第156話
婆センパイの口から衝撃と魅惑の情報が齎された結果、俺は未だ足を踏み入れた事が無い遥か東方の地を目標に据えた。そして旅立ちの日は、其れから左程時を経ずに訪れる事となった。勿論、それには理由が有る訳だが。
俺は新たな装備の慣らしや魔法の鍛錬と並行して、エリスタル王国や其処に至る道筋に関する様々な情報収集を敢行した。そしてその結果として幾許かの後、ほぼ休み無しの急ピッチで旅の準備を進める運びとなった。
目標の地に至る為には、とにかく行く手に立ち塞がる大山脈を越えてゆかねばならない。俺が収集した情報によれば、其の為には大きく分けて二通りの方法がある。
その内の一つは、デスソースを大ジョッキで一気飲みするが如きデンジャラス度が限界突破してそうな方法だ。その死亡率は何と推定8割超えである。ソレもうほぼ自殺と変わらねえんじゃなかろうか。そしてもう一つが、推定死亡率3割くらいの比較的安全な方法である。いや、3割とか全然安全じゃねえな。噂に聞いたヤバい方の話がデンジャー過ぎて、色々感覚が麻痺してしまったのかも知れない。何れにせよ、東に聳える大山脈を突破して、此の辺境を脱出するのは容易な事では無さそうだ。
大山脈を抜ける二つの方法の違いを端的に説明すると、山越えをするか地下道を抜けて突破するかである。無論、俺が採択しようと考えているのは、相対的に見て安全なルート一択である。俺は敢えて危険にダイヴするような、イカれたマゾヒスト野郎みたいな趣味趣向は持ち合わせてはいないからな。・・此のベニスに来るまでにやらかした己の苦々しい前科の事は全力で棚上げしておく。
ともあれ、先ずは俺が速攻で切り捨てた、激しい刺激で頭髪が死滅しそうなスリルと恐怖に満ち溢れたルートを検証してみよう。其れは地下道のルートである。狩人ギルドの受付のおっさんや顔見知りとなった数少ない貴重な同業者等から仕入れた情報によれば、東の大山脈の地下には恐ろしく巨大な大迷宮が広がっているそうな。
噂では此の辺境で最も巨大と謳われる『ディ・グ・ラック大迷宮』である。
因みにその全容は何処の誰も把握していないので、噂の真偽は不明である。
その呼び名であるディ・グ・ラックは、大山脈の麓に住むとある種族が使う古い言葉の「ディ」或いは「ドゥ」(物凄いとか滅茶糞とかの意)「グゥー」(深い)「ラッグ」(穴)が語源らしい。なので其の古い言語で直訳すると、滅茶糞深い穴大迷宮などというヘンテコな呼び名になる。まあそんな事は物凄くどうでも良いが。ギルド受付のおっさんはそのしょーもない知識を披露してディ・ドヤ顔をしていた。
一説には茫漠たる死と静寂のみが支配するトワーフ(俺命名)族の滅び去った王都にまで至ると言われる大迷宮ではあるが、主道と呼ばれる山脈の反対側へと抜ける幾本かの長い道のりは、相当な昔に既に踏破されている。従って地下を通って山脈を越えるルートは迷宮の主道をひたすら出口に向かって突き進む訳だが、其の挑戦者の殆どは道半ばで魔物や猛獣に喰われるか、或いは遭難して行方知れずとなる。
とは言うものの、実際の所迷宮内部の地上に近い場所(此の大迷宮には階層などの概念は無い)は魔素が比較的薄いらしく、弱い魔物や獣の類はともかく凶悪な魔物と遭遇する事は滅多に無いらしい。それもあって、途方も無く広い迷宮の地上に近い場所では、古くから住み着いて生活を営んで居る人族や人族と交流がある種族が居るそうな。更に戦に破れた落人や人里を追われた犯罪者、様々な理由で迫害された連中や世捨て人、更には故郷で言う所の修験者的な連中等々。曰く付きで雑多な連中が広大な迷宮の中を根城にしているのだそうだ。
ならば地下のルートで噂される馬鹿げた死亡率は眉唾なのかと思われるかもしれないが、無論そんな事は無い。先ず前提としてそういった連中が住み着いて居るとして、先住民達はともかくその他の連中が長らく生き延びているとは限らない。何かと物騒な噂には事欠かない此の辺境の地である。迷宮内の住人の入れ替わりはすこぶる激しそうだ。それに迷宮の主道を通り抜けて大山脈を越える為には、順調に行っても1か月以上の時を要するそうな。それ程長い間迷宮内に留まり続けるとなると、其の期間内に凶悪な魔物や猛獣に襲われる可能性は必然的に跳ね上がることに成る。
