第134話
俺の目の前で、銀灰色の三角帽とローブを身に纏った魔術師ギルドの美人受付嬢とババアが対峙して睨み合っている。
「我儘を言わないで下さい。此れは決定事項なんですよ。」
綺麗だが、先程より半音階程低くなった声が受付嬢の口から発せられた。
うひいっ、受付嬢のババアへの視線の圧が凄まじい。流石は接客で揉まれたプロの受付嬢。俺はこの手の圧は苦手なんだよ。俺に向けられた訳でも無いのに、ほんのちょっとだけだがビビってしまった。
「フンっ、やかましいわ小娘がっ!ひん剥いて何処ぞへ放り出してやろうか!」
だがしかし。何と、ババアはそんな圧などどこ吹く風で盛大に鼻息を穴から噴射すると、猛然と受付嬢に怒鳴り返した。
「おおっ!」
ババア強えっ。同性という理由もあるのかもしれんが、なんつう鋼メンタルであろうか。言外に乗せられたであろうギルド上層部の威光なんぞ物ともせずに、受付嬢の威圧を年輪を積み重ねた鉄面皮で粉砕しやがった。
「・・・何か?」
すると、受付嬢がいきなりキラリと鋭い視線を俺に突き刺して来た。
「あ、いや、何でも無い。」
うおっ、お姉さん怖っ。しまった。ババアの剛胆に思わず感嘆の声が出てしまった。此れは不味い。このままでは受付嬢の心象が狩人ギルドの二の舞になりかねんぞ。
「ギルド内で門弟達を精査しましたが、貴方の希望に合致する人物を見出すことは出来ませんでした。ですので、ギルドの裁定には従ってください。」
「まだ申請してから3日しか経ってないじゃろっ!あたしゃを舐めてんのか。つい最近下の毛が生えたような餓鬼の分際で。」
「・・・・。」
え?あれ?
その時、この世界に飛ばされてから手に入れた俺の感覚が、睨み合う二人から立ち上る魔力の迸りを確かに感じた。おいおいおいっ!此れってもしかしなくとも滅茶苦茶ヤバい奴だよな。まだ俺の教育は始まってすら居ないのに、初手からド偉い事件が勃発しそうじゃねえか。俺は紛うこと無き唯の傍観者のハズなんだが、此れってモロに俺にも責任が降りかかる流れじゃね?ババアもこの女も冗談じゃあねえぞ!
危機感を覚えた俺は、咄嗟に剣呑な二人の間に割って入った。無論、さり気なく受付嬢を背に庇うように立ち、好感ポイントを稼ぐのも抜かりは無い。そして綺麗に90度腰を折って頭を下げると同時に、ババアに向かって右手を差し出した。
「今日からアナタに指導を受ける 加藤だ。未熟者だが どうか宜しく頼む。」
そして腰を折ったまま顔を上げ、ババアの目を真っ直ぐに見た。
「・・・フンッ、まあ良い。小僧、あたしゃに付いて来な。」
暫くの間、胡乱そうに俺を見下ろしていたババアだったが、更に一睨み受付嬢にガンを飛ばすと、くるりと背を向けて俺に付いてくるように促した。対して受付嬢は、半目でババアの背に鋭い視線を叩き付けている。ふ~~紙一重でどうにか助かったが、コイツ等幾ら何でも短気過ぎるだろ。ババアはどうでも良いが、俺は受付嬢の評価を一段改めることにした。因みに二人に割って入る間際、俺はさり気なくとあるブツをババアの手に握らせておいた。其れは迷宮『古代人の魔窟』で手に入れた階層守護者の魔石である。・・やっぱイザという時物を言うのは袖の下て奴だな。
俺は受付嬢とババアが入って来た扉から部屋の外に出て、そのままババアの後に付いて魔術師ギルド支部の廊下を歩いて行く。廊下も木造建築ではあるが、年代物の外壁と違って建物の内装は小綺麗に整備されており、左程レトロ感は感じられない。但し、天井板には幾何学模様のような奇妙な装飾が施されており、独特の雰囲気を醸し出している。目前を歩くババアは見た目相当な年配に見えるが背筋は異常に真っ直ぐに伸びており、小柄ながらも異様な迫力がある。
