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遥か異界の地より  作者: 富士傘
摩訶不思議魔技修道編
186/267

(閑話7 後・結)

王都から脱出するにあたり、私が護衛として雇い入れたのは商人ユニオ・アーデムに所属する狩人の一団である。その一団は『顎髭』などという一風変わった名を名乗った。仲介人の紹介で私の前に現れたその頭目は屈強な体躯に加え、確かに黒々とした堂々たる髭を顎に蓄えていた。見たところその年の頃は壮年であり、見える範囲だけでもその身体には大小様々な古傷が刻み込まれている。歴戦の戦士の風格を全身から漂わせていた。だが彼の言に拠れば、その古傷の殆どは終末の会戦唯一度の戦で刻まれたものなのだそうだ。


バルバと名乗った『顎髭』の頭目は、私から事の経緯と依頼内容を聞いて、初めは依頼の受注に難色を示した。けれど、一先ずの話を終える頃には一定の理解を示してくれた。


「成程。道理を違えては居ない。犯罪を犯した訳でも無い。それでも尚、追われる事になるだろう、と。」


「はい。」


「何故追われる事になると分かる。その根拠は?」

バルバは疑問と共に、鋭い視線を私に向けて来た。


「明確な根拠はありません。でも確かな予感がありますわ。」

そして私は予め机の上に用意して貰った燭台に、魔法で以て火を灯して見せた。


「ほう、アンタは魔術師か。」

火が付いた燭台を眺めて、バルバが目を細めた。


「ええ。少々魔法を嗜みますわ。」

戦場で多くの経験を積んだ戦士は、些細な出来事からでも吉凶を気に掛ける事や、魔術師の、特に魔女の直感を決して軽視しないと聞いたことがある。これは私の予感を僅かでも信じさせる為の演出だ。


「ふむ・・仲介人からはプトリュードリアの学生と聞いたが、大したものだ。不躾ではあるが、アンタの魔法の師を教えては貰えないだろうか。それとも、実は魔術師ユニオ・アーデムか或いは何処ぞの魔術師の組織に所属でもしているのかね。」


「・・・師は、居ませんわ。」

暫しの間逡巡したけれど、結局私は正直に答えることにした。今は出来るだけ隠し事をすべきではない。信用を勝ち取るほうが優先される。


「居ない?」


「魔法は幼い頃に、気が付けば使えるようになっていましたわ。」

正確には他人には見えない友人達に教わったのだけれども、これに関しては私は半分嘘を混ぜた。あの友人達は私の最後の切り札であるし、それに名前が無いので答えようが無いというのもあった。


「何と。それは真か。」

私の話を聞いたバルバは、目を大きく見開いたまま固まっていた。余程驚いているらしい。尤も、その反応は別段可笑しな事では無い。私が逆の立場でも、多分驚愕するだろう。


「いや成程、成る程な。素性は明瞭、尚一層の気品もある。それにまっとうな魔術師であるなら、己の支柱たる師を騙る事は出来まい。・・真なる魔女、か。俺も初めてお目にかかる。」


「真なる魔女?」


「いや、何でもない。分かった。そういう事であれば、アンタの予感を信じよう。気を悪くされるな。信頼に足る仲介人からの依頼とはいえ、事を構える相手が相手だ。我々も慎重に成らざる得ないのでね。」


「承知しておりますわ。懸念を抱くのは当然の事かと。」


「事情を訊いた限り、本来ならば王都から逃げるのは却って悪手だ。むしろ堂々として居るべきなんだろう。実際の所、アンタは何かしらの悪事を働いた訳では無いのだからな。下手に逃げたりすれば、却って相手に付け入る隙を与える事になる・・・と言いたいところだが、男女の愛憎が絡むとなると、必ずしもそれが正解とは限らんな。実に厄介な事だが。」


「ええ。」


「確か、あの家の今の当主は嫁狂いで有名だったな。」

バルバは顎に手を掛けて何やら考え込んだ。


そう、それ故に私は夫人の事は意識の外にあった。彼は確かに魅力溢れる良い男だったけれど、よもや夫からそれ程に愛されていながら私の男に手を出してくるとは。全く知らない女に背後からいきなり刺された気分だ。もしや束縛が激し過ぎて心労が積み重なってでも居たのだろうか。今となってはどうでも良いが。