それに加えてあの迷宮『古代人の魔窟』と違って、『ディ・グ・ラック大迷宮』の内部は基本一寸先も見通せぬ真っ暗闇である。無論、迷宮に挑むのであれば光源の確保は必須なのだが、其れでも危険な魔物の接近を相手に先立って察知するのは容易な事では無い。更に話に聞いた所に拠れば、食料が乏しい迷宮内に生息する魔物や動物は、逃げても追い払っても滅茶苦茶執念深く追跡して襲って来るそうだ。
そして魔物や猛獣同様、或いはそれ以上にに恐ろしいのは遭難のリスクである。先程述べたように、迷宮の内部は光源を持参しなければ何も見えない暗闇であり、例え光源が有っても視界は極端に悪い。その為、もし何らかのトラブルで光源を喪えば即絶望である。それに大迷宮と呼ばれるだけあって迷宮内部は途轍もなく広く、主道以外の穴や隘路が無数に存在する。しかも、何なら現在でも至る所で崩落したり、逆に新たな通路や穴が形成されたりと常にその形は変化し続けて居るらしい。
その大迷宮を創造し、未だ手を加え続けて居るのは果たして神々なのか、精霊なのか、或いは魔物なのかそれとも大自然の営みなのか。その真相は誰も知らない。誰も知ろうとしない。誰も、知ってはいけない。
などという歌がこの世界には存在する。
それ程に広大で複雑な構造でしかも真っ暗な大迷宮である。仮に一度でも遭難してしまったら、再び主道へと返り咲くのは極めて困難なのだそうだ。例えば目印を付けながら進む方法も無論あるにはあるが、逆に底意地の悪い先人達による誤った目印や罠も無数に存在するのが尚タチが悪い。そして其の結果として数知れぬ挑戦者達が、再び日の光を浴びる事無く大迷宮の闇の中へと消えてゆくことに成ったのである。
そんな訳で、ヤバ過ぎる地下ルートを選択するのはハナから論外である。矢張り暗くてジメジメ(気分的に)した地下の穴倉なんぞを死の恐怖に怯えながら歩き続けるよりも、素晴らしい山の景色を眺めながら明るい太陽の下で楽しくトレッキングをしたい・・と思うのは当然の成り行きであろう。
そんな山越えのルートの方は一体どれ程の代物であろうか。
実の所、山越えのルートは安全面では地下より格段にマシではあるが、其処へ至るまでのハードルが非常に高いのだ。大山脈を越える為の山道は、通称『商人の道』と呼ばれる商人ギルドが永い年月と途方も無い資金を惜しみ無く注ぎ込んで開通し、そして維持し続けて来た特異な街道の一部である。
そして俺のような一般ピーポーが『商人の道』を無断で通行する事は許されてはいない。特に大山脈を抜ける険しい山道は、時間と金に加えて幾多の商人達の血と汗と涙と命を代償として殆ど執念で切り開いたと語り継がれる道である。その要所には厳重な関所が設けられており、無断で通り抜けようとした者はその場で取り押さえられるか、例え逃げおおせてもあっという間に手配書が拡散され、商人ギルドと所属する全ての商人を敵に回す事になる。しかも、悪質な場合は商人ギルドが金とコネに物を言わせて雇い入れた凄腕の狩人や傭兵、場合に依っては専属の暗殺者が速攻で差し向けられて、問答無用でぶっ殺される。因みにその前にゴメンナサイして許して貰えるか否かは、ソイツの身分や立場、そして賠償の金額次第で決まる。つまり其処らの風来坊である俺が無断で大山脈の『商人の道』を使用した場合、どうジタバタしようが例えDOGEZAしようが決して許しては貰えないのだ。
ならば俺が自殺の名所である昏い穴倉にダイヴする事無く、眩い太陽光が降り注ぐその道を利用する為にはどうすれば良いのだろうか。実は『商人の道』は基本金を幾ら積んでも通行の許可は下りない。通行が許されるのは商人ギルドメンバーと其の御一行様のみである。尤も、何処の世界にも例外って奴はあるのだが。嘗てエリスタル王国が辺境に攻め込んだ際には、莫大な通行料を商人ギルドに支払って『商人の道』を通ったと言われているが、其れは例外中の例外と言って良いであろう。
だが其処で重要となってくるのが、通行が許される商人ギルドメンバーと其の一行様の「其の一行様」の部分である。要するに、以前お世話になった商人ギルドメンバーのヴァンさん御一行に同行させて貰った時のように、再び隊商の一員として山越えの旅に同行させて貰えば良いのだろうと俺は考えた。そしてその事は、既に狩人ギルドのおっさんに確認済だ。とは言うものの、俺は赤の他人の商人ギルドメンバーの隊商に同行させて貰えるようなコネ、金、権力、何れも奈良公園の鹿の糞程も有してはいない。
だが、俺には成算が有るのだ。




