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遥か異界の地より  作者: 富士傘
百舍重趼東方旅情編
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第169話

薄暗い未明の早朝。見張りに叩き起こされた当番の者が、不機嫌そうに次々と周囲の人々を小突いて目を覚まさせる。元々眠りが浅い俺は、周囲の物音と衣擦れの気配を感じて眠りから覚め、瞬時に意識が覚醒する。此れは訓練により修めた技能と言うよりは、かつて山中で闇と獣に怯えながら過ごした日々に拠り否応無く身に付いた、ちょっと悲しい慣習である。


モソモソと天幕から這い出した俺達は、水桶から俺謹製の水をグビリと一杯ひっかけた後、朝餉の準備と共に野営の撤収を始める。季節は夏にも拘わらず標高の為か、既に夜はかなり冷える。外に置いてある水桶の水は未だ凍ってはいないが、体感では氷点下近くまで気温が下がっているのではなかろうか。隊商が野営を引き払った跡は、意外な事に綺麗なものである。自然に配慮、と言う訳でも無さそうなので、恐らく不埒者に容易に追跡をされない様に出来る限り痕跡を残さない習慣でも身に付いているのだろう。俺の勝手な想像ではあるが。


味気無い朝餉を終え、各々纏めた荷を担いだ俺達は、むさ苦しい関所の野郎共に見送られながら次々と商人ギルドの関所を出立した。此処から先は所謂人族の居住地は存在しない。野生動物と未開の原住民達が楽しく縄張りと食い扶持を争い、殺し合うイカれた楽園である。


天候は昨日に引き続き快晴。しかも今日は東の方角に掛かっていたブ厚い雲が流れ、久々に遠方まで景色を眺めることが出来た。未だかなり距離はあるが、俺達が進む其の先に微かに見ゆるは目も眩むような山塊。その峰々は夏にも拘わらず、雪と氷で覆われ真っ白である。と言うか、山と言うより巨大な壁に見える。その姿は以前推定高低差千メートル級の茸岩をフリークライムで慣らした俺ですら、正直不安になって来る程の威容だ。俺達真っ直ぐアソコに突入して果たして大丈夫なのだろうか。いや、でもまあ俺達別に山登りする為に来た訳じゃないし、よもやあの山の頂を目指す事などあるまい。


見晴らしの良い峠を越えた隊商の一行は、再び巨大な岩壁に囲まれた険しい渓谷に沿ってひたすら歩き続ける。進むにつれ自然に埋没しつつある岨道の周辺には雨のせいか或いは雪解け水なのか、そこかしこに水の流れがある。其れは時に歩く妨げになるものの、お陰でもじゃもじゃ生物の飲み水には困らない。そして此の世界の森林限界に近付いて来たのか、背の高い立ち木は姿を消しつつある。


俺達はほぼ垂直な岩壁に辛うじて刻まれた道を進み、時には険しい峠道を登り、更にはどう見ても道じゃ無さそうな岩石群の只中をを歩いたりもする。其処には故郷の登山道のような分かり易い目印など何一つ存在しない。俺達は地元の案内人が先導してくれるお陰で停滞する事無く進めているものの、もし独りで此の道を歩こうなんぞしようものなら速攻で遭難しそうである。先に述べた通り周囲に背の高い樹木は見られなくなったものの、見渡せば様々な種類の低木や草花が豊かに生い茂っている。足元には名も知らぬ花が其処かしこに咲いており、険しい道を歩く俺の目を楽しませる。そしてそんな可憐な花々をおやつ感覚なのだろうか。もじゃもじゃ達が歩きながら情け容赦無く食い千切る。


そんなこんなで俺達は丸三日に渡って山道を黙々と歩き続け、青く輝く小さな湖の畔で野営をし、見知らぬ峰を攀じ登り、幾つかの峠を越えた。視界を遮る森林は完全に姿を消したものの周囲は崖であったり、岩山が聳え立って居たり、出来損ないのオブジェのような奇岩が転がって居たりと見通しは基本余り良く無い。また降雨は無いものの、谷や丘を吹き抜ける風が結構強くて歩き辛い。


そして此の三日の間で、俺は一つの悩みを抱える事に成った。山で鍛え直した俺の野生が、隊列に纏わり付く妙な気配を捉えたのだ。


暫く前から、俺達は何者かに監視されている。


大自然の唯中において本職である斥候の連中すら凌駕する俺の索敵能力。索敵と一口に言っても具体的に何を捉えているのか。其の骨子は己の周囲の微かな違和感を鋭敏に感じ取る事だ。視界、臭い、音、肌感、そして直感。鍛え抜いたあらゆる感覚を用いて、己の周囲で発せられる違和感を捉えるのだ。だが余り集中し過ぎると、直ぐに精神が疲弊して逆効果となってしまう。なので力み過ぎず、リラックスしながら探り続けるのがコツだ。


