第84話
俺達の前に現れたソイツの姿は。
言うなれば邪悪な姿?なのだろうか。
或いは恐ろしい姿?なのだろうか。
いや、違う。その姿は余りにも冒涜的で奇形的であった。
病的に何もかもが狂っていた。
俺の背筋に怖気と不快感が駆け抜ける。全身の体表に鳥肌が立った。
デカい。その全長は目測で5m以上はあるだろうか。俺の目に映るその異様な姿は、極彩色の外骨格に覆われた芋虫のような長い胴体があり、その側面からは百足のような不気味な多脚が生えている。胴体の末端からはヌメヌメと黒く光る不気味な尻尾が二股に別れて伸びており、その先端にびっしり生えた突起からは正体不明な液体がボタボタと滴っている。そして、多脚の前には剛毛に覆われたブッとい腕があり、その先端では蠍の触肢のような目が眩むほど巨大な鋏がガリガリと擦過音を響かせて俺達を威圧する。胴体の前面には鋭い牙の生えた肉食動獣のような顔が生えているが、更にその上部に人間の顔を何倍も膨張させたような不気味すぎる顔が吹き出ている。
そして其れ等の身体の各パーツは、一つの肉体として真っ当に組み合わされているのではなく、まるで巨大なミキサーで半ばグチャグチャにシェイクしたよう熔け合って無理矢理捻じ混ぜたようになって・・こ、これは・・。
一瞬、神話の絵画や漫画で見たようなキマイラの姿が思い浮かんだが、此奴はあんな綺麗なイキモノじゃない。俺は何となく察した。その悍ましい生命を冒涜したかのような姿は、迷宮内の様々な魔物の姿をこねくり回して出来ているように見える。もしかすると、此れは迷宮が疑似生命を大量に製造する過程で生まれた失敗作なんじゃないだろうか。いや、不良品と言ったほうがより正鵠だろうか。
あらゆる呪詛を撒き散らすかの如く緋色に燃える獣の瞳と目が合った。
その上に生える不気味な人間モドキの顔がニタリと笑ったように見えた。
うおお。タマがヒュンとなる。感覚を研ぎ澄ますまでもねえ。此奴は、ヤバい。
縋るような気持ちでリザードマンズの姿を目で追うと、蜥蜴リーダーの頼もしい背中が視界に映る。だが、今までと違いその背中はとても小さく、頼りなく見えた。
あのリーダーがわなわなと震えているのだ。此奴は武者震いなんかじゃねえ。怯えているんだ。ヤバイ。どうする、どうしよう。
前方の化け物は俺達を凝視したまま動きが無い。俺達の品定めでもしているのだろうか。だが分かるぞ。此れだけは他の魔物と変わらぬ敵意と殺意。コイツは直ぐにでも俺達に飛び掛かってくるはずだ。
「うあ、は、は、ハグレだ。しかも、こいつは、うあああ。」
俺の隣で歯をガチガチと鳴らしながらポルコが呻いた。
おい、今何て言った。ハグレだと。ポルコ、此奴がそうなのか?
その次の瞬間、その声に反応したのか。
奴の姿がブレるのを俺の視覚が捕らえた。
は や い ッ
濃密な死の気配が俺の脳細胞をぶち抜き、即座に思考が加速する。
「ポルコォっ!!」
刹那の時。瞬時に反応した俺は、咄嗟にポルコの前に身体を捻じ込んだ。
次の瞬間、俺の視界の景色が猛烈な勢いで吹き飛んだ。
やられたっ!?くあああああっ
三半規管がシェイクされる感覚の後、俺は凄まじい衝撃と共に壁だか床だかに叩き付けられた。
「ごはぁっ!」
肺から空気が叩き出され、視界がチカチカと光に埋め尽くされる。何をどうされたかも分からねえっ。脳内で膨大な記憶がフラッシュバックする。何だこりゃ。走馬灯?
