第167話
山深い商人ギルドの集落を出立した大山脈越えを目指す隊商の御一行は、丸一日掛けて渓谷に沿った山道を歩き続けた末に手頃な広場で野営をする事に成った。竈番が手際良く拵えた今日の夕餉はシチューのような入れ物が無いポルタッカ擬きだ。水分補給も兼ねた中々に優れた栄養食に見える。実は行商人達が普段野営の最中口にする食事はもっと質素な代物らしいが、此の隊商には俺を含め水魔法の遣い手が三名も居る。そのお陰で此のような贅沢な献立が許されるのだ。あと集落を出てから最初の野営という事で、本格的な山越えに入る前の景気付けと言う意味合いもあるようだ。
丸一日山道を歩き続けたにも拘わらず、隊商の連中は至って元気である。流石に旅慣れているだけの事はあるな。黙々と歩いて居た昼間とは打って変わって皆饒舌で実に騒がしい。俺も野営の準備を手伝った雑用係の連中と一緒に、小さな車座になって夕餉を済ませる事にした。重荷を運搬してきたもじゃもじゃ生物には当番が交代でその辺の草を食わせている。此の辺はまだ草が充分自生しているので、携行してきた大量の干し草を食わせる必要は無い模様だ。
薄味のポルタッカ擬きを完食した後、雑用係の一人に笑顔で手渡された木製の器を言われるままに掲げると、其の中に謎の葉っぱを投入され、沸かしたお湯をドボドボと注がれた。すると器からスカッとした何とも言えぬ香りが立ち昇る。ふむ、香草の一種だろうか。よもやハイになるヤバい草の類じゃねえだろうな。・・・どうせ此処は地球じゃないし、別に良いけど。結局俺は雑用係達から香り立つ謎のお湯をご相伴に預かり、彼等から色々と話を聞くことが出来た。対して俺は迷宮での苦労話をホラ吹きと疑われぬよう地味な方向に脚色しまくって披露したが、その際周囲を見張っているであろう本来?の仲間達の事が頭の片隅に浮かんだ。ううむ、俺って本来隊商の護衛の一員だったよな。こんな事してて怒られないだろうか。
だがそんな事は直ぐどうでも良くなった。俺は刹那を生きる男。今、此の瞬間が楽しければそれで良いのだ。多分。
そして周囲が薄暗くなってきた日没前。夕餉の後始末を済ませた俺は、就寝前に崖の際に張られた専用の天幕で用を足す。此の周辺には魔物や猛獣が徘徊しているらしいので、その辺で独りブリブリするのはかなり危険である。その上隊商には女性も居る為、その辺は思いの外しっかり配慮されている。此処は岩山なので固くて地面が深く掘れない。その為、ケツ穴からリリースされた排泄物はそのまま崖下に投下されるのだ。故郷では考えられぬスリルと解放感に満ち溢れた素晴らしい便所ではあるが、稀に落ちて死ぬ奴がいるのはご愛敬だ。そして更に。ブリブリした後ケツを拭くのは天幕内に据え置かれたその辺の葉っぱである。クックック、勿論粗末な葉っぱに頼るのは此の俺以外だがな。俺の尻穴だけ文明レベルが千年先をいっておる。優越感がハンパないぜ。
腹を満たし、更に腸内をスッキリさせた俺は、そのまま雑用係達の天幕に居候させて貰い就寝することに成った。見張り?知らん。そんな話誰からも聞いてないし、水を提供する為には魔力を回復させねばならん。俺は食ったから寝るので、後は強そうな護衛の方々に任せよう。一応自分の荷物は身体に括り付けておく。こんな山奥で直ぐバレそうな盗みを敢行する勇者は早々居ないと思うが、念の為である。
そして翌日の早朝。起床した俺達は手早く天幕を撤収し、積み荷を纏めて出発の準備を進める。未だ周囲は薄暗いが、旅暮らしの行商人達は夜目が利く者が多い。迷い無くテキパキと作業をする。今の俺は長年の原始生活のお陰か、或いは無数の魔物を殺しまくって肉体が変質してしまったせいか、此の世界の住人以上に夜目が利く。雑用係の連中と一緒に天幕を解体し、朝餉の準備をする。その後朴訥そうな面構えの当番の男に頼まれたので、もじゃもじゃ生物達に昨日汲んでおいた川の水を飲ませるのを手伝う。足に鋭い爪を持つもじゃもじゃ生物は見た目結構怖いが、実際はとても温厚で人に良く懐く生物なのだそうだ。
朝餉は干し柿のような干物と、バターのようなヨーグルトのような謎の物体だ。量はそこそこあるが昨日の夕餉と違って簡素であり、何より不味い。此の献立では塩分とタンパク質が足りないと考えた俺は、先日拵えたばかりの自前の干し肉を背負い籠から取り出してガジガジ齧る。その様子を見た周囲の連中に物欲しそうな目で見られるが、やらんぞ。俺は承認欲求モンスターでは無い。なので平時ならまだしも、此れから先は危険な大山脈越えって時に貴重な携行食を他人に大盤振る舞いするような頭の悪い真似はしない。雑用係と多少仲良くなったと言えど、その辺の線引きはキッチリせねばならん。干し肉を拵えたのも運搬してるのも俺だからな。どうしても欲しけりゃ相応の代価を差し出すか、自分で獲物を狩って作れ。
