第154話
魔法。此の異界の人間或いは人間達が行使する、摩訶不思議な力。
その能力を地球のホモ・サピエンスの一員たる俺が習得する。其れこそが俺が迷宮都市ベニスへとやって来た目的の一つ・・いや、最大の理由と断言しても良いだろう。
今迄紆余曲折あったものの、俺は此の世界で知見を得た中で魔法を使役する連中によって構成される最もポピュラーな組織であろう魔術師ギルドにて魔法を学ぶ機会を得た。
そしてその結果として、俺は幾らかの魔法と魔法に関するそれなりの知識を習得する事が出来た。正直に言ってしまえば、水属性の湧水の魔法を習得した時点で其の目的は達せられたと言っても良いだろう。まだまだ練度は不十分ではあるが。更に加えるなら、それに付随して尻洗魔法アスクリンを生み出すことが出来たのは、望外の副産物である。
或いは此のまま迷宮の収穫品で生活費と教育費を工面しつつ、魔術師ギルドで婆センパイの指導の下、魔法の習得に明け暮れるのも今後の身の振り方の選択肢の一つとしてアリなのかもしれない・・などと俺は一度は考えた。だがしかし。此のまま魔法の修練を続ける事に対しては、早くも様々な問題が浮き彫りになりつつあるのだ。
まずその一つとして、時間の問題が挙げられる。俺が婆センパイの下で本格的に魔法を学び始めてから、未だ2か月程度しか経過していない。魔術師としては駆け出しも駆け出しといったところであろう。それに、俺は未だこの世界の文字の読み書きが出来ない為、婆センパイからのシゴ・・もとい教えは全て口伝と実地によるものである。なのでその指導方法は相当に偏った遣り方のようだ。まあ其れに関しては左程不都合は感じない。書物に書いて有る事が真実とは限らないしな。それに、この世界の魔術師が読み書きの出来ない餓鬼を弟子に取る事は左程珍しくも無いらしい。只その様な場合、魔術師達は時に弟子の親替わりとなり、魔法の修行の傍ら優しく読み書きや一般常識なども教えるんだそうだ。
だが婆センパイはそんな温もりに満ちた手厚い教育など面倒の一言でぶった斬り、ひたすら魔法に関する知識と技能のみを俺に文字通り叩き込んだ。その上、何かヘマをしたり反抗すれば情け容赦無く暴行を加えまくるという、M属性の変態共ならばご満悦であろう誠に激しく刺激的なご指導をぶちかましてくれた。無論、俺は断じて変態では無いので、そんなバイオレンスな指導など全く歓迎しなかった事は、敢えて言及するまでも無かろう。
そんな俺が此の僅かな期間で幾つかの魔法を習得できた事は、ハッキリ言って異常な進捗である。さりとて、別に俺が魔術師として超天才と言う訳では無論無い。その理由は明確に説明可能だ。其れは俺が事前に回復魔法を習得し、その練度を高めまくって居た事である。そのお陰で俺は魔力を感知し、魔法を行使する為の基礎となる技術を予め習得済みだったので、婆センパイのスパルタ指導から落伍する事無く、新たな魔法の習得も大いに捗ることに成った。
少々話は逸れたが、もし俺が今後も現状のまま魔法の教育を受け続ける選択をしたとして、今迄のように順調に魔法を習得する事が叶うだろうか。実は今迄習得した幾つかの魔法だけで、既に少々持て余し気味なのだ。何故なら魔法ってのは発動成功したらハイ習得完了、なんてチョロい代物では無い。俺の場合、幾つか魔法を習得したと言っても未だ練度はカス同然である。アスクリンは言うに及ばず、他の魔法も精度、信頼性、威力、燃費、何れも未だほぼ出来損ないに等しい。だが凡夫たる俺は、婆センパイのように一足二足三足飛びで魔法を習熟する事は出来ない。なにせアスクリンの水流の放出は、早くも後発の婆センパイの方が俺より上手いのだ。少なからずショックだぜ。従って俺は更に訓練と実践を積み重ねて、地道に手持ちの魔法の練度を高めていくのが最優先だ。とは言うものの、俺の魔力も時間もリソースは共に有限である。朝から晩まで修行修行などと何処ぞの小説の主人公や宗教団体の狂信者ような真似なんぞ出来る筈も無く。使える手札が増えた分、今後の毎日の鍛錬はより高効率化、スリム化が求められてくる。此れに関しては天才肌の婆センパイは余り頼りに成らない。自分で模索しながら僅かでも最適解に近付いてゆくしか無いだろう。
そんな訳で。俺にはもう悠長に新たな魔法の取得に時間を割く余裕が無い。というより、底なしの魔法沼のヤバさを早くもひしひしと感じ始めている。此の先は回復魔法で培った伎倆のマージンがどれ程役立つかも非常に心許ない。幾ら婆センパイの助力が有るとは言え、現状のまま魔法の習練に血道を上げて居たら、気付いたら年単位、いや下手するとアッと追う間に数十年の歳月が経過していても不思議では無いと思えてしまう。
