第153話
鍛え上げられた俺の新たな得物の試し斬りの成果は上々、どころか空恐ろしい程であった。調子に乗って自分の指をスポーンと飛ばさないよう気を付けないとな。
相棒を鞘に納めて額に浮いた汗を拭いていると、とても良い笑顔の親方が近付いて来た。其の肩には何やら布に包まれた長い物体を担いでいる。
「小僧、どんなモンだ俺の傑作はよ。」
「うむ。素晴らしい仕事だ。」
丸太ごと硬い金属製の鎧をぶった斬ったにも拘らず、その刃には目視可能な刃零れの一つも見受けられなかった。見た目はともかく、其の性能には文句の付け様が無い。寧ろ、俺如きがこんなヤバい斬れ味の得物を所有して良いものか不安になる程だ。
「クックック。そうだろうそうだろう。本物の戦士が握り締める伴侶ってのはな、所詮は斬って斬って斬りまくってナンボの代物よ。最近のお高く留まった連中みたいに壁に着飾って眺めてるだけじゃ、極上の名剣も何れ濁り、打ち捨てられた病躯のように朽ち果ててゆくのみよ。」
う~ん実に親方らしい物言いだが、其れに対しては必ずしも同意しかねるな。故郷に現存する所謂名刀と呼ばれる刀の多くは、実戦で使用される事無く献上品や奉納品、或いは秘蔵品として大切に保管されていたからこそ、棄損せず現代まで生き残れたとも言えるからだ。尤も、実戦武器として現役のこの世界の打物は、武具としてはとうに廃れた故郷の刀剣の類とはその在り様が全く異なるのかも知れんが。
「本格的な研ぎや打ち直しが必要になったら、何時でも持って来な。」
「ああ、助かる。」
俺も一応他の輝碧鉱製の短剣で簡単な研ぎ方を教えて貰い、専用の砥石も購入した。因みに輝碧鉱の研ぎは滅茶苦茶重労働だった。自ら望んだ事とは言え、此の金属はアホみたいに頑丈過ぎる。鍛冶屋泣かせと揶揄される理由が良く分かったぜ。
「後は此奴だ。お前さんからの依頼の最後の品だ。」
親方は肩に担いだ重そうな物体を両手に抱えると、包んだ布を一気に引き剥がした。
「おおっ!」
こ、此れは。
其処に現れたブツを目の当たりにして、俺は思わず歓声を上げた。
其れは美しい木目と黒色の光沢が妖しく輝く、一振りの木の棒であった。そう、俺が親方に依頼した最後の品は、新たに産声を上げた此の丸太剣なのだ。長らく苦楽を共にした以前の丸太剣が誠に口惜しいが喪われてしまった為、俺は装備の新調に併せて新たな丸太剣の製作も親方に依頼しておいたのだ。
この世界の森の奥深い場所には、故郷ならご神木クラスの巨木がゴロゴロと現存している。丸太剣は以前俺がその極太の枝から削り出した鍛錬用の木剣である。無論、誰からも枝を折って削り出す許可何ぞ取ってはいない。故郷ならば下手すりゃお縄になる案件であろう。尤も、この世界で俺をポリスメンに通報する奴なんぞ間違っても存在しないだろうが。
新生丸太剣は、名付けて丸太剣βとでも呼称するとしよう。その姿は丸太というよりは、野球のマスコットバットを二回りくらい太くしたような形状である。俺が苦労して削り出した丸太剣αと比べて随分とコンパクトになった上、見た目の洗練さが天神橋の商店街を徘徊するおばちゃんからタイムズスクエアをランウェイの如く闊歩する金髪ねーちゃん並にランクアップしている。流石はプロの仕事と言った所か。因みにおば・・じゃなくて初代の丸太剣αは、少々イキってフルパワーでブン回したら、持ち手の所がブチ折れてあえなくお亡くなりになったのが喪失した理由である。
「おっふ。」
