第168話
俺は獣道よりは幾分マシ、程度に踏み固められた急勾配な山道を黙々と歩く。目の前で臭そうなケツを振り振りしながら歩を進めるのは、暗赤色の有り余る体毛も含めれば故郷の肉牛並の体格にも見える四足歩行のもじゃもじゃ生物だ。
俺はもじゃもじゃのケツの一点を眺めながら維持していた集中力を以て、十全に掌握しながら展開した魔力の手応えを得た。
良し。尻洗魔法アスクリン・・発動っ。
チャ~~・・・
口元に翳した掌から、確かな手応えと共に水流が口腔内に飛び込んで来る。よおおおおっし!遂に壁を一つ越えた。発動までに体感で軽く10分以上の時間を要したものの、漸く歩きながらのアスクリンの発動に成功したぜ。アスクリンは複数の魔法の合わせ技な都合上、発動まで漕ぎ付けるには回復魔法よりもより高度な魔力の掌握と操作が要求される。なので今では走るという単純な肉体の動作であればながら発動可能な回復魔法と違い、アスクリンは歩きながらの発動ですら中々実現に至らなかったのだ。だが無論、回復魔法で培った経験がこの度も役立ったのは言うまでも無い。
アスクリンならば湧水の魔法と違って零す事無く効率良く水分が摂取できる上、何より周囲に魔法の行使がバレにくい。だがもし敢えて欠点を上げるとすれば、便座からニョキニョキ生えて来たウォシ○レットのノズルが飛ばした水を直飲みしているようで、心情的に気分があまり宜しくない事か。
岩肌に刻まれた険しい坂道を登り切ると、隊商は周囲が拓けた小さな峠に辿り着いた。其処は一面高山植物と思われる植物で覆われたちょっとした緑の絨毯のようであり、更に到る所に白い花が咲いておりとても美しい眺めだ。そして峠の更にちょっとした高台に、周囲を石を積み上げて造られた人の背丈を優に超える高さの防壁に囲われた、堅牢そうな石造りの建造物が聳え立っていた。その建物の飾り気の無い武骨な外観は、ちょっとした砦のような佇まいである。アレが話に聞いた商人ギルドの関所なのだろう。この峠からの眺めはとても見晴らしが良く、俺達が地を這う蟻の如く山道を歩く様子も良く見えたに違いない。逆に目の先の建造物の姿は、絶妙に岩山や立ち木に隠れて来た道からはほんの一部しか拝むことが出来なかった。
関所の傍は緑の絨毯が途切れて砂利を敷き詰めたような殺風景な空き地となっており、続々と坂道を登り切って峠に到着した隊商の面々は其のまま空き地に陣取ると、早々に野営の準備を始めた。併せて関所の門から現れた出迎えの駐在人と思しき人々と、隊商を仕切る連中が愛想良く笑顔を振り撒きながら手を取り合う。あの関所の建物から現れた以上、彼等も恐らくは商人ギルドの関係者なのであろう。
そんな出迎えの人々は、商人ギルドの関係者よりも傭兵ギルド辺りの関係者にしか見えないまるで歴戦の戦士のような筋骨隆々とした体躯を備え、更に濃い髭面に野太い笑顔を浮かべた巨漢共だ。其の身に纏うのはブ厚そうな革製の衣服で、其れだけでも結構な防御力が在りそうだ。その上、揃いも揃って巨大な手斧のような武具を腰から吊り下げている。あんな何もかも野太い連中に集団で襲い掛かられたら、気の弱い奴なら瞬時に股間から熱い液状パトスを迸らせてしまいそうだ。尤も、治安とは縁遠そうなこんな僻地の中の僻地で暮らす為には、其れこそ並大抵の腕っぷしと胆力では務まらないのであろう。
俺は今日も今日とて極自然に雑用係達と一緒に天幕を設営し、即席の竈に火を起こす。火起こしは雑用係が取り出した謎の繊維片と、火打石にて行う。手っ取り早く発火の魔法を使っても良いが、日属性の魔法が使える事は何とは無しに隠蔽しておく。偶には火打石を使わないと火起こしの腕が鈍るしな。
護衛仲間?は今日の野営地は比較的安全と判断したのか、見張りに付きながらも緊張を緩めた様子で談笑している。だが、俺に対してはもう目も合わせてくれない。果たして俺ってそんなに嫌われるような事仕出かしたのだろうか。
