第112話
俺は変わり果てた騎士の骸に寄り添って涙を零す王女様の傍を離れ、むせ返るような死臭を掻き分けて注意深く部屋の中の探索の手を広げていった。今でこそ姿が見えないが、ハグレや階層守護者が何時この部屋に現れるか分かったものでは無い。チンタラ時間を掛け過ぎるわけにはいかんが、さりとて捜索に手を抜くことも出来ん。もしルエンをこの部屋で発見できなければ、上の各階層を順次探索していく腹積もりである。だが、本音を言えばその場合は生存どころか、死体を発見するのも困難であろう。尤も、だからと言って簡単に諦めるなどという選択肢は俺には無いがな。
部屋の捜索は俺達が踏み込んだ部屋の入口付近から始めて、既に迷宮の中層に降りる階段付近にまで達した。だが、俺はルエン或いはルエンと思しき幼子の姿を、僅かな手掛かりすら見出すことは出来なかった。
やはり、此処には居ないのか。まだ辛うじて息のある連中が居たのでもしや、と淡い期待を抱いてしまったが。ルエンよ。お前、何処に居るんだ。それとも、やはりもうとっくにハグレに食われて消化されちまったのかよ。
懸命な捜索を続けつつもその痕跡すら探り出すことが出来ない現実に、苦い思いが胸に広がり始めた、その時だった。
未捜索で最後に残った一際大きい死体山を覗き込んだ俺の眼が、闇の中にほんの僅かではあるが、確かに見覚えのある模様の布地が埋もれているのを見出した。其れを目にした瞬間、俺の心臓が跳ねた。あの模様は確かルエンが着ていた服の・・・暗くて見辛いが間違いない。スエンが弟の為に仕立てたと自慢していた服の模様と同じだ・・・!
「・・・ルエン。」
柄にもなく、自分の声が掠れるのが分かった。
ルエン、其処に居るのか? 動けるのか? 苦しいのか? ・・・生きているのか?
直ぐに出してやるから、ちょっとだけ待ってろ。
俺は目の前に積み重なる朽ち果てた骸達と、ウゾウゾと蠢くスカベンジャー共を矢継ぎ早に死体山から引っぺがして投げ捨てた。すると、倒れ伏す小さな子供の身体が、折り重なる死体の隙間に埋もれる様に身を潜めている姿がハッキリと視認できるようになってきた。うつ伏せなので此処からは顔が見えないが、あれは・・間違いない。ルエンだ。やった、やったぞ。遂に見付けたぞ!
俺は確信すると同時に、その小さな姿に向けて呼び掛けた。
「おおい!ルエン、生きてるか。俺だ、加藤だ! 助けに来たぞ。俺の声は聞こえるか?生きてるのなら、返事をしろ。」
だが、死体の隙間から覗き見えるその頭部は、俺の呼び掛けにピクリとも反応しない。俺は更に声を掛けようとしたが、ふと気付いた。ルエンに対して日本語で呼び掛けていた事に。いかん、焦り過ぎだ。此れじゃ俺も王女様の事馬鹿に出来ねえ。落ち着け、俺。
その後何度も子供の姿に向けて呼び掛けるも、暗がりの中の小さな姿は何の反応も示さなかった。動けないのか、それとも意識が無いのか、それともまさかルエンよ。駄目なのか。もうとっくに死んじまってるのか・・・糞ぉ。
だが次の瞬間。俺の発達した聴覚が、ソレを捉えた。
微かな、ほんの微かな、息遣いを。
まさか!?・・・生きてるのか?・・・・・よし・・よしっ!!
聞こえる。ほんの微かだが、確かに聞こえるぞ!