「まあ建前上、今回の出来事でアンタに貴族としての面子に泥を塗られた形にする事は出来なくも無いな。それを利用して報復に出る可能性は十分に考えられる。」


「私が恥をかかせたのではなく、夫人が勝手に衆目に恥を晒したのですわ。」


「それは分かったが、重要なのは事実よりも相手や世間がどう捉えるか、だからな。アンタに追手を差し向け、更に始末する名目としては・・そうだな。既に約定した相手がいる臣下をアンタが卑劣な手段で誑かした上、その事が発覚すると臆病風に吹かれて逃げ出した。そしてそんな悪女を我々が責任をもって断罪した、てトコロか。」


「その約定した相手は・・幾らでもでっち上げられますわね。」


法も何もあったものじゃない酷い話ではあるけれど、そんな不条理が罷り通った事例なら幾らでも耳にしたことがある。この世の中、意を押し通すのに最後に物を言うのは法よりも力だ。それでも一応は建前を用意する辺り、自分等は下層民や辺境の蛮族共とは異なるつもりなのだろう。


「ただ公の場で夫人の告発を聞いていた者が多いとなると、色々と噂は広まるだろうな。だが建前上はそんな具合で押し通すだろうよ。連中にはそれを通すだけの力があるからな。」


「でしょうね。何れにせよ、私を貶め、糾弾する為の名目は幾通りでも捻り出せますわ。」それに、王都で無暗に広がった私の浮名の事もある。筋書を捏造する側はさぞやり易い事であろう。


「うむ。それはそうと、アンタの実家の方は大丈夫なのか?」


「私一人ならともかく、家や領地にまで手を出せば縁者や主筋が黙っていませんわ。幾ら嫁狂いと呼ばれていても、実際は其処まで狂ってはいないでしょう。それに。」


「それに?」


「今の私は豊穣の神の信徒ですわ。既に実家とは無関係ですの。既に然るべき先に書簡を送ってありますわ。」


「ほう、既に手は打ってあるのか。」


「咄嗟に出来たのは一方的に書簡を送り付ける程度ですわ。ですから念の為の備えに過ぎないですけれど。」


「成程。凡その事情は分かった。貴人の令嬢として言い難い事もあったろうに、恥を承知で打ち明けてくれた事、感謝する。さすればこの依頼、確かに承った。早速準備に取り掛かろう。動くのは早い方が良い。」

バルバは立ち上がると、不敵な笑みを浮かべて私に手を差し出して来た。その表情に畏れや躊躇の類は欠片も見受けられない。何とも豪気な男だ。見た目は私の好みじゃないけれど。


私は差し出されたその手を、固く握り返した。



____王都を後にした私達は、初日は近隣の町に宿泊した。目的は遥か西に聳える大山脈。そこで『顎髭』と別れ、私は大山脈を更に超えて辺境と呼ばれる地へと向かう腹積もりだ。無論、その道中には尋常ならざる困難が待ち受けている事が予想されるけれども、既に覚悟は決めた。例え道半ばで無残に野垂れ死んだとしても、よもや後悔などすまい。


私は学生の間に更に溜まりに溜まった資産のうち、即日動かせる分の過半を商人ユニオ・アーデムに、残りを『顎髭』に預けた。彼等への報酬としては些か過剰な金額だけれども、道中の旅の経費も兼ねる。更には王都の商人ユニオ・アーデムから西の支部へと伝書鳥にて通達を出してもらい、非常時には資金を工面して貰う手筈を整えて貰った。


二日目。『顎髭』から今後は町の宿舎ではなく、野営をしながら移動をしたいとの提案があった。相手が暗殺者となれば、周囲が開けた場所の方が護り易いとのことだ。


「お嬢には常に俺達の誰かの視界に入る場所に居て貰う。色々と不便に思うかもしれんが、当面は我慢して欲しい。」


「私は構いませんわ。」

所詮旅や護衛に関しては素人である私に、その提案を断る理由は無い。


『顎髭』の構成員は全部で八名。因みにその中には顎鬚がない女性も二人居る。正直、その事は様々な意味で大変助かった。黒鉄の心を持つと揶揄された流石の私も、髭面の男に常に監視され続ける生活は精神の疲労が著しい。彼等は一定の距離を置いて常に私の周囲を取り囲み、花摘みなど秘匿の用向きの際は女性団員に付き添われ、暫しの間旅は何事も無く順調に進んだ。