中途採用の底辺の癖にパイセン方にタメ口。護衛の仕事をサボタージュして勝手に野営の手伝い。彼等に見向きもせず雑用係達と呑気に夕餉。そして交代で夜通し見張りをするのを横目にグースカ就寝。・・・OH!いかんでしょ。そら滅茶苦茶嫌われるのもしゃーなし。いや、でも仕方無いやろ。初手から彼方さんも仲良くする気ゼロだったし、護衛に関する指示何もくれないし、好きにしろって言ってたし。
ううむ、或いは今からでも俺の方から歩み寄るべきなのだろうか。いや、しかし連中多少歩み寄った程度で容易に関係を改善出来る程に気立ての良い連中には見えんし、第一面倒臭い。それに連中と一定の距離を置いておけば、仮にヤバい魔物やら蛮族やらに襲われたとしても、無力な蛇口要員として心置きなく危険を押し付ける事が出来るだろう。それに俺が滅茶糞嫌われているのは持ち場である隊商の他の狩人達からであり、隊商団の護衛全員があんな感じという訳では無い。例えば商人ギルドの集落を出立する前に顔合わせをした、護衛達の纏め役でもある4級狩人の面々はとても気さくでフレンドリーだった。アレが強者の余裕て奴だろうか。俺が持ち場の他の護衛達からハブられている事をチクってやろうかと一瞬考えたりもしたが、彼等が非常に多忙そうで声を掛け辛いのと、何より其れは余りにも女々し過ぎるので辞めた。嫌われる要因は俺の側にも大いにある訳だし、この程度の事で助けを求めたら却って要らぬ不興を買いかねん。てな訳で、持ち場の護衛仲間からハブられている問題は一先ず棚上げする事にした。
今日の夕餉は湯を沸かした鍋にバターのような独特な香りの物体を溶かし、野草と塩を投入してグツグツ煮込んだ煮汁である。もう見た目から容易に判断出来たが、実に不味い。だが迷宮であのスカベンジャーの叩きすら完食した俺に喰えぬ飯などほぼ存在しない。味はともかく栄養価は高そうな煮汁を有り難く頂く事にする。
夕餉の後は竈を囲んで雑用係達と歓談に興じる。気持ちがハイになるちょっとヤバ目な香草入りの湯を今日も貰って一緒にグビグビ飲む。今日は堅牢な商人ギルドの関所の傍の比較的安全でおあつらえ向きな場所で野営な為、護衛以外の連中も皆リラックスしているようだ。多少風は強いが、天候は良好。眼下の眺めは絶景。美しい夕焼けに照らされながら、今日も俺の語りは絶好調だ。
「迷宮の奥で水も食料も 尽きてしまった俺は、捕まえた死体漁りを細かく刻んで
口に入れたのだ。だがその瞬間、俺の口の中を襲った この世の物とも思えぬ不味さときたら 飢えに苦しむ俺ですら悶絶する程の・・」
身振りを交えながら語る迷宮で降りかかった悲劇を、雑用係の連中は身を乗り出して聞き入っている。実に良い食い付きである。聞き取りは日常会話程度ならほぼネイティブと変わらん水準に達したのに対して、未だ口からは流暢にこの世界の言葉を紡ぐことが出来ない俺ではあるが、その拙く淡々とした口調により話の内容が却って迫真に迫るようなのだ。フハハハッ俺も益々興が乗ってきたぞ。
するとその時。
俺の背後から近付いて来た小さな気配から、与太話に興じる俺達に向けて予期せぬ声が掛けられた。
「そのお話、私も一緒に聞かせては貰えないでしょうか」
思わず振り向くと、其処には俺が護衛する隊商の可愛らしい小さな頭目が、瞳を輝かせながら俺を見上げていた。
「あっ、お嬢様!?」
周囲が一斉にザワ付く。
「・・・・」
「駄目でしょうか」
突然な申し出に戸惑った俺が無言で居ると、彼女は少し困った表情となり再度俺に訊ねて来た。
「うむ、別に構わんが」
数瞬迷ったものの、特に断る理由は無いので鷹揚に頷いてみる。だがしかし。
