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憂鬱な登校



 そうして不安を抱えたまま週明けの月曜日。

 憂鬱な一日が始まった。



「行きたくない……」



 この日ほど学校が憂鬱に感じたことはない。

 けれど、行かぬわけにもいかず、支度をして学校へと向かった。



 学校が近付くにつれ、生徒を見掛けるようになり、校門を通り過ぎる頃には四方からの視線が痛い。



「ねえ、ほんとかなぁ」


「でも、ノワールの奴が見たって」


「でもさぁ……」



 ヒソヒソと声が聞こえてくる。

 知らぬふりをしているが、「一条院」とか「ノワール」とか「付き合ってる」とかいうワードが聞こえてくるので、瀬那のことを話しているのは確実だ。



 幸いにも、直接聞いてくる者がいないことに安堵していたのもつかの間、教室に入った瞬間、瀬那はクラスの女子に囲まれた。


 思わず後ずさりする瀬那に容赦なく質問が飛び交う。



「神崎さん、一条院様と付き合ってるって噂があるんだけど」


「本当なの!?」


「ただの噂よね!?」


「手を繋いでノワールに現れたって聞いたんだけど本当!?」



 怖い顔で迫ってくる女子の迫力に瀬那の顔が引き攣る。



「どうなの、神崎さん!」



 瀬那の逃げ道を塞ぐように囲まれる。

 想定していたとは言え、女子の圧は恐ろしい。



「えーと……それはその……」


「瀬那ちゃん!!」



 瀬那の言葉を遮るようにして大きな声を上げたのは、愛菜だ。


 愛菜は瀬那を囲む女子達を押しのけて瀬那の前に陣取った。


 周りの女子達の嫌悪感を漂わせた視線には気付いていないようだ。

 そして、相も変わらず馴れ馴れしく瀬那を名で呼ぶ。



「さっき変な噂を聞いたの。枢君と瀬那ちゃんが付き合ってるって。そんなことないって言ったんだけど、信じてくれなくて。嘘だよね。ちゃんと否定しないと駄目だよ。枢君に迷惑かけるから」