或いは此の地が地球であれば、魔法などという魔訶不思議な力を行使する使う人間なんぞ殆ど唯一無二であろう。なので思い切って魔法の研究と習得に人生を捧げたとしても、恐らくはチヤホヤされまくって悠々自適な人生を謳歌出来るハズだ。だがこの世界では魔術師はその辺にゴロゴロ居る・・訳では無いが、恐らく探せば幾らでも見付かると思われる。その希少性の乏しさを考慮すると、今後魔法の研鑽に人生の大半を費やして、うだつの上がらない魔術師として生きる気にはとてもなれない。
そして二つ目の問題として、相性の問題が挙げられる。具体的に言うと、魔法って奴は剣や拳との相性が非常に悪いのだ。
魔法の種類に拠るものの、掌握した魔力を以って手足を使う事無く物理現象を引き起こす経験は、恐ろしい程に心地良く、病みつきに成りそうな程の万能感を伴う。かく言う俺も初めは快楽の赴くまま、魔力の続く限り狂ったように覚えたての魔法をぶっ放しまくった。だが暫くの後、どうにも看過出来ない事態に気付いたのだ。
手足を始めとする己の肉体を行使せずに魔力を掌握して操る事に慣れ過ぎると、何時しか己の五体の感覚が鈍っている事が明確に感じられたのだ。但し、日常生活に支障が出る程顕著な症状では無い。ホンの微細な感覚の鈍化である。だがしかし、其れが戦闘時となれば話はまるで異なる。特に俺は得物をブン回したり投擲をする際は手指の感覚を重要視するタイプなので、此の感覚の狂いは些細でも下手をすれば命取りになりかねん。実際、数日間魔法を狂ったようにブッ放ちまくった後にトト親方の弟子である小坊主に借りた魔法の棍棒を振り回した際には、握る棍棒の感触が明らかに鈍くなっていた。此の事は婆センパイに見解を訊ねてみたが、センパイにしては珍しく言葉を濁して明確な答えは返って来なかった。婆センパイは戦士では無く魔術師だからな。この感覚にはピンと来ないのかも知れん。
この問題については肉体を駆使した鍛錬を並行して継続すれば左程気にする必要は無いのかも知れん。だが、魔法に余り傾倒するのは非常に拙い事が分かった。
更に三つ目の問題は、魔法が実際に使えるかどうかと言う事である。
無論、俺は今迄回復魔法にはアホ程助けられた。いや、それどころか回復魔法が無ければこの世界で何十回死んでいたか分からない程だ。回復魔法は他と比べてかなり特異な魔法ではあるが、滅茶糞使えるという結論に否やは無い。それに、新たに習得した湧水の魔法も超絶便利で有る事は自明である。なので俺が疑問を呈しているのは、魔法が果たして戦闘で使えるかどうかと、攻撃魔法そのものに対してである。忌憚の無い意見を言わせて貰えば、ハッキリ言って微妙である。其れでも敢えて擁護するなら使えるか否かは運用次第、或いは持っている手札次第といったところであろうか。
知識だけなら色々と教わったものの、俺が婆センパイから具体的に習得した攻撃魔法は炎の飛沫のみである。そして魔法って奴は、例えば俺が昔故郷で見た漫画のように、ファイアボールとか適当に呪文を唱えて手を付き出せば、AIだかナノマシンだか神様だか知らんがソイツ等が全自動で火の球を形成して、目標に向けて勝手に飛ばしてくれるなどというアホみたいに便利な代物では無い。実際は周囲から可燃性物質をかき集めるのも、火を起こすのも、着火した火種を飛ばすのも全て魔力を掌握しながら自分で実行しなくてならないのだ。無論その間は、魔力の掌握と操作の為にひたすら集中し続けなければならない。
例えばだ。俺が炎の飛沫の魔法を発動する寸前に、何者かが俺の乳首をつんつんと突っついたとしよう。その瞬間に集中力が途切れて魔力の掌握を仕損じれば、その時点で魔法はオシャカとなり、初めの手順から全てやり直しとなる。此のように、相手の集中を乱せば魔法の発動の妨害は容易に可能なのである。そんな訳で、俺には今後女魔術師の敵と相対した場合にどう対処すべきかのシミュレーションが既に出来ている。無論、此れはセクハラなどでは無い。厳然たる戦術なのだ。もし相手が野郎だったら?乳の出ねえ野郎の乳首なんぞ吹出物と変わらんしこの世に必要ねえ。その時は一本拳で乳首破壊の刑に処す迄よ。