ソレが起きたのは、王都を離れてから丁度五日目の事である。


「見られてるな。一時は姿を晦ましたと思ったが。」

顔を顰めたバルバが不意に小声で呟いた。


彼等の中心に居る私には、周囲の団員に僅かに緊張が走るのが分かった。にも拘らず、傍目にはのんびり歩き続けて居るように見えるのは流石だ。


どうやらバルバは既に追手の気配を察知していたらしい。彼の呟きを聞いた私は、少なからず衝撃を受けた。私とて敵を察知する勘働きは相当に鋭いと自負していたにも拘らず、今迄そのような気配に全く気付かなかったからだ。


そして日が落ちかけ、周囲が薄暗くなってきた頃合い。

私達は何食わぬ顔で野営の準備を進めている。少なくとも表向きは。だが。


「団長。」


今迄私を何くれと世話してくれた斥候の女性団員が、一見何食わぬ様子で此方に近付いて来た。この辺りでは珍しい黒髪に茶色の瞳を持つ、平民とは思えぬ程整った容姿の女性だ。だが今の彼女は緊張からか表情が引き攣り、顔色も心なしか普段より青白くなっている。どうやら只事でない様子だ。


「ああ、分ってる。奴等暫く姿を見せないと思ったら。俺達にまるで隙が無いと見たのか、人数を揃えて来やがった。暗殺としちゃ不格好だが、悪くない判断だ。」


成程、相手も馬鹿じゃない。見晴らしの良い場所で野営をするのを逆手に取られたようだ。此れでは何処にも逃げ場がない。尤も、半端に逃げ場があったところで大した違いは無いのかも知れないけれど。


「確証はありませんが、恐らく既に半包囲されています。どうします?」


「無論、ここで迎え撃つ。仕掛けは済んだな?」


「滞りなく。しかしお嬢は如何します?いざとなれば我々が囮になって、ロブと一緒に逃がしますが。」


「いや、お嬢の技量と脚で奴等から逃げ切るのは不可能だ。どの道我々とは既に一蓮托生。腹を括ってもらう他あるまい。」


「はっ。しかし奴等は・・。」


「分かってるさ。既にこれだけ接近されたにも拘わらず、この俺ですら奴らが動く気配を殆ど感じぬ。何処のどいつか知らんが、凄まじい手練れ共だ。奴さん、どうやら何が何でもお嬢を殺る気らしいな。」


「・・・・。」


「それにしても俺も衰えたのかねぇ。気付く間もなくこうも簡単に囲まれちまうとは。今迄連中をどうにか補足出来たのだって長年戦場で働いて来た故の勘働きと、何よりツキがあったお陰だろうな。」


「団長、そのような事は。」


「おっと、余計なお喋りだったな。さあ、奴等漸く動き出したぞ。お前も直ぐに配置に付け。あとお嬢は決して其処から動くなよ。」


バルバは飄々とした口調を崩さない。だが眼球を血走らせ、犬歯を剥き出しながら破願する表情はまるで凶悪な魔物のよう。そしてその体躯からはギリギリと空気が軋む程の圧が発せられ始めた。私の全身に鳥肌が立つ。その原因は周囲を取り囲んでいるらしい暗殺者共では無い。目の前のこの男だ。こいつ、本当に真っ当な人間か?


それから暫しの間、空気が凍り付くような静寂が続いた後。


唐突に、堰を切ったように。

陽光の残滓が燻る闇の中で。凄まじい金属音、擦過音、破裂音、そして肉と骨を打ち、断ち斬る生々しい音。耳を引き裂くような殺戮の音が響き渡り、次いで焦げ臭さと、むせ返るような血と臓物の匂いが周囲に充満した。


それはほんの僅かな時間に過ぎなかったに違いない。だが気付いた時には、既に見知った『顎髭』の四名が斃れ伏し、十を優に超えると思しき暗殺者の骸が、文字通り切り刻まれて周囲に散らばっていた。