 愛菜はいったい誰目線で話しているのか。

 噓と決めてかかる上に、瀬那が悪いとでも言いたげだ。

 その言いように、さすがの瀬那もムッとして口を開いた。



「嘘じゃない。枢とは付き合ってるから」



 そうはっきり告げると、にわかに女子生徒達は沸き立つ。



「やっぱりそうなんだ!」


「きゃあ、いつから? いつから付き合ってるの?」


「枢だって。呼び捨てにしてるの?」



 楽しんでいるようにすら見える女子生徒達とは違い、愛菜は怖い顔で瀬那を睨み付けた。



「嘘つかないで! だって、瀬那ちゃんと枢が一緒にいる所なんて見たことないもの! そんな見えすいた噓ついて枢君に迷惑かけないで!」



 愛菜がしゃべる度に周囲の女子の視線が冷たくなっていく。

 それに気付くことなく「噓は駄目だよ!」と訴えかける愛菜からどう逃げようかと考えていると、突然周囲の視線が教室の入口へと向かう。


 瀬那も釣られてそちらを向くと、枢が教室内に入ってきたところだった。



 枢は周囲の喧騒にも臆することなく、平常運転のクールさで自分の席へと座った。


 そんな枢に一目散に駆け寄ったのは愛菜だ。



「枢君!」



 枢は愛菜を一瞥した後、瀬那へ目を向けた。

 しかし、その眼差しは愛菜の体によって遮られる。



「枢君! 皆が変な噂流してるの。枢君と瀬那ちゃんが付き合ってるって。早く否定してなんとかした方がいいよ!」



 きゃんきゃんとわめく愛菜に面倒そうに眉根を寄せ、はっきりとそれを口にした。



「嘘じゃない。瀬那と付き合ってる」


「そんな……」



 愛菜のショックを受けた声は、直後に響いた生徒達の悲鳴で掻き消された。



「やっぱり本当なんだ!」


「うおぉぉ、俺らの天使だった神崎さんがぁぁぁ!」


「一条院様がはっきり言ったわよ! 間違いないのね」



 ある者は驚き、ある者は嘆き、ある者は楽しげに。教室内はカオスと化した。



「うわぁ、予想通りの大騒ぎ……」



 登校してきた美玲が、教室内の騒ぎを見て口元を引き攣らせている。



「美玲、助けて……」


「ごめん、瀬那ちゃん。さすがの私でも手に負えない」



 美玲にもさじを投げられ、収拾の付かなくなった状況を変えたのは、愛菜の叫びだった。



「そんなの嘘!!」



 喧騒を割るような声にピタリと声が止まる。



「枢君、冗談言うなんてらしくないよ」



 愛菜はどこか必死だった。

 まるでそれを事実として受け止めたくないと言っているように見える。



「枢君は優しいから話を合わせてるだけでしょう?」



 腕に縋り付く愛菜を、枢は残酷なほど冷たく振り払う。

 たたらを踏んだ愛菜はショックを受けている。



「冗談でも優しさでもない。俺が瀬那を好きだから付き合ってるんだ」


「だって、そんな話聞いたことないもの」


「どうしてお前に話さなければならない? お前と俺はなんの関係もないだろう」


「酷い。そんな言い方……。私はずっと枢君の側にいたのに」


「だからなんだ? お前に何でも報告する義務はないだろ、お前の押し付けがましい想いは迷惑だ」



 その時、教室に教師が入ってきた。



「おーい。ホームルーム始めるぞ、座れ~」



 呑気な教師の言葉を聞いて生徒達が各々の席へと座る中、愛菜は教室を飛び出していった。



「お、おい、新庄。どこに行くんだ?」



 教師が慌てたように声を掛けるが、愛菜は気にせず姿を消した。



***



 その後授業が始まっても愛菜が帰ってくることはなく、休憩時間ごとに瀬那の姿を見に来る生徒達に辟易していたことで、愛菜のことはすっかり忘れさっていた。


 それはきっと他のクラスメイトもだろう。


 付き合っていることが周知されても、教室内で瀬那が枢に話し掛けることはなく、また枢が話し掛けてくることもなかった。



 そんな様子に、本当かと疑う者もいたが、枢と瀬那の当人達が付き合っていると明言したところを多くの人の耳が聞いていたのだ。


 そこから話は広がり、今や周知の事実として認められた。


 美玲によると、瀬那の親衛隊にも入っていた新聞部部長が泣きながら号外を書き、それが配られたことも一役買っているようだ。


 瀬那の親衛隊は、瀬那の幸せを見守るという姿勢でいる。


 まあ、喧嘩を売ったとしても枢が相手なので瞬殺されて終わるだろうが。



 問題は枢のファンの方である。


 比較的、二人が付き合っていることに好意的な声の方が圧倒的に多かったのは瀬那も驚いた。

 もっと悪口が非難の声が殺到すると思っていたのだが、瀬那が相手なら仕方ないかという空気になっている。

 そこにはあの愛菜が相手より、大人しく優等生な瀬那の方が断然納得できるという意味合いも含まれている。

 いかに愛菜が嫌われていたかが窺い知れるというものだ。

 

 が、嫉妬の声がないわけではない。


 以前揉めた花巻さんからは、あからさまな嫌味を言われ、美玲が応戦するなんてことも。

 

