第107話
俺はスエンを連れて迅速に人気の少なそうな路地裏に移動した。まだ多少人目はあるが、今は其れどころでは無い。
「何があった 詳しく話せ。」
俺は中腰になってスエンと目線を合わせると、スエンに対して状況の説明を求めた。ピースカ泣いていては埒が明かないので、意識して思い切り目力を込めてみる。スエンは一瞬ビクーンとなった後、グズグズとしゃくり上げるのを止めた。鼻水は出っぱなしだが。おおっ所詮プラシーボ的な効果だろうが、何でもやってみるモンだ。
「ルエンが 独りじゃ寂しいって 言うから、僕達 一緒に『古代人の魔窟』の傍で物乞いをしてたんだ。・・・そしたら、迷宮の入り口の方から 悲鳴や叫び声が
沢山聞こえてきて・・。」
スエンは時折言葉を詰まらせながら、俺に状況の説明を始めた。
「あ、アイツが、あの化け物が ゲートを壊して出てきたんだ。み、みんな、みんな襲われて、アイツに食べられて・・。それで、僕達もみんなと一緒に 逃げようと したんだ。なのに・・。」
「待て。化け物ってのはどんな奴だ。魔物なのか。」
どうしても気になった俺は、話に割り込んでスエンに問い正した。そして、スエンが語ったソイツの外見は・・・奴だ。その特徴が完全に一致する。俺達を襲った緋色目の奴が迷宮の外に這い出てきやがったのか。
何てことだ。コイツは俺のミスだ。俺もまた、今迄得た情報からあの迷宮から魔物が外に出てくるなんて有り得ないと思い込んでいた。だが、奴は恐らくあらゆる意味で迷宮の「イレギュラー」な存在だ。あり得ないなんて事あるはずが無いってのに。先程狩人ギルドのおっさんが言っていた緊急会議ってのも、恐らく此れ絡みだろう。
糞が。なんつう間抜けな。俺のオツムがもう少しマシな出来なら、スエン達に事前に注意喚起の一つも出来たかもしれねえ。此れじゃ返り討ちに遭った狩人ギルドの討伐隊やあの王女様達を全然笑えねえよ。
因みに、閑散としていた『古代人の魔窟』周辺で二人が未だに物乞いをしていたのには理由がある。以前スエンに訊いたのだが、二人は何も自由気ままに物乞いをしていたワケでは無い。この都市の浮浪者共が物乞いをやるにも、ちゃんと縄張りがあるのだ。その為、何かトラブルが有って実入りが少なくなったからと言って、おいそれと他の場所に移動することなど出来るハズもない。特に『古代人の魔窟』周辺は稼げるシマとして人気だったらしく、スエンは他人には言えないような汚い手もあれこれ使って漸くあの場所を勝ち取ったらしい。当然、それに対する妬み嫉みもハンパな物では無かっただろう。賢いガキとはいえ、今迄良く生き延びてこれたもんだ。
続いて俺が目で話の続きを促すと、スエンは俯いて消え入りそうな声で話し始めた。
「僕達、誰かに服を捕まれて 化け物の前に・・投げられて・・。」
おいおい。何つーことしやがるんだ。何としても助かりたいって気持ちは良く分かるが、血も涙も無えな。見ず知らずのガキならいざ知らず、スエン達を生贄にした奴はギルティだ。もし俺が其の場に居たら、此の手で処刑していたかもしれん。残念ながら今更探したところで、もう犯人は見付からんだろうけど。
「でも、化け物は小さい僕達より 逃げてく人達を襲って、みんな、食べられちゃって・・・。」
成程、因果応報。俺が制裁するまでも無かったかもしれんな。
「でも、アイツはまた 僕達の所まで戻って来て ルエンは怖くて動けない僕を庇って、アイツの手に捕まって・・。ほかの捕まった人たちと一緒に、化け物に引き摺られて・・・。」
「僕・・僕っ。みんなに助けてってお願いしたんだ。何でもするからって。貯めたお金も全部あげるからって。兵隊の人達にも、いつも仲良くしてる大人達にも頼んだんだ。でも、誰も、誰も、誰も助けてくれなくて・・・みんな諦めろって・・。ううっ、ううううっ。嫌だっ。ルエンが居なくなっちゃう。そんなの、嫌だよぉ!」
抑え込んでいた感情が爆発したのか、スエンは堰を切ったように再び涙を流して、俺に向かって叫んだ。
「・・・そうかい。」
そうかい。は~、全く。何だろうね。
こんな時、故郷に居たなら一も二も無く頼れるポリスメンに通報してお任せする所なのに。俺は平々凡々な只のパンピー。どこぞの英雄でも、物語の主人公でも無いのだ。俺にはフィクションみたいなチートやらスキルやら加護なんぞ無い。例えば高い所から落ちても、野生動物に急所を噛まれても簡単に死ぬし、自分の命が何より大切なのだ。どこぞの浮浪児のガキが攫われたところで、命を懸けて助けに行くような尊い精神や気高い誇りとやらなんぞ欠片も持ち合わせてはいないのだ。
でもな。
口の中で、鉄の味がした。
何時だったか、故郷で誰かが語っていた。TVだろうか、何かの演説だろうか、其れは忘れた。ソイツは尤もらしくのたまった。人の命の重さは皆同じだと。
んなわけあるか。
