第117話
眼前には錆と油、煤や泥その他謎の塗料で塗装され、統一感のまるで無い混沌が形を成したかのような異様な建築物が軒を連ねる。金属?皮?錆?木材?糞尿?分類不可能であり、人体に実に有害そうな雑多な刺激臭が鼻腔を刺し貫く。更にはガコーンガコーンゴウンゴウンガンガンガンと周囲の至る所から耳に捩じ込まれる噪音が滅茶苦茶五月蠅い。故郷の町工場から発せられる硬質で喧しいBGMが嫌でも思い出される。
俺は今、迷宮都市ベニスの職人街と呼ばれている区画を歩いている。この無秩序な
街並みは遠目に見ればまるでスラム街の様だが、街中を歩けばその混沌のベクトルがスラムとはまるで別の方向を向いていることが即座に見て取れる。
また、この辺りの区画には俺達一般庶民が暮らす区画とは大きく異なる点がある。其れは水路だ。周囲を観察すると細かく整備された水路が至る所に走っており、其処には澄んだ水だけでなく異臭を放つ濁った水も流れている。そう、この区画には一般用とは別に工業用の水路があるのだ。この迷宮都市では井戸の他に、巨大な魔道具で地下から汲み上げているらしい地下水の水路が街の到る所に張り巡らされている。其れは飲料水としては使用できないが、生活用水として都市の住人の生活を支えている。
因みにその源流は貴族街や教会群、そして領主の城がある小高い都市の西側の区画から流れて来ている。あちらの区画には豊富で清浄な地下水により、何と一部では上水道すら整備されているらしい。馬鹿となんとやらは高い所が好き、という理由だけで連中はあんな小高い場所に住居を構えているわけでは無い。相応な理由があるのだ。そして高貴な連中のお下がりで生活用水を恵んでもらっている俺達とは違い、この辺りの区画の工業用水は別系統で汲み上げた地下水を直で引っ張って来ているらしい。大した優遇っぷりである。
そして、その優遇度合に比例するかのように、この辺りの警備はやたら厳しい。俺がこの区画に足を踏み入れてから、衛兵に職質される件数が当社比5倍くらいになったような気がする。先日の迷宮探索では衣服の破損は殆ど無かったし、その後ワザワザ金を払って服を洗濯屋に出して、オールのような道具でギッチョンギッチョンと綺麗に洗濯してもらったので、今の俺の外観はかつて無い程身綺麗にもかかわらず、だ。
度重なる職質は、精神を削られる上に無駄な時間を浪費させられる。実に面倒臭いのだが、致し方ない事なのかもしれん。この区画には様々な職種の職人のみならず、一部の魔石や魔道具関係の職人達も居を構えてると言われているからだ。なので都市の権力者側も、技術の流出には敏感にならざる得ないんだろう。特にこの迷宮都市は魔石関係の独自技術が多そうだしな。
但しそれらの職質は、この付近の道が全く分からない俺にとっては非常に助かる面もあった。この辺りに立ち並ぶ工房や店舗は其れらしい看板や表札すら全く無い、完全に一見さんお断りな門構えをしているからだ。俺はこれ幸いと職質してきた衛兵に逆に道を尋ねまくった。尤も、奴等は日本のおまわりさんのように親切では無い。手中に素早く金属製の菓子を握らせないと、その口は鉛の様に重いのだ。
そんなこんなで些細な面倒事は色々あったが、俺は漸く目的の場所の付近まで辿り着いた。俺が今、向かっているのはこの職人街のとある鍛冶職人の工房である。
此の迷宮都市ベニスは滅茶苦茶広い。人口はともかく、その面積は或いは故郷のちょっとした地方の都市に匹敵するやもしれん。俺は馴染みの北門周辺からワザワザ此処までやって来たが、実のところ鍛冶屋は北門周辺の専門店街にもあるし、その他にも都市内に何店舗もあるようだ。但し、一般区画にある鍛冶屋はこの区画の職人達の工房とは趣も用途もかなり異なる。一般の鍛冶屋では安価な数打ちの武具の生産や、装備の簡単な修理や研ぎなどを請け負っている。また、其処で取り扱っているのは何も武具だけで無い。都市の住人が使う包丁や鍋などの日用品の作成や修理も行っているのだ。というか、聞いたところによれば寧ろ其方の仕事の方がメインだったりする。
