第157話
此処より東方に聳えるかの大山脈を踏み越える為には、先達の商人達が多大なる労苦と年月を代価に捧げて切り開いた隘路、通称『商人の道』を抜けるのが最も低リスクで現実的な方法である。他にも地下の大迷宮を突っ切る方法もあるが、其れはほぼ自殺と遜色ない程の鬼の死亡率と聞いた為、問答無用で却下した。とは言うものの、地下ルートの方にも利点が無い訳では無い。でなきゃ其方を選ぶ奴なんて誰も居ないだろうからな。
商人ギルドが切り拓いた『商人の道』は地下の迷宮と比べれば通過する際のリスクは各段に抑えられるものの、当然の如く商人ギルドの管理下にある為、ギルドメンバーで無い者が利用する為には何らかのコネが必要となる。其れに対し、大迷宮は天井知らずなヤバさと引き換えに、突入するのは誰でも自由である。入りたいならば何時でも誰でもウェルカムな懐の広さなのだ。死ぬけどな。そして幾つか有るらしい其の入口には特に設備や警備等は何も無く、其処らにある洞窟と見分けが付かないそうだ。
其れに加えて、例え『商人の道』であっても冬季に山越えをするのはほぼ自殺どころか100パー自殺行為であるのだが、地下の道は年中通行可能という利点もある。因みに今の季節は夏真っ盛りだが、山越えの準備期間を考慮すると冬までに間に合うか否かはハッキリ言ってギリギリなタイミングである。俺が焦りまくって出立の準備を急いでいるのはその為である。
繰り返しになるが俺が目論んでいるのは、狩人ギルドの護衛の一員として山越えをする隊商に潜り込むことだ。
そして現在、俺が居る此の辺境の地では、小国家群による大規模な動乱が勃発している。その為、街で聞き耳を立てれば戦地での単純な乱暴狼藉は言うに及ばず、例えば包囲したどこぞの村に火を放って盛大に焼肉パーティーを開催しただの、親子や恋人同士で殺し合わせたり四肢をちょん斬らせた後アレやコレやと凌辱の限りを尽くしただの、首まで生き埋めにしたガキ共で一杯になった大穴に糞尿を少しずつ流し込んでエンジョイしただの、仮に話半分くらい誇張だとしてもゲロ吐きそうな程に胸糞悪くなる辺境の蛮族ムーヴ全開な噂話が幾つも耳に入ってくるのだ。
俺が現在滞在している此の迷宮群棲国も例外では無く、暫く前に隣国から攻め込まれたばかりである。因みにその戦については、敵国からの援軍を奇襲によって壊滅させてほぼ勝負あった、のだそうだ。その後、敵軍に占拠された南方の都市を完全に包囲した迷宮群棲国の討伐軍は、都市から出入りしようとする人間を老若男女分け隔て無く片っ端から斬り殺したらしい。更には都市内の井戸に毒だか糞尿だかを投げ入れたという噂もある。そしてその結果、都市を占領した敵国の連中は日干しにされてそれはそれは悲惨な末路を辿ったそうな。無論、巻き添えになった都市の住人達がどうなったかは言わずもがなである。どの道攻め手のお偉方にとって顔見知りな都市の王族や貴族はとうに全員殺されるか逃亡するかした後なので、凄惨な手段を躊躇う理由など無かったのだろう。庶民の人権?命?奴等にとっては自分等が治める領民ですら無いのだ。精々塵芥程度の価値でしか無いだろう。何れにせよ、儚い庶民の命を敵兵ごと情け容赦無くゴリゴリ挽き潰して、南方の戦は既に粗方終結に向かっているようだ。
少々話が逸れてしまったがとまあ何やかんやで、此の辺境の地では家系ラーメンの出汁を限界まで煮詰めたよりも特濃で血生臭い乱世の風が吹き荒れまくっている。その為、近頃は苦労して構築した人脈や販路を断腸の思いで諦め、命の危険を冒してでも大山脈を越えてエリスタル方面へ逃れる行商人が相当に増えているとの事だ。逆に、新たな商機を嗅ぎ付けて東方からやって来る気合の入りまくった商人も僅かながら存在するらしいが。何れにせよ、便乗して山越を目論む俺にとっては実に都合が良い状況と言える。それに、俺が所属する狩人ギルドは元々商人ギルドの下部組織だった為、二つのギルドは今でも繋がりが深い。なので、狩人ギルドには昔から商人の護衛を生業とするプロ集団が居たりもする。加えて、商人ギルドの隊商の護衛には、衛兵や私兵等の例外を除けば傭兵等では無く、狩人を雇い入れるのが慣例ともなって居る。その事も俺にとっては追い風である訳だ。