仮に故郷の日本で、美人女優或いは有名スポーツ選手と俺が命の危機に瀕していたとしよう。もし片一方だけを助けられるとして全国民に多数決で選ばせれば、日本中ほぼ満場一致で俺は見捨てられるだろう。もし例外があるとすれば、俺の家族や大吾達のような身近なツレくらいだろうよ。そりゃそうだ。俺だって赤の他人なら、一切迷う事無くソッチを選ぶ。人間の命の価値なんて同じな訳が無い。財産、地位、名誉、美醜、カリスマ、実績、影響力、性格、頭脳、腕力。或いは其々の人々の関係性によっても容易に変わってくるだろう。
そして、この世界じゃ珍しくもない、何処にでも居る浮浪児のガキ。吹けば飛ぶようなちっぽけな命。例え死のうが消えようが、世間の誰にも顧みられない儚い存在。
だが、そんな小さな命が
今の俺には
俺にとっては
美女だの 貴族だの 王女だの 王だの・・・たとえ此の世界の神なんぞよりも
何よりも 重い
俺が生きることを諦めた あの時
目の前に差し出された 汚れた小さな手の事を
俺は 決して忘れない
だから、俺は行く。例え此の命を懸けてでも。
恐らく、ルエンはもう生きてはいまい。死体が残っている可能性すらほんの僅かだろう。だがそんな事、俺が躊躇する理由なんかにはならない。
「ううううぅぅ。」
「スエン、泣くな。お前は兄貴だろうが。」
俺は両手でスエンの上腕を掴んだ。痛かったのだろうか、スエンは涙を流しながら顔を顰めた。
「でも「俺が行く。」
俺はスエンに言葉を被せた。
「え・・・?」
スエンが俯いていた顔を上げる。目が真ん丸だ。自分から懇願しに来ておいて何驚いてやがるんだコイツは。
「他に誰も居ないんだろ?なら俺が『古代人の魔窟』に行く。」
俺はスエンの眼を見据えながら宣言してやった。すると、涙と鼻水でベトベトの顔がくしゃりと歪んだ。元は良いのに、今は俺より遥かにブッサイクな顔だ。だが、賢しい取り澄ましたツラよりも、俺は嫌いじゃない。
「ううう~兄ちゃん。お願い、お願いします。ルエンを助けて。」
スエンは俺に抱き着いて、頭をグリグリ押し付けて来た。おいおい、鼻水を肩に擦り付けるな。きたねえな。
俺はくっついたスエンの腰を掴んで、小さな身体をグイっと押し離した。
「任せろ。」
立ち上がった俺はくるりと背を向けて右手を上げると、スエンをその場に残して走り出した。
はぁ~、くっせえ。臭すぎる。お前は何処ぞの小説の主人公様かよ。全くもって柄じゃねえ。まあ格好付けようがビビりながらだろうがどの道ヤル事は同じだ。ならばちっとは良い所を見せて、あいつの心象を良くしておくのも悪くはあるまい。
俺はダッシュで大通りに面した商店に立ち寄ると、手持ちの現金で必要な物資を矢継ぎ早に買い込んだ。幸い、PTSDで頓挫した迷宮探索用の物資が宿にまだ充分な量保管してある。追加で必要な物は最小限で済むだろう。
その後、宿屋にて背負い籠に必要な物資を放り込んだ俺は、宿を引き払うと同時に、受付のおばちゃんに金を払って金目の物以外の残りの荷物の保管をお願いした。此れなら狩人ギルドで頼むよりセキュリティは低いが、値段は半分で済む。但し、ある程度おばちゃんと顔見知りになっておく必要があるが。
俺は迷宮都市の東門から外に出ると、其のまま走って迷宮『古代人の魔窟』へと向かった。それにしても、揉める事無くゲートを通過できるって素晴らしい。新しいギルドカード様様である。仮カードを壊した事にビビッてないでもっと早く貰っておけばよかった。
迷宮に近付くにつれ、其の惨状が露わになってきた。街道付近に立ち並ぶ露店や商店の建築物が其処かしこで破損しており、生々しすぎる血痕が所構わず付着している。たった1体の魔物がしでかした惨状とはとても思えんな。どんだけ派手に暴れまくったんだ奴は。だが、流石に死体は片付けられているようだ。よもや全部奴の腹に収まったワケもないだろうし。
迷宮のゲートが見える所迄辿り着くと、頑丈なハズのゲートがど派手にぶっ壊されているのが垣間見えた。しかも、大量の絵具をぶちまけたように血痕が物凄い事に成っとる。その付近は大勢の衛兵達によって物々しい雰囲気になっており、当然の如く俺は何度目かの職質を受けた。だが身分証のチェックをすると、衛兵達は拍子抜けする程あっさり俺の身柄を解放してくれた。特に避難指示とかもしてこない。成程。一応ギルドの所属をベニスに移したとはいえ、俺は所詮此の都市の市民でも何でもない。衛兵達がガチで守るべき民草じゃないって事だろう。今は逆に都合が良いけど。
俺は急遽作られたらしい迷宮の仮設ゲートを尋ねると、身分証の提出や何時もより面倒な質疑応答を経て、どうにかゲートの中に入る許可を得ることが出来た。どうやら現場はまだ混乱しまくっており、こんな状況なのにたった独りで呑気に迷宮に潜るアホなど想定して居なかったようだ。そんなに死にたいなら勝手に死んでこいとの衛兵の陰口を背に、俺は迷宮の入口に向かって足早に歩を進めた。
程無く、俺は一瞬だけ足を止めた。迷宮の入り口付近に、人族と思われる集団が佇んでいるのが見えたからだ。どうやら武装しているようだし、荷物持ちも何人か確認できる。まさか此奴等今から迷宮に潜るつもりか。自分の事を棚上げして何だが、此奴等アホなんだろうか。其れとも余程腕に自信があるのだろうか。もしそうならば、場合によってはこいつ等に乗っかるのもアリか?