私は一瞬、味方が殺られた事すら顧みずに目の前の光景に固唾を飲み、そして戦慄した。


何と言う埒外の怪物ども。これが魔物領域の化け物すら屠ると噂される実力者か。コレと比べたら私が嘗て得意満面で身を置いた暴力など、児戯とすら呼べない代物だろう。そして、私は同時に悟った。動く味方は早くも僅か四名。対して襲い来る暗殺者は少なく見積もっても二十は下らない。バルバは鉄塊の如き豪剣を振るって何人も同時に相手取っているが、既に守りの陣形は崩れていて。このままでは、次の瞬間にも私は確実に殺られる。


私は刹那の逡巡の後、最後の手札を切る決断をした。使うのはアースティルの大聖堂に囚われた時以来、数年ぶりか。但し、今回の相手はあの時のような粗雑な三流暗殺者ではない。超一流の腕利きだ。


私は正直、この力が余り好きでは無かった。本当は私は、出来れば友達に力を借りたくは無かった。彼等に願う度に、力を借りる度に、徐々に近付く破滅の予感。でも今ばかりは、背に腹は代えられない。


私は願う、彼等だけが分かる言葉で。私は呼び掛ける、決してヒトには聞こえぬ音色で。そして私は求める、私だけに許された助力を。




「ミツケタ、リリィ。」

次の瞬間、突如私の耳元でソレの()()が聞こえた。


「なっ!?」

私は驚愕と共に、思わず背後を振り返った。


馬鹿な。今迄聞こえていた友人達の声は直接頭に響く、まるで夢の中にいるかのような響きだったはずだ。まるで人間のような、こんな生々しい声など。


「ミツケタ」 「リリィ」 「アソボ」 「アソボ」

「リリィー」 「イッショ」 「ヤット ミツケタ」 「イッショ」 


私の周りから幾つもの不気味な声が聞こえてくる。

何だ、一体何が起きている。


束の間の自失。だがその直後、不気味な声が何かに反応を示した。


「アレ」「アイツラ リリィ イジメル」「イッショ」

「ヤッチャエ」「ジャマ」「リリィ」

「リリィ イジメル」「ヤッチャエ」「イッショ」「アソボ」


すると次の瞬間、私達を取り囲む暗殺者共の身体から、一斉に薄気味悪い深紅の炎が吹き上がった。人から発せられたとも思えぬ絶叫が周囲に響き渡り、不気味な松明のように燃え上がった暗殺者達は武器を放り捨てて、狂ったように地面を転げ回った。


「ま、待って。奴等の一人は生かして・・。」


「「アハハハハハハハハッ!」」


そして幾らも経たぬ内に、彼等は碌に形も残らぬ小さな煤の塊になり果ててしまった。けれども、私には哀れな暗殺者達の末路を気に掛ける余裕は無かった。


「ああああっ!?」


「アソボ」 「イッショ」 「リリィ」 「ズット イッショ」

「アソボウ」 「イッショ」 「ハヤク」 「アソボ」

「アソボ」 「リリー」 「アソボ」


気付いた時には、半透明な朧げな形をしたナニカが、私の全身に取り付いていた。そして、物凄い力で()を引っ張り始めた。


「や、やめて!」


「ヤダヨ」 「イッショ」 「ヤット ツカマエタ」 「ズット イッショ」

「リリィ」 「イッショニ アソボ」 「アソボ」 「ハヤク」


私の精神か、それとも魂であろうか。肉体から引き剥がされようとする悍ましい感覚。千切れ飛びそうな心で私は歯を食い縛り、叫び、あらん限りの抵抗をした。口の中が鉄の味で満たされ、抵抗する全身の穴と言う穴から鮮血が噴き出すのが分かった。歪む視界が暗い景色から嘗て見た覚えのある光り輝くものへと徐々に変質し、次いで真っ赤に染まった。目の血管が切れたのか。真っ赤な景色。まだ、赤い血を感じられる。なら私はマダ、ヒトでイられる。


視界が、肉体の感覚が不明瞭になるのに反して、彼等の声だけでなく彼等の姿が、存在が、少しづつ明瞭になってくる。不味い。不味い。此のままでは、私が私で無くなってしまう。でも気合や、根性ではどうにもならぬ。どうする。どうスれば。


・・・イや。私は何故抵抗でキている。何がワタシヲ、こコまで。


ふと身体にへばり付く()()に目を向けると、随分と明瞭となった痩せた子供のような姿が目に映った。その姿は上半身しか無く、下半身は真っ赤なに染まった大気に溶け込んでいた。