だが隊商に潜り込む計画には幾つか問題も有る。先ず大前提として、現在此の迷宮都市に東方の山越えに向かう予定の隊商が存在するかどうかと言う話だ。ベニスから遥々東の大山脈まで辿り着くには、幾つかの小国を跨がねばならない。その為、一般的な隊商の速度で凡そ30日程も日数が掛かるそうだ。そして更に聞いた話によれば、冬までにベニスから大山脈に向かう最後の隊商はとうに出立してしまったそうだ。その為、もし今からベニスで次の山越えの隊商が現れるのを待つとなると、少なくとも来年の春まで待たねばならない。ううむ1年待ちかよ。折角良い感じで燃え上がった俺の下半身・・じゃなくてハートの炎も流石に今の熱量を維持できる気がしない。いや、寧ろそんな代物を年中維持し続けたら下手すりゃ性犯罪にでも走ってしまいそうだ。
となれば冬までに大山脈越えを果たす為には、大山脈の麓にあるらしいとある町まで此方から出向いて交渉するしかあるまい。聞いた所に拠れば、その町は大山脈の奥へと続く『商人の道』の所謂玄関口でもあり、山越えの隊商は例外無く其処で入念な準備を行うのだそうだ。それに加え、其処には狩人ギルドの支部も存在するらしい。今の俺の脚力と持久力ならば、此のベニスから死ぬ気で走り続けて、凡そ一週間もあれば辿り着ける・・・かもしれない。
そして問題は他にも有る。其れは俺が未だ10級の最底辺狩人という事だ。昇級に関しては、正直もうクソ面倒臭えので完全に放置していた。どうせ5級まで昇級しないとギルドの待遇なんぞ大して変わらんし、そもそも昇級しようにも今迄俺のギルドへの貢献度はほぼ無に近い。それに例えば俺が民草の命を脅かす超強くて邪悪なドラゴン(そんな生物が居るかどうか知らんが)を一念発起してブッ殺したとして、キミ超強くて悪いドラゴンを倒したって?凄ぉ~い。英雄だねっ直ぐに3階級特進だねっ!・・などとは間違っても成らない。何せ狩人ギルドでは独断でドラゴンをド派手にぶっ殺すよりも、地道に薬草100回採取して依頼をこなす方が高く評価されたりするのだ。要するに地道~にギルドから斡旋された仕事をシコシコこなし、更にギルドの職員やお偉方に媚び諂って好印象を獲得するしか昇級への道は無いのだ。尤も、別ルートで有力者等にコネが有れば話は別だけどな。
は~横着な考えだと分かっちゃいるけど、忌憚の無い感想を述べてしまうとクッソ面倒臭ぇ。何故だか故郷の下っ端サラリーマンの悲哀をひしひしとを感じてしまうぜ。更にギルドは最近人品の評価により重きを置いているらしく、特に5級への昇級はどれ程腕っぷしが強かろうが、素行に問題が有ったり筆記試験が駄目な奴は普通にブチ落とされるらしい。糞ぉ聞いていた話と違うっ。ゾルゲの野郎俺を騙しやがったな。
・・またしても話が逸れてしまったがそんな訳で、今迄ギルドの仕事なんぞ見向きもして来なかった俺は未だ最底辺に近い狩人のままである。その立場や扱いはその辺のチンピラに毛が生えた程度、いやそれどころか時と場合に拠り割と頻繁にチンピラ未満ともなる。そんな俺ごときが隊商の護衛などという高待遇で外聞が良く、遣り甲斐も充分な花形のお仕事を受注するなど普通は夢のまた夢。其れでも尚厚かましくも自身を執拗に売り込む事なんぞしようものなら、あの受付嬢共に罵声と液体ヘリウム並の冷視線の洗礼を受けるのは必至だろう。
だが案ずること無かれ。今の俺にはとっておきの切り札が有るのだ。
