第164話
早朝に出立した隊商の斥候二名と中途採用の下っ端用心棒一名の計三名は、未だ人通りの疎らな通りを足早に通り抜け、早々にシュヤーリアンコットの町を後にした。町を出てから暫くの間、森の木々と岩山に囲まれた細い街道を推定東に向かって歩くと、目測で高さ5m程の表面がボロボロに風化したオべリスクのような尖塔と、其れとは対照的に如何にも堅牢そうな、石造りの小さな建造物が見えて来た。俺達が建物の目の前まで近付くと、窓の戸板が開いて細面の男が顔を覗かせ、何やら俺達に向けて声を掛けて来た。
男と斥候達との会話を背後から盗み聞くに、どうやら此処が街道の分岐らしく、目的の集落を経て大山脈の奥へと続く商人の道の入口でもあるらしい。その後、斥候達に促された俺が男にギルドカードを提示すると、どうやら既に話は通っていたらしく、特に拒まれる事も無く先へと通してくれた。建築物の横手には街道から分岐した長い階段が斜面の上に向かって伸びており、其処を昇り切ると、鬱蒼とした森の奥へと急勾配な山道が伸びていた。目の前に広がる光景だけ切り取ると、まるで故郷の登山道の入口にでも居るような錯覚に陥るな。植生に詳しい地球人なら一目で異常性に気付くんだろうが。
前を歩く斥候の二人は立ち止まる事無く山道をスルスルと登り始め、周囲の景色をボケッと眺めていた俺は慌ててその後を追った。
山道を小一時間程も歩いただろうか。暫く前から感じていた水音は徐々に大きくなり、遂には巨大な岩山が聳える渓谷が見えて来た。眼下には岩肌を叩き付けるように激しく流れる渓流が見える。何日か降り続けたという大雨のせいか、或いは元からなのか、其の流量は相当なものだ。もし誤って流されたのなら一溜りもあるまい。
渓谷の斜面、というか岩壁を削って造られた道を、俺達は黙々と上流に向かって歩き続ける。道幅は1m程度か。柵や手摺の類など勿論ある筈も無く。道を踏み外したら目測で高低差200m程のほぼ垂直な崖からダイヴすることになる。とは言え、今の俺からすれば特に危険を感じるような道では無い。が、油断は禁物だ。
俺達が歩くこの場所は既にそれなりの高所だと思われるが、此処彼処に武骨な岩肌が露出しているものの、季節のせいもあってか周囲は思いの外緑豊かである。眼下に見下ろす渓流の周りは、ちょっとした森となって居る。更によく目を凝らして探れば、あちらこちらに小動物が徘徊しているのも見て取れる。そして渓流を挟んで谷の反対側には巨大な岩壁が聳え、渓谷は遥か山奥へと続いている。其れ等一連の眺めは、中々に雄大な大自然の景観と言えるだろう。目に映る景色だけでなく、清涼な空気もうまい。もし故郷ならば素晴らしい観光地となるんじゃなかろうか。落ちたら死ぬけど。尤も、俺は供給過多な大自然も、山の青くせえ空気も此の世界に飛ばされて以来ゲロ吐く程に堪能し尽くして来た。今更大したときめきも感慨も無い。
削られた岩でゴツゴツした道を歩き進むと、時折何時出来たとも知れぬ天然の水流が行く手を阻む。手付かずの自然で周囲は保水力が乏しそうな岩山、更に治水も全く成されていないせいか、雨が降ればそこら中に即席の小さな川や滝が出現する模様だ。前を歩く斥候の二人は特に気にする素振りも無く、小さな川をザブザブ踏み越えて進んでゆく。どうやらこの程度の障害は日常茶飯事らしい。足元は岩なので、雨が降ると滑って普通の旅人にとっては結構怖そうだが、幸い今日の天候は悪くない。だが早朝に遠方に臨んだ巨大な山塊は、今は暑い雲に覆われて何も見えない。
因みに今俺が履いているのはオーダーメイドで拵えたブーツでは無く、改良を重ねた4代目スパイク付草履だ。いや、ブーツも素晴らしい出来ではあるのだが、完全では無いものの防水仕様である事も有り、通気性においてはスパイク付草履に圧倒的に軍配が挙がる。あと着脱の容易さや足への馴染み具合も有り、此の草履は高性能なブーツ購入後もどうしても手離せない逸品なのである。
俺達三人は、渓谷に刻まれた山道を快調に進んでゆく。斥候の二人の軽く三倍以上の体積はあろうかと思われる荷物に、更に其処に括り付けられた空樽まで担ぐ俺は、傍から見れば用心棒では無く荷物持ちのようにしか見えないだろう。しかしそれにしても・・。
シュヤーリアンコットの町を出立してから既に結構な距離を進んだが、前を歩く斥候の二人はかなりの速度でザクザク山道を歩き続けている。ちょおおっと歩くペース早過ぎないか。しかも未だ一度も休憩を取っていない。此れは普通の人にはかなりキツいんじゃなかろうか。