親方からウキウキで丸太剣βを受け取った俺は、思い掛けず変な声が出た。ぬおおっ見た目の体積は丸太剣αの推定三分の一以下になったにも拘わらず、糞重てえぞコレ。何しろ此の新生丸太剣、俺の要望で芯に純度の高い黒鉄の棒を仕込んであるのだ。お陰で糞程重い上、最早素振り如きで折れるなど有り得ない強度に仕上がっている。外身は相棒の柄と同じく、魔物領域に自生する魔喰樹から削り出した木材だ。但し此方は魔喰樹の幹の芯では無く枝を削り出した材料なので、相棒の柄より安価であるが強度が若干落ちるそうだ。
其れはともかくこれ程の重量があれば、日々の鍛錬が素晴らしく捗りそうだ。それに以前ほど嵩張らないので持ち運びもし易い。糞重いけど。更には此の丸太剣β、鍛錬の為だけでなく魔物や猛獣、ついでに人間も撲殺可能な鈍器としても存分に使えちゃう優れ物なのだ。だがまあワザワザそんな手の込んだ造りで無くとも、最初から黒鉄製の棒だけで良いんじゃね?と思われるかもしれない。だがグリップを握り込んだ際の手への馴染み具合は、金属棒だけでは中々得難いモノなのだ。
新たな相棒は言うに及ばず、丸太剣βも素晴らしい出来栄えである。結局親方にはハグレの一件と併せて随分と世話になってしまった。小坊主から聞いた話では、俺の装備一式は殆ど採算度外視の価格で拵えてくれたそうだしな。こりゃ暫くは親方に足を向けて寝られねえよ。
全ての注文品を受け取った俺はトト親方とついでに小坊主達にもお礼を述べて、意気揚々と普段寝泊まりしている狩人ギルドの提携宿への帰途に就いた。今回の一連の装備のオーダーにより、俺が工房に支払った代金は延べ金貨数百枚に達する。もしその辺で歩いて居る連中にその事を話したら、間違いなく正気を疑われるような金額である。お陰様で迷宮で稼ぎまくった金が粗方消えてしまった。だが、全く後悔はしていない。此れ等の新しい装備は俺の身を守る生命線であり、また大切な商売道具でもある。其処に投資する銭をケチる気はサラサラ無い。其れに、硬貨は枚数が増えると嵩張って邪魔な上、防犯上何かと神経を使うので非常に疲れる。なので貯め込むのはあまり得策では無い。成程紙幣や電子通貨の機能性と有難味が良く分かるってモンだ。
すっかり馴染みとなった宿に戻った俺は、新たな装備品を抱き締めたり頬ずりするなどひとしきり愛でた後、帰る途中の露店で購入した夕飯を食いながら今後の事に考えを巡らせる事にした。まだまだ慣らしが必要とは言え、新たな装備が仕上がった今は良い機会と思える。
本日の夕餉はこの世界でスキュットと呼ばれる食い物である。スキュットは挽いて粉にしたトリカムとかいう穀物を水で捏ねて伸ばした後、特殊な竈で焼いて作られる。其の見た目はまるで故郷の煎餅である。焼く際には針のような突起に生地をぶっ刺して焼くので、焼き上がったスキュットには一つ穴が開いており、其処に干し草の紐を通してジャラジャラと持ち運ぶ。その為、ちょっとした携行食にもなるのだ。そして更に、追加で葉っぱに包まれた副食品を購入することが出来る。此奴は様々な具材を煮詰めてペースト状にした添え物の具で、木製のヘラのような道具でスキュットの上に塗り付けてバリボリ食べるのだ。此の具の味は、露店により味に様々な個性が出ており実に面白い。それに、人気店ではスキュットの生地自体に香草が練り込んである場合もある。
実は初めてスキュットを食った時は、香辛料の独特な香りと舌にピリリと来る刺激が存外キツかったので以後は敬遠していた。だが最近ではこの世界の香辛料の刺激に慣れてきたせいか、実にゴキゲンにモリモリ食える。因みにガキや貧乏人は具を買う金が無いので、焼いた生地だけをボリボリ食ってる姿をよく見かける。無論、羽振りが良い今の俺はそんな貧乏臭い真似はしない。添え物をダブル或いはトリプルで購入して、生地に山盛り乗せて食うのが今の俺のトレンドである。
