつつ二十年近くもの歳月水面下で下準備を進めたおっちゃんは、後を継いだ息子が店の引継ぎを終えるとほぼ同時に自らは行商人に成る為の最後の手続きを済ませ、その勢いのまま故郷を飛び出したんだそうだ。
だが長年夢見た行商の旅は、幸福ではあったが同時に決して甘いものでは無く。当初10名以上付き従った随伴者達は何時しか全員亡くなってしまったそうだ。そして最後に残ったのは旅の途中で雇い入れた、気心の知れた僅か2名の伴の者のみ。その人数で行商の旅を続けるのはあまりに危険な為、その後暫くの間はギルドや行商人としての伝手を頼りに、長距離の移動の際には今回のように狩人の護衛を雇い入れて、更には他の隊商と良く言えば協力関係、悪く言えば寄生しながら行商の旅を続けて居たらしい。
だがやはり僅か3名の人員で行商を続けるのは土台無理があったようだ。疲弊したおっちゃん達は次第に一つの場所に長く留まる事が多くなり、行商の旅に出る機会が少なくなっていった。そして丁度そんな折、とある都市で長期滞在しているおっちゃんの元に、エリスタル王国の息子から商人ギルドを通じて高価な伝書鳥に拠る一通の封書が届いた。その内容は、生きている内にたった一度で良いから自分や孫、親族に顔を見せて欲しいとの事。
最早二度と故郷の土を踏むことはあるまいと覚悟していたおっちゃんであったが、加齢により心身共に疲れてしまった事も有り、この度息子の誘いに応じて遂に故郷に帰る事を決意したそうだ。
因みに樽女もキナ臭い辺境を離れて故郷に帰るんだとさ。此奴からは延々と胡散臭い法螺話とウザい自慢話を聞かされ続けたので、ウンザリし過ぎて大半は聞き流したので詳細は知らん。話し上手聞き上手のおっちゃんとは余りに違い過ぎるぜ。
そして翌日の早朝。高地の寒さに震えながら起床して朝餉を済ませた俺達は、蛮族の更なる襲撃に備えて一層入念に出立の準備をする。
昨夜、樽女は早々にグースカ寝てしまった。蛮族に襲撃された直後なのにどれだけ図太い神経してんだコイツは。しかも他の護衛達と全然連携取ってねえ。何て野郎・・じゃなくて女だ。尤もかく言う俺も、何時もの如く見張りを周囲の護衛に任せておっちゃんの天幕で寝たが。但し、俺の場合は湧水の魔法で隊商に滅茶苦茶貢献しているからこその目こぼしである。樽女とは立場が違うのだ。
そして俺達は、分厚い雲の隙間から僅かに覗く巨大な峰々に向かって、簡素な墓標だけが残された野営地を後にした。