普通の人、と言っても此の世界の皆さんは基本滅茶糞健脚である。何と言っても故郷と違って移動手段が基本徒歩しか無いからな。行商人や農民、その他諸々町に住む一般庶民はもとより、身分の高い連中ですら故郷の人間とは比べものにならぬ程に良く歩く。辺境の小国とは言え、王族に連なるあのアリシス王女様ですら、迷宮を奥深くに至るまで魔物を斬り殺しながら黙々と踏破したからな。もしあれが現代人であったならば、例え大の男であろうとも早々に悲鳴を上げて動けなくなって居た事であろう。
移動手段は基本徒歩ではあるが、俺は此の世界で荷鳥や荷蜥蜴が引く荷車を何度も見て来たし、詳しくは知らんが一応貴族達が乗る乗り物も存在するらしい。だが見識の無い貴族の乗り物はともかく少なくともその辺で見掛ける鱗鳥や蜥蜴が引く此の世界の荷車は、トルクは有っても大昔の故郷の牛車の如く、兎に角足が糞遅い。何故ならこの世界の一般的な街道の造りは、荷車を高速で走らせられるような水準では無いからだ。もし嘗て故郷の漫画やアニメで見たように、やたら華奢な造りの馬車に乗って此の世界を旅何ぞしようものなら、早々に車体かケツのどちらが先に崩壊するかのチキンレースと化すのは間違い無いだろう。なので重い積荷が無いちょっとした移動の時などは、背に荷を担ぐか或いは御伴に担がせて歩く方が遥かに移動効率が良い。まあ高貴な連中の場合は別途セキュリティ面を考慮する必要があるだろうが。ともかく俺が以前迷宮都市周辺で目撃したような異様に高度に整備された街道や、物流専用の通路を高速で移動する荷鳥車などは例外中の例外と言えよう。
前を歩く二人も例に漏れず、地球の一般的な人類とは比べ物に成らない健脚を誇っているのだろう。しかしながら幾ら此の世界の人間が総じて健脚とは言っても、休憩も無しに此のペースは些か過剰に思える。何と言うかもう少しこう、デカい荷物を担いで後ろをよちよち歩く初々しい新人を気遣う素振りくらい見せてくれても良いのではなかろうか。
尤も、体力と持久力に限って言えば、俺は此の異界の人間基準でも既に人外の域に腰まで浸かっていると自負している。迷宮都市を旅立ってからずっと走って此処まで来た位だからな。とは言え膝関節や足首には毎日寝る前に入念に回復魔法を掛けておいた。靭帯や軟骨は消耗品だからな。幾ら治せるとは言っても、常に肉体に充分なパフォーマンスを発揮させる為には日頃のケアは怠れない。そんな訳で奥の手である回復魔法なんぞ使うまでも無く、此処までの道程での疲労なんぞ皆無だ。
新人への気遣い云々はさておいても、街道の分岐で偉そうに身分証の提示を求めたのを最後に、連中の方から全然話し掛けてくれない。それに時折俺だけハブって、二人で何事かコソコソ囁き合ったりしている。更には俺に対して露骨に見下したような蔑みの視線を向けてくる。何だかすっげえ感じ悪いぞ。
嘗て中学校で一時クラスメイト達からハブられた懐かしい記憶が思い起こされる。それとも唯の俺の被害妄想に過ぎないのだろうか。真偽を確かめる為、俺は頃合いを見て疲労困憊の体を装ってみることにした。新人狩人の教官であったあのゾルゲとの長い虐待生活で習得した、自慢の演技力である。我ながら素晴らしい。
「おおい、疲労で もう足が動かない。少し休憩させては 貰えないだろうか。」
俺は巧妙な擬態でひーこら喘ぎつつ、前をスタスタ歩く斥候の二人の背中に声を掛けてみた。
「ああ?寝言ホザいてんじゃねえぞ。却下だ。」
肩まで掛かる長髪の斥候が、物凄く険のある口調で俺の提案を一蹴した。
「しかし此のままでは 付いて行けないのだが。」
「知るかよ。後から独りで来りゃ良いだろ。」
眼付きの悪い方の斥候が、滅茶苦茶気煩わしそうに吐き捨てた。
「いや、独りで行動するのは 危険だと聞いた。それに二人が 速過ぎるのだ。俺は重い荷を担いでいるし、休みを取らねば 普通の人は付いて行けない。」
「はああ!?手前は俺達の護衛なんだろうが。この程度でチーチクみたいな泣き言をホザくカス何ぞ、糞の役に立たねえぞ。」
俺の苦言に対し、長髪が何だかキレ気味に凄んで来た。
いやまあ其の言には一理あるのかも知れんが、今は別に先を急ぐ行程でも無いし、ワザワザ待ち合わせて出立した一緒に歩く仲間が休もうと提案しているのをそんなに邪険にせんでも。
「いや、しかし。」
「へっ。どうしても休みたきゃ、地面に頭を擦り付けて俺達に許しを請いな。」
長髪が頬にニヤニヤと厭らしい笑みを張り付けながら、滅茶苦茶ふんぞり返って俺に指図してきた。
「・・・。」