フィジカルの維持或いは更なる飛躍の為には、日々の充実した栄養補給が不可欠である。俺は4人前のスキュットをペロリと平らげると、魔法の鍛錬も兼ねて湧水の魔法で喉の渇きを潤した。今日のスキュットは生地は故郷のバターのように香ばしく、具は挽肉多めで滅茶苦茶旨かった。あの露店は当たりだな。
夕餉を済ませた俺は粗末な寝台に寝転がると、今後の自身の身の振り方を考えることにした。何故そんな事に思いを馳せる様になったかと言えば、俺はそろそろこの迷宮都市ベニスでの暮らしも潮時かもしれないと考え始めているからだ。
そもそも俺が遥々此のベニスにやって来た理由は三つある。一つ目は金を稼ぐこと、二つ目は遺跡或いは迷宮探索の経験を積むこと、三つ目は魔法を習得することである。
先ず金についてだが、図らずも既に死ぬ程稼いだ。結局新たな装備品ととある物を購入する為に殆ど使い込んでしまったが、それでも当分食うに困らない位の金はある。更に言えば、このクソッタレな世界じゃ蓄財するにも権力やコネが必要だと分かった。なので当面は宵越しの銭は持たぬ江戸っ子な心持で居ようと思う。俺の家系は先祖代々大和国の貧農だから江戸全然関係無えけどな。
お次は迷宮探索の経験についてだが、俺がこのベニスに腰を据えてから凡そ1年余りになる。正直信じられねえ。兎に角色々な事が有り過ぎた。もう軽く20年くらい経ったような気がするぜ。その間、俺がこの付近で探索した迷宮は『古代人の魔窟』と『ガニ・ガルム』くらいだ。そう考えると、確かに潜った迷宮の数は僅かなのも知れない。だが特に『古代人の魔窟』は、誠に不本意ながらもうしゃぶり尽くす程に探索しまくった。正直な所、もう迷宮の類は絶賛食傷気味だ。
それに婆センパイやギルドのおっさんに色々と聞いてみて判明したが、ベニスの近辺には『古代人の魔窟』ことアン・クィウ・ウス遺跡の他にも幾つか古代人の遺跡が存在するが、全て大昔に踏破済みなんだそうだ。そもそも俺が遺跡狩人ハンターを志すのは故郷へ帰還する為の手掛かりを求めての事なのだが、話を聞いた限りではどうやら近場に都合良くそんなモノは残っては居ない模様だ。ただ、魔物領域にはまだ手付かずの遺跡が数多く残って居るらしいのだが、俺はまだ死にたく無いので其れ等は当然スルーだ。
因みに魔物領域と言えば、最近『常闇の枝』とかいう魔物領域にある迷宮に挑んだ此の都市の高ランク狩人PTの遠征隊が居たのだが、無残にも壊滅の憂き目に遭ったらしい。しかも生き残りの証言に拠れば、遠征隊が壊滅したのは件の迷宮の中では無く、予定の階層迄探索した後に意気揚々と凱旋する途上で凶悪な魔物に襲われたんだそうだ。お陰で高ランクの狩人達がゴッソリ魔物の胃袋の中に収まってしまった為、漸くあのハグレの騒動が収まった矢先に狩人ギルドは再び絶賛大混乱中である。受付の赤毛のおっさんの顔色もヤバい事になっていた。更にはのほほんとおっさんと雑談してたら受付嬢に超睨まれた。怖すぎてその場でチビるかと思ったぜ。
他にベニス周辺に存在する迷宮で俺が強く興味を惹かれるのは迷宮『神々の遊戯場』くらいである。だが、あの迷宮は俺がPTSDを発症した頃に入口で盛大にゲロを撒き散らして大惨事を引き起こした挙句、憤怒の表情で突進してきた衛兵にブン殴られて脱兎のごとく逃亡した苦すぎる記憶がある。正直気マズ過ぎてあそこには近付く気が起きない。あの衛兵俺の事絶対忘れて無いだろうし。
そんな訳で、手持ちの貯蓄が逼迫するまでは、当面迷宮だの遺跡だのの探索は気分が乗らないので敢行するつもりは無い。別に義務な訳でも無いしノルマが有る訳でも無いからな。