 しかし、以前のいじめの証拠を握っている瀬那には嫌味以上の何かをすることはできないようなので、嫌味くらいは許容範囲だ。


 枢と付き合った時から、全ての人に祝福されるとは瀬那も思っていなかった。

 それだけ枢はこの学校で絶大な人気があるのだ。



 それを実感させられることになる昼休み。

 瀬那はいつものようにお弁当を持って非常階段へ向かおうとしていたのだが……。



「瀬那ちゃん、瀬那ちゃん」


「なぁに、美玲?」


「とうとう来たよ」


「何が?」


「呼び出し」



 美玲が教室の出入口を指すと、そこには複数名の女子生徒の姿が。



「一条院様のファンの子達だよ。瀬那ちゃんを呼んで来いって」


「思ったより早かったなぁ」


「瀬那ちゃん、行くの? 私も付いていこうか?」


「ううん、大丈夫。それに対策はあるって言ってたでしょう」



 心配そうにする美玲の肩を叩いて、瀬那は気合いを入れて枢のファン達の所へ向かった。

 早く枢のいる非常階段へ行けることを願いながら。



「神崎さん。ちょっと良いかしら?」



 最初に声を掛けてきたのは、枢のファンクラブの会長だ。

 美玲の情報によると、大会社のご令嬢らしい。



「何か?」


「少しお話ししたいの。一条院様のことでって言えば話は早いかしら?」



 にこりと微笑みを浮かべているものの、その目は笑っていない。

 けれど瀬那は臆することなく笑みを浮かべてみせた。



「ええ、いいわよ。でもここだと周りに迷惑だから場所を変えない?」


「あら、随分と冷静なのね」



 ヒクヒクと口元を引き攣らせているボスと、その後ろで敵意をみなぎらせている他のファン達を引き連れ、瀬那はみずから人気の少ない体育館裏へやって来た。



「それで、お話とは?」


「そんなこと聞かなくても分かっているでしょう? あなたどういうつもりで一条院様と付き合ってるなんて言ってるの?」


「どうもなにも、お互い好き合ってるから付き合ってるんですが?」


「なんて厚かましいの!」


「親衛隊がいるのか知れないけれど、一条院様に釣り合ってないって分からないのかしら!?」


「身を引くべきじゃないの!?」



 きゃんきゃんとわめくわめく。

 しかし、会長がすっと手を上げると、ピタリと止まった。

 その連携に思わず瀬那は感心する。

 まるでポメラニアンと調教師のようだ。



「神崎さん。私達は一条院様のファンクラブを自称しております。正式に認められているわけではありませんが、誰もが一条院様を崇拝し、その御身の幸せを願っているのです。あの神に祝福された美しさ、聡明で産まれながらもつ覇者の空気。それはもう神! まさに一条院様は私達にとって神なのです!」


「はあ……」



 うっとりと枢の素晴らしさを延々と説く彼女に、瀬那はお腹空いた……と思いながら空の雲の模様を眺めた。



 瀬那を無視して続けられる枢への溢れすぎる愛。

 いつまで続くんだろうと右から左へ受け流していると、「聞いているのですか!?」と怒鳴られる。


 理不尽さを感じながら視線を戻すと、怒りで顔を赤くしている。



「私達は一条院様を第一に想い、決して邪魔にはならぬよう努めてきました。でも口を出さずにはいられないの。あの空気を読まない脳内花畑女よりは比べるまでもなくましであることは認めるわ」