それに対して、この辺りの鍛冶職人達の工房は所謂ガチ系である。非常に専門性が高く、仕事は基本オーダー製のみであると聞く。そして、俺が向かっている職人の工房も勿論例外ではない。其処は本来ならば一定以上に名の知れた狩人や傭兵、或いは相応の身分や立場の連中が足を運ぶ場所であり、俺のような最下級の底辺狩人など門前払いどころか近付く事すら憚られるのだが・・。
お、あった。此処がそれっぽいな。
其処には立ち並ぶ建物群から少し離れた空き地に1軒だけポツンと建つ、とりわけ汚い外観の建築物が鎮座していた。日本の町工場程のサイズの其の武骨な四角い建物は、恐らくは石造りだと思われるが、余りに汚れいていて元の建材が何なのか定かではない。また、その周囲には用途不明なガラクタが無造作に積み上げられている。
俺が衛兵達から聞き出した外観と一致する。勿論、其処には看板だの表札だのは一切見当たらない。まあ例えあっても読めないけどな。
俺は建物の正面にある扉の無い出入り口と思しき四角い通路の前に立つと、その奥に向けて声を張り上げた。
「おおい!此処は トト・アングリッド の工房か?仕事を 頼みたいのだが。」
そのまま暫く待つが・・・返事が無い。留守なのだろうか。いや、奥から何やら物音が聞こえてくる。在宅なのは間違いない。
「おらあぁぁ!! 誰かおらんのか~!さっさと 出てこんかいっ!!」
その後、何度声を掛けてもまるで反応が無いので、俺は遂に出入口付近の壁を拳でガンガンとブッ叩きながら大声で怒鳴りまくる暴挙に出た。気分はまるで故郷の債務回収業者か或いは押し込み強盗である。
すると、通路の奥からドタドタと足音を響かせて一人の小柄な男が慌てた様子で姿を現した。頭髪は禿なのか剃っているのか丸坊主で、太い眉とまるで胴着のような厚手の生地の服を身に纏った特徴的な外見の男だ。そして見たところまだ若い。俺の見立てではこの工房の主人では無く、弟子か奉公人か何かであろうか。
「御免なさいお客人。今、丁度手の離せない所でして。」
その小坊主はまるで故郷のサラリーマンの如くペコペコしながら現れたが、俺の前までやって来ると一瞬の硬直の後、不審そうな表情で俺の姿をジロジロと睨め回した。無遠慮だが視線にねっとりとしたモノは感じないので、こいつは同性愛者の類では無さそうだ。俺の小坊主に対する好感度が少し上昇する。
「あの、貴方はどなたでしょうか?」
「俺は加藤。狩人ギルドに 所属している。この工房の主人に仕事を頼みに来た。」
俺は先程までのキレまくった傍若無人な行為など何一つ無かったかの如く居住いを正すと、出来る限り穏やかな態度を心掛けつつ小坊主に用件を告げた。
「ええと、始めまして・・ですよね?あの、ウチは固定の客人の仕事しか受付けて居ないのですが・・。」
小坊主は戸惑った様子で俺に訊ねてきた。
日本に居た頃の俺ならこの時点でアッハイソウデスカ・・と回れ右してスゴスゴと引き下がっていたかもしれん。だが、この異界の荒波に揉まれた結果、俺の面の皮は以前より軽く5層分は分厚くコーティングされている。俺は小僧の胡乱げな視線を余裕でハネ返すと、懐から高級そうな封筒に包まれた手紙を取り出した。その封筒には封蝋のような恐らく呪符魔術の一種による封が施されており、何やら複雑な紋章が刻印されている。其れを見た小坊主の顔色が一瞬で青ざめた。ほう、一目見ただけで分かるとは。こいつそれなりに教養があると見える。
「分かっている。此れは紹介状だ。主人に取り次いでほしい。」
俺は小坊主に高級感溢れる封筒を差し出した。
俺は先日、迷宮『古代人の魔窟』にて遭難した迷宮都市の第五王女であるアリシス王女の救出に大いに貢献した。そして、彼女からその報酬を提案されたのだが、其れに対して俺は三つのお願い事をすることにしたのだ。そして、そのお願いの一つが此の手紙だ。その中身は、鍛冶職人への俺の紹介状である。