あア。やっト分かった。その姿を視界に修めた瞬間。諦めかけた私の心に、再び熱い熱い炎が吹き上がった。私が此処まで抵抗出来た理由、それはこの世界への未練だ。そして私が私でありたいと固執する、ドロドロとした熱い執念だ。そして今、その執念の源泉は。


それは男だ。


そう、あたしはリリィだ。エリスタルに名高い恋多き女、リリィなんだよ。このあたしが、あんな上半身だけの男だか女だか分からん生き物に成り果てるなど、断じて認めるワケにはいかないんだよおおおっ!!


奇しくもこの時、肉体と精神だか魂だかが分離しかけた私は、己の身体を流れる熱い奔流と、その奥底に眠る巨大な炎の塊をハッキリと感じ取った。それは生まれて初めて自らの意思で感じ取った、己の魔力そのものだ。


あたしは今まで何とはなしに使っていた己の魔力をこの瞬間、生まれて初めて自らの意志によって支配下に置いた。遣り方は分かる。幼い頃に此奴等が教えてくれたから。そして試しに身体に張り付く奴等の内の、一番弱そうな一体に向けて熱い魔力の塊を吹き付けてみた。するとソイツはまるで強風に煽られたかのようにその姿を大きく震えさせ、何処かに吹き飛ばされそうになった。


良しっ、いける!


「リリィ」 「イッショ」 「シブトイ」 「ハヤクー」

「リリィ」 「イッショ」 「アソボ」


次いであたしは右の拳に、ありったけの熱い魔力を掻き集めた。余りの熱に己の拳の肉が灼け、焦げ臭い異臭が鼻を突く。だが其れも素晴らしい気付け代わりだ。この熱さが、痛みが、とてもとても心地良い。これこそが愛するあたしの肉体だ。絶対に手離してなんかやるもんか。


あたしは友人の・・いや元友人達の内の一体に目を付けた。幼い頃に培った無数の闘争と、そして小さな王国の支配者だった経験によりあたしは見抜いていた。一歩離れた場所から偉そうにあたしを見下しやがって。お前がコイツ等の親玉だろう。


「うあああああっ!」

覚悟をキメたあたしは自爆覚悟で、更に全身から熱い魔力を噴出した。すると一瞬、奴等の拘束が緩むのを感じた。執念で絞り出した、千載一遇の好機。絶対に逃してたまるか。


そして、


「キン〇マ付けて、出直して来なさいっ!!」


あたしは呆然した様子の半透明の親玉の顎に、熱い渾身の右拳を叩き込んだ。





____全身に酷い火傷を負ったあたしだったけれど、『顎髭』が所持していた高級傷薬で辛うじて一命を取り留めた。ただ火傷専用の薬は無かった為、結局この時の傷跡は少しだけ身体に残ることになった。


結局アレは何だったんだろうか。精霊魔法については一時期大図書館の文献を読み漁ってみたが、遣い手が極端に少ない故に使用に関しての具体的な記述は殆ど残って居なかった。


けれどあたしは一つ気になっていたことがある。精霊魔法は世間にも比較的名の通った魔法である。しかも精霊の力や気分によって大きく左右されるものの、時には天を裂き、地を割るような巨大な力を振るう事が出来ると言い伝えられている。にも拘らず、他の魔法と違って歴史に名を遺すような使い手が全く存在しないのだ。もしかすると、その答え合わせがアレだったのかも知れない。いやそれ以前に、奴等は本当に精霊だったのだろうか。一応読んだ文献と特徴は一致していたけれど。


何れにせよ、恐らく次は無い。今回のような幸運など、二度と期待してはいけないだろう。そしてあたしはこの時以降、二度と精霊に助けを求めることは無かった。


死闘から辛うじて生還したバルバは亡くなった団員達の遺体から遺品を取り出すと、まるで無二の宝石を扱うかのように丁寧に仲間の遺体を埋葬した。其の中には、あたしが世話になった黒髪の女性団員も居た。切り刻まれた方の暗殺者達の死体はバルバ達が巨大な穴を物凄い勢いで掘った後、まるで腐った芋でも扱うように適当に放り込んで埋めてしまった。