朝餉を済ませた俺達は、もじゃもじゃ生物に積み荷を固定して各々荷物を担ぐと、各隊商の纏め役の指示に従って隊列を組む。そして合図と共に野営の広場を出立した。頭上の空は曇天。幾分湿った空気が鼻腔を擽る。雨が降らないか心配だ。尤も、卸して間もない外套がある為、例え雨が降っても易々と身体が濡れる事は無いだろう。
長い隊列は魔物除けをカランカランと鳴らしながら、渓谷に沿って険しい山道を黙々と歩き続ける。時折野生動物か或いは魔物の姿が散見されるが、隊列に近付き過ぎる動物は護衛の連中が連携して手際良く追い散らす。単独行動に慣れ過ぎた俺では他の護衛達とああやって上手く連携して動く事は出来ないだろう。中々に良い仕事をしているなあ。
そういえば昨日、雑用係の連中と色々と話して分かった事がある。隊商団の中でも俺が護衛している最も規模がデカい隊商の頭目は、なな何と歳の頃12・3歳位の女の子なのだ。其の話を聞いた時は正直耳を疑ったぜ。栗色の髪と瞳を持つ其の少女は、地球基準で見ても相当に可愛い容姿を有している。但し、この世界の庶民の女は総じて働き者であり、皆骨太で逞しい肉体を誇る。恐らくは此れ以上成長すればあら可愛らしいからあら逞しいへと立派にトランスフォームを果たすであろう。今が地球基準でも十分可愛らしさが残るギリギリのラインと思われる。
何故俺が彼女の容姿に此れ程詳しいのかと言うと、実は彼女の姿は此れまでにも何度か目撃していたのだ。彼女は常に取り巻きに囲われて居る上、その辺のガキにしては妙に器量が良過ぎる事から、何者だ此のガキはと昨日迄不審に思って居たのだ。だがよもや隊商の頭目だとは想像もして居なかった。しかも昨日色々と情報を入手して更に判明したのだが、実は彼女は隊商の本来の頭目では無い。所詮雑用係からの情報なのであまり詳しくは聞けなかったが、彼女はエリスタル王国の何処ぞの有力な商家の娘らしく、そして本来は年の離れた彼女の姉が此の隊商を率いていたらしい。彼女は姉のように加入条件の滅茶苦茶厳しい商人ギルドの一員となるべく、故郷で言う所の丁稚奉公のような形で姉の下で修業をしていたそうだ。だが不憫な事に頭目であるその姉が病を患ってあっさりと亡くなってしまった為、隊商は急遽エリスタルへと帰還する事に成ったそうな。とは言え年端もいかぬガキが隊商を率いて危険な長旅をする事など事実上不可能である。なので彼女は名目上の頭目と成り、今は屈強な彼女の取り巻き兼目付役達の一人であり、商人ギルドの一員でもある男が実質隊商を率いているそうな。確か初老のおっさんだったか。
まあ隊商の頭目の正体が誰であろうが俺にとっては割とどうでも良い。彼女は常に複数名の取り巻きにガッチリ囲われており、俺との接点なんてほぼ皆無だしな。
俺は最近特に力を入れている部位鍛錬により自然石を割れるまで指でゴリゴリ握り込みながらのんびり歩く。今の所負荷を掛け捲って居る指以外特に疲労を感じないが、他の連中も流石に旅慣れている。入手してから未だ日が浅いハズのもじゃもじゃ生物を上手く御しながら、険しい山道を淡々と歩いて居る。振り向けば俺達が通って来たか細い道が遥か先まで続き、眼下に望むは雄大な絶景。だが皆其れには目もくれずつづら折れの険しい山道をひたすら登り続け、峠を二つ越えたその先で。山の更に奥へと歩き続ける俺達を、ちょっとした困難が出迎えた。
其れ迄順調だった隊列の歩みが突如止まった。そして何時まで経っても再開しない。どうやら隊列の先頭付近で何事か起きたようだ。何やら前方が騒がしい。声の様子から察するに、魔物や噂の蛮族やらの襲撃ではなさそうだが。
丁度比較的幅広い道に差し掛かっていた所なので、野次馬根性を発揮した俺は、ワイワイ騒ぎながら動き始めた他の野次馬連中の後に続いて先頭の様子を見に行くことにした。すると。
俺達の行く手に、剥き出しの荒々しい水流が立ち塞がっていたのだ。其の川幅は目測10m程で、見たところ水深はそれ程深くは無い。だが無理に渡河しようとして下手を打てば、簡単に流されてお陀仏になる事は無いにせよ、全身ずぶ濡れになってしまうだろう。季節は未だ夏にも拘わらず標高の為か昨晩はかなり冷えたので、其れは余り宜しく無い。周囲の騒ぎに耳を傾けた所に拠れば、どうやら何日か前の大雨に拠り、増水した川に橋が流されてしまったらしい。