ところが此の世界の山や森は、地球の其れと比べて幾多の生命で溢れまくっている。分かり易いのは獣や魔物、昆虫といった動物だが、勿論植物も含まれる。更には生物以外にも風や水、そして土や岩や魔素等々。豊か過ぎる自然界のあらゆる物質が発する騒めきが、鋭敏な感覚器官を通して俺の中に大量に流れ込んで来る。優れた感覚の代償として其れは余りに膨大な代物なので、脳で処理して的確に違和感を抽出するには情報量が多過ぎる。其処で敢えて感覚に一定の閾値を設け、無用なノイズを排除する。要するにフィルターを掛けて、不必要な情報を遮断してしまおうという訳だ。と言っても其れはメカニカルな代物では無く、かつ御大層な代物でも無い。所詮は感覚的な、勘所に拠るモノである。平たく言えば全身の感覚を研ぎ澄ませつつも、要らない情報はアーアー見えない聞こえないしてしまおうってな訳だ。俺の此の世界での経験上、此れが上手く出来ると出来ないでは、山や森での危険察知に雲泥の差が出る。まあ言うは易し、て奴なんだけどな。


だが人体ってのは不思議なもので、明確に意識をしながら鍛錬を積み重ねれば、一見不可能に思えても自ずと身に付いてしまうものである。特に俺は頼れる人どころか他の知的生命体が存在するのかどうかすら怪しい異界の森の奥で、たった独りで死に物狂いで生き延びて来たのだ。あらゆる手段を用いて生き延びる術を身に付けなければ、あっという間に飢えて死ぬか、或いは捕食者に喰われる崖っ淵な状況だ。嘗て弱小空手部でチンタラ練習していた時よりも、万倍鍛錬に力が入るってモンよ。


そうして苦労を重ねまくって漸く身に付けた俺の索敵能力ではあるが、実は万能とは程遠いし、時には失敗することも有る。例えば以前迷宮『古代人の魔窟』で魔物が溢れ返った際、周囲の異変には直ぐに気付いたものの、ノイズに紛れて接近するハグレを察知するのが遅れてしまった。其のせいで危うく姫様ごと奴の視界に捕らえられる寸前だったのだ。そんな失敗もあったので過信は禁物である。其れに迷宮のような閉所では、この索敵方法は相性が悪い。というかノイズの少ない場所でワザワザこんな迂遠な遣り方をする必要は無く、普通に感覚を研ぎ澄ませる方が有用だ。要は相手を上手く出し抜く為には、索敵一つ取っても状況に応じて臨機応変に対応する事が肝要なのである。


話が大幅に逸れてしまったが、そんな訳で山道を歩きながらも鍛錬を兼ねて何とはなしに周囲の気配を探っていた俺は、ある時景色の中にちょっとした違和感を感じたのだ。そしてその違和感に意識して探りを入れた結果、浮かび上がって来たモノが在る。それが・・。


気取られぬよう、さり気なく目標を視界に入れる。ぱっと見ただけでは殆ど分からないが、岩の影に僅かな違和感。意識を集中すれば、そら。チラチラと微かに見え隠れする岩とは異なる影が、自ずと捉えられる。あと、あの岩の向こう側にも。地の利もあるのだろうか、中々に巧みな隠形ではある。だが再び野生の純度を高めた俺の目は誤魔化せんぞ。


其の気配に気付いた時、始めは或いは護衛達が追い払っていたような魔物や獣の類だろうかと疑っていたのだが。其の気配は野生動物にしては動きに一貫性が有り過ぎる。俺の経験測ではあるが、魔物や獣は基本気紛れである。なので俺達を追跡する事自体は珍しくも無いかも知れんが、その際必ずランダムな動きが混ざって来る。

ところが俺が捉えた気配は殆ど無駄な動きをせず、律儀に俺達を尾行つつ監視を継続している。そして今の所、彼方から何かを仕掛けてくる気配は無い。野生動物にしては違和感が有り過ぎるな。人間ですら其の集中力を持続できるのは30分足らず、どんなに長く見積もっても精々90分てところだ。知能で劣る野生動物ならいわずもがなだろう。其の気配の動きには確かな知性と使命感が感じられる。


さて、どうしたものか。


仲良くなった下っ端の雑用係に相談してみるか・・いやいや、あの連中に相談してどうする。戦闘能力も発言力も無い彼等に突如そんな物騒な相談を持ち掛けても、無暗に困惑させるだけだろう。てか俺が逆の立場なら滅茶糞困るし。なら護衛の誰かに相談してみるか?でも目に見えた地雷だよなあ。俺連中から滅茶苦茶嫌われてるし、奴等の斥候を差し置いて俺の言う事を素直に信じて貰えるとは思えんしな。


ならば他の隊商の護衛に相談してみるか?だが相談出来そうな人が隊列の何処に居るか分からん。今持ち場を勝手に離れて隊列を乱すと滅茶苦茶怒られるし。ならばいっそ持ち場の隊商の頭目であるあのお嬢様に直訴するのはどうだろう・・取り巻きにガッチリ守られて近付く事すら出来ん。


ううむ、矢張り野営の時に誰かに相談するのが良さそうだな。其の時なら俺もある程度自由に動けるし。しかしあの気配は野営する頃には姿を晦ましてしまうので、果たして俺の訴えは信用して貰えるかどうか。まあどうせ襲ってくるにせよ夜間だろうし、その前にフレンドリーな4級狩人PTの皆さんに報告するのが無難であろう。