人数は半減してしまったものの、其れからのあたし達は暗殺者達に襲われる事も無く、順調に旅を続けることが出来た。そして、大山脈の麓の街で『顎髭』に別れを告げた。


その後、様々な出来事が有った上でどうにか大山脈を踏破して辺境の地へと足を踏み入れたあたしは、二年以上の歳月を経て迷宮都市ベニスへと流れ着いた。


その迷宮都市で、あたしは遂に運命の出会いを果たすことになる。後のあたしの旦那である。どれ程の困難が襲い掛かろうとも粘り強く土と向き合い続ける旦那の姿を見て、あたしは今までの男に無い、雑草のような強かさを感じたのだ。それに作付け方法の改良や新しい作物の育成を常日頃から模索して成功を収めていた旦那は近隣の農夫達から頼られ、慕われる存在でもあった。あたしは彼と出会ってから間もなく、彼に嫁ぐことを心に決めた。


辺境の田舎に住む朴訥な農夫の心を奪う事など造作も無い。あたしは彼の周囲に群がる女を軽く捻って排除すると、怒涛の如く結婚まで一気に持ち込んだ。その後、二人の子宝に恵まれたあたしは、それまでの怒涛の人生がまるで夢であったかのように、一筋に土と向き合って生きてゆくことになった。ついでに独自に研究を重ねた土魔法が、自分でもそら恐ろしい程に上達していった。また、人妻にも拘わらず山程に群がって来る男どもがあまりに煩わしかった為、偶然知己となった魔術師に頼んで顔の形を変えて貰った。旦那には大層不評であったけれど、自己主張の激しくなった鼻があたしは結構気に入っていた。


時は流れて流行り病によって旦那がコロリとあの世へ旅立つと、あたしゃの土いじりへの興味ははたと消え失せてしもうた。まるでその事を見透かしたかのように、魔術師ユニオ・アーデムからの熱烈過ぎる勧誘が、毎日のようにあたしゃを訪れるようになったんじゃ。農地は既に息子夫婦と孫に継がせてしもうたので、正直なところあたしゃは暇を持て余していた。じゃので、結局は魔術師ユニオ・アーデムからの誘いに乗る事にしたんじゃ。


ユニオ・アーデムで紹介されたあたしゃの魔法の師は、名門の出を名乗った癖に酷くボンクラじゃった。知識こそ流石にあたしゃより豊富じゃったが、土魔法なんぞは初めからあたしゃより数段下手糞じゃった。そのせいで、何故かあたしゃがボンクラにいきなり教える羽目になったぞい。そして三年も経った頃には魔法に関してボンクラがあたしゃに勝る事は何一つ無くなっておった。そしてあのボンクラはあろうことか人妻に手を出すと、研究室を放り出して女と何処ぞへ旅立ってしまいおった。


その後ボンクラの研究室を滞りなく接収したものの、何時しかあたしゃは再び退屈を持て余す日々となったんじゃ。そんな折、あたしゃは魔術師ユニオ・アーデムには代価と引き換えに魔術師が教師として魔法を教える制度がある事を耳にした。但し魔法の才能がある者はそれ程多くは無い。にも拘らず、申し込みは結構な頻度であるようじゃ。貴重な金貨を気前よく便所に捨てて大変ご苦労な事じゃな。


そこであたしゃは好奇心と暇潰しを兼ねて、魔法の教師としてユニオ・アーデムに申請を出すことにしたんじゃ。とは言えあたしゃが教えを授けるのに相応しいのは若くて賢くて品が良く、そして何より顔立ちが整った貴族の子弟以外あり得ん。その旨、受付の生意気な小娘に強く強く要求しておいたぞい。クケケケッ。可愛らしい坊主と顔を合わせるのが楽しみで仕方ないわい。


じゃが結局あたしゃの前に現れたのは、あのとんでもない馬鹿弟子だったんじゃ。



____あの馬鹿弟子のせいで、久し振りに昔の事を色々と思い出しちまったよ。

あれだけ喧しく狭苦しかったハズの部屋が、今日に限ってやけに広く感じよる。


今度久し振りに、孫達の顔でも見に行ってやろうかのう。


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― 新着の感想 ―
リリィの視点から加藤の魔法修行編を読めると思ったのに、加藤を弟子として迎えるまでの人生の話で残念です。
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