いいぞ!ルエンはまだ、生きてる。生きてさえいればまだ何とか成るかもしれん。
ルエンと思しき子供の姿は死体山のかなり奥まった隙間の中だ。もしや難を逃れる為に自ら潜ったのだろうか。真相は定かでは無いが、此のまま一体ずつ邪魔な死体を排除するのは面倒だし時間が掛かり過ぎる。痺れを切らした俺は、上半身を折り重なる死体の隙間に捻じ込んでフルパワーで持ち上げた。それと同時にブワッと立ち込める凄まじい死臭や、垂れてくる色々な汁や、飛び跳ねる大小のスカベンジャー共の事を無我の境地で脳内から排除する。だが、うがががが濃すぎる死臭が目に染みる。身体に纏わり付く様々ブツの事をマトモに考えたら、泣きながら吐いてしまいそうだ。
そして、ちょっとだけ涙を滲ませながら隙間をこじ開けるように邪魔な死体を纏めて持ち上げた俺は、露出した子供の姿に向けて身体と手を思い切り伸ばすと、出来る限り負荷の掛からないよう気を付けつつ、その小さな身体を掴んで死体山から引っ張り出した。そしてすぐさま、仰向けに寝かせてその容態を確認した。
その姿を見た俺は、愕然とした。
思った通り、その子供はまさしくルエンであった。
顔色は蒼白であったが、その表情はまるで眠っているだけのようにも見える。
だが、床に仰向けに寝かせたルエンの腹部は大きく抉れており、半ば内臓が露出していたのだ。見た目の出血は決して多くは無いが、傷口とその周囲には血液と共に正体不明の粘液が多数付着している。そしてその傷口は既に変色してきており、更にその深さは明らかに致命的な・・。今迄スカベンジャー共に食い荒らされていなかったのは、上から覆い被さった死体に守られていたお陰であろう。だが、未だ息があるのが不思議な程の損傷。既に昏睡状態の虫の息だ。
ギギリィッ
思わず食い縛った歯が軋んだ。糞がっ。此の傷の深さでは、傷薬はおろか最早俺の回復魔法でも・・・。
此のイカれてる程殺伐とした世界ってのはある意味平等だ。ガキだろうが善人だろうが爺婆だろうが一片の忖度も情け容赦も無い。誰しも死ぬ時ゃあっという間だ。それは偉大な大自然の摂理って奴なのだろうか。それともこの世界の神々が定めた命運てやつなのだろうか。其れは分からない。
だが、そんなもん俺の知った事か。この小さな命は俺が全力で助けると決めたんだ。例え万策尽きてそんなものに身を委ねるにせよ、其れはやれる事を全部やってからの話だ。其れ迄俺は絶対に諦めねえ。最後の最後まで足掻いて足掻いて足掻きまくって、トコトン反抗しまくってやんよ。
「カトゥー。お主の探していたのは、その幼子だったのか。」
俺の背後から声が掛けられた。王女様だ。どうやらあちらでの弔いは済んだらしい。勿論、俺は彼女が近付いて来ているのは察知していた。チラリと目を向けると、彼女は俯いて辛そうな表情をしていた。フン。そういうツラをするのはまだ早ぇよ。
「ああ、そうだ。」
「カトゥー。その子は、もう・・。」
王女様は、ルエンの傷口を見ながら沈んだ声で俺に話しかけてきた。
俺はルエンを両腕に抱いて立ち上がった。今は時が惜しい。グダグダと問答している場合でも、グズグズとベソかいている場合でも無え。そんなモノは後で幾らでも出来る。今はルエンを助ける為に出来る事、為すべき事だけをやる時だ。もうルエンの息は何時止まってもおかしくはない。事態は一刻の猶予も無い。
「アリシス様。悪いが 後ろを向いてくれ。背中にこいつを固定する。」
「え?し、しかしカトゥー・・。」
「急げ!」
俺の言葉を受けて王女様は一瞬眉根を寄せたが、特に反発することも無く背中を向けてくれた。伝え聞く経歴からして、高貴な出自にも関わらず彼女は其れなりに実戦の場数を踏んで来たのだろう。このような時に余計な事でグダグダと時間を取らせないのは大変有り難い。
俺は背負い籠から寝具の布と縄草の紐を取り出すと、全身蒼白でぐったりしたルエンの身体を手早く王女様の背中に固定した。
「この場に何時までも留まるのは 危険だ。直ぐに安全地帯があった場所に 移動するぞ。道中の魔物どもは全部俺が排除するから・・・その子を、頼む。出来るだけ揺らさないように 安静に運んでくれ。」
「う、うん。分かった。」
「行くぞ。俺から 離れるなよ。」
俺は瀕死のルエンを背負った王女様を先導しつつ、死臭漂うハグレの巣を後にした。
____其れから程無く、俺達は10層の安全地帯の部屋に到着した。俺達はハグレの巣から正に突貫で此処まで進んで来た。襲い掛かってくる邪魔な魔物共は俺が残らずぶっ殺した。
此処の扉は既にハグレに破壊されていた為、部屋の内部にも魔物が大量に入り込んでいた。俺は此処まで来た勢いのまま部屋の中に突入し、速攻で邪魔な魔物共を排除した。一時的に部屋の中は魔物の死体で埋め尽くされたが、その残骸は直ぐにボロボロと崩れてゆく。この迷宮の消える魔物は殺しても死体が残らないので非常に助かる。