いや、此れは記憶だ。しかもごく最近の。
___薄暗い迷宮で身体を休めている間。暇を持て余した俺とポルコは、お互い他愛もない座談に興じていた。俺は地球に居た頃の伝説や寓話なんかを面白おかしく語って、ポルコはこの辺りの迷宮の様々な逸話を聞かせてくれた。ポルコは此の迷宮都市の生まれなので、迷宮に関する噂話にやたら詳しかったのだ。
俺の話と言えば、どこぞのブリテンの王が女の子になったり、どこぞの第六天魔王が未来人になったりと元話を滅茶苦茶に脚色したものであったが、日本の現代人には或いはその方が馴染み深いのかもしれん。つうか地球の物語の内容なんぞもう詳細まで覚えていないので、脚色してしまうのは仕方ないのだ。ポルコは興味津々で俺の話に聞き入っていた。
そんな話の中にハグレに関する逸話があった。尤も、正確にはハグレと言う呼び方ではなくイグーセオである。この世界の言語でいう所の逸れという意味だ。
ハグレは稀に≪古代人の魔窟≫に現れる異形の魔物の総称である。
その外観は既存のあらゆる魔物に当てはまらず、にも拘らず何れかの魔物の特徴を必ず有している、未熟な迷宮探索者の間で恐れられている魔物である。とは言え、ハグレ自体は其処まで稀有な魔物と言う訳ではない。ベテランの迷宮探索者であれば、過去に一度や二度くらいはお目に掛かった事があるくらいのレア度である。
そして、その恐ろしさは単なる強さだけでは無い。通常、この迷宮において深層域の魔物が浅層に現れることはまず無い。逆はあるそうなのだが。だが、ハグレだけは例外である。外観による分類は不可能だが、例えば中層域に相当する強さのハグレが当たり前のように迷宮の入口付近に出没したりするのだ。勿論そんな事は滅多に起きる訳では無い。だが、此の迷宮では稀にビギナーの迷宮探索者が、運悪く遭遇したハグレから逃げ切れずに事故死する事態が起きる。その様な時は暗黙の了解で、迷宮探索者達は素早く情報を共有して最優先でハグレを探し出して狩ることになっている。
更に、ポルコが怪談の如く語ったところによれば、ハグレはその脅威度によって目の色が異なる。その中には恐怖の伝説になっているような存在まで居るのだ。
ポルコは迷宮都市に伝わる戒めを俺に仰々しく語ってみせた。
その目が鉄色に光るなら 用心せよ
青く輝くなら 死力を尽くせ
紫紺に輝くなら 覚悟を決めよ
緋色に輝くなら 全てを顧みず遁走せよ
金色に輝くなら 祈るがいい 輪廻へ還るその瞬間まで
俺への色の説明に四苦八苦していたポルコによれば、金色に輝く眼のハグレが出現したのは此の迷宮の永い歴史でもたったの2例のみ。緋色の眼のハグレの最後の出現記録は、ポルコが生まれる遥か昔まで遡るのだそうだ。
___ 「がっ はっ。」
朦朧とした意識が焦点を合わせ始める。
糞っ。何処くらい意識を飛ばしていた。阿呆か俺は。悠長に寝てる場合じゃねえ。俺は痺れる身体を無理矢理引き起こす。あのハグレの瞳は緋色。ポルコの話では少なくとも数十年は目撃すらされていなかった奴だ。なんで今、俺達の前に。ふざけんじゃねえぞチクショォ。
あ?
その時漸く俺は気付いた。
左の視野がゴッソリ欠けている。思わず顔に手の平を当てた。
グチャ
「うあ。」
まさか。
俺の左目、持ってかれちまったのか!?今ので。嘘だろ。
俺は愕然としながら顔を上げた。すると、蜥蜴4号がハグレの巨大な手に上半身を挟まれて、足をバタバタと振って藻掻いてる光景が狭まった視界に飛び込んで来た。他の3人が救助しようと必死で動き回っているが、超高速で振り回されるハグレの尻尾や手足に阻まれて近付く事すら出来ていない。
「ギーッ ギーッ ギャー キャアアァー。」
ペキベキベキベキ
そして4号の絶叫と身の毛がよだつ音と共に、俺の目前で4号の頭部が。いや、肩口から上が握り潰され、鮮血のシャワーと共に粉砕された。