 脳内花畑女とはずいぶんな言われようであるが、瀬那も愛菜に関しては否定しない。



「けれど、やはり一条院様にはもっと相応しい方がいらっしゃると思うのよ!」 



 彼女達の気持ちは分からないでもなかった。

 好きな人に彼女ができればショックだろう。

 けれど、それを決めるのは枢であり、枢と瀬那で決めたことを他人にとやかく言われたくはない。



「話はそれで終わりですか?」



 あまりにドライな反応の瀬那に、会長はたじろぐ。

 もっと泣くか怒るかするとでも思ったのかもしれない。



「なっ! それだっけって、全然伝わっていないじゃない!」


「伝わっていますよ。ようは、枢は神で、皆さんはそんな枢の敬虔な信者ってことですよね?」


「ま、間違ってはいないけれど、私達が言いたいのはそういうことではないのよ!」


「……ここで一つ提案があります」



 再び瀬那への口撃が始まりそうなところで、瀬那が先制パンチを入れる。



「なによ」


「ぜひ、私と友達になって下さい」



 にっこりと、瀬那は会心の笑み浮かべる。



「はぁ!? 何を言ってるの、あなた!」


「頭おかしいんじゃないの?」


「友達になんかなるわけないでしょう!」



 酷い言われようだが、瀬那は意志を曲げない。

 本題はここからだ。



「皆さんが枢のことを凄く大事に思ってくれてることは伝わりました。枢もあなた達のような人がいて幸せ者ですね」



 一旦持ち上げると、彼女達はドヤ顔で気分を良くした。



「私はそんなあなた達にも、枢とのことを認めてもらい、これまで通り陰から見守っていただきたいと思います」


「見守るなんてできないから、こうして苦言を呈しているのでしょう!」


「まあ、話は最後まで」



 すると、しぶしぶ口を閉ざした。

 なにげに、人の言うことを聞く辺り悪い人達ではない気がする。



 瀬那はスマホをポケットから取り出して、ポチポチと操作を始めた。



「ファンクラブの皆さんには、私達のことを見守って下さる大事な友人関係を築きたいと思ってます。その代わりに、私も友人である皆さんの活動を支援いたしましょう」


「支援?」



 意味が分からず首を傾げる彼女達に、瀬那はスマホの画面を見せた。


 その瞬間、彼女達は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。



「そ、そそそ、それは……」



 瀬那はニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。



「はい。学校では絶対に見られない、普段着姿で家でリラックスしている枢の写真です」


「いやぁぁぁ!」


「一条院様の私服姿!!」


「尊い!」



 瀬那の見せた枢の写真は予想以上の効果を見せた。

 そもそも枢は写真を撮られることが好きではないので、自然と枢の写真を撮ろうとする者はおらず、枢の写真は学校の行事で撮られた写真位しか存在しないのだ。

 それだって、遠目に映っていたり、半分切れたりしていて、瀬那が見せたような枢一人のアップは貴重品だった。


 会長は目を血走らせて写真から瀬那へと視線を変える。



「神崎さん。あなたたった今支援とおっしゃいましたね。まさかその写真を?」



 すると、会長の言葉に反応した他の女子も、同じように目をギラギラさせて瀬那を見る。



「あなた方が、私と枢のことを見守ってくださるならです。もし、嫌だとおっしゃるなら……」



 言い終わる前に、会長が瀬那の手を握り締める。

 あまりの力強さにちょっと手が痛い。



「見守ります。見守りますわよね、皆さん!?」


「ええ、勿論! 今日から私達はあなたの親友です!」


「私実はお二人はお似合いだと思ったんです!!」


「あなた以上の人はきっと現れないわっ!」



 この手のひらの返し方はむしろすがすがしい。

 今や主導権は瀬那が握っていた。



「いいでしょう。ただし、条件があります」


「なんでもおっしゃってぇぇ!」


「一つ、私と枢が付き合っていることに文句を言わない。嫌がらせをしない」



 彼女達は首がちぎれんばかりに頷いている。



「二つ、そういう嫌がらせをしようとしている人がいたらそれとなく止めてくれると助かります」



 まあ、こればかりは念のためだ。

 彼女達だけで全ての嫌がらせがなくなるとは思っていない。



「三つ、ファンクラブへの支援として、月に一度枢のプライベートショットを送る代わりに、決してこれを関係者以外には見せないこと。この三つ目は特に厳守です。SNSにあげるなど以ての外。仲の良い友人どころか、親や兄弟でも見せるのは禁止です。それが破られたと判断した瞬間、この支援は一方的に破棄します」


「必ず守りますぅぅ!」


「ファンクラブ全員の血判を押します!」


「決して外部には漏らしません!!」



 瀬那はにっこりと笑って、「じゃあ、連絡先交換しましょうか」と言うと、光の速さでスマホを差し出してきた。



 無事連絡先を交換し終えた彼女達に、先程見せた写真を送る。



「ああ……今日はこれでご飯三杯はいける」


「私は五杯……」


「美しい……」


「じゃあ、これからよろしくお願いします。くれぐれも写真を外に漏らさないように」


「ああ、神様仏様神崎様。このご恩は一生忘れません」



 最初の威勢はどこへやら。


 その場を去る瀬那に向かって、彼女達は拝み続けた。








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