正直、あの提案の時に真っ先に思い付いたのは 王女様っ貴方の全てを僕に下さいっ だった。だがその場合、例え億が一彼女が了承したしても、この迷宮都市の領主である彼女のパパが「誰だその胡散臭いUMAの骨は。殺せ。」と命を下すのは必定。一瞬で選択肢の候補から除外した。
次いで思い浮かべたのは金とモノだ。俗な思考と思うなかれ。金もモノも生きる為には必要なのだ。何処ぞの小説の主人公の如く フッ、僕には感謝だけで充分さ などとアホみたいに気取って格好付けても良い事など何一つない。因みに女・・は流石に無理だった。俺は其処まで厚顔無恥では無い。
だが、結局金とモノは断念した。何も遠慮したり気取ったりしたワケでは無い。その理由は保身の為だ。実際の所、金貨数十枚程度の金ならば、今の俺なら迷宮に籠って魔物をシバきまくれば稼ぐのはそれ程困難では無い。あまり魅力を感じないのだ。さりとて、金貨百枚千枚単位で彼女に強請ればどうなるだろう。俺は彼女の懐事情や王族が自由に裁量できる銭の出所なんぞ当たり前だが全く知る由は無い。だが小遣い程度の金額ならいざ知らず、相応の金額となれば当然調査が入るだろうし、帳簿のような物に記録が残るやもしれん。そうなれば例え一時的にあぶく銭を手に入れて有頂天になったとしても、それが後々どのような面倒事になるか分かったモノでは無い。下手すりゃ「誰だその胡散臭いUMAの骨は。殺せ。」に繋がりかねんし、最悪の場合、アリシス王女の醜聞に発展する可能性すらある。と、言う訳で断腸の思いで却下した。希少だったり高価な物品も同様の理由だ。
そこで考えたのが、報酬の一つとして金やモノでは無くコネを頂く事だ。職人街で評判の鍛冶職人に俺の事を紹介してもらう事。此れなら俺としても得るものが非常に大きいし、何より相手側の懐が痛まない。勿論、紹介状を作成する経費は掛かるだろうが、そんな銭は微々たるものだ。自分達の懐が痛まないなら、自ずと相手を監視する目も緩くなるというもの。お互いwinwinな上、面倒な連中に目を付けられにくい中々の上策と言えるのではないだろうか。
因みにこの工房が俺の眼鏡に叶うとは限らないので、念の為王女様には他に二通紹介状を頼んだ。律儀に約束を果たしてくれた王女様の紹介状は、無事狩人ギルド経由で俺の手に渡された。だが、一介どころか底辺狩人の俺の為に一等貴族が紹介状を作成するなど、普通は絶対に有り得ない事らしい。その時の受付の赤毛のおっさんの追及が厳しく、誤魔化すのが大変だった。普段はアホ面でボケっとしているおっさんの目が、その時は猛禽のごとくギラギラと輝いていて正直ちょっとビビった。やたら事情通なおっさんは特別なコネでも持っているのかと思っていたのだが、その秘密の一端を垣間見てしまったような気がする。
まあ、それはさておき。
「なあ、あんた。」
封筒を受け取った小坊主の目を見ながら、俺は敢えて声を小さく抑えて囁き掛けた。
「その封筒の紋章が何処のモンか 分かるよな。」
念の為言外にプレッシャーをかけておく。その手紙、お前等だけの判断で勝手にガメたり廃棄したら只じゃすまねえぞ、と。
小坊主は青ざめた顔で頷くと、そそくさと通路の奥に消えていった。
相手を値踏みしたり足元を見るのは此方側も同じだ。この区画のあの衛兵の数を見れば分かる。パトロンとまではいかなくても、この区画の職人達はベニスの支配層に保護されているのだ。例え職人として無頼を気取って居ようが、大っぴらにこの迷宮都市のトップである一等貴族に逆らう事など有り得ないハズだ。
此れではまるで虎の威を借る何とやらだが、虎の威大いに結構。折角棚ぼた気味に虎の威を下賜して頂いたのだ。存分に利用しなくては寅さん・・いや、虎さんに申し訳が立たないだろう。そうとなれば、この素晴らしい威を枯れ果てるまでしゃぶり尽してあげようではないか。
そして其のまま暫く待っていると、通路の奥から足音が近付いて来るのが分かった。そして漸く、先程の小坊主を後ろに引き連れた工房の主が姿を現した。
事前に噂を聞いてはいたが、その姿を見て俺は思わず目を剥いた。
その鍛冶職人は、人間では無かったのだ。