あ、あっ・・少女の背後に控える取り巻きの人達が物凄い顔してる。その表情を言語化すると、この無礼な糞餓鬼があああブチ殺すぞゴルアアァァ!てな感じだ。オイオイ魔物や猛獣とは違う方向性で滅茶苦茶怖いんだが。あ、でもブチ切れた婆センパイと比べりゃ全然怖く無いな。しかし聞いた限りでは彼女は有力な商家の娘ではあるが貴族や王族の類では無いらしい上、一応年下なのだ。ほんのちょっとタメ口訊いたくらいで其処までキレなくても良いんじゃなかろうか。
焦った俺は咄嗟に彼女に対して背後を指し示す。俺の其の様子を見て何らかの危険を感じ取ったのか、彼女は素早く背後を振り返った。だがその瞬間、取り巻き達の憤怒の貌は一瞬にして能面の如き無表情へと姿を変えた。おおう、変わり身早ええっ。何て奴等だ。
「何か」
取り巻きの一人が先程のブチ切れフェイスが幻であったかのような感情の欠落した顔と抑揚の無い声で俺に訊ねて来た。無駄にイケメンかつイケボなのが無性に腹立つ。
「いや、何でも無い」
俺は状況が呑み込めない様子の彼女を眺めながら、取り巻きと彼女の双方に向けて出来る限り淡々と答えた。
その後、少なからず興が削がれてしまったものの、聴衆に可愛らしい少女と不機嫌そうな野郎共を加えた俺は、殺伐と言う名の棘を幾らか引っこ抜いて脚色と言う名の甘い蜜を塗りたくった迷宮の与太話を再開した。そして、
日が落ちて周囲が薄暗くなってきた頃、俺達の周囲だけ矢鱈盛り上がった宴も漸くお開きとなった。俺は面白可笑しく迷宮の話を続けながらも、内心彼女にあの気分がハイになる香草入りのお湯を誰一人提供しないのが気になって仕方なかった。オイオイ矢張りアレってヤバい草の類じゃねえだろうな。
取り巻きの一人が小声で彼女に天幕に戻るよう勧めると、立ち上がった彼女は笑顔を俺達に向けて可愛らしくぺこりと頭を下げた。
「私の我儘を聞いてくれて有難う。とても楽しいお話でしたわ。ええと、貴方は」
「俺は加藤だ。狩人ギルドに所属している」
「フフッ、私はルカです。良ければまた色々なお話を聞かせてくれるかしら」
「ああ、気が向いたらな」
正直彼女が来てから余り気が抜け無かった事も有り、割と適当に返事をする。
ギリリッ
次の瞬間、微かな歯ぎしりの音が耳に入った。音の方をチラリと見ると、彼女の背後の取り巻き共が再び憤怒の表情である。フンッ、あれ程お前等の嫉妬と敵意に満ちた視線に晒され続れば嫌でも慣れるわ。其のキレ芸にはもうビビらんぞ。
「皆もお役目ご苦労様です。此処は今迄の野営地よりずっと安全な場所なので、今宵はゆっくり休んでくださいね」
そして小さな頭目殿は、周囲に笑顔を振り撒きながら取り巻き共を引き連れて自分等の天幕へ戻って行った。もっと偉ぶった餓鬼かと思って居たが、存外良い子だったな。其れに商家の娘として姉の下で所謂丁稚奉公的な修行していたお陰か、妙に如才無い感じだったしな。
俺は嘗て滞在していたファン・ギザの町で色々あって以来、餓鬼が死ぬ程嫌いである。ついでに子供は無条件で庇護され慈しむ存在である、などとホザく連中にも反吐が出るね。逆に例え見た目は汚らしいおっさんであっても、真っ当に生きる善良な人間であれば、他者を踏み躙って高笑いするような糞餓鬼なんぞより余程優先して庇護されるべきであろう。尤も、俺が蛇蝎の如く嫌うのは飽く迄人間の暗黒面に堕ちた糞餓鬼共であり、真っ当に生きる子供達はその限りでは無い。加えて此の殺伐としたクソッタレな世界である。力無き子供が生き抜く為にちょっと悪さする位なら、余裕で目も瞑ろう。ボーダーラインは迷宮都市ベニスで出会ったスラム街のアイツ等位か。但し、俺の懐に手を伸ばす不届き者には、何処の誰であろうが老若男女分け隔てなく即刻鉄拳制裁を食らわすけどな。
そんな訳で、俺が護衛する隊商を率いる頭目が結構良い子だと分かった今、明日からも張り切って俺水を提供する事にしよう。