俺は時折見掛ける周囲の一風変わった内装や謎の調度品に目を惹かれつつ、ババアの後に付いて無言のままひたすら歩き続けた。外から見た想像通り、魔術師ギルドの建屋内は滅茶苦茶広い。時折、魔術師っぽい見た目のギルドの関係者らしき人々とすれ違ったので、一応会釈で挨拶をしておく。だが、ババアは脇目も振らずズンズンと歩き続けて一顧だにしない。その横柄さは背後から見ていていっそ清々しい程だ。
俺達はまるで迷路のような幾つもの通路や階段を経て、漸く一つの部屋と思しき扉の前で立ち止まった。其の不気味な装飾に彩られた黒い扉は、とある薄暗い通路の最奥に鎮座していた。此処に至るまでの道筋はかなり複雑ではあったが、一応帰りの道順は頭に叩き込んである。迷宮で散々辛酸を舐めて来た俺の脳内には、道順を記憶する幾つかの術が深く刻み込まれているのだ。
ババアはローブの袖から黒い杖のような物を取り出すと、ブツブツと何事か呟きながらトーントーントーンと3回扉を叩いた。ほう、魔法の施錠か何かかな。と思ったら更に懐からゴツイ鍵を取り出して普通にガチャガチャと鍵を開錠して扉を押し開けた。さっきの思わせぶりなムーブは一体何だったんだよ。尤も、閂とかじゃなくてこんな立派な鍵が付いている扉自体この世界じゃ滅多に見なかったけどな。
「小僧、入んな。」
ババアは先に部屋に入ると、人差し指でチョイチョイと俺に向かって手招きをした。そして俺が言われるままに部屋の中に入ると、ババアは扉に内側から鍵を掛け、更に再び黒い杖でトーントーンと2回叩いた。
そして部屋の中へ足を踏み入れた俺は、室内の光景に思わず目を奪われた。
その部屋は想像以上に広かった。床面積は故郷の学校の教室の半分くらいはあるだろうか。薄暗い室内でまず一際目に付いたのは、壁に掛けられた巨大な鏡と、魔法陣のような奇怪な模様が描かれた巨大な皮紙である。そして、木彫り?の黒光りする二足歩行の禍々しい魔物のような姿の彫刻が、部屋の四隅から俺に睨みを利かせて佇んでいる。部屋の奥には美麗な装飾が施された故郷で言う所のアンティーク調の巨大な机と背が異様に高い皮張りの椅子が鎮座しており、その机の上には淡い光を放つ魔道具と思しきランプと、大量の本や呪符のような紙切れが無造作に積み上げられている。
その他には壁に据え付けられた石造りの立派な暖炉なんかも見て取れる。床には使途不明の道具類が所狭しと散乱しており、更に部屋の一角には薬草だか何だか知らんが謎の草が馬鹿デカい鉢からボーボーに生えている。扉付きの収納と思しきゴイツい家具の上には故郷の理科室で見たような謎の実験器具のような代物や、この世界ではまだ珍しい硝子の容器に入った謎の粉体や液体が大量に並べられており、樽みたいに巨大な砂時計なんかも垣間見える。そして極め付けは、動物の死体のような生モノっぽいグロい物体が天井から吊り下げられているのも視界に入ってしまった。
此の空間は一見すると混沌の極みなのだが、何故だか不思議と調和が取れているようにも見える、何とも奇妙な部屋だ。正に魔法使いの部屋の面目躍如と言った所か。
「凄いな。婆さんはギルドの建物に 自分の部屋を持ってるのか。」
俺は部屋の中を一通り見渡すと、驚嘆せずには居られなかった。ギルド内に個人で此れだけの部屋を所有するとは。ババアはやはり相当に名の知れた魔術師に違いない。
「元々はあたしゃの師匠の部屋じゃよ。」
「へぇ、その師匠は どうしたんだ。未だ存命なのか。」
「何時じゃったか、不倫相手と何処ぞへ旅に出たわ。」
「・・・・そうか。」
えぇ・・其の辺りの事情にはあまり踏み込まない方が良さそうだ。何となく藪蛇になりそうな気がする。
因みにこの世界の庶民にも結婚やら不倫といった概念は地球と同じく存在する様だ。その情報源は鍛冶師のトト親方の弟子の小坊主である。尤も、其の制度が故郷と全く同じモノとは限らんし、余所の土地へ行けばまた違った風習が存在するのかも知れんが。
「フンッ、今頃あのボンクラは何処ぞで野垂れ死んどるじゃろ。今はこの部屋はあたしゃの研究室じゃ。」