「その子を中で 寝かせて置いてくれ。俺は魔物が此処に来ない様に 仕掛けをしたら直ぐに戻る。」
「はいっ。」
俺は部屋から出ると、安全地帯に繋がる通路に着火した煙玉を設置した。此れで少なくとも雑魚どもは当分あの部屋に近付く事はあるまい。そして発煙を確認すると、俺は再び安全地帯にダッシュで向かった。
気配を消して足音を忍ばせつつ安全地帯の入口の前まできた俺は、そっと部屋の中を覗き込んで見た。すると、上手い具合に王女様が此方に背を向けて、仰向けに寝かせたルエンの傍らに座り込んでいた。俺は一切の気配を殺しながら躊躇うこと無く王女様の背後に立つと、その首筋に素早く利き腕を滑り込ませた。
「かっ・・ぁぎっ。」
俺の両腕の中で王女様がジタバタと暴れるが、完璧に入った俺の裸締めはその程度の抵抗では微動もしない。
1・・2・・3・・4・・5・・6・・
ジャスト11秒。王女様の身体からくたりと力が抜けた。思ったより長く持ったな。済まないとは思うが、その立場を考慮すると彼女に回復魔法を使う姿を見せたくは無い。次いで念の為呼吸と脈を手早く確認する。流石に人間を絞め落とすなどという経験は殆どした事が無いので、下手を打って絞め殺してしまったらシャレにならんからな。完全に気絶した彼女は白目を剥いて、王女様にあるまじき表情となっている。こりゃ後で2,3発くらいブン殴られることは覚悟せにゃならんかもな。
気絶した王女様を壁際にそっと寝かせた俺は、部屋の中央付近で仰向けになったルエンの傍らに座って座禅を組んだ。そして、右手を傷口に当てて瞑目する。ほんの僅かだが、未だルエンの呼吸音と胸の上下する感触が確かに感じられる。
俺にはまだ、出来ることがある。そう、回復魔法だ。
今迄の実験と経験上では、此処まで深い致命傷を癒すことは恐らく不可能だ。だが、そんな事はやってみなくちゃあ分からん。何もせぬまま諦めるなど、断じて俺の遣り方では無い。
掛け値なしの全身全霊。俺の魔力の全てを注ぎ込んで、このクソッタレな傷に回復魔法をぶち込んでやんよ。
今では血液よりもクッキリハッキリ明確に知覚できる俺の中を循環するもう一つの流れ。俺が魔力と呼ぶその不可視のエネルギーの奔流は、今では俺の意のままにグリグリと自在にコントロールできる。この流れは恐らく地球人でも皆、持っているものだ。だが余りにも薄すぎる事と、恐らくは其れを捉える感覚器官が退化している事により、誰も知覚出来ていないだけだ。近頃は、魔物共から流れ込んで来る魔素にも様々な色があることも分かってきた。以前は俺の中の魔力が薄かったせいか、単なる黒い粉塵にしか見えなかったのだ。
俺は魔力の流れを加速して、回転させながら臍の下に収斂してゆく。この場所なら魔力が霧散する事も無いので、絶え間なく圧縮して力を練り上げてゆく。際限なく、ただただひたすらに練り上げ続ける。そして感覚的にソレが溢れ出す寸前。際の際迄体内の魔力を練り上げた結果、腹の下が物理的に熱を帯び、凄まじいエネルギーが収束しているのが分かる。此処まで巨大な魔力を練り上げるのは、もしかすると初めての試みかもしれん。試しに左手で下腹に触れてみると、この場所だけ異常に熱を帯びている。
お次は練りに練った巨大な魔力の塊を、循環の流れに乗せて右手迄移動させる。今では引っ掛かりなど一切無く、超スムーズに魔力の塊を手の位置まで流すことが可能だ。そして此処からが最も神経を使う工程。魔力が霧散しないよう保持しながら変質させてゆく。練った魔力が大きい程コントロールは難しくなるが、俺は今迄無数にこの過程を錬磨してきたのだ。問題などあろうハズがない。
すると、ルエンの腹の傷口の上に乗せた俺の右手が光り始めた。そして時間が経つにつれて淡かったその光は次第に強くなってゆき、遂には眩しくて直視できない程に輝き始めた。俺の右手がまるでLEDのようだ。この照度は一体何lxあるんだろうか。だが、良いぞ。もっと、もっと、もっと輝け!
そして俺は眩く輝く回復魔法の光の粒子を、惜しむこと無くルエンの体内に注ぎ込み始めた。
____一体どのくらいの時間続けていただろうか。
先程まで部屋全体を照らしていた回復魔法の眩い光は、既に消えている。
俺は座禅を解き、横たわるルエンの傍らで胡坐をかいていた。
身体全体には強い倦怠感が伸し掛かっている。魔力切れの兆候だ。これ以上の回復魔法の行使は余りにも危険過ぎるだろう。
そして、幾許かの時が流れ。
固く閉ざされていた幼子の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。
「よう、目が覚めたか。」