だが念には念を入れて、駄目元で持ち場の他の護衛仲間?に声を掛けてみよう。


観察してみると他の護衛の狩人達も周囲を相当に警戒している様子だが、件の気配には一切気付いた様子が無い。


ふむ、迂闊・・とは言わんがもうちょっとこう、身体から濃い野性味を滲み出せないモノかね。此れじゃ強いて言えば牙を抜かれた猪。弛緩した眼光は飼い慣らされた豚の如し。此れは宜しくない。そんなザマであの気配を捉えられると思って居るのかね。とりあえず全部脱いでみようか。


などと心中で身勝手な助言を唱えつつ、俺は革製と思しき軽装を身に纏い、柔らかそうなブーツを履いた、如何にも斥候でござるな背格好をした護衛の男の背後から満面の笑顔でズカズカと近付いた。


「なあ、其処のアンタ」

俺は殊更明るい声色で、斥候と思しき男の背後から声を掛けてみた。


振り向いた男は俺の笑顔を見て一瞬怯えたように見えたが、直ぐに羞恥と怒りの表情を張り付けて身を震わせた。むう、此れは初手から仕出かしたか。


「てめえ ふざけるなよ10級風情が」

斥候が滅茶苦茶俺を睨みつけて来る。


此奴の方が背が高いので、俺が見下ろされる格好だ。何だかちょっと悔しい。いやしかし幾ら何でも怒り過ぎだろ。どんだけ沸点低いんだよ。あと声がデカい。


「シッ 声が大きい」


「てめえっ!」


「落ち着いてくれ。アンタに伝えたい事が あるんだ。重要な 話だ」

俺は努めて平坦な口調で、淡々と言葉を紡ぐ。


「・・・何だ」

その言葉を聞いて、どうやら多少は冷静になったようだ。


「俺達、少し前から誰かに 見られてないか」


「何だと」

斥候の表情が即座に真顔へと変わる。


見たところ未だ若くて未熟そうな風体だが、流石に其処まで馬鹿じゃなかったか。


「詳しく話せ」


俺は一つ頷くと、斥候の男に捉えた気配の事を掻い摘んで説明してみた。だがしかし。


「俺には何も見えなかった。お前の勘違いじゃないのか。そもそも10級如きが6級の此の俺を差し置いて、監視に気付く訳ねえだろ」

ふむ、矢張り簡単には信じて貰えそうにないか。


「なら気取られない様に アソコを見てみろ。あの黒い大岩だ。ホラ、あの岩の陰。今、動いたろ」


「ああん?何も見えねえぞ。てめえの気のせいじゃねえのか」

すると斥候は迂闊にもいきなり気配の方へと顔を向けようとする。全く信用されてないんだろうが、幾ら何でもアホ過ぎるだろ。


「あっ馬鹿。顔を向けるな」


俺は咄嗟に斥候の顎を下から手で掬いあげる様に掴むと、強引に顔を此方に向け直した。危っぶねえ、ギリギリセーフか。ところが違う意味で、此れが決定打となってしまった。


斥候はプルプル震えながら目を盛大に血走らせ、射殺すかの如き眼光を俺に向けて来た。そして腰の短剣の柄に手を掛け。


俺は瞬時に脱兎の如く逃げ出した。そして隊列を乱したとして、後で滅茶苦茶怒られた。ふ~全く酷い目に遭ったぜ。しかし此の隊商限定だろうが、護衛達の俺に対する不信感は思った以上に深刻だな。


今の状況で一番避けたいのは、隊商が蛮族や魔物に襲われて敗北する事。次いで俺が蛮族に目を付けられて、真っ先に狙われるパターンだ。出来れば護衛達にあの気配に気付いて欲しかったが、下手に騒いで万が一にもあの気配に目を付けられるのは宜しく無いな。それにこれ以上騒いでも気配は直ぐ逃げて俺独り空回りしてしまいそうだし、その場合益々隊商の中で孤立してしまいそうだ。護衛の連中はもう諦めたが、雑用係の連中にまでハブられるのは流石にキツい。なので件の気配の事は一先ず棚上げする。そもそもアレが必ずしも隊商を狙う蛮族とは限らないしな。


兎に角、今は他の護衛達が早々に監視の目に気付く事を期待しよう。特に4級狩人のPTは相当な手練れに見えたので、或いは彼等なら気付いてくれるかもしれない。


だが俺の期待も空しく、その後護衛は誰一人追跡者の陰に気付かぬまま、隊商の一群は左右を小高い岩山に囲われた小さな渓谷に差し掛かった。その時、否応なく周囲に張り巡らせた俺の索敵が、嫌~な違和感を幾つも捉えた。そしてほぼ同時に。


「ああっ 蛮族だあっ!」


甲高い金属音と誰かの悲鳴のような声が谷に響き渡り、周囲に動揺の気配が急速に広がる。かく言う俺もまんまと出し抜かれた。


まさか、昼間から襲って来るのかよ!

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[一言] やっぱ集団で動くなら社会的信用って大事だなあ
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