「研究室?」
「んむ。ねぐらは別の場所じゃ。教えてはやらん。」
「そうか。」
「場所を嗅ぎ回ったら殺すからな。」
ババアが目をギラギラさせながら俺に迫って来た。正直超怖い。あと顔が近過ぎる。
「ああ。」
「此処は寝ぐらと違ってあまり好き勝手は出来無いんじゃが、その代わりギルドの設備が使えるんじゃ。それに、手頃な使いっ走りや実験体には困らんからのう。ケヒヒヒヒッ・・。」
不気味な声で笑うババアの声と表情は、余りにも邪悪に過ぎた。無論、俺は実験体とやらになるつもりは更々無い。もし此奴が不埒な真似をしてくるならば、先に関節技の実験体にしてくれよう。
「まあ、そんな事はどうでもええわい。其れより小僧。さっきのアレはもう無いのかい。」
ババアの言うアレは勿論、さっき握らせた階層守護者の魔石の事だろう。あの珍しい色の魔石は装飾品や或いは魔術師達の道具やら実験材料として重宝されると聞いた。
「俺は10級狩人だ。あんなもの 何度も手に入る訳が無いだろう。」
俺は懐からギルドカードを取り出すと、ヒラヒラとババアに見せ付けながら断言した。無論、真っ赤な嘘である。今後魔術師ギルドで魔法を学ぶことを見越して、俺は階層守護者の魔石を対魔術師用の賄賂として売り飛ばさずに充分な数確保しておいたのだ。
「チィッ。使えねぇ餓鬼じゃて。」
悪態をつきながら、ババアは俺に背を向けた。
「・・まぁ、もしかすると また道端で偶然同じものを 拾うかもしれんがな。」
その直後、ワザと呟くように発した俺の声がしっかりと耳に入ったのか、ババアの肩がビクリと動いた。クククッ分かり易い奴だ。
先程は文句ばかり垂れていたものの、本来ババアにとって魔法の指導教員を引き受ける事は決して悪い話では無い。何故なら以前受付嬢から説明を受けた所によれば、俺が支払った法外な教育費の分け前が少なからずババアの懐にも入るだろうからだ。それに、この世界の魔術師と呼ばれる連中は、最低一人は弟子を育てないと一人前とは認められないと聞いた事がある。あの佇まいから察するに、此のババアには既に何人も弟子は居るのだろう。だが、其れでも俺が一端の魔法使いとなれば、ババアの更なる拍付けにもなるハズだ。そして逆に育成失敗したとしても、身寄りのない平民の俺など無能と断じて放り出せば良いだけだ。
元々どう転んでもババアにとって損はしない取引である。とは言え、其のままでは真っ当に魔法を教える事などせず、適当に茶を濁されて金だけふんだくられる危険がある。なので俺に対するの教育の熱量を確保する為に、賄賂でも何でも良いのであの汚そうなケツをそっと後ろから押してやる必要がある。この後の魔法教育の進展次第では、また《《道端で偶然》》アレを拾って来てやろう。此のババア、見るからに物欲強そうだしな。
「それにしても小僧。お前、あたしゃに全然ビビっとらんな。」
俺の呟きで物欲センサーを刺激されたせいか、再び此方を振り向いたババアが突然そんな事を言ってきた。どうやら機嫌は直ったようだ。
「そうかな。」
えっそう見える?全然そんなこと無いよ。結構ビビッてるよ。
尤も、この世界の魔法が俺の知る回復魔法と同様の代物ならば、例えいきなりこの場で殺し合いになろうが、この間合いで俺がババアに後れを取る道理は無い。此奴がいかに高名な魔術師であろうが、だ。
「まあ良いじゃろう。ブサイクだし才も乏しそうじゃが、其の度胸を見込んで今日からあたしゃがお前に魔法の基礎を叩き込んでやるよ。」
「ああ。よろしく頼む。」
「あたしゃ魔女のリリィ。此れからは敬意を込めて、リリィ導師様と呼びな。」
「・・・・。」
えぇ、其れはちょっと嫌なんだけど。お前何処からどう見たってリリィってツラじゃねえだろ。
俺は感情を表に出さぬよう細心の注意を払いつつも、途轍もなく下らない事で内心頭を抱えた。