再び少々話が逸れてしまったが、要するに魔法を行使する場合、その発動までは術者は完全に無防備な状態になってしまう。例えば回復魔法は、練り上げた魔力を変質して流し込むだけなので他の魔法よりは格段に発動が速い。だがそれですら、戦闘中に出来る隙は致命的である。ましてや、炎の飛沫やその他の攻撃魔法ともなれば、変質した魔力を掌握して更に幾つかの物理現象を引き起こさねばならぬ都合上、その発動までにはその上更に一手、二手、三手と致命的な隙を晒さねばならないのだ。そうなってしまうと、基本ソロで攻防逃全てを己自身で賄わねばならない俺の戦闘スタイルとは絶望的に噛み合わない。だがもしかすると、俺も何時かは誰かに背中を預けるような事があるのかもしれない。だがそれでも俺が最後の最後に恃むのは自分自身と、己で培った力と技のみである。逆に言えば、誰かに拠り掛からねば戦えないような輩は、所詮何時まで経っても半人前なのだ。なので俺の基本ソロな戦闘スタイルは、今後も変えるつもりは無い。
ならば訓練を積み重ねて魔法の練度を引き上げて、発動までの時間を短縮すれば良いのではないかと思われるかもしれない。例えば婆センパイの魔力掌握と魔法の発動速度は、少々魔法を齧った身としては信じ難い程の速度である。だが、其れは飽く迄魔術師視点で見た話である。戦士としての視点で見た場合、其れでも尚魔法の発動迄は隙だらけに見えてしまうのだ。恐らくは3間(5mくらい)までの間合いであれば、俺は魔法が発動するまでに確実に三回はセンパイを殺せるだろう。其れに加え、俺がセンパイの水準まで魔法の練度を上げる為には、果たしてどれ程の時間を費やさねばならないのか想像も付かない。因みに其れより間合いが遠ければ俺には投石や手裏剣、更に遠間ならば弓矢が有る。何れも魔法より確実に速くて狙いも正確である。今後攻撃魔法の出る幕は、ぶっちゃけると殆ど無さそうだ。
結果として攻撃魔法の俺の評価は割とボロカスである。だが本当に糞の役にも立たねえのかと問われれば、一応そんな事は無い。威力は充分にあるのだから、例えば戦場では固定砲台として運用したり、敵の陣地や砦に対する火付けとしても利用できるだろう。少人数ならば数人でPTを組んだ場合、或いは漫画やゲームのように後衛として活躍できるかもしれない。但し、その場合前衛は無防備な魔術師を守る為に戦力のリソースを割かねばならないからな。其れを補って余りある手札を魔術師が持って居なければ、敢えてアタッカーとしてPTに加える必要性は乏しいだろう。それならば飛び道具を備えて自衛もある程度出来る中衛を加えるか、前衛を増やした方がより安全で効率が良いだろうからな。
そんな諸々の問題が浮き彫りになった結果、今の俺は将来的に魔術師を志す気持ちは全然無い。そもそも俺が毎日必死で身体を鍛えまくってる理由は、此の殺伐と世界で何としても生き残り、悠々自適な生活を送る為である。そしてもしも叶うならば、何時か故郷への帰還を果たす事だ。その為には立ち位置となる軸は魔術師では無く、飽く迄も戦士に置きたい。魔法剣士などというスタイルには正直ちょっとだけ憧れていたのだが、魔法のリアルに直面した結果、非現実的でしかないと滅茶苦茶分からされた。下手にそんな代物を目指そうモノなら、魔法剣士どころか双方恐ろしく半端なナニカと化してしまいそうだ。現実に沿うならば俺は戦士だけど実は魔法も使えちゃうぞ、そんな体で有るべきだろう。
そんなこんなで色々と問題はあるが、何れにせよ目的の魔法は無事習得することが出来た。本来の魔術師ギルドの教育期間はとうに超過しているし、実は新たな目的も既に出来た。身に付けた魔法の鍛錬は自分でも出来るし、魔術師ギルドに通うのも、そして此のベニスでの暮らしもそろそろ潮時なのかもしれない。男子たるもの、征くべき目標が出来たならば、例え居心地の良い暮らしを投げ捨ててでも迷わず突き進まねばなるまい。スローライフ?糞食らえじゃ。俺は人生終了間際の爺婆じゃねえんだぞ。
因みに苦い現実を散々に思い知らされた結果、心中散々攻撃魔法をdisりまくった俺であるが、さりとてこの世界の魔法という摩訶不思議な力が糞ショボい代物かと問われれば、全然そんな事は無い。寧ろ、この世界の魔法って奴は途轍もなく素敵な力なのだ。そして魔法の真骨頂は、人を傷つけたり殺したりする事などでは無く、寧ろそれ以外の部分にあると俺は思っている。着火の魔法も、湧水の魔法も、アスクリンも実に素晴らしい。そして、その可能性は何処までも何処までも果てしないのだ。