特に疚しい事も無いので、俺は気にすることも無くズカズカと迷宮の入口に向かって歩いてゆくと、集団の代表と思われる一人が俺に近付いて声を掛けて来た。
「やあ。君、一体何処の者かな。そして、何の用で迷宮へ?今、この場所は非常に危険なんだが。」
眩いブロンドの髪と、鋭く輝くエメラルドグリーンの瞳で俺を見据えるその男は、一言で言うと物凄いイケメンであった。彫が深く一分の隙も無く整ったその容姿は、所謂軟弱そうな優男風な雰囲気は微塵も無く、野郎も納得せざる得ない精悍な面構えのワイルド系イケメンである。頑丈そうな白銀色の金属鎧と高級感溢れるマントに身を包んでいる辺り、どこぞの高貴な騎士様かなんかだろうか。流石に全身を包むフルプレートでは無い様だが。
「俺は加藤。狩人ギルド所属だ。此の迷宮に来たのは、人を助ける為だ。」
特に隠す気も必要も無いので、俺はギルドカードを見せながら正直に質問に答えた。俺の話を聞いて、男は若干警戒を緩めたようだ。
「成る程。実は我々も、とある人物を助けるために有志で集まっていてね。」
「・・・・。」
イケメン兄さんには悪いが、俺は早く迷宮に行きたいのだが。
「君も噂で知っているかも知れないが、この迷宮で魔物討伐に向かったアリシス王女殿下が行方不明となっておられるのだ。我々は姫様を救出する為に、呼び掛けに応じてこの場に集っている。そして、私は指揮官のクリファ=ルゥ=クリシャスだ。ベニスでは近衛騎士を務めている。」
ええと確か意味合いは近衛騎士、で良いんだよな。いきなり聞き慣れない固有名詞を言われても困る。王女か、或いは領主の近衛なのかな。それにしても有志で集まったと言っているが、この人上司の許可は貰っているのだろうか。いや、許可が必要なのかどうか知らんけど。それに、ああ。俺があっさり迷宮のゲートの中に入れたのは、この連中のお陰でもあるのかな。
「そうか。」
俺がそっけなく返事をすると、イケメン近衛は形の良い眉を顰めた。やばっ。今急いでいるとはいえ、少々不愛想にしすぎたか。見た目高貴な身分そうだし。
「もしかすると、君も我らの姫様を助ける為に此処に来たのではないかな。」
「・・・そのようなモノだ。」
「ならば君も我々と行動を共にしないか。君もあのゲートで話は聞いただろう。今単独で迷宮に潜るのは、危険過ぎて勧められないからな。」
親切心か何かしら思惑があるのかは不明だが、イケメン近衛が同行を提案してきた。
「いや、有難い申し出でだが 構わないで欲しい。それに、手分けした方が効率が良いだろう。俺は此のまま 一人で潜る。」
勿論、適当な理由を付けて断る。俺は今、王女どころじゃないし。つうか、多分とっくに死んどるだろ王女様。どの道邪魔はしないつもりだから、そっちはそっちで頑張って欲しい。
「そうか。其れなら仕方ない。君も気を付けてな。」
意外な事に特に引き止める素振りもなく、イケメン近衛は手を上げてアッサリ俺に別れを告げた。不謹慎ではあるが、此奴等が上手い具合にハグレに対する囮にでもなってくれると助かるんだがな。
___そして俺は再び、因縁の迷宮の入口に立った。
もう、身体は震えなかった。
ああ、また一つ、あのチビに返し切れない恩が増えちまったな。
もしまだ生きているのなら。最後の最後まで、絶対に諦めるんじゃねえぞ。
俺は暗い地下に伸びる階段へと、躊躇う事無く足を踏み出した。