どう対処するんだろうなコレ。とボケッと川の流れを眺めていると。特に号令や誰かの指示がある訳でも無いままに、川端に集まって来た連中の幾人かが音頭を取って急に場を仕切り始めた。すると何故か次々と半裸に成った野郎どもが威勢良く河原の石を担いで運び始める。その光景を目の当たりにした俺は思わず唸る。いや脱ぐのは別に良いが、お前等行商人の癖に何で揃いも揃ってそんなにムキムキなんだよ。そういえば以前世話になった行商人のヴァンさんもムキムキな細マッチョだったな。
暫くその様子を眺めていた俺だが、鎧と鎧下を脱ぎ捨て手早く荷物を纏め直すと、妙な掛け声を発しながら楽しそうに石を運ぶ集団を手伝う事にした。こんな場面では力技であっという間に脱げる俺の新しい鎧は滅茶苦茶便利だ。護衛の連中は我関せずと周囲の警戒に当たって居るのが垣間見えるが、どうせ俺は護衛の戦力として全く期待されて居ないので問題は無い。
河原で蠢く半裸の集団の真っ只中に猛然と突入した俺は、見せ付ける様に隣のおっさんよりも二回り巨大な石を担ぎ上げ、渾身のドヤ顔と共に腕の筋肉を誇示した。此処で安易に目立つ上腕二頭筋では無く、鍛え抜かれた上腕三頭筋を見せ付けるのがポイントだ。するとおっさんの顔がみるみる赤く染まり、こめかみに血管が浮かび上がる。フハハハッ、所詮行商人如きにパワーでは絶対負けんぞ。確かに俺は狩人としてはチビだし一見体格では劣るのかもしれんが、お前等とは筋繊維のモノが違うのだよ。モノが。そんな訳でガシガシ運ぶぜ。
場を仕切る連中に架設の心得があるのか、見る見るうちに即席の橋脚が組み上がってゆく。一部威勢の良い野郎どもが川に突入してずぶ濡れになっているが、何時の間にやらフル裸族になって居るので誰も気にしない。半裸でムッキムキの行商人達は次々石を運びながら、野太い声でヘンテコな歌を歌い出す。俺もエッホエッホと石を運びながら、連中に合わせて適当に歌う。
ああ旅人よ 旅人達よ
決して癒えぬ 商いの病に冒された哀れな旅人達よ
見果てぬ夢に身を焦がし 卑銭一粒 握り締め
何処までも進むがいい
苛酷な道を 進むがいい
大いなる叡智は 昏く閉ざされた道を照らすだろう
胸に秘めたる勇気は 如何なる危難をも退けるだろう
そして夢を追い 何時か大地の果てに辿り着けたならば
旅人はデュモクレトスと同じ扉を見出すことが叶うだろう
さすればいざ行かん 異界への扉を踏み越えて
いざ行かん 遥かなるその先へ
・・・何だか色々気になるワードがあった為、後で近くに居たおっさんに歌の事を訊ねてみると、どうやら大昔のとある伝説の商人に関する歌のようだ。その商人に纏わる言い伝えを簡潔に要約すると、
何だか地球の古代ギリシア人ぽい名前の其の伝説の商人が、長い長い旅の末に辿り着いた世界の果てに在ったのが一つの扉だったそうな。そこで彼は何者かの声を聞く。その声はデュモクレトスに二者択一の選択を迫った。一つは扉の周囲に散らばる巨額の財宝と共にそのまま引き返す事。もう一つは扉を潜り、未だ誰も知らぬ世界へと飛び込む事。長い旅路の間、彼を支えた仲間達の半分は彼を引き止め、残りの半分は共に扉の先へ進む事を望んだ。だが彼は迷う事無く独り扉の中へ飛び込み、其のまま二度と帰って来る事は無かった。
とまあそんな感じだ。
俺としては色々と突っ込み所満載な上、何ともホラーチックでバッドエンドな話に思えるのだが、此の世界の商人的には何故か非常にウケが良いらしい。だが話を聞く限り俺の故郷とはあまり関係無さそうだ。
その後、一体何処から調達してきたのか木材が登場して橋脚に嵌め込まれ、立ち塞がった急流に即席の橋が架けられた。どうやら此の様に商人の道に不具合が生じた場合、見つけた隊商が出来る限りその場で修繕するのが彼等の慣習となっているらしい。だがもし隊商にその様な余裕が無かったり、手に負えないような状況であった場合は速やかに最寄りのギルド支部に情報を伝達すると、修繕の為に専門の工作部隊が派遣されて来るそうな。成程、そんな感じで長大な商人の道は維持管理されて居る訳だ。
その後、即席の橋のお陰で何事も無く川を渡る事が出来た俺達は、その翌日には商人ギルドがおっ建てた山の原住民を除けば人族が建造した中で最も山奥に存在する砦のような建築物に辿り着いた。