「聞いたぞ。お前10級のカスなんだってな。ちょっと魔法が使えるからって、厚かましく団長達に取り入りやがって。」俺が無言で居ると、眼付きの悪い方が眉間に皺を寄せながら悪態を付く。
「ガキみてえな面してる癖に、生意気なんだよ!」
長髪も便乗するかのように、険悪な口調で噛み付いて来た。
俺はちょっとした探りに対する二人の圧倒的横柄な態度に直面して、怒りを覚えるというより寧ろ戸惑いの気持ちが先に立った。生意気と言われれば確かにその通りなのかもしれんが、末席とは言え狩人ギルドから正式に雇われた護衛だぞ俺は。幾ら此奴等が雇い主側の一員とは言え、もしこんな山の中に独り置いて行ってしまったら、仮に無事であったとしても後で色々と問題になるんじゃなかろうか。
ううむ、もしや此奴等アホ・・なのか?推定年齢二十歳程度の俺が言うの何だが、此奴等見た目結構若そうだし、もしかするとイキりたい年頃なんだろうか。
だが俺の方から此奴等に歩み寄る意思は皆無だ。地面に頭を付けて懇願なんぞとんでもねえ。幾ら新人で雇われの立場とはいえ、美女ならともかく嫌な野郎なんぞに無理してへりくだる気なんぞ全く無え。其れにだ。今の俺とついでに婆センパイは、此の異界でも恐らくはトップクラスの清浄な尻穴を誇っているのだ。例え有力な王侯貴族であっても俺達の水準に至る者はそうはおるまい。なので、断じて此奴等如きに見下される存在では無いのだ。
しかしまあ考えてみれば所詮ほぼ初対面の赤の他人だし、実は此の世界じゃ此奴等くらいの態度が当たり前なのかも知れん。となると出会って早々飯と酒を奢ってくれたリザードマンズの面々が滅茶糞気の良い奴等に思えて来たぞ。若干一名俺を殺そうとした奴がおったけど。つくづく惜しい人・・じゃなくて蜥蜴達を失ってしまった。
「分かった。なら此のまま 先へ進もう。」
俺はあっさりと前言を翻すと、疲労困憊な擬態は継続しつつも二人に出発を促した。もうお前らと仲良くする気は無いからさっさと行け。
そして其処から先、俺は見た目はひーこら疲労困憊の体を装いながらも、全く速度を緩める事無く二人を追い立てるようにしながらひたすら山道を歩き続けた。更にジワジワと腹が立ってきたので時折体力ねえなあ、とかこんなザマで斥候が務まるのかよ、とかボソッと呟いて背後から二人を煽りまくってやる。此奴等の性格と頭の悪さを鑑みるに、あまりやり過ぎると下手すりゃ殺し合いに発展しかねないので、煽りの塩梅を加減するのが難しくも結構楽しい。
その晩は山道の小さな空き地で野営を行った。俺が背後から追い立てまくったお陰で滅茶苦茶距離は稼げたが、斥候の馬鹿二名は疲労困憊の体だ。因みに俺も未だ擬態を継続中で同じく見た目だけは疲労困憊である。俺と二人との雰囲気は物凄く険悪な為、誠に非効率にも拘らず夕餉は別々に取った。お前ら仕事で来てるんだろうに本当に其れで良いんだろうか。俺は一向に構わんけど。
その晩、斥候の二人が建てた簡易天幕に入れて貰えなかった俺は、排泄の振りをして場所を変え、日課である鍛錬をコッソリと行った。その後、空き地に戻って外套に身を包むと、寝転がって星々が零れ落ちそうな夜空を眺めた。傍には即席の竈に獣と魔物除けの香が炊かれ、下火になった炎が揺らいでいる。地球には存在しない二つの月は、すっかり見慣れた。というか見飽きた。良く見りゃその模様は故郷の美しい月とは似ても似つかぬクレーターだらけのゴツイ見た目だし、色も何か赤っぽいのと緑っぽいのであんまし綺麗じゃねえ。月、などと言うよりは衛星と表現した方がしっくりくるかもしれんな。其れから周囲の気配と天幕内の二人が不埒な真似をしないか気を配りつつ、俺はそのまま浅い眠りに付いた。
そして翌日。太陽が丁度頭の真上に輝く頃、俺達は予定よりも一日早く目的の集落に到着した。シュヤーリアンコットの町と違い、集落は頑丈そうな岩と木製による防壁で周囲を囲われている。俺達は入り口の守衛と思しき武装した男達に身分証と紹介状を提示し、ついでに何故か俺だけ金銭を強請られたので、ぶん殴りたい気持ちをググッと堪え、誠に不本意ながら銀貨を握らせて門の中に入れて貰った。
その後、遂に力尽きたのか、集落に入るなりぶっ倒れてヒーヒー喘ぐ斥候の二人は放置してさっさと別れた。連中は回復次第、報告の為にシュヤーリアンコットの町に引き返すのだろう。俺は故郷で言う所の半月ほどの間、この集落でのんびり過ごしながら高度順化を行うことになる・・予定であった。しかしながら俺は此の集落に到着するまでに、一つある決意を固めていた。その為、のんびり過ごすとは行かぬ事情が出来てしまったのだ。