そう、其れは滅茶糞頑張って漸く身に付けた、湧水の魔法である。
水属性の魔法の遣い手、とりわけ湧水の魔法を扱える魔術師は、行軍や旅商いにおいて特に重宝されるという話は、以前から既に何度か耳にして居た。そこで、すっかり馴染みとなった狩人ギルド受付の赤毛のおっさんにこっそり湧水の魔法を披露して、俺の隊商への潜り込み計画の成否を訊ねてみたのだ。すると、不意に魔法を見せ付けられたおっさんは、アホ面晒しながら驚愕しまくっていた。その時、後々面倒な事にならないかと一瞬後悔の念が頭を過ったものの、湧水は別に躍起になって隠蔽する程の魔法では無い。俺の考え過ぎであろう。無論、無駄にひけらかす気は毛頭無いが。
結果として、赤毛のおっさんからは首尾良く太鼓判を得ることが出来た。いやそれどころか、正式に何処かの隊商の一員としてスカウトされるかも知れないとの事である。うおおおマジかよ。詐欺紛いの口八丁でも良いから何処かの隊商に潜り込めないかと画策していたのに、其れどころか人から必要とされ、勧誘すらされる身分に成れるとは。俺も最底辺狩人から随分と出世したもんだ・・て、んな訳ないか。等級や肩書は何も変わってねえし、ZE・N・RAになってスクスク育った腹斜筋や大殿筋をアピールでもしない限り、見た目も大して変化していない。破れた下穿きの隙間から愚息をポロリする事は無くなったが。
まあ何れにせよ、湧水の魔法さえあれば、隊商に潜り込む事はそれ程非現実的な話じゃあないって事だ。但しその隊商が存在すればの話だが。もし幾ら探しても山越えの隊商が一つも見付から無かったとしたら。無論、勢いのままに地下の大迷宮に突入する・・訳ねえだろ。もしそうなれば、此処に舞い戻って魔法の鍛錬でもしながら大人しく一年待つとするさ。
そして問題は更にもう一つある。大山脈を越える際の危険性である。死亡率推定3割。このファッ〇ンな世界に色々な意味で毒された俺は、その話を聞いて地下ルートに比べりゃ随分と安全じゃねえかHAHAHAと軽く思ってしまったが、地球の常識に寄せて改めて思い直すと、其れはちょっと頭のおかしい人の考え方じゃなかろうか。マトモな地球人として改めて考え直してみれば、死亡率3割とか滅茶苦茶ヤバいだろ。だが色々と情報を集めるうちに、俺はその最たる死因に関して興味深い情報を色々と得ることが出来た。此の世界の連中は神々の怒りに触れたなどと言っているが、俺にはその症状に心当たりが有ったのだ。
聞いた限りでは、其の死に至るまでのその症状は山中で突如現れる頭痛、倦怠感、眩暈、嘔吐、呼吸不全等々・・・。成程、どう考えてもソレ高山病の症状じゃねえか。となれば高山病さえ何とか出来れば、そう簡単にくたばる事は無いと言う事だ。それに原因が高山病と判っているならば、万全とは言えぬまでもある程度は対策が取れる。上手くいけばより安全に、ウキウキなトレッキングを楽しみながら山越えの旅を満喫出来るかもしれない。
因みに俺はその事を他の連中に教える気は全く無い。何故なら神なんか関係ねぇソイツは高山病だと息巻いた所で、俺の言う事なんぞ信じて貰えるとはとても思えないからだ。其れどころか神を冒涜した背信野郎の烙印を押されて、ハードなリンチをカマされる可能性の方が高そうだ。それに、そもそも俺は唐突に赤の他人にそんな親切心を発揮するような人格者でも何でも無いのだ。
そんな訳で、綿密な情報収集を敢行した結果、超危険と伝えられている大山脈越えにもある程度の成算と目途を見出すことが出来た。そして、俺は魔法や肉体の鍛錬を継続しながらも、休む事無く急ピッチで出立の準備を進めていった。
____そしていよいよ、俺は自ら計画した旅立ちの日を間近に迎えた。だが、ベニスを離れる前に俺にはやる事が有る。此の迷宮都市で過ごした特濃過ぎる一年余りの間に、図らずも色々な人に世話になっちまったからな。




