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彼の好きな人



 すでに来ていた枢の横に座りお弁当を広げる。

 お箸を枢に渡し、瀬那は本を広げ読み始めた。

 その間、特に会話がないのはいつものことだ。


 しかし、今ではこの時間が心地良くなってすらきている。



 本に視線を落としていたが、瀬那は別のことを考えていた。


 それは先程の一年生と愛菜のやりとり。



 まだ付き合っていない。

 愛菜のあの言い方では、枢も愛菜のことをまんざらではなく思っている、と取れる。



 まあ、確かに枢の周りには愛菜以外に女の子の影がない。

 愛菜が、自分こそ枢に一番近いと優越感を覚えるのも頷ける。


 しかし、一年生の告白を妨害しようとしたり、さも思い合っているかのように言う愛菜は結構腹黒いのではないだろうか。



 天然故に人の気分を逆なでしていると思っていたが違ったのだろうか。



 そもそも愛菜は枢といい雰囲気と思っているようだが、枢の方はどうなのだろうか。



 チラリと横にいる枢を見る。



 人のプライベートをずけずけと聞くのは良くない。

 が、凄く気になる。


 どうしてこんなに気になるか分からないが、枢が愛菜のことをどう感じているのか、同じように思っているのかどうしても気になった。


 これではミーハーな他の女子達と変わらないと分かりつつ、聞かずにはいられなかった。



「……あの、一条院さん」


「…………」



 この距離だ。しっかり聞こえているはずなのに枢は瀬那を無視。


 首をひねりもう一度声を掛ける。



「あの、一条院さん」


「…………」


「一条院さんってば」



 呼びかけて三度目でようやく視線を向けてきたが、それも一瞬のことで、すぐに視線をそらす。



 何故無視されているのか分からない瀬那は首をひねる。


 何か気を悪くするようなことを言っただろうか?と悩んでいると枢が。



「名前」



 そう小さく呟いた。


 最初、頭の中に疑問符が浮かんだが、少し考えてからようやく察した。



「あっ、えーと、かな……め?」


「なんだ?」



 今度はすぐに返ってきた返事に、瀬那はなんとも言えない表情になる。



 確かに枢と呼べと言われたが、呼ばれないからと無視するとは、子供かっ!とツッコミを入れたい。



「枢って意外に子供……」



 ぽそっと呟いた言葉は枢にも聞こえたようでぎろりと睨まれ、瀬那はさっと視線をそらした。



「で、なんだ?」


「えっ?」


「何か用事があったから呼んだんじゃないのか」


「ああ、そうそう」



 話が脱線していたが、当初の目的を思い出した。


 まどろっこしいのは嫌いそうな枢に、瀬那は率直に聞くことにした。



「新庄さんと付き合ってるの?」



 少し率直すぎたかと、眉間に皺を寄せた枢を見て思ったが、答えはすぐに返ってきた。



「付き合ってない」


「これから付き合う予定は?」


「ない」



 つまり愛菜の独りよがりということか。

 枢の様子を見るに照れているから誤魔化しているという感じではなく、本気で止めてくれと思っているように見える。



「ふーん」



 お弁当をもぐもぐ食べながら、愛菜は天然か腹黒かなどと考える瀬那。




「なんだ突然」


「ああ、うん。ちょっとね」



 さすがに先程見たことを枢本人にチクるのは止めておいた方が良いだろうと、言葉を濁した。



「じゃあ、付き合ってる人とかいるの?」



 恐らく学校にいるほとんどの女子生徒が聞きたいだろうに聞けない質問。

 この非常階段での一時を共に過ごすようになり、案外枢が話しやすい人だと知った瀬那は、この際だから聞いてみた。



「……いない」



 わずかな間は何だったのか。

 追求する前に枢の方から問い返された。



「お前はどうなんだ?」


「私? いないけど」


「付き合ってるんじゃないのか?」


「誰と?」


「生徒会長だ」


「翔のこと?」



 そんなことを聞かれると思わなかった瀬那は目を丸くした。

 まさかここにも勘違いしている人がいたということに驚いて呆れもした。



「一条院さんもその噂本気にしてたの?」



 瀬那はがっくりと肩を落とした。

 いつからだろうか、瀬那と翔が付き合っているなどという噂が立ったのは。

 確かに仲は良いが、それだけだ。

 付き合ったことは今も昔も一切ない。

 どこから発生したか分からないその噂を一つ一つ潰したつもりでいたのだが、まだ誤解していた人がいたことに脱力する。




「枢だ、何度言わせる。噂なのか?」


「翔とは中学が一緒だから仲良いだけで、翔には可愛い彼女いるし」



 そう言うと、枢は驚いているようだった。



「……付き合ってない?」


「うん。全然まったくあり得ない」



 断言したのは良いが、それから枢は何か思案するように黙り込んでしまった。




 数日後、何故か愛菜を非難するような噂が学校中に蔓延していた。



 どうやら、先日の一年生とのやりとりを聞いていた人が思いのほか多かったらしい。


 愛菜の、枢ともうすぐ付き合いますと暗に匂わせる発言。

 それに焦った女子生徒の中で、勇敢にも枢へ直接聞きに来た勇者がいたのだ。



 まあ、勿論一人でとまではいかず、皆で渡れば怖くないとばかりに大人数で教室まで押しかけてきた。



 その顔ぶれは一年生から三年生まで様々。


 どういう集まりかと思ったら、枢のファンクラブだと美玲に教えてもらった瀬那。


 そんなのがあったのかと思ったが、非公認の影のファンクラブらしい。


 非公認と言っても枢は知っているのだろうが、彼女達の活動は陰ながら枢を見守ろうを信条にしているらしく、目立つことはしないので目こぼししてもらっているのだろう。



 そんな彼女達でも、さすがに愛菜の発言は見過ごせなかったようだ。

 陰ながらではなく、がっつり日なたに出てきてしまっている。



 枢の護衛兼処理係と言っても過言ではない瑠衣と総司も、あまりの女の子達の鬼気迫る迫力に負けたようで、口を引き攣らせていた。



 そして、何もしていなくても威圧感漂わせる枢を前にして、果敢にも愛菜の発言の真偽を問うた。


 一瞬枢が視線を向けてきた気がした瀬那だったが、先日突然愛菜のことを質問した理由に気付いたのかもしれない。



 枢はそんな女の子達の迫力にも顔色を変えず、愛菜の発言を否定していた。


 ほっとした表情を浮かべた彼女達。

 しかし、枢から驚くべき発言が飛び出したのはその後。



「それに、好きな奴はいる」



 その発言をした直後、女の子達の悲鳴が、教室どころか聞き耳を立てていた廊下の子達からも響いた。



「ままままさか、新庄さんなんてことは……」


「違う」



 愛菜ではないと否定したことでほっとしたようだが、枢の好きな人発言はその日の内に学校中に回り、阿鼻叫喚を生み出した。



 そのおかげで、愛菜を批判する声は消えたが、枢の好きな人が誰かと、生徒達の予想合戦は白熱したのだった。



 そんな中で、愛菜だけが悔しげな表情を浮かべていたことを誰も気が付かなかった。



 瀬那は枢から発せられた好きな人がいるという言葉に、心がズキリと痛んだが、気のせいだと蓋をした。


 そんなはずはない。そんはずはないのだ……